「日本国民統合の象徴」

  • 2017.06.23 Friday
  • 22:35

「戦後70年の皇室の歴史において、ここ10年余、皇位継承問題、皇族減少問題

(女性宮家創設論)、そして『生前退位』問題と皇室典範の制度疲労が一挙に露呈

した感がある。いずれも速やかな解決が求められる喫緊の課題である。

 こういう時だからこそ、逆に原点に立ち返り、『日本人にとって皇室とは何か』、

『皇室がなくなったら、日本はどうなるのか』を問い返してみるべきであろう」。

 

 本書がまず伝えるのは、2つの「外圧」に従って変容を遂げた皇室の歴史。

 

 第一の「外圧」とはすなわち、古代日本の律令制の時代、中国によるもの。

 当時の中国において、周辺諸国の文明度を測る尺度と言えばただひとつ、「中国化の

進展度」に他ならず、程度が低いと見なされれば、「化外の地」として、「徳化」の名の下、

軍事投入をも辞さなかった。

 かくして自国の安定を図るべく、中国文化の摂取に励む時の日本の中央集権化を

率いたのは稀代の中国通で鳴らした藤原不比等。血みどろの抗争劇に示される

天皇親政から、「大宝令制」の導入により、朝廷と官僚の棲み分け、現代風に言えば

権威と権力の分離への移行が果たされる。

 

 そして第二の「外圧」とは江戸幕府末期、ペリーの来航に端を発する。

 不平等条約という「屈辱を乗り越えるため、天皇を中核として朝廷、幕府、諸藩が

立場を超えて立ち上がることが急務であった。幕末においては、かかる国是こそが

尊王攘夷論にほかならない」。

 かくして天皇が再び政治のキーパーソンとして表舞台に立ち、やがては大政奉還、

大日本帝国憲法への道筋を得る。

 

 そして現代、後継問題という「内圧」によって皇室は岐路に立たされる。

 

「即位に際し、陛下は日本国憲法の遵守を誓われ、象徴の立場から国民に寄り添いつつ、

皇后陛下とともに熱心に公務を果たされてきた。よって大多数の国民が、天皇皇后

両陛下に対し敬慕や感謝の念を抱いていることはまちがいない」。

 なるほど、そうだろう。

 しかしこの念は果たして「天皇」という機能に由来するものなのだろうか。稚拙な感情を

隠そうとしない権力の頂とはおよそ対照的に、権威の重責を誠実に完遂せんと努める

一個人の人間性への尊敬に他ならないのではなかろうか。

「天皇や皇室がもつ統合力は日本人の精神構造に根づき、日本の社会の絆として

有形、無形に大きく作用してきた」と筆者はあくまで訴えるが、その反証は明治天皇の

地方巡幸という教化キャンペーンを示せば足りる。『日本書紀』や『古事記』に基づく

「天皇中心の神の国」論とて「人間宣言」をもって終わりを告げた。

 

 戦後、昭和天皇は転向と平和の「象徴」となった。今上天皇、皇后は家父長制に

背を向けた新たなる家族像の「象徴」となった。現皇太子妃は成婚時においては、

その華々しいキャリアから女性の時代の「象徴」となり、そして今、重圧に耐えかねてか、

公の場からはほぼ引きこもり、息女は拒食に苦しんでいる、という。そんな病める時代を

「象徴」する皇室は、次にいかなる未来を「象徴」するのだろうか。

トランスボーダー

  • 2017.06.23 Friday
  • 22:32

「寒いからストッキングをはいた。ただそれだけだよ」。

 きっかけはそんな必要にかられてのことだった。しかし、ふと迷い込んだきらびやかな

女性用下着売り場が筆者に思わぬ気づきを与える。

「これ以上、狭い世界に押し込まれるのはごめんだ!

 人生で初めて、ストッキングを購入するためにレジの前に並びながら、僕は考えた。

男の役割を捨てようか。女としての生活は、いったいどんなものなのだろう? 男よりも

快適なのだろうか?……僕は、今のままの自分であることに、違和感をもちはじめていた。

男であるというじじつがささいなことのように思えてきた。世の男たちは“男らしさ”を

演出しようと苦心するが、昔から僕はそういったことにあまり関心がない。もしかすると、

女性のほうが生活をより楽しめるのではないだろうか?」

 かくしていつしかパンツの下のストッキングを越えて、彼の女装生活の日々がはじまる。

 

 防寒具としての機能性の高さを、単に女性用/男性用という仕切りのために放棄する。

 なるほど、馬鹿らしい。

「僕は人間でありたい。妥協も区別もしたくない。男でも女でもない完全なもの」。

 本書は一面では、そうした開かれた人間性の境地を目指すもの。

 

 とはいえ、総体的な印象としては、古臭いフェミニズムの域を脱するものではない。

「何よりもたちが悪いのは、男のイメージは何があっても壊されてはならないとする、

宗教にも似た信念だ。疑問を抱くことすら許されない。たとえば、男は強いものだという

イメージ。忍耐強く、どんな困難にも挑戦し、すべてを乗り越え、あらゆる問題を解決

できると思い込んでいる。……まったく、傲慢としか言いようがない」。

 指摘のすべてが的外れとも思わないが、一義的にはこうしたバイアスを通してしか男を

観察できない筆者個人の問題としか思えない。

「女性になることで、僕のアンテナは“送信”から“受信”に切り替わっていた」。

 フェミニズムをめぐる典型的な視線の政治学、見る−見られる。

 古典的に過ぎて、今さら新しいものが発掘される期待など抱きようがない。

 

 そして、女への幻想は時に無残に裏切られる。

 あるとき、妻の不満が爆発する。

「みんな、あなたの話しかしないのよ。頭がおかしくなっただとか、性転換するつもり

だとか。そして言うのよ。『あんな男と結婚して、あなた、かわいそうね。だいじょうぶ?

私たちはあなたの味方よ』って」。

 たちまち彼は打ちひしがれる。「僕の前ではそんなそぶりを少しも見せなかった。

理解すら示していた。おもしろい! 感心しちゃう! そう言っていたのに」。

 そして追い打ちをかけるように宣告される。

「あなたは女を美化しすぎよ、女も完璧じゃないわ。男とおんなじよ」。

 

 LGBTでも、女装癖でもなく。社会実験としての面白みがないことはない。

 とはいえ、日本ではいわゆる「男の娘」が既にやっていること。

 ジェンダー論に新たな視点や話題を加えた、という次元には程遠い。

 そして中には、研究者からの引用とは強調しつつも、「男脳が極度に発達したものが

自閉症」などという暴論も登場する。定義や観察例すらも曖昧な「男脳」や「自閉症」と

いった単調なスティグマを越えて、「人間」へと開くことこそがフェミニストの目指すべき

道なのではなかろうか。

教養主義の没落

  • 2017.06.20 Tuesday
  • 22:02

 そもそも本書のきっかけは『中央公論』における連載。骨董店を訪ね回ってエッセイを

書いてほしい、とのオーダー。

「敵はもちろん、私が美術骨董についてまるきり無知であることを知っている。だから

無勝手流で書け、というのである。なまじ知っている人が焼き物について、漆器について

講釈を垂れるより。私のようなのが行けばいろいろと、子供電話相談室のようなことが

訊けて却っていいんじゃないのか、というのであろう」。

 

 基本的には店の来歴、主人の経歴、錚々たる常連客の逸話、そんなところから

筆者自身の趣味をしばしばちりばめながら、本書は展開される。

 ルーツを遡れば江戸前期、由緒正しきそんな店から、独学で趣味が高じて起業した、

そんな店まで、骨董店のはじまりとて多種多彩。事業拡大の契機とて、歴史に応じて

様々な顔を持つ。例えば戦後間もなくの「骨董屋というか道具屋」の時代、とりあえず

半信半疑で茶碗を仕入れて東京に持ち帰ると、「我先にと、殺気立って品物を掴み、

札を振り回す。一時間で完売である。……平和が来たのだ。しかしそれは、物を求めて

時に殺気立つこともある平和だった」。あるいは古民具屋の場合、とりわけ地方をめぐる

際は相手の面子を立てることが大切、と力説する。近場で捌けば出所がばれて困窮が

周囲に広まるからか、「同じ地域で処分してくれるな」と念を押される。交渉のときにも

「『売ってくれ』というのではなく、『お分けいただきたい』と言わなければならない」。

 

 老舗の骨董店となれば、出入りした往年の名士の素顔を時に目のあたりにする。

 川端康成の場合、「欲しいものがあると……『これ、貰います。お金はなんとかなる

でしょう』といって持って帰る。それが結局なんともならなくて、品物を返す、というような

こともあった」。「服部時計店の服部正次さんが来てくれて、『町内になったんだね』と

お祝いに時計をくれ、西行の白河切(平安時代の歌切れ)を50万円で買ってくれた。

今なら500万円というところ。有難かった」。他店の証言、「お金持ちほど、モノはいいけど

継ぎ接ぎだらけの服を着てたりしますよ。……服部正次さんはバーバリのコートの襟の

部分が継ぎだらけ、三井高大さんはズボンがその状態でしたよ」。財閥解体のただ中の

「岩崎邸で印象に残ったのは、がっしりしたお屋敷なのに障子が古ぼけてところどころ

破れていることであった。……沢山あっても進駐軍の許可がないと一銭も使えないのだ」。

 

 そうした証言が映し出すのは、「真善美」を信じることができていた時代への淡き郷愁。

「よきもの」を求める同人として交際を持ち人脈を確立する、そんなハブとしての骨董屋。

「よきもの」を「よきもの」とする価値規範の自明性の底抜けが露呈してしまった以上、

マネー・ロンダリングの材を供するでもなければ、美術趣味にもはや浪費すべき金など

あるはずもない。

 教養は遠きにありて思ふもの、そして哀しくうたふもの。

 そんな共同体の礎の崩壊を、骨董は涼やかに映し出しているのかもしれない。

ジュード・ジ・オブスキュア

  • 2017.06.20 Tuesday
  • 21:59

「東京には、江戸時代に命名された坂が約500、明治以降に命名された坂が

140もある。……丘と谷が複雑に入り組んでいるので、そもそも坂が多いのは

当然といえる。しかし、多くの坂に名前がつけられた理由は、江戸という街の

特異性にあった。

 町人の住む地域には『江戸八百八町』(実際にはそれ以上あった)というように、

多くの町名が幕府によってつけられていたが、江戸の面積の8割を占めていた

武家地と寺社地には、理由は定かではないが、町名がつけられていなかったのだ。

 従って、人々が目的地に向かうには、どうしても俚俗地名が求められた。その

ランドマークとして選ばれたのが坂であって、その坂に町名を代替する名前が

冠せられるようになったというわけである」。

 

 筆者によれば、江戸の切絵図と照合すると、まだざっと7割ほどが当時の道筋を

留めているという。そして、坂の呼び名も今なお使われているらしい。

 ペラペラとめくる。「桂坂。鬘をつけた僧がこの坂で急死したとか、蔦葛が繁茂して

いたからとか、諸説ある」。「伊皿子坂、昔近くに明国(中国)人の王三官という人物が

住んでいた。世人は彼をエビス(夷)と呼んだ。これがインベイスと訛って、これに

『伊皿子』の字をあてた。後年、これが訓読みの『いさらご』に変わった」。

 ふむ、読んでいてもほとんど頭に入ってこない。グーグル・マップも味気ない。

 ということで過日、あてもなく漠然と坂の多そうな都下某所に降りる。

 地図の読めない私、本書のガイドも空しく、早々にルートを外れる。

 メイン・ストリートは車の往来でなかなか写真にならない。寺社仏閣が街の要所を

占めていることを再認識させられるが、江戸の名残とやらにもあまり関心が向かない。

 そんな中、曲がり角に差しかかる。影の覆った細い道。まっすぐに下っている。

 不意にときめく。

 たぶん名はない。

 裏路地の閑散とした坂の直線に私のフェティシズムがあることを理解する。

 

 終着点はその昔、幾度となく上り下りしただろう坂、本書ではじめて名前を知った。

 その日いちばんの傾斜、心理的な何かがそう感じさせているわけではない、はずだ。

 下り切ったその麓を見渡して慄然とする。

 何が変わったのかがもはや分かりようもないほどに、変わってしまっていた。

 10年でこれなのだから江戸の世となれば、もはや遠すぎて。

 

 帰宅してさらりと読み返す。

 ひときわ印象に残った緑潤う緩やかな坂が「名坂中の名坂」と讃えられていることに

気づき手が止まる。テキスト単体を目に通していた時には何のひっかかりもなかった。

 百聞は一見に如かず。

boys will be boys

  • 2017.06.16 Friday
  • 22:49
評価:
ジュリアン・ガスリー
日経BP社
¥ 2,376
(2017-04-20)

「賞金には、エネルギーを結集する効果がある。競争心を生み出すんだ」。

 1927年のチャールズ・リンドバーグを大陸横断飛行に駆り立てたきっかけは、

その達成に対して支払われる25000ドル。報奨の多寡が問題なのではない。

目標を設定することが人々をスタート・ラインへと向かわせる。

 果たして本書の主人公、ピーター・ディアマンディスは民間企業による宇宙開発に

その再現を期する。懸賞金1000万ドル、記者会見で彼は高らかに宣誓する。

Xプライズは、ひとつの壮大な目的のために創設されました。それは、低コストで

再利用可能な打ち上げ機の開発を促し、宇宙旅行産業の形成を盛り上げることです」。

 その号令を受けて、男たちの挑戦がはじまる。

 

 途方もないドリーマーたちの物語、そのキャラクターがいちいち際立つ。

 ピーターの経歴からして図抜けている。アポロ11号を原体験に擦り込まれ、そのまま

大きくなったような宇宙少年。医師になるという両親との約束を守り、ハーバードの

メディカル・スクールまで進むも、気持ちは文字通り上の空。同好の士の学生団体を

立ち上げ、顧問には『2001年宇宙の旅』A.C.クラークを招聘、果ては全世界から受講者を

集める大学(短期集中講座)まで作ってしまう。そして結局、夢を捨てることができず、

キャリア・パスを放棄して、NASAではなく民間の力で宇宙を目指し東奔西走する。

 スピリット・オブ・セントルイスになぞらえた彼に誘われるように、チャールズの末裔

エリック・リンドバーグもいつしかXプライズに関わりを深める。リウマチと格闘しつつ、

プロジェクトの資金確保のため、祖父の挑戦から75年、孫がパリの灯を目指し飛び立つ。

 あるいは地上100kmを超え出た初の民間パイロット、マイク・メルヴィル。宇宙物理の

俊英たちに囲まれる中、彼の最終学歴は高校中退。頭より身体で飛行機を覚えた63歳、

叩き上げの「カウ・ボーイ」が「じゃじゃ馬」を見事手なずける。

 誰もかも、どこかしらぶっ飛んでいる。

 胸躍らないわけがない。

 

 好きこそものの上手なれ。

 そんなことばの真実味を否応なしに知らされる。

 オタクがそのままおとなになって、なぜ悪い?