「わがこと」

  • 2017.04.21 Friday
  • 21:11

「本書では、過去日本を直撃したことがないような巨大台風における『大避難』と、

日本にとって最大の脅威の一つと言える南海トラフの巨大地震における『大避難』の

2つを軸に、自然災害そのものの変化と、それを想定する科学の変容、そして

今日の日本社会のあり方を描いていく。……現代都市は高い堤防をはじめとする

強固なインフラにしっかりと守られているように見えて、そのじつ、巨大災害の脅威と

隣り合わせにあるのだ。私たちはその実態を具体的に知るとともに、被害を防ぐ

ための処方箋を手に入れる必要がある」。

 

 関東圏を直撃する「スーパー台風」をめぐる、驚愕のシミュレーションが紹介される。

 分析の対象は、荒川の氾濫により甚大な被害の想定される東京都の江戸川、葛飾、

足立の三区。区民180万人がそれぞれ交通機関や自動車での移動や高所への避難を

試みたとしても、逃げ切れず「命の危険にさらされている人」は20万人にも達する。

 ショックはさらに畳みかける。ならば早期の避難を心がけたらいいだろう、と思いきや、

避難勧告と同時に街を空にしようとする選択は事態をより悪化させる。引き起こされる

渋滞の結果、取り残される人々はむしろ倍増してしまう。

 あくまでこれは3区をめぐる想定で、実際のケースでは近隣自治体民の動きも

組み込まれるだろうから、これすらも楽観的な予測でしかないのかもしれない。

 仮に180万人が全員逃れたとして、どこにその受け皿の備えがあるというのだろう。

 

 地震にせよ、台風にせよ、災害列島であることをやめられる魔法の一手などまさかある

はずもなく、さりとて悲嘆に暮れてもはじまらない。

 いわゆる「釜石の奇跡」を手引きした防災研究者が語る。

「大きな課題に取り組んで、『大ダメ』が『中ダメ』になってもそれはそれでいいのではないか。

次のステップで『小ダメ』にすればいい。そのようにしなければ、今回のような大避難の

問題は少しも前進が見られないままになる」。

 ファシストが何を叫ぼうが、実を結ぶ変革は常に漸進的。

「大避難」でもそれはたぶん変わらない。

葬送行進曲

  • 2017.04.21 Friday
  • 21:09

「父・伊藤律の『無罪』は、主として私以外の多くの人たちの力によって完全に

証明された。もはや私には付け足すものはなくなった。ようやく気が楽になった。

もし私にできることがあるとすれば、レッテルなどへの気兼ねや政治的立場への

配慮などもすることなく、肩の力を抜いて、私が体験したこと、見たままのことを

記すことではないか。……そのなかには、近くにいる父とともに過ごした最後の

9年間のこと、その前後のこと、父の不在だったときの母の苦労のこと、とくに父が

冤罪=濡れ衣を着せられた家族の一員として、息子として感じ考えたことも

含まれるだろう。いまをおいて私を発言する機会はないと思った」。

 

 冒頭間もなく、息を呑むような経験を語る。警察や公安が当たり前のように子どもの

後を尾行する。

「ぼくらの家族が異常で周囲が正常なのか、こちらが正常で周囲が異常なのか」。

 スパイ疑惑の渦に翻弄された数奇な運命の自叙伝を期待するも……。

 

 内ゲバと、内ゲバと、あと内ゲバ。

 日本共産党史を知るものにとってはあるいは興味深い描写もあるのかもしれないが、

本書を手にするまでは伊藤律の名前すら知らなかった私にとっては、並ぶ固有名詞の

重要性や意味も把握できず、さりとてゾルゲ事件の文脈や中国での投獄の経緯などを

ガイドしてくれるわけでもなく、従って本書全体をどう捉えてよいものか、分からない。

 

 そんな中にも、背筋のそばだつ記述があった。

 父・律の葬儀の場面、出棺のときのこと、さる共産党員が「あたかも当然のように、

棺の上を赤旗で覆った。

 そのときだった。私は、一瞬、自分の身体が硬直したかと思った。

 兄・徹がその赤旗を剥ぎ取ったのである」。

 衝撃はそこで終わらない。件の党員が再度、棺にかぶせ、そして兄もまた、剥がす。

 果たしてこのやり取りがどう決着したのか、当事者の記憶は一致を見ない。

「幽霊」にもてあそばれた一家の数十年が凝縮された瞬間、と私は思う。

  

 葬送はしばしば、その者の生前を反映せずにはいない、まるで走馬灯のように。

暴力脱獄

  • 2017.04.19 Wednesday
  • 21:17

 容疑は強盗、奪われた現金700万ドルは行方不明、頭を銃で打ち抜かれるも九死に一生を

得て、刑務所内で地獄の日々を送っていた主人公オーディ。囚人や看守のかわいがりにも

ひたすら堪えた。「だれにも気を持たせず、どんな約束もしない。静かで落ち着いた空気を

醸し、よけいな感傷も、無用な望みも忍耐も、いっさい人生から捨て去っているかに見えた。

ヨーダと仏陀とローマの剣闘士をひとつにしたような男だった」。

 そんな男が消えた、よりにもよって刑期を終えて、釈放が約束されていたその前日に。

 彼の逃亡劇について、塀の中で唯一の理解者が語る。

「あんたはあの男がなぜ逃げたのか知りたいと言うが、そいつは質問がまちがってる。

なぜもっと早く逃げなかったのかと訊くべきなんだよ」。

 

 以下、たぶんネタバレてはいないだろう雑感。

 不朽の古典としてV.フランクル『夜と霧』、あるいは近年ではJ.ガイガー『サードマン』。

極限を生き延びるための必要条件としての、何らかの心の支えの存在を説いた作品、

そんな系譜に本作もまた、その位置づけを持つべきなのだろう。

 オーディの気高さとて、単に世俗の彼方の超人伝を展開するための道具ではない。

 むしろ、その必要を訴えることこそが本書の無二の主題となる。

 

 舞台装置としてのテキサス。

 たいていのファンタジーは、ただテキサスと言っておけば正当化される。

 英語圏でもそんな認識らしい。

 

  「すみませんと言うのをやめてくれない?」

  「わかりました。すみません」

 

 こんな陳腐なやり取りが人物造形に見事寄与する、そんな点では稀有な作品。

天網恢恢疎にして駄々漏れ

  • 2017.04.19 Wednesday
  • 21:14

「誰に聞いても、西崎は目立ちたがり屋で、大ぼら吹きで、金にルーズで、女ったらしで、

疑り深い独裁者だった。罵声を浴びせられ、裏切られ、人生を狂わされた部下も多い。

しかし、こうした証言が死者に鞭打つことにはならないはずである。なぜなら品行方正な

常識人に映画の個人プロデューサーつとまる訳もなく、まして全財産を賭けた大博打など

打てる道理がない。その現実を関係者は知り抜いているからである。傲岸不遜で常識に

縛られない西崎なればこそ、『ヤマト』という独創的な作品を生み出し、アニメ界と映画界に

新風を吹き込んだ事実に異を唱える者はいない」。

 

 あるアニメーターを引き抜いた際のエピソード。

「外車買えるくらいの金を出すから、こっちに引っ張ってこいよ」と部下に厳命し、実際に

成功してはじめてサラリーを明かす。

「外車の新車って言った覚えはない。中古車なら買えるだろう」

 モンスターは決して損をしない。ほとんど美しい国の倫理の教科書レベルの世界観。

しかし、純然たる他人事として眺める限り、これほどのエンターテインメントもそうはない、

そんな昭和の興行師伝説。

 

 とはいえ、ヤクザまがいの剛腕だけで『ヤマト』の成功が導かれるはずもない。

 信者こそが最高の宣伝部隊、スティーヴ・ジョブズの到来に先駆けて、ファンを巻き込む

アップル商法を実践してみせた。前売り券にはポスターを、先着順にセル画やレコードを、

AKBマーケティングの原型で行列が行列を生む動員のスパイラルを鮮やかに構築した。

 かくして劇場版はアニメ映画史上空前の興収を達成する。

 

 そして今あるこの世界は、そんな文脈の延長線上にある。

 子ども向けのテレビマンガを巣立ち、おとなも消費するアニメ映画の可能性を模索する。

そんな西崎の試みは、袂を分かった冨野由悠季の闘志に間違いなく火をつけた。同一の

カテゴリーの中で興行成功の先例を持つことが、スタジオ・ジブリを筆頭に後の投資を

呼び込んだことはもはや疑う余地もない。

 あるいはジャパニメーションの枠すら超えて、オタク文化への気づきを与えるにおいても

『ヤマト』の小さからぬ寄与は想像に難くない。

 

『宇宙戦艦ヤマト』の背後にある何か、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の背後にある何か。

 それはまるで昭和と平成の性格の違いを示唆しているようで、どこか笑いが止まらない。

 

 松本零士、山崎正友、石原慎太郎……そんなろくでもないサルどもにまみれてもなお、

一際突き抜けたクズっぷり。見世物小屋として圧巻の素材。

Forget-me-not

  • 2017.04.14 Friday
  • 21:28

 その表題とは裏腹に、『日本で一番悪い奴ら』が「奴」の物語へと収斂せしめられた

ところに、本書が訴える真の恐怖が横たわる。

 

2002(平成14)年7月、一人の警察官が逮捕された。階級は警部。幹部警察官が

現職のまま逮捕されるのは、きわめて異例である。/逮捕容疑は覚醒剤使用だった。

その後、覚醒剤密売、拳銃不法所持まで明かされ、逮捕は三度を数えた。/それは

北海道警察を舞台にした、過去に類例を見ない大規模な不祥事であった。……

幹部警察官の逮捕以後、二人の関係者が命を落としている。一人は逮捕のきっかけを

作った捜査協力者、もう一人は逮捕された警察官の元上司である」。

 

 この逮捕劇を予示するような裁判が1997年にあった。

 容疑は拳銃の所持、被告人はロシア人船員。捜査の中心は件の「幹部警察官」。

 弁護人は当人の証言に基づいて、取引を主導したあるパキスタン人の存在を主張した。

検察側の冒頭陳述にその存在をほのめかすものはなかった。そして証言台に立った

捜査関係者も一様に否定した。そして裁判所はそれを受け入れた。まるで神隠しだった。

「恐ろしいことではないか。嘘の話をでっちあげて主張した道警。道警の説明に疑問を

挟まずに裁判に挑んだ検察。そして、道警、検察の主張を認めた裁判所。三者がよって

たかって事実をねじ曲げたのだ」。

 

 公僕がオトリ捜査、ヤラセ捜査に手を染めたばかりか、ヤクザをも従えて、薬物や

拳銃の密売の元締めを担う。

 それだけでもセンセーショナルなはずなのに、この「幹部警察官」なるモンスターの

ルポルタージュの何がおぞましいと言うに、一読すれば誰の目にもこの問題がまさしく

氷山の一角に過ぎないことが露わな点である。

 そして、事件は「個人の資質によるもの」として幕引きを迎えた。かくなる着地を見た

大いなる要因は、「幹部警察官」の嫌疑を浮上させた「捜査協力者」の、裁判を間近に

控えての拘置所内での「自殺」だった。

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