You can't handle the truth!

  • 2018.10.31 Wednesday
  • 22:48

 グアンタナモの米軍基地内で死亡事案が発生した。上下関係の規律を乱すものには

身を以て制裁を加える、そんな「コード・レッド」の起こした不幸なこの事件をめぐって

開かれた軍法裁判は、ジャック・ニコルソン扮する大佐の関与をめぐって争われた。

 直接の命令を示す証拠は結局のところなかった。ところが男は自白する。前線を預かる

者としての誇り、国防を担うものとしての誇りが、証言台での自白を促さずにはいなかった。

自らの管轄下において行われたすべてのオペレーションを掌握していないということなど、

たとえ裁きの報いを受けようとも、司令官には決して認められることではなかった。

 このいけすかない男もまた、「グッドマン」であったことを知らされる、苦い後味を残して

映画『ア・フュー・グッドメン』は幕を引く。

 

2017728日……稲田朋美防衛大臣は、安倍首相に辞表を提出したことを

明らかにした。/この日、防衛省の不祥事を調査する防衛監査本部は、南スーダン国連

平和維持活動(PKO)の日報隠蔽疑惑について、防衛省・自衛隊の幹部らが組織ぐるみで

隠蔽に関与していたとする監査結果を公表した。監査本部は、陸上自衛隊幹部らが本来

開示すべき南スーダンPKOの日報を意図的に開示対象から外したり、実際には存在するのに

『廃棄した』と偽って開示しなかったとして、これらの行為を情報公開法の開示義務違反

および自衛隊法の職務遂行義務違反と断罪した。……本書は私[布施]と三浦記者という

同年代のジャーナリスト二人が、日本とアフリカそれぞれの地で、自衛隊が派遣されていた

南スーダンで一体何が起きていたのか、そして、そこで起きた出来事がいかに日本政府に

よって隠蔽され、ねじ曲げられて日本国民に伝えられていたのかを全力で解き明かそうとした

『連帯』の記録である」。

 

 そもそも南スーダンへの派遣はPKOの要請によるもの、その国連が“armed conflict”との

表現をもって現地の状況を伝えていたにもかかわらず、日本政府は一貫して「戦闘ではなく

衝突」との見解を示した。それに従えば、「政府軍と戦っているマシャール派が系統だった

組織性を有しているとはいえず、支配を確立するに至った領域があるともいえない」、

マシャール派が「国に準ずる組織」でない以上、「戦闘」の定義を満たすことができず、

然らば南スーダンへの派遣はPKO五原則にも憲法にも抵触しない。

「アメリカや国連にとっては、南スーダン政府はもはや『国造り支援』の対象ではなく、

その暴力を一刻も早く止めなければならない『紛争当事者』なのだ。そんな中、日本だけが

『南スーダンでは武力紛争は発生していない』と言い、南スーダン政府に対する『国造り

支援』を続けていた」。

 

 南スーダンを訪れた記者は、とある建物へと向かう。通称トルコ・ビル。20167月、

この建物をマシャール派が占拠したことで、2日間にわたり激しい銃撃戦が交わされた。

外壁や内部にはロケット砲や小銃の痕跡が生々しく残る。

 そのビルは、首都ジュバの国際空港を間近に監視できる戦略上の拠点だった。

 同行した政府の副報道官は記者に告げた。

「国連部隊が我々に向かって対戦車誘導弾を撃ち込んできた」。

 この場所で南スーダン政府軍とPKO部隊が交戦し、中国人兵士が死亡した、という。

 ビルからは空港の他に、まるで「校舎の屋上から目の前の校庭を見下ろすよう」に、

もうひとつあるものを一望することができた。

 自衛隊宿営地だった。

 

 本当に「戦闘ではなく衝突」だったのか。

 真相を示唆する内部文書が後に布施氏の請求に従って公開された。

「事案後の面談において多くの隊員が口にした事項については、睡眠への不安が最も多く、

入眠障害・中途覚醒の症状が多くあった。次に多かった事案が、音への恐怖心であ」った。

 またこの報告はPTSDへのケアについても併せて言及している。

「隊員は平常心を装いながらも常に緊張状態が継続し、蓄積した心疲労の回復には

時間が必要であり、また、事案時のフラッシュバックは何時起こるか分からず、(中略)

帰国後の回復が順調に行なわれなければ、メンタル不調者(抑うつ傾向から自殺)の

発生も予測される事から、原隊復帰後も継続した心情把握および心のケアが必要である」。

 

『ア・フュー・グッドメン』などフィクションに過ぎない。

 真実は、悪い奴ほどよく眠る。

前前前世

  • 2018.10.27 Saturday
  • 20:07

「私は7年間、福島第一原子力発電所事故を追い続けている。

 この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、

次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが

激減した。

 関心が薄れたところで、政府は支援を打ち切り、人々は苦しんでいる。(中略)

生きる選択肢が限られた彼らに、いったいどうしろというのか?

 そもそも、彼らはどうなっているかということすら、もはや世間の関心を失い、

忘れられそうになっている……。

 ネット社会の進展で、自分の好きな分野の話題や情報が大量かつ手軽に入手できる

ようになった。その反面、それ以外は見ないという風潮が広がり、そうした流れを助長

している。

 結果として、不都合な事実を『なかったこと』として揉み消そうとしている国家権力の

思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北でも

あると言われても仕方がない」。

 

 いつしか、何もかもが「なかったこと」にされた。

 除染作業員に分配されているはずの危険手当ても、中抜きを繰り返した末、いつしか

「なかったこと」になった。回収しなければならないはずの汚染物は、川に捨てられた。

「除染ならぬ移染」の事実も「現場のせい」と転嫁されいつしか「なかったこと」にされた。

 20138月、フクイチでの瓦礫撤去に際して放射性物質が飛散したことが原因と

見られる高線量の汚染が確認された。そしてその秋、風下で収穫されたコメからは

基準値を超えるセシウムが検出された。だが翌年、原子力規制委員会は、実測値を

乖離した計算値に基づき、コメ汚染と瓦礫の関係性を「ほぼないということが確実」と

断言し、一連の証拠を「なかったこと」へと葬った。

 避難先の都内中学に通う女子生徒は、たかりをはじめとした一連のいじめの事実を

教育委員会等に「虚言癖」とまで罵られ、訴えは「なかったこと」と結論された。

 

 真実はいつも醜い、なぜなら人間が醜いから。

 300ページ足らずの本書を読み終えるまでに、幾度しおりを挟んだだろう。

 読めば読むほど気が滅入る。見たくない、聞きたくない。「なかったこと」にさえすれば、

感情的なコストは安上がりで済む、そんなメカニズムを逆説的に教えられる。

 そして同時に知らされる、そんなマインドにただ乗りすることで得をするのが誰なのかも。

「アンダー・コントロール」の正体がここにある。

the Great Escape

  • 2018.10.19 Friday
  • 23:30

 トンブクトゥ。

 どこかリズミカルなこの地名を知ったのは高校生の頃、『村上龍料理小説集』の一節、

「クスクス・トンブクトゥ」なるさらにメロディアスを強調した料理の存在を通じてのこと。

 

「かねがねヨーロッパの歴史家や哲学者は、アフリカの黒人は『文盲』で『歴史をもたない』と

主張してきた。ところが、トンブクトゥの古文書は正反対の事実を告げている。ヨーロッパの

大半が中世のぬかるみを抜けられずにいる時代に、洗練された自由な思想の社会が

サハラの南に花開いていたというのだ。その文化は、1591年にモロッコ(サアド朝)に

征服されていったんは地下に潜ったが、18世紀になってふたたび隆盛をみた。しかしその後、

ほぼ70年におよぶフランスの植民地支配でこの伝統はまたも消え失せる。古文書は秘密の

戸棚や保管庫に隠され、あるいは地面に埋められた。

 ユネスコの専門家は、この失われた遺産を取り戻すための機関の創設を決める。

トンブクトゥに往時の栄華を多少なりとも甦らせ、サハラ以南のアフリカがかつて非凡な

著作を生み出していたことを世界に向けて証明するのが狙いだ」。

 そんな資料のひとつに、例えば『女性との性生活に関する男性への助言』なるものがある。

「これは、催淫剤や不妊治療薬について手ほどきをし、一緒に眠らなくなった妻をベッドに

戻す方法を教授するという内容である。……性的快楽は、イスラムでも是認されていると

断言し、勃起を持続させてオルガスムを高めるために祈ることまで推奨している。……

性的な刺激としてコーランの文句を利用するというのは、トンブクトゥの日々の暮らしにいかに

宗教が根づいていたかを示していると同時に、この地で実践されていたイスラムが形式に

とらわれない大胆なものであったことの証しでもある」。

 

 ところが、歴史は時にあまりに皮肉にできている。かつて多様性を湛えたこの地を

イスラム原理主義の魔の手が襲う。

“イスラム警官”に言わせれば、音楽は「神によって悪しきものとされている」。だから

携帯電話の着信音はすべてコーランの詠唱に統一するよう命じられた。あるとき、

カフェの店先でポータブルステレオの音楽を聞いてると、例の“警官”が現れた。

「あいつらはステレオからメモリーカードを抜いたんだ。三日後に返ってきたときには、

音楽が消えてコーランが吹きこまれていた」。

 アルカイダの使者にとっては、「新しく考え出されたことに注意しなさい。なぜなら、

新しく考え出されたことはすべて逸脱であり、逸脱はすべて正道を誤らせるもの

だからである」とのハディーズの一節がすべてだった。

 その基準に従えば、ようやく集めた377000冊ものトンブクトゥの古文書はいずれも

「逸脱」に違いなく、一度彼らの手に落ちれば燃やされる運命にあることは明白だった。

 ならば安全地帯へと避難させるより道はない。かくして彼らの大脱走がはじまる。

 

 不謹慎、といえば、これほどまでにその批判が妥当な楽しみ方もそうはあるまい。

 そんなことは分かった上で、なお胸が高鳴るのを抑えきれない。

 脱走フィクションにおいてキモとなるのはやはりスリル、つまり、敵役がどれほどまでに

血も涙もなく狂っているか、にかかっている。その点、本書の満たす要件は及第点どころの

騒ぎではない。音楽を聴いてうっかりリズムを刻んでしまう、映画ならばありがちなそんな

人間味演出すらも期待できないような、話の通じない連中が相手と来ている。

 こんな追っ手を振り切らねばならないのだから、どう転んでも面白くないはずがない。

 

 不謹慎、なるほどそうかもしれない。

 しかし、この楽しみ方こそが、少なくとも私に言わせれば、逆説的に本書に込められた

最大のメッセージなのだ。テキストをテキストとして享受することすらできない社会、

それはまさしくイスラムの聖典を大義名分に、他のテキストをすべて「逸脱」として排除する

おぞましい社会の姿に他ならない。

 この心性、何かに似ている、そう、例えば「世間」や「常識」を楯に、自らの「正論」を

振りかざし、他人の言行を狩ることに執心するネット上の不謹慎警察どもに。

 

 イスタンブールのサウジアラビア領事館で姿を消したジャーナリスト、ジャマル・カショギは

最後の寄稿に以下のタイトルを付した。

「アラブ世界が最も必要としているのは表現の自由」。

 

 狂気との間に交わすべき会話など存在しない。失われたものは戻らない。だから。

 逃げろ。

生きる歓び

  • 2018.09.23 Sunday
  • 20:02
評価:
本田 靖春
筑摩書房
¥ 864
(2005-10-05)

   公園の南のはずれに、このところようやく成木の風格をそなえて来た公孫樹が

  あり、根元を囲んで円型にベンチが配列されている。その中の南向きの一脚が、

  いつの間にか、里方虎吉の指定席みたいになった。

   老妻と二人暮らしの虎吉にとって、公孫樹の下の日溜りほどふさわしい場所は

  ない。彼の独り決めだと、公園は自分の屋敷なのであり、用を足すにも、いちいち

  公園の中の公衆便所へ出向いていくのである。

   その日の夕方も、虎吉はいつものベンチにいて、一服つけていた。終のすみかに

  なるであろう間口一間半の店舗併用住宅は、六軒幅の道路をはさんで、目と鼻の

  先である。

 

 一見リアリズムに徹した文体、しかしこの書き出しにみなぎるものはどこか叙事詩、

フォークロアを想起させずにはいない。それは例えば、昔々あるところに……、と語り部が

降臨させる何かにも似て、証言と証言を丹念に貼り合わせたモザイク状のタペストリーは、

不意に無時間的な想像の物語空間へと読者を誘わずにはいない。

「坊や、何してんだい?」

 それは同時に、4歳の幼児を異界へと連れ出したその一言にも通じる響きを秘めて。

 

 にもかかわらず、本書はやはりエミール・ゾラを髣髴とさせる自然主義の厳密な痛みを

孕まずにはいない。

「手近なだれかを別け隔てして、自分たちの小さな輪を守るという図式は、古くに

為政者が仕向けたものだが、それによって閉鎖性、排他性をいっそう助長された地方の

人々は、一度おぼえた麻薬を手放せない中毒患者のように、実は自分自身を貶める

陰口の快楽から、いまなお脱け出せないようである」。

「戦後最大の誘拐事件」をひもとけば、それは必ずや山間の集落が宿した歴史の闇へと

至らずにはいない。弱者がさらなる弱者に目をつけては責め苛む、そんなスパイラルの

終着点は幼児の命。伝統だ、習俗だ、という美辞麗句で塗り固めた生贄の儀式と

何一つとして変わるところはない。

「生家からどれだけ遠のいたところで、怯えが自分の体内に根ざしている以上、

そこから解放されわけはない」。

 奇しくもギリシア神話のオイディプスは「むくみ足」の由来を持つ。男もまた、脚に障害を

持っていた。傷は貧困の刻印だった。

 事件をめぐる情報が数限りなく寄せられる中、男への嫌疑を強めたものが生地に固有の

訛りだった、というのも彼に課せられた因果だった。

 

 死刑囚という究極の仕方で忌まわしき社会からようやく解放された男に待っていたのは

限りない浄化の瞬間だった。彼が残した辞世の句から。

 

  ほめられしことも嬉しく六年の

    祈りの甲斐を見たるついの日

 

かつてそこにあった

  • 2018.08.31 Friday
  • 21:17

「ハマのメリーさん・白いメリーさん、横浜・神奈川で生まれ育った、あるいは住んでいる

人ならば名前だけは聞いたことがあるのではないだろうか。

 実際に見た人も少なくない。聞くと、その証言のほとんどが『背骨の曲がった白塗りの

お婆さん』『伊勢佐木町にいるけどフランス人形だと思った』『今はああだけど、実は

華族出身らしいよ』など、表面的でつかみどころがなく、実際のメリーさん、本当のメリー

さんを知っている人はあまりいない。証言のすべてが現実感がなく、噂の延長の域を

出ない。例えていうなら、まるで横浜という街の風景を語るかのごとく、みんなが話し

始める。しかし彼女の存在自体が明らかな現実であり、風景になることなどできない。

第一、この近代として肥大化した横浜に、日本の戦後を引きずったメリーさんがいたと

いうこの事実は、痛烈な風刺以外の何物でもない。どこから来て、どこに消えたのか? 

メリーさんって本当は、何者なのか? それはわからない……。では、これから作る映画の

テーマとは? 私の興味、関心とは何なのか? それは、今までメリーさんと関わった

人たちである。それぞれが持つ自分の中のメリーさん、自身の人生の中でどういう関わりを

持ったのかを話してもらうことで、横浜という町、そこで暮らす人々を記録できないか、

残すことはできないだろうか」。

 

 カメラのフレームが収め得るのは、そこにあるものだけ。

 捉えられる限りのものはすべて捉える、そんな異質な文体の濃度に気圧される。

 メリーや周辺人物にとってのキーとなるような場所ならばともかく、通常ならば普通名詞の

モブとして処理されるようなところでさえも固有名詞が刻まれる。例えば「テレクラ」ではなく

「バレンタインコール関内店」、「葬儀場」ではなく「奉誠殿」。

 そしてその執拗さゆえにこそ、かえって中心たるメリーの不在が浮上する。かつて横浜で

カメラを構えればおそらくは写り込んだだろうメリー、そして今そこにはいないメリー。

そこにあるもののみを捉えているはずのレンズが、そこにかつてあったものを降臨させる、

純文学ならぬ純ドキュメンタリーとでも言うべきか、ドキュメンタリーの方法論的自己言及が

束の間、マジックを引き起こす。

 このテキストが編まれるまでに事実上、20年もの時が割かれた。この間にも、少なからぬ

登場人物は既に他界している。かつてカメラを前にしてメリーを語った彼らはもういない。

そしてメリーももういない。

 死にゆく人、変わりゆく街を対象化することが否応なしに気づかせる、写実なる仕方が

切り取るものとはまず何よりも時間に他ならないことを。フィルムはかつてそこにあったことを

証する存在としてそこに横たわる。