かつてそこにあった

  • 2018.08.31 Friday
  • 21:17

「ハマのメリーさん・白いメリーさん、横浜・神奈川で生まれ育った、あるいは住んでいる

人ならば名前だけは聞いたことがあるのではないだろうか。

 実際に見た人も少なくない。聞くと、その証言のほとんどが『背骨の曲がった白塗りの

お婆さん』『伊勢佐木町にいるけどフランス人形だと思った』『今はああだけど、実は

華族出身らしいよ』など、表面的でつかみどころがなく、実際のメリーさん、本当のメリー

さんを知っている人はあまりいない。証言のすべてが現実感がなく、噂の延長の域を

出ない。例えていうなら、まるで横浜という街の風景を語るかのごとく、みんなが話し

始める。しかし彼女の存在自体が明らかな現実であり、風景になることなどできない。

第一、この近代として肥大化した横浜に、日本の戦後を引きずったメリーさんがいたと

いうこの事実は、痛烈な風刺以外の何物でもない。どこから来て、どこに消えたのか? 

メリーさんって本当は、何者なのか? それはわからない……。では、これから作る映画の

テーマとは? 私の興味、関心とは何なのか? それは、今までメリーさんと関わった

人たちである。それぞれが持つ自分の中のメリーさん、自身の人生の中でどういう関わりを

持ったのかを話してもらうことで、横浜という町、そこで暮らす人々を記録できないか、

残すことはできないだろうか」。

 

 カメラのフレームが収め得るのは、そこにあるものだけ。

 捉えられる限りのものはすべて捉える、そんな異質な文体の濃度に気圧される。

 メリーや周辺人物にとってのキーとなるような場所ならばともかく、通常ならば普通名詞の

モブとして処理されるようなところでさえも固有名詞が刻まれる。例えば「テレクラ」ではなく

「バレンタインコール関内店」、「葬儀場」ではなく「奉誠殿」。

 そしてその執拗さゆえにこそ、かえって中心たるメリーの不在が浮上する。かつて横浜で

カメラを構えればおそらくは写り込んだだろうメリー、そして今そこにはいないメリー。

そこにあるもののみを捉えているはずのレンズが、そこにかつてあったものを降臨させる、

純文学ならぬ純ドキュメンタリーとでも言うべきか、ドキュメンタリーの方法論的自己言及が

束の間、マジックを引き起こす。

 このテキストが編まれるまでに事実上、20年もの時が割かれた。この間にも、少なからぬ

登場人物は既に他界している。かつてカメラを前にしてメリーを語った彼らはもういない。

そしてメリーももういない。

 死にゆく人、変わりゆく街を対象化することが否応なしに気づかせる、写実なる仕方が

切り取るものとはまず何よりも時間に他ならないことを。フィルムはかつてそこにあったことを

証する存在としてそこに横たわる。

「由らしむべし、知らしむべからず」

  • 2018.05.10 Thursday
  • 23:12

「日本の財政はもはやほとんど破綻しているのであって、いかなる目標を掲げようが、

いかに歳出を削ろうが、どれほど増税しようが、再建は覚束ないというのが現実である。

 なぜこのような惨憺たる状態に立ち至ったのか。その原因は数かず指摘されている。

なかでも本書が注目するのは『タックス・イーター』(tax eater)の存在である。国民の税金を

食い荒らし、日本経済の屋台骨を蝕むタックス・イーターの悪行を明るみに出す。それが

本書の目的である。

 『税は文明の対価である』という。アメリカの最高裁判事、オリバー・ウェンデル・

ホームズ・ジュニアの言葉である。……『税は文明の対価である』というならば、税を

納める者にはその対価としての文明が引き渡されなくてはならない。ところが、タックス・

イーターは日本の政治と経済の隅々に至るまで網の目を張り巡らし、法を逆手に取りながら、

我々の見えないところでその『文明』を破壊しているのである。その悪行を看過するかぎり、

我々の納める税が文明に生かされていくことはなく、我々に対価として引き渡されることも

ないであろう。まずその事実を知るところから始めなくてはならないのである」。

 

 とりあえず前提として確認しておかねばならないのは、筆者が大蔵・財務省OBであると

いう点である。そうした立場に基づく責任逃れの匂いをどうにも指摘せざるを得ない。

 筆者曰く、政官業の「『鉄のトライアングル』の形成によって、霞が関の官僚群でも

頭一つ抜き出していたはずの大蔵省は財政をコントロールする力を失っていった。……

鉄のトライアングルはそうした大蔵支配の体系への抵抗勢力でもあったのである」。

 今日のガバナンスなきガバメント問題とまるで同じ、「コントロールする力を失って」

いたのがたとえ事実だとしても、「コントロールする力」を行使すべき立場の者が不能に

陥っていたこと、もしくは不作為を犯したこと、それ自体が問題なのだ。

 80年代バブルの沸騰も、筆者に言わせれば、偏にあくまで時の通産省に責任がある。

「緊急経済対策が決定されると、その内容には6兆円規模の真水の財政措置が含まれて

いた。……大蔵省は大臣官房、主計局を筆頭に全省あげて阻止を図ったが、田村元通産

大臣を陣頭に立てた通産省がこれを押し切った。……バブルの引き金は、かくして引かれた。

ガイアツに屈し、財政の苦しさから金融政策にツケをまわしつづけてマネー・サプライを

増加させた大蔵省の責任の上に、通産省の手柄ほしさの緊急経済対策による6兆円の

財政支出が火をつけて、バブルは起きたのである」。

 この精神性、必ずや太平洋戦争を想起させずにはいない。

 

 その上でなお本書に参照に値するものがあるとすればそれは、「税金について知るのは、

国民の“義務”である」との筆者のその言にある。

 もちろんこのことばを無効化するような最高裁の判例が横たわるには違いない。何せ

やつらに言わせれば「源泉徴収義務者が間に入る場合、国と納税義務者(税を実際に

負担する担税者)との間には、直接の法律関係は存在しない」以上、「源泉徴収の課税

法律関係で何らかの紛争が生じたとしても、国との間では法律上の関係はないのである

から、納税義務者(担税者)は国を相手に訴えを提起することはできない」のだから。

 いくら知ったところで現状、源泉徴収をめぐり国に何か異議申し立てをすることは

できない。法改正や判例変更の望みも薄い。

 しかしそんな政府、三権を支持しているのは事実、国民なのだ。

 

 誰かのせいということは自分のせいではないというに等しい、みんなのせいということは

誰のせいでもないというに等しい、そんな危うい論法の上に立ちながら。

「読者にまず知ってほしいのは、真の起源は国民の無関心の中にある、ということである。

したがって、タックス・イーターの問題を解決するためには、その悪事を知るだけでは

足りない。納税者の『義務』として、国民一人ひとりが、日本の税制と財政の理解に

努めなくてはならないのである」。

野良犬

  • 2018.04.09 Monday
  • 23:28

「アフリカを席巻するジハーディストの暴力は、今日の世界や歴史がはらむ問題が、

辺境で表面化したわかりやすい実例である。欧米主導の世界とイスラーム世界の対立、

グローバリゼーションがもたらす富の偏在化と格差、環境問題など、さまざまな問題が、

ジハーディストの暴力の『養分』となっている。

 アフリカの紛争や戦争、暴力は、ほかの世界から切り離されて単体でそこに存在して

いたものではない。ましてやアフリカ人が暴力的だから起きているわけでは決してない。

今日と世界と世界の歴史と無関係どころか、その矛盾の発露だと言っていい。そして、

その『世界』には当然、日本も含まれているのである」。

 

 本書が明らかにするのは、ある面、「文明の衝突」ですらないむき出しの真実、

つまりは経済、格差の問題。

 当時無職にあったあるケニア人男性は、戦闘員募集に応じ訓練の後、ソマリアに

投入されるも敗走を余儀なくされた。「軍側は当初、月額600ドル(約72000円)の

報酬を約束したが、ソマリアで戦闘に従事した約7か月間に支払われたのは計28000

ケニア・シリング(約3万円)だけだった」。ところで同時期、国内では軍隊経験者の

リクルート市場が活発化していた。「紹介者に5万シリング(約5万円)、戦闘経験の

豊富な参加者には月額20万シリング(約20万円)を保証、ケニア軍の給与未払いに

不満を抱く多くの若者を引きつけ」ていた。昨日の友は今日の仇、雇い主は敵陣営の

ジハーディスト、アルシャバブだった。

 自分をより高く買ってくれる同業他社の誘いに乗る。健全な転職活動の風景だ。

 

 先に引いたボコ・ハラムは、いつしかアルカイダに背を向けてISへの接近を強めた。

自爆テロや面的支配といった戦術的な類似性だけでこの転向の説明はつかない。

何せ「ISは今や世界一裕福なテロ組織。一方、ボコ・ハラムなど多くの過激派は資金や

物資を必要としている」。

 ここでもまた、需要と供給の幸福なマッチングが見られる。商業の基本だ。

 

 チャド湖という、20世紀後半に急激な縮小に襲われた湖がある。降水量の減少など、

気候変動によるものと推察される。漁業、農業をはじめ、沿岸の産業に深い傷を与えた。

アフリカ一の産油国のナイジェリアにあっても、北東部のこの地域は恩恵をほとんど

享受できないまま、今日に至っている。そんな住人にボコ・ハラムが雇用のパイを

差し出せば、彼らは当然飛びつくだろう、否、飛びつくしかない。米軍兵の供給地が

地場産業の崩壊した貧困エリアに集中する現象と別段変わるところはない。

 

「辺境」のせいか、いちいちが多少誇張したかたちで現れているだけ。

 宗教も民族もネポティズムも何もなく、地球上のいずことも特に違えるところはなく、

すべてが至極分かりやすい経済活動として推移していく。狂信性の成れの果てとして

ではなく、合理的な選択の帰結としてのテロリズム、だからこそ出口が見えない。

「貧困がテロにつながり、テロがさらに貧困を促進する」。

 行き着く先にさらなる貧困や外部性の待ち受けるジハーディストの暴力連鎖とて、

戦争経済学に予め織り込まれた実践例の域を何ら出るものではない。

「おれたちはモンスターじゃない」。

 ナイロビのスーパーで銃を乱射した男が襲撃に際して漏らしたことばだという。

Lucie in the Sky with Diamonds

  • 2018.04.03 Tuesday
  • 22:26

「当初はちょっとしたパズルだったこの事件は、時が経つにつれて難解なミステリへと

変貌を遂げた。悲劇の被害者ルーシーは、最後には、日本の法廷での激しく苦々しい

論争の主人公になった。事件は日本とイギリスで大きな注目を集めたが、人々の

興味には波があった。誰も事件に興味を持たない時期が何カ月もあるかと思えば、

新しい展開によって突如として再び脚光を浴びる時期もあった。概要だけを聞けば、

ありふれた事件でしかなかった――若い女性が失踪し、男が逮捕され、死体が発見

される。しかし詳細を調べてみると、それが非常に入り組んだ事件であることがわかって

くる。異様で不合理な展開の連続で、型通りの報道ではすべてを伝えることなどできない。

それどころか、ほとんど何も解決できず、新たな疑問を増やすだけだった」。

 

 本書の原題は、People Who Eat Darkness。いかにも当を得たタイトルに膝を打つ。

 観光ビザで来日した女性が繁華街のホステスとして小銭を得る。誰しもがこの就労の

形態を知りながら、別段それを問題視しようともしない。パチンコは賭博ではない、

ソープは売春ではない、と公言して憚らない国の日常、いかなる驚きにも値しない。

借金を返済すべく訪日した水商売の女が姿を消したことを警察に申し出たところで、

よくあること、とまともに取り合ってもらえるはずがない。

 ごくありふれた失踪のはずが、ニュースとして騒がれることで、時の首相T.ブレアをも

巻き込んだ国際的事件に発展する。溺れる者は藁をも掴む、衆知に晒される必然として、

親類を食い物にしようと企てる輩が現れる。ただし同時に、傷心から自殺未遂者さえ出た

この家族の中にも、憐れみを餌に焼け太りを図る者が登場する。

「なぜこの街[東京]は、あらゆる社会不適応者を惹きつけるのか? それは個人として

抱える疎外感――周囲の全員とちがうという圧倒的な感覚――が、“ガイジン”という

さらに大きな枠組みの共通の疎外感で括られることによって吹き飛んでしまう」から。

 被害者が“ガイジン”なら、やがて捜査線上に浮上した容疑者もまた“ガイジン”、

在日韓国籍からの帰化者だった。そして彼は、捜査当局の共有する常識の外にいた。

自白偏重の検察、裁判所にあって、このケースにおける被告の有罪は遺体発見の自供、

つまり当事者しか知り得ぬ事実によって挙証されるはずだった。ところが男は刑事裁判の

慣れ親しんだ筋書きを断乎拒絶し、立件は暗礁に乗り上げた。結果、一審では見事、

「疑わしきは罰せず」の原則の擁護を得ることに成功した、してしまった。

 

「ルーシー・ブラックマン事件やほかの多くの事件への警察の取り組みを見れば、日本の

犯罪率の低さの本当の理由が、警察の管理能力に起因するものではなく、国民のおかげで

あることはあまりに明らかだ。警察の能力が高いからではなく――警察の能力が低いにも

かかわらず――日本人は常に法を守り、互いを敬い、暴力を忌み嫌うのだ」。

 この筆者の論に疑いの余地はもはやない。ルーシー失踪の訴えを突き放した麻布署が

それから十数年後に伊藤詩織氏の訴えを等閑視したのも必然だったのかもしれない。

 

 この事件が炙り出す「闇」に目を吸い寄せられつつも、それでもなお、あえて「闇」を

「闇」たらしめる明るみ、「国民のおかげ」を見つめてみる。

 世界的に異質なまでの安全を誇る街を築きながら、互いを猜疑の目で睨み合うことで、

「疎外感」へと押しやることで、むしろ最悪の結果を手繰り寄せてしまう。この自傷行為の

極北にテロが横たわる。

 合法的な暴力の行使を前提とした管理社会の狂気に服するくらいなら、平和ボケとの

罵詈雑言を甘受する方がまだマシだ。

 惨事をゼロに近づけるためにできることはある、ただしゼロにすることはできない。

ないものねだりの安心を追求する末に安全を放棄するのは愚劣の極みという他ない。

「闇」を「闇」に抑え込むため、時に生贄が差し出される。市民生活はかくして成り立つ。

『闇を食らう人々』とは、実にわれわれの別称に他ならない。

Seven Nation Army

  • 2018.03.30 Friday
  • 23:12
評価:
アンソニー サドラー,アレク スカラトス,スペンサー ストーン,ジェフリー E スターン
早川書房
¥ 972
(2018-02-09)

 息子がフランスの列車内でテロリストの凶行を阻止したニュースがテレビで持ち切りだ。

浮き足立つ自分を抑えるために、普段通り母はネイルサロンへと出かける。ネイリストに

自らその話題を振るも、相手はただ一言。

「へえ、すごいわね」

 娘を学校へ迎えに行く。誰も息子の偉業を称賛してくれない。だから自ら切り出すも、

「あら、ほんと? 週末の資金集めの会、あなた行く?」

 

 息子にフランス政府から勲章が与えられる。その式典に立ち会いたい、さりとて渡仏する

費用のあてはない。母は自分をエリゼ宮へと導くパトロンの条件を列挙していく。「虚栄心が

満たされるようなことをしたがっている人で、プライヴェート・ジェットを持っている人で、

少しでも宣伝になることなら金に糸目をつけない人――もうほかにはありえなかった。

ドナルド・トランプ!」

 

「駅に着いたら、フランスの警察の事情聴取を受けることになるだろう。アンソニーは考える。

フランスの新聞の取材もあるはずだ。頭の中の霧が晴れるにつれ、テロリストに遭遇したと

いう事実が理解されはじめる。おれたちはこの手でテロを食い止めた。スペンサーとアレクは

休暇中の米軍兵士で、そのことにも注目が集まるだろう。……その時点ではアンソニーには

その後に起こることなど何ひとつ予測できなかった。自分たちがフランスだけでなく、

アメリカでも一躍有名人になることも。《ピープル》誌の表紙を飾ることも。〈コロンビア・

スポーツウェア〉社のCEOがプライヴェート・ジェットを一週間提供してくれ、そのジェット

機でアメリカに帰国することも。その様子がヘリコプターで空撮されることも。大学の授業を

受けるときに私服警官の警護を受けることも。テレビのトーク番組に出て、美しい新進女優の

隣りに坐って司会者のジミー・ファロンと話をすることも。三人でアメリカ合衆国大統領から

ホワイトハウスに招かれて、秘密の地下壕を見学することも」。

 

 パリには行かない方がいい、そんな助言を果たして幾度受けたことか。彼らの履歴を

表すものとして描き出される軍隊の教練が列車内で生きてくる。学校に馴染めなかった

三人組を唯一惹きつけたのが歴史の授業、史跡を回ることを欧州探訪の目的としていた

アメリカ人の彼らが、ノルマンディーをなぞるようにフランスの危機を防ぐ。

 すべての記述が、すべての過去が、用意周到に彼らを英雄たらしめる道を指し示す。

 これがもしフィクションだとすれば、ただ作家の壮大なる資質に恐れおののく他ない。

 

「アンソニーが経験した襲撃事件はアレクと異なっている。アレクが経験した襲撃事件は

スペンサーと異なっている。彼らの時間の流れには、加速がかかったり、その一部が

ほとんど止まっていたりする――その作用が三人とも異なる事件で始まり、異なる時点で

終わっている」。

 それぞれがしばしばまるで異なる記憶を訴える(彼らの名誉のために付け加えれば、

そのずれは互いが自身の手柄を主張する性質のものではない)。よくあることだと言う。

「衝撃的な出来事を経験したあとで、当事者が防犯カメラに客観的に記録された映像を

見ると、自分の記憶とのあまりのちがいにショックを受け、気が変になることさえある」。

それはちょうど、歴史の相の眼差しから眺めるとき、今ここでわれわれがしている一切が

まるで異なる現れ方をするのに限りなく似ている。

 

 事件から数か月後のある日、アンソニーのスマホにメールが次々舞い込む。

「きみは今、どうしてパリを救ってないんだ?」

 間もなくテロが再び花の都を襲ったことを知る。犠牲者は百人を超えた。

「自分に責任があるという考えをどうしても拭えなかった。これはおれたちのせいだ。そう

思えてならなかった。おれたちがあいつのテロを阻止したから、やつらはそれを十倍にして

報復したんだ。おれたちのしたことなどなんの意味もなかったとフランスの人々に知らしめる

ために。……列車事件での自分がとてつもなく幸運だったことを思い、そのことに罪悪感を

覚えた。彼とスペンサーとアレクが運命の邪魔をしたために、運命が猛然と仕返しを

してきたのだ。テロリストたちは三人に報復するため、フランスにいる何百人もの罪もない

人々を利用し、証明して見せたのだ。歴史の流れを止めることはできないと。その出来事が

いつどの程度の規模で起きるかということは変えられても。

 おれたちがフランスの人々をこんな目にあわせたのだ」。