誰も知らない

  • 2017.11.02 Thursday
  • 22:34

「尼崎連続変死事件とは、兵庫県尼崎市を中心に複数の家族が長期間虐待、監禁され、

殺害された連続殺人事件である。死者・行方不明者は10人以上にのぼる。

 主犯の角田美代子は201111月に、監禁していた大江香愛への傷害容疑で

逮捕された。同月、尼崎市の貸倉庫で、香愛の母・大江和子さんの遺体がドラム缶に

コンクリート詰めにされた状態で発見され、事件が発覚する。……美代子と同居する

“角田ファミリー”の集団が逮捕され、これまでの犯行が次々と明らかになる最中の12

1212日、美代子は身柄を置かれていた兵庫県警本部の留置施設で自殺した」。

 

「濃い場所で独自の濃い人脈を作る……飲む店では飲み、食べる店では食べる」。

 事件は足で拾う、それはまるで昭和の刑事ドラマのように。そうして筆者はいつしか気づく。

「同じようなんはなんぼでもおるんやから……」。

 

「余所はどうか知らんけど、アマはな『わしはあんたのことは聞かへんから、あんたもわしの

ことは聞くな』という街なんや」。

 尼崎のダウンタウンでそう諭される。

 昨今、格差問題の中でしばしば繰り返される表現がある。曰く、貧乏と貧困は違う。

金の有無とてもちろん癒しがたい、しかしより辛く重いのは人間関係の脆弱である、と。

 角田美代子の歩みにまさしくこのフレーズの影を見る。

 生保や年金をはがし、「ファミリー」の給与や退職金の上前をはねた。恫喝で搾り上げ、

果ては不動産を乗っ取った。自殺による保険金もせしめた。なるほど、貧乏ではない。

 しかし、その原資を運用する能力があるでもない。「ファミリー」の歓心を買うために浪費を

重ねた。薬物にも溶かした。生業といえば、新装開店サービスを狙った似非パチプロ稼業。

プライマリー・バランスは早晩崩壊する運命にあった。昔も今も、階級を分けているのは

つまるところコネクション。ネットワークの薄弱は、結局、彼女が尼崎の地を離れることが

できなかった点にも如実に表れる。食い物にできたのとて、親族その他近場の限られた

関係性に過ぎなかった。

 何もかもが、貧困だった。

 

 飴と鞭を巧みに使い分け、成員たちを相互不信に追いつめ、唯一信じられる存在として

自身の人格をすり込む。全ブラック企業経営者必読の人心掌握術の巧みさこそあれど、

所詮はスラム上がり、軽犯罪歴あまた、風俗崩れの「ババア」でしかない。

「自分よりも強い者には徹底的に弱く、弱い者には徹底的に強い。それが美代子だった。

自分をより強く見せるためには手段を選ばず、虎の威を借りることが必要であれば、

迷わず借りた」。

 ヤクザと幽霊は限りなく等しい、つまり想像力のインフレーションには誰も勝てない、という

点において。絶えざる恐怖の中で、「ファミリー」の構成員は皆、彼女を過大評価した。

 そして他方で、再三の訴えがあったにもかかわらず、セーフティ・ネットたるべき警察は

危険を過小視して、「民事不介入」を崩すことなく、最悪の結末を呼び込んでしまった。

 初期報道が伝えた顔写真が全くの赤の他人、そんな異例の事態が示唆するめくるめく

乱反射の中でただひとり、角田美代子の実像を捉えている、と私には見える人物がいた。

彼女が中学校三年生のときの担任だった。

 筆者の取材に彼は悔悟とともに振り返る。

「とにかく月岡[美代子の旧姓]には親の愛情が足りへんかった。それは間違いない。

あの子は親の愛情に恵まれんかった子なんや」。

 担任の「愛情」に恭順を示したかに見えた若き日の美代子、ただし結局、遅刻や深夜徘徊を

やめることはできなかった。裏切ったのではない、応え方を知らなかったのだ。

 彼女はついぞ愛されることを知らず、そして愛することを知らなかった。

 留置所で何もかも剥ぎ取られ、「愛情」を知らない等身大の64歳に戻り、そして自殺した。

 そんなThe Art of Lovingの貧困がひたすらに刺さる。

「人間は万物の尺度である」

  • 2017.10.31 Tuesday
  • 22:22
評価:
---
本の雑誌社
¥ 1,728
(2015-02-05)

「この本は、新聞記事を元に仕上がっている。中国地方を主な発行エリアとする

地方紙、中国新聞……が2002(平成14)年12月からほぼ半年にわたり、その朝刊

紙面で連載した企画報道『猪変』である。……すべての始まりは、後に取材班に入る

記者が小耳に挟んだ話だった。

『海を泳いで、島に渡るイノシシがおるんじゃげな』」。

 

 中国五県の自治体を対象に行ったアンケートによれば、2002年度に投じられた

イノシシ対策費の総計はざっと76000万円、にもかかわらず、環境省、農水省の

統計によれば、同年度の被害額は全国で50億円で超える。

 さりとて「数を捕れば片付くという問題ではない」。実際、2007年以降、捕獲数を全国で

2倍強に増やしたというのに、被害額はそれに比例するかのように伸びる一方。

 理由についてある研究者は「田畑の作物の味を覚え、人里近くに居着いたイノシシを

捕らないと、被害は減りません。人を恐れ、奥山にとどまっているイノシシまで猟犬や銃で

追い散らしたら、かえって逆効果」と証言する。その実証例がまさに泳ぐイノシシである。

山を追われ海に逃れ、島を追われれば、数キロの海をまたぎ、安芸灘の島々を跋扈する。

 ところが2013年、政府は「抜本的な鳥獣捕獲強化対策」なる施策を打ち出した。曰く、

これからの10年でニホンジカやイノシシを半減させる。しかし現状、「科学的な見地から

生息頭数を推定し又は適正生息頭数を算出する方法は確立されていない」。かくして、

「『獣害』対策のはずが、いつの間にやら『害獣』対策にすり替わって」しまった。

 農家の悲鳴を耳にした善意の発露なのかもしれない、しかし方向性はなぜかちぐはぐ、

そんなトップダウンを尻目に、例えば島根の山間、美郷町では「獣害に泣き寝入りせず、

何とかしたい農家が自ら立ち上がる。……『猟友会』『行政』『補助金』への依存こそが

問題を長引かせる、ぬるま湯体質の元だと気づいた」。例えば侵入を防ぐワイヤメッシュの

表裏に気を配るだけで効果は段違いになる、研究者が実地を観察して回った成果だった。

脂の乗りが悪く、足の早い夏の猪肉をヘルシー食材として売り出した。「有害捕獲にばかり

目をくれず、何よりまずイノシシを近寄らせない環境づくりに力を注いできた。箱わなに

入った獲物は食用や皮革加工に回し、地域経済にもつなげてきた。/人材にせよ知恵にせよ、

地域にあるものをまず生かしきる。補助金に頼らず、自主自立の道を切り開いてきた美郷流の

地域哲学は、研究者との協働がもたらしたともいえる」。

 

 餌付けで人間への恐れを解いたイノシシに恐れをなし、そしてイノシシは「害獣」となった。

 農業、林業の先細りから手入れの行き届かなくなった里山はいつしか奥山との境をなくす。

かくして山を下って農地に踏み込むことを知ってしまったイノシシにとって、田畑はご馳走の

転がる宝の山と化した。荒廃した耕作放棄地の茂みは格好の隠れ家として機能する。

 そもそも芸予諸島にはびこるものの大半はイノブタ、そんな指摘もあるという。

 イノシシが変わったのではない、人間が変えてしまったのだ。

homo patiens

  • 2017.10.25 Wednesday
  • 22:44

「『夜と霧』がみすず書房から出版されたのは、1956815日。この本の翻訳では

世界で二番目に早かった。日本は実は、早くから、そして長いこと、フランクルの本を

大切に読み継いできた、フランクル愛読者の国なのだ。

 1990年代には、フランクルの講演録『それでも人生にイエスと言う』などのシリーズが

春秋社から出されるようになり、『生きる意味』を語る思想家としてのフランクルに、

新たな光があてられた。

 そして、東日本大震災の後、再び注目されるようになった」。

 

  私たちはそれでも人生にイエスと言おう

  なぜならその日はいつか来るから、私たちが自由になる日が!

 

「ブーヘンヴァルトの歌」の一節、そのはじまりは強制収容所の所長の気まぐれだった。

囚人たちに歌わせるための歌を囚人たちに作らせる。「朝、昼、晩と歌わなければならず、

収容所の楽隊が演奏するのに合わせて囚人たちが鞭で打たれたりした……寒いなか、

何時間も立たされた後で、この歌を元気に歌いながら所長の前を行進しなければならず、

歌が下手だとやり直しをさせられた……自由な意志で好きなときにうたったわけではなく、

疲れているのに、嫌々うたわされた行進曲でもあった。/それでも、この歌は、歌詞も曲も、

囚人とされた人たち自身の表現であったし、うたわされたのだとしても、そこに自分たちの

意志をこめることができたのだ」。

 作詞したのはユダヤ人、後にアウシュヴィッツに送られ、親衛隊員の暴行で命を落とした。

 

『一心理学者の強制収容所体験 Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager』は1946年に

ウィーンで上梓された。初版3000部、2刷をもって絶版。

 評判になっていたわけでもない、誰かに勧められたわけでもない、ドイツ留学中の日本人

研究者がこの本に出会ったのも、書店の店先のほんの偶然からだった。

 彼はウィーンに書き手を訪ね、居酒屋のテーブルを共にする。その出来事を述懐する。

「最も印象的だったのは、……彼からアウシュヴィッツの話をきいた時であった。謙遜で

飾らない話の中で私を感動させたのはアウシュヴィッツの事実の話ではなくて……彼が

この地上の地獄ですら失わなかった良心であった」。

 邦訳の許可は彼自ら取りつけた。編集者の提案で強制収容所の記録写真を追加した。

中づり広告のコピーには「一千万人を虐殺した鬼気迫る 大殺人工場の実態」と謳った。

タイトルは話題の映画から借用した。かくしてテキストは異例のベストセラーとなった。

 彼の名は霜山徳爾、訳書の表題は『夜と霧』という。

 大学教授の霜山は専門学校でも教鞭を取った。そしてある時言った。

「人間は、宗教で自殺を禁じなければならないほど死に魅せられる、弱い存在である」。

 戦中、霜山は海軍の実験心理研究部に配属され、鹿屋では特攻隊を見送った。

 そして2009年10月、90年の生涯を閉じた。

 

 解放までの2カ月弱を「119104番」はテュルクハイムで過ごした。

 疫病のはびこる収容所で「重要な出会いがあった」。

 所長は「囚人を殴ることを禁止して、追加の衣服や食べ物を与え、自費で薬を買った。

しかしながら、極度の疲労や、チフスなどの病気の蔓延により、数百人が死んだ」。

 解放40周年の記念式典に招かれたフランクルは壇上で所長への感謝を捧げた、

スピノザのことば、「すべて高貴なものは稀であるとともに困難である」を添えて。

「あいかわらず、ひとりひとりの人間を個人の罪で判定するのではなく、国民全体に

対しての共同の一括判定を下すような世界観の地平に立っている」ことを彼は生涯

訴え続けた。その背後に絶えずこの「出会い」があったことは想像に難くない。

 ただし、式典に所長が同席することはかなわなかった。

 そのとき既にカール・ホフマンは他界していた。自殺だった。

この国を、守り抜く。

  • 2017.10.20 Friday
  • 23:26

「デュアルユース技術という名の下で、武器輸出が政府によって推進され、これまで

武器とは関係なかった日本企業の高度な技術や商品が、世界の武器市場に拡散する

可能性が高まっている。/私の心の中に徐々にいいようのない不安感が広がるように

なった。/『防衛技術の維持のため』『日本の安全保障の強化のため』、武器輸出は

推進していくべきなのか。この問題の答えを探すため、防衛省や防衛装備庁、企業や

大学、研究機関の研究者たちに取材してきた。……政府が官民をあげて、武器輸出に

踏み込もうとする中、その流れに企業や研究者たちはのみ込まれていくのだろうか。

武器市場から新たに生まれる利益は、なににつながるのか、国民の生活はより豊かに

なるのか――」。

 

「できれば、軍需とはつながりのない仕事で稼ぎたいとは思っても、現実問題として

生活費を稼ぐには、軍事、民事と選別できるような状況ではないんですよ」。

 本書を要約したような独白だ。さる中小企業男性の声だという。

 

 ほぼゼロ成長にあえぐ日本にあって、世界に向けて技術的な優位を誇れる産業の

ひとつが例えば武器だった。その典型が潜水艦、ある海上自衛隊OBは証言する。

「潜水艦はハンドルも弁も全部機密の世界です。たとえば艦内のパイプのつなぎ手が

あるね。その鋳物は普通の鋳物技術ではできない。どんなに硬い潜水艦をつくっても

この鋳物技術が、すべての潜航深度、爆雷への衝撃耐力を決めてしまうんです。/

潜水艦用のリチウム電池も秘密の塊だね。あれを出してしまってもいいものなんだろうか」。

 ところが、この機密の技術移転に政府は乗り出した。単に潜水艦の完成品を売り込もうと

いう話ではない。相手国のオーストラリアの雇用を作るべく、現地で共同開発するというのだ。

そして取材の過程で、筆者はとある防衛装備庁幹部の言葉に絶句する。

「ブラックボックス化は、潜水艦事業の受注が決まってから検討する」。

 もっとも、プラン自体は豪州首相の交代により覆され破談の憂き目に遭う、幸か不幸か。

 他国を見て目先の金になりそうだからと飛びついて、副作用には素知らぬ顔。後発組が

競合をしのぐためのヴィジョンを持つでもない。

 この安直さ、カジノ計画と限りなく似ている。

 

 金がない。この問題は研究機関の現場を襲わずにはいない。

「国立大学の研究者の年間研究費がいくらか知っていますか? 平均で42万円ですよ。

……競争的資金の応募先を選り好みできるような状況ではないのです」。

 貧弱な教育資源の上で無償化を掲げたところで、いかなる成果が得られるというのか。

 沈みゆく国の沈みゆくその所以が垣間見える。

 欲しがりません、勝つまでは。

 

「武器輸出三原則ができて以降、殺傷能力のある兵器が初めて輸出された国はどこか

ご存じだろうか。/答えは韓国だ。/201312月、国家安全保障会議(日本版NSC)が、

南スーダンのPKO部隊で15000人の避難民保護にあたっている韓国軍に対し、

1万発の弾薬の無償提供を許可した。『緊急の必要性と人道性が極めて高い』というのが

その理由だ」。

 このわずか数行に凝縮された日本の現在を噛み締めなければならない。

 これだけでも、本書は一読に値する。

「ごまかし屋」

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 22:14

「地域で人々が支え合うことを困難にしている事態をいかに打開し、共生を可能にする

制度保証をどう設計するか。家族やコミュニティをいかに支え直すか。このことこそが

問われなければならない。本書はそのような制度構想を、『共生保障』と呼ぶ。共生保障は、

生活保障を地域の現実に対応させ、刷新していく方向を示すための言葉である。……

本書は、既存の制度が地域社会の現実に対応できない理由を明らかにし、地域での

創造的な取り組みをふまえつつ、こうした事態を打開するための共生保障という考え方を

示す。そして、空回りする普遍主義的改革を、共生保障の方向に転じていく可能性を探る」。

 

「旧来の日本型生活保障の特徴は、『支える側』と『支えられる側』を峻別し、双方の生活の

かたちを固定させてきたことである。……〔ところが〕今、この『支える側』の雇用の制度と

『支えられる側』の社会保障・福祉の制度の『間』で支援が受けられず、いずれの制度からも

排除されてしまう人々が増大している」。

 本書はつまり、こうした「間」をどうやって埋めていくか、実践例を含めたその試論。

 経済自由主義は「自助」を可能にする「強い個人」の頭数を減らした。かくして起きた

中間層の空洞化は保守主義が訴える家族や地域による「共助」の体力低下を招いた。

社会変動で相対化された強弱は、リベラルの「公助」が想定するような「支えられる側」像の

根本的な見直しを求めずにはいない。

 絵に描いた餅を論じるわけではなく、制度を現実に追いつかせるための、「『支える側』を

支え直し、『支えられる側』に参加機会を与える」ための「共生保障」。

 

 とはいえ、いかにも本書が白々しい印象を否めないのは、世代間の制度設計の是正に

ついての言及がほぼ見られないことである。

 現状、一般会計から年金、医療、介護だけで年額20兆円強がつぎ込まれる。対して

個人資産の世代構成を見れば、年金受給対象が過半数の富を握る傍ら、40歳未満の

保有率といえばたかだか5パーセントに過ぎない。これに加えて企業年金や健康保険も

「支える側」が負担しなければならない、と来ている。成長の裏づけなきバブルはむしろ

格差拡大にブーストをかけるだけ、それでいて、いずれ起きる崩壊劇は真っ先に貧者を

襲うだろう。こんな逆トリクルダウンの奴隷制度を維持する限り、まさか「間」の改善に

最も有効な経済の浮上など期待できるはずがない。

 そもそも日本の経済成長などオイルショックをもって事実上のピリオドを迎え、以降は

国債という名の他人のつけで大国を装ってきたにすぎない。オイルショックを分水嶺に、

それ以前の者が以後の者を食い物にする、いかなる同意プロセスもなきままに。政府が

雇用統計の改善をいかに謳おうとも、正社員数も実質賃金も緩やかな下り坂を描くばかり。

田中角栄が描いた再分配の夢は換骨奪胎され、今日も土木はひたすら焼け太る。

 過去の帳尻合わせに現在を食い潰し続ける状態に終止符が打たれないのならば、

少しでもまともな知能を持った「納税者にとって税が還元されている実感」など育ちようも

ないし、「税への不信や反発は変わら」ない。こんな不毛なサイクルに巻き込みたくない、と

賢い者はもはや子どもや家庭を作らない。ハビトゥスの恩恵でバカはバカを再生産し、

やがて制度は破綻して、そこにはただ生き地獄のみが広がる。

 

 本書では奇しくも『利己的な遺伝子』からとあるシミュレーションが引かれる。

「ドーキンスはある種類の鳥の頭のてっぺんにダニが寄生して、ほっておけば病原菌が

繁殖して命を落とす、という状況を想定する。……このダニ取り鳥に、三種類がある」。

「お人よしの利他的な鳥」、「自分の頭のダニは取らせておいて、他の鳥のダニは取って

やらない『ごまかし屋』の利己的な鳥」、そして「初対面の相手や以前に自分のダニを取って

くれた鳥のダニはとってやるが、以前に自分のダニ取ってくれなかった鳥……に出会っても

ダニは取ってやらないという、お互い様の鳥」の三種類。「すると最初は、利己的な鳥が他の

鳥を搾取して増殖を続ける。……しかしながら、利他的な鳥が姿を消し、利己的な鳥の数が

多数になると変化が生じる。……しだいに利己的鳥は減少し、お互い様の鳥が増大するので

ある。やがて、お互い様の鳥が全体を制圧するようになる」。

 実はこの神話に反して、ゲーム理論研究では結構なケースにおいて、「お互い様の鳥」が

最終勝者になるとも限らない、なんて話はひとまず置こう。その有害性が明白である以上、

現代社会の問題はただひとつ、いかなる「共生」にも堪えない「利己的な鳥」をいかに

速やかに排除できるかにかかる。

 オイルショック以前の世代ならびにその走狗どもから、財産権、生存権その他人権を

剥ぎ取らずして、「互恵的」な「共生保障」の道など決してあり得ない。

 ヒトもどきのサルはもういらない。

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