QOL

  • 2017.07.07 Friday
  • 23:16

 思いやりと管理社会って、限りなく同義語。

 

「ここで私は8つの医療者の物語を紹介した。その理由は、ある専門職の一般的な

あり方や考え方を紹介するためでも、ある専門職の模範的なあり方を示すためでも

ない。/そうではなく私は、ここに出てくる8つの物語が、読者のこれまでの人生と

何らかの形で共鳴することを願ってこの本を書いた。……あなたがこの物語を読んだ

時に抱いた感情は、無数の問いの答えの集合体であるあなたの自身のどこかを――

心地よい形であれ、不快な形であれ――指し示しているはずである。そして、その

指し示されたあなたのどこかをよく見る作業は、あなたという集合体がどういう存在

なのかを知るきっかけになるだろう」。

 

 本書が映し出すのは、「医療者」の立場から見た種々のミスマッチの風景。

 供給と需要のミスマッチ、市場に限らず「医療者」と患者においても例外ではない。

療養型病院に勤務していた看護師のケース、患者に急かすほどの元気もないのに、

なぜこれほど忙しいのか、自問自答して気づく、「お年寄りに追われていたのではない。

スケジュールに追われていたのである」。

 あるいは医療パラダイムのミスマッチ。漢方医の場合。そもそも漢方医学は患者の

状況に合わせたカスタマイズを主とする性質上、西洋医学的なエビデンスの概念とは

根本的になじみづらい。そこに集うのは大概が西洋医学では効果を実感できなかった

患者たち、そして彼らは実効性を訴えるにもかかわらず、「患者に益をもたらさなかった

科学の言葉で自らの正しさを証明する必要性が皮肉にも漢方医学には課せられて

いるのである」。

 

 そんな中でもひときわ印象的なミスマッチの光景がある。

 それはそもそも病気を「治す」場としての医療の前提を揺るがすような問い立て、

とある理学療法士が勤めるのは入院患者の半分が寝たきりの高齢者という病院、

彼が言うに「手技療法だけがリハビリではない」。現実に劇的な運動機能の改善が

望める環境ではない。ただし、「同じ空間に人々が集まり、そこで他愛のない会話が

生まれること、それによって楽しさを感じられること、それらを全部ひっくるめて

リハビリなのでは」と言う。この見解は同業者の反発を招く。「何かをやってあげ」て

「治る」に近づけてこそリハビリであって、これに従えば、「治せていない」以上は

「理学療法ではないという結論になるのだろう」。

 そして筆者は問う。「リハビリの時間を通じて、高齢の入院患者が笑顔になったり、

生き生きしたりする事実を私たちはどのようにとらえるべきなのだろう? それは、

その辺の通行人もできる簡単なことと言えるのだろうか?」

 

 文章はしばしばポエティック、「人類学」という枠組みもよく分からない。

 けれども、これらの「物語」は現代医学の風景をめぐるクオリティ・オブ・ライフの

問題へと読者を引き寄せる。

 胃ろうされてまで生きたいか、末期がんに侵された身で好きなものを口にするのは

わがままなのか、そんなことを老境の我がこととして束の間、想像してみる。

 定量性から定性性へ。筆者のことばでいえば、「医学を医療に変換すること」。

 ただしそこには絶えず、各種のコストという定量性の極みが障壁として横たわる。

 物語をなくした世界であえて「物語」を記す。

「ボストンの次は、いよいよ天国だ」

  • 2017.06.30 Friday
  • 22:45
評価:
ボストングローブ紙〈スポットライト〉チーム
竹書房
¥ 1,728
(2016-04-07)

『レ・ミゼラブル』の出来事、粗暴なこそ泥ジャン・ヴァルジャンは捜査の手を逃れるべく

教会へと逃げ込み、そこで「悔い改め」て赦しを受けると、名前を変えて裏口から再度

社会へと出て、有徳の起業家、自治体長として、ひとまずの成功を収める。

 とはいえ所詮は物語、現実の教会はかくも麗しき「浄化」作用を持たない。

 

20016月、ローマ・カトリック教会ボストン大司教を長年つとめるバーナード・F

ロウ枢機卿は、型通りの裁判所提出書類を使って、大それた承認をした。ひとりの

司祭を『派遣端境期』とする承認だ。話は、17年前にさかのぼる。ロウ枢機卿は

ジョン・J・ゲーガン神父に、裕福な郊外の教区司教代理という割のいい仕事を与えた。

そのつい2か月前、ゲーガンには7人の少年を虐待した疑いがあるとの報告を受けて

いたにもかかわらず――」。

 

「少年に性的いたずらをした疑いのあるひとりの司祭のニュースが、司祭をかばった

ひとりの司教のニュースに様変わりする」。

 もちろん一義的に糾弾されるべきは個人のモラル、しかしそれが教会組織そのものの

構造問題とすることを飛躍と捉えることはできない。

 まさかこの報道を契機に、性職者による虐待問題をカトリックが把握するところと

なったわけではない。この枢機卿が作成に携わった1985年のレポートには既に

こう記されていた。

「小児性愛は生涯にわたる病質であり、今のところ、時が癒してくれるという望みはない」。

 しかし、にもかかわらず、性職者はほんの形式的な短期の入院の後、テリトリーを変えて、

過去の事実は伏せられたまま、野に放たれた。当然、刑事司法に引き渡されることもなく。

 そして彼らは行く先々で再犯を重ね続けた。

 

 そしてこの事件が何よりも痛々しいのは、教会の素顔を露呈させてしまったことにある。

 この枢機卿は「司祭のための司祭だった。/同様の同情心を、ロウ枢機卿は司祭に

虐待された被害者たちに示せなかった」。

 ロウをもしヨハネ・パウロに置き換えてみれば――やはり見事なまでに成立する。

ベネディクトゥスでも、フランシスコでも、結局、何も変わらない。

 教会の外側に、共感の対象などなかった。

 肥え太った肉体がすべてを証言する。

 性職者のユートピア、選民思想の場としての教会史に聖職者などひとりもいない。

 

 映画『スポットライト』の原案という点に印象が引きずられているのかもしれないが、

本書はいささか奇怪な文体を持つ。

 というのも、取材の主体や経緯が見えてこない。

 模糊たるブラックボックスからことばが投げ出される、あたかも教会を真似るように。

 

「少数の悪者が、残りをすべて悪者に見せてしまう」結果、「そんな輩ばかりだと憶測する

人が過度に増える危険があり、それもまた、公正ではない」。

 なるほど、一般論としては非の打ちどころなく正しい。

 しかし、「悪者」を温存し続ける組織に身を置くことを選んだ人間に「悪者」との視線を

注ぐこともまた、同様に否めない。

 成功はすべて合理性に由来し、失敗はすべて人間性に由来する。

 社会性と社交性は常に反比例する。

 人間が集えば、そこに腐敗が生まれる。

boys will be boys

  • 2017.06.16 Friday
  • 22:49
評価:
ジュリアン・ガスリー
日経BP社
¥ 2,376
(2017-04-20)

「賞金には、エネルギーを結集する効果がある。競争心を生み出すんだ」。

 1927年のチャールズ・リンドバーグを大陸横断飛行に駆り立てたきっかけは、

その達成に対して支払われる25000ドル。報奨の多寡が問題なのではない。

目標を設定することが人々をスタート・ラインへと向かわせる。

 果たして本書の主人公、ピーター・ディアマンディスは民間企業による宇宙開発に

その再現を期する。懸賞金1000万ドル、記者会見で彼は高らかに宣誓する。

Xプライズは、ひとつの壮大な目的のために創設されました。それは、低コストで

再利用可能な打ち上げ機の開発を促し、宇宙旅行産業の形成を盛り上げることです」。

 その号令を受けて、男たちの挑戦がはじまる。

 

 途方もないドリーマーたちの物語、そのキャラクターがいちいち際立つ。

 ピーターの経歴からして図抜けている。アポロ11号を原体験に擦り込まれ、そのまま

大きくなったような宇宙少年。医師になるという両親との約束を守り、ハーバードの

メディカル・スクールまで進むも、気持ちは文字通り上の空。同好の士の学生団体を

立ち上げ、顧問には『2001年宇宙の旅』A.C.クラークを招聘、果ては全世界から受講者を

集める大学(短期集中講座)まで作ってしまう。そして結局、夢を捨てることができず、

キャリア・パスを放棄して、NASAではなく民間の力で宇宙を目指し東奔西走する。

 スピリット・オブ・セントルイスになぞらえた彼に誘われるように、チャールズの末裔

エリック・リンドバーグもいつしかXプライズに関わりを深める。リウマチと格闘しつつ、

プロジェクトの資金確保のため、祖父の挑戦から75年、孫がパリの灯を目指し飛び立つ。

 あるいは地上100kmを超え出た初の民間パイロット、マイク・メルヴィル。宇宙物理の

俊英たちに囲まれる中、彼の最終学歴は高校中退。頭より身体で飛行機を覚えた63歳、

叩き上げの「カウ・ボーイ」が「じゃじゃ馬」を見事手なずける。

 誰もかも、どこかしらぶっ飛んでいる。

 胸躍らないわけがない。

 

 好きこそものの上手なれ。

 そんなことばの真実味を否応なしに知らされる。

 オタクがそのままおとなになって、なぜ悪い?

 

劇的ビフォーアフター

  • 2017.06.05 Monday
  • 22:43

  「私には、君のしているような仕事が羨ましいんだよ」

 

 筆者がインタビューに臨んだ際に発せられたことばだという。この「私」とは

大統領ブッシュ・ジュニアを指す。

 

「私の知る限り、独裁者に支配されていた中東世界は、怒りに満ち、抑圧されていて、

芯から腐っていた。振り返ってみると、その頃の中東は……空洞を抱えた木々の

ようなもので、外側からは強く見えた国でも、わずかな一押しで倒されたのは、

そのためだ。

 つまりジョージ・W・ブッシュ大統領が、そこに一撃を加えたからだった。6年間の

軍事戦略で、ブッシュ政権はイラクを侵略し、占領し、恐ろしいほど間違った統治を

行い、1967年以来続いた体制を壊した。ブッシュが中東の最初の一軒の家を

倒した後、やがてオバマが登場した。オバマは、中東での冒険主義に反対する

米市民によって選ばれた大統領だ。だが、そのオバマは一貫性のない政治判断で

さらに多くの体制を崩壊させたのだった」。

 

 近代の祖トマス・ホッブズは、とある思考実験を読者に向けて促した。

 もしあなたの周りから統治機構や法体系がなくなってしまったとしたら、さて世の中は

どうなってしまうだろう?

 たぶんそこには「万人の万人に対する戦争」が横たわっていることだろう、然らば、

あなたを取り巻く権力の必要が理解されることだろう。

 たとえ独裁制でも無秩序よりはマシ、歴史は今、そんな仮説の実証に取り組んでいる。

 

 いみじくも邦訳副題「戦場記者が、現地に暮らした20年」は、歴史のターニング・

ポイントのビフォー・アフターを残酷に映し出す。

「多くの地域で、すべての希望が失われた。まず、そのことを理解すべきだ。カダフィ

政権崩壊の後でリビアに暮らすのは怖いことだ。仕事はない、物を売ることもできない、

子どもは学校に行けない、そして誘拐や強盗やテロの危険を考えると車の運転も

できない。つまり、人々が幸福を追求したり最低限の豊かさを持ったりできる場所では

ない。純粋な混沌があるだけだ。そしてイラクとシリアでは、状況はより悪化している」。

 カダフィも、フセインも、ムバラクももはやいない。

 しかし、パンドラの箱を開けた先にはただ「混沌」が広がっていた。

 

「混沌」のただ中で、ジャーナリストもその意味を変えた。

 かつてならば「西岸に行ってパレスチナの闘士と話すのも、ガザに行って、ハマスの

リーダーと話すのも、別にそこに恐怖はなかった。……連中は私と話すことを重視して

いた。それは彼らの主張を外部に伝える唯一の手段だったからだ」。

 ところが今は直接YouTubeなどに上げてしまえばいい。かくして彼らは「メガホン」から

「モノ」と化した。現地の報道員は「盗まれて、買われて、売られて、囚人と交換されるか、

数百万ドルの身代金と交換できるという点で、貴重な存在になった」。

 事実、筆者はシリアで「モノ」として遇され、そして帰還した。

 

 力を以て力を制す、そんな応酬の空虚を知り、理性によって解決する。

 近代が夢見たそんな終局をたぶん中東が見ることはない。「戦闘を通じて散々

アドレナリンがこみ上げてきた後に、通りを掃いてゴミを拾うのは、かなり退屈な

行為」なのだから。

 そして筆者は予言する。「人々は、永遠にカオス状態が続くことには耐えられない。

独裁者が登場して、カオスからの出口を提供すれば、消耗してひどい仕打ちをされた

人々の多くは彼らを受け入れるだろう」。

 そんなファシストの登場とて、歴史が埋め込んだ紛争の種を焼き尽くすものではない。

あるいはそこでは、ヒトラーやムッソリーニすらも、昔はよかったね、のノスタルジーの

対象となってしまうのかもしれない。

「散砂の民」

  • 2017.06.05 Monday
  • 22:36

「改革開放以前に海外に出て行った中国人やその子孫は『老華僑』とよばれるが、

老華僑が世界各地に形成したチャイナタウンは、新華僑の流入により大きく変容

することになった。……統計によれば、改革開放を進めることが決定された1978年末、

世界における華僑人口は2404万人であったが、2014年末には約1.8倍の4250万人に

膨れ上がった。新華僑の増加に伴い、伝統的なチャイナタウンは拡大し、新しい

チャイナタウンが世界各地に形成された。本書では、このような新しいチャイナタウンを

『新・中華街』とよぶことにしよう。……本書では、筆者が1970年代から世界および

日本国内各地で実施してきたフィールドワークにもとづいて、世界に増殖しつつある

新・中華街の実態から、国家・国境を越えた中国人社会の強さの秘密を解明していく」。

 

 かつて栄えた街がいつしか時代に立ち遅れ、ドーナツ化現象の相を呈した低コスト

地帯にマイノリティが流れ込む。同胞が寄り合う利便性が利便性を呼ぶ相乗効果で

ネットワークが拡張し、いつしかコミュニティが形成される。

 まるでスラムの形成史をなぞるように、池袋にチャイナタウンが誕生した。

「この池袋チャイナタウンこそ、現在世界中に形成されつつある『新・中華街』の

成り立ちを観察するのに、うってつけのフィールドなのである」。

 

 現地への同化が進めば、自ずからエスニック・タウンは衰退する。

 どこかそんな現象を髣髴とさせるエピソードが紹介される。

 強引な客引きやゴミ出しのマナーをめぐって対立が巻き起こる。中国人と日本人の

ご近所トラブルを思わせるこの構図、場所は横浜中華街、「新華僑」のエチケットに

憤慨しているのは「老華僑」だという。

 こうして日々、リニューアルを重ねていく。だから「強い」と評するべきか。

 

 そもそも「僑」という文字は、「僑居=仮住まい」を意味する、という。

 華僑が仕入れた異国の文化が本国に流入することもある。

 近代中国それ自体が華僑に端緒を持つ。ハワイに渡り、現地で教育を受けた孫文は

世界中のチャイナタウンをめぐっては資金と支援を募り、辛亥革命の末、清朝を倒す。

 その再現を「新・中華街」に淡くも望む。

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