岬の兄妹

  • 2019.04.20 Saturday
  • 21:21

「日本にはかつて『障害者』であることを理由に、体にメスを入れて生殖能力を

奪う法律があった。『不良な子孫の出生を防ぐ』ためと法文で謳い、騙して

不妊手術を行っても良いと国は通知した。

『強制』と『同意』で24991人。

 半世紀近く続いた優生保護法下の被害者総数だ。国は法改定の後も被害を

放置し20年余がすぎた。1人の知的障害の女性が姉に支えられ決断した。

国に対して『NO』と訴える声が上がり始めた」。

 

 1941年生まれの男性Kの場合。

 北海道の農家に養子として引き取られ、当初は大切に育てられたものの、

養父母が実子を授かると一転、Kは疎外感に苛まれる。周囲から「もらい子」と

指差されたことも事態を悪化させた。中学卒業後に就職こそしたが、生活は荒れ、

街で喧嘩に発展することもしばしば。そんなある日、待ち受けていた警察官に

連行された先は精神病院、医師の面談は一度もないまま「精神分裂病」との

診断が下り、強制収容から約一年後、不妊手術が執行された。

 

 女性Sが負った障害は、乳児期の手術で用いられた麻酔の副作用だった。

ところが情報公開請求によって提出された「優生保護台帳」の手術理由には

「遺伝性の疾患」と記載されていた。「優生保護法では、遺伝性でない障害・

疾患による不妊手術は親の同意が必要だが、『遺伝性』の場合、親の同意すら

必要なく医師が申請し都道府県優生保護審査会が認めれば強制的に不妊手術を

行うことができ」た。

 

「取材に応じた人たち[医師や審査委員]は異口同音に『そういう時代だった』

『法に従って進めただけ』と語った。……国家が優生思想に法律というお墨付きを

与えた時、あってはならない人権侵害が『正義』とされ、正当化されていた。

 ユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)を行なったナチス幹部アドルフ・アイヒマンの

裁判を傍聴したユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントが、『命令に従っただけだ』と

法廷で繰り返す被告を、『悪の凡庸』と表現したことが思い出される。……不妊手術に

かかわった人たちも、誰もがどこか他人事のように語った。それは、彼らが『人でなし』

だからではなく、いくらその行為が人権侵害だったという説明を受けても、実感を

持てずにいるのだ。実感を持てなくさせたことこそが『国家の罪』だった」。

 おそらくこの批評は半分正しく半分間違っている。つまり、「悪の凡庸」の機能性を

説明するにおいて正しく、この「罪」の主体を「国家」に限定することにおいて誤る。

 いみじくも「実感を持てなくさせ」る。前近代社会における神の最大の機能は、

「悪の凡庸」へと人々を誘うことによる殺人や排除の正当化。そう看破したのは

社会学者E.デュルケームだった。時は流れようとも人間のありようは同じ、神から

例えば「国家」や「法」や「公共の福祉」へとその名をかけ換えたに過ぎない、

近代が未だ世界に来たらぬことを優生保護法とその顛末は証明する。

 支配−被支配。健常者−障害者。決して破れることのない非対称性の中で、

スタンフォード監獄実験よろしく、人はどこまでも残酷になれる。それが歴史。

同一構造に代入されるに過ぎない人名や年号に知るべきものなど何一つない。

 人間に肯定すべき何かを模索する狂気のある限り、愚劣の円環は果てしなく続く。

 

 法の支配なるものは本来において想像力が媒介する両者の入替可能性をベースに

成り立つ。自分たちのルールは自分たちで決める、その精神が民主主義を規定する。

 そもそもの成立要件としての知性、理性を欠いた輩にどうしてこれらを営むことが

できようか。定義すら見出しようもない「健常者」が「健常者」であることさえ

疑わない、疑えない思考停止のサルの群れは決して近代へと辿り着くことができない。

 

 だとすれば何が残るか。

 法律は金で買える。その金を稼げない者は「障害者」として排除する。約束された

低成長とルール・メイクの結果、いくらマイナスをかぶらされてもすべては自己責任。

 拝金主義者のゼロサムゲーム、語るに落ちる新元号、零和の時代の幕が開く、

これまでと何ら変わるところはない。

くれないの豚

  • 2019.02.13 Wednesday
  • 22:49

「話は数カ月ほど遡る。

 俺は『国境なき医師団』の広報から取材を受けた。ツイッター上で知り合った

傘屋さん(実際にはまだ会ったことがない)と一緒に『男日傘』というのを作って

売り出し、そのパテントをもらうつもりはないので『国境なき医師団』に寄付

していた俺に、団が興味を持ってくれたのだ。

 で、向こうから取材を受け始めて10分も経っていなかったような印象が

あるのだが、俺は団の活動が多岐にわたっていることを知り、そのことが

あまりに外部に伝わっていないと思うやいなや、“現場を見せてもらって、

原稿を書いて広めたい”と逆取材の申し込みをしていたのだった」。

 

「私たちは好んで危険な場所に行くわけではないんです。きちんと安全を

確保できると判断しなければ人員を送りません」。

 とは語るが、実際に「国境なき医師団」(以下MSF)の出向く現場といえば

しばしば、日本の外務省に「渡航禁止勧告」を受ける地域だったりもする。

 そこまでのリスクを負わねばならないのはなぜ、具体的な活動内容への関心も

さることながら、それが私の本書を手に取るにあたっての最大の疑問だった。

 そして、幾度となくパラフレーズを続けるその答えは「尊厳」だった。

「それは憐れみから来る態度ではなかった。むしろ上から見下ろすときには

生じない、あたかも何かを崇めるような感じさえあった。

 スタッフたちは難民となった人々の苦難の中に、何か自分たちを動かすもの、

あるいは自分たちを超えたものを見いだしているのではないかと思った」。

 翻して言えばそれは、MSFの前線でもなければ彼らが他者への「敬意」を

もはや容易には抱きようがない、という証なのかもしれない。

 例えばウガンダのキャンプで給水を担うフランス人スタッフは言う。

「『水は金儲けのためにあるんじゃなく、人の生活の質を上げるためにこそある。

僕はそう思うんです』

 それこそがまっとうな考えというものだった。もはや日本では、これが

『ナイーブ』だと言われてしまう。『絵空事』だと言われてしまう」。

 そして「絵空事」と嗤うその同じ口が、平然と「公共事業」を謳い上げる。

 MSFを見る経験、本書を見る経験はすなわち、祖国を見る経験に他ならない。

 

 南スーダンを追われた難民女性に尋ねる。

「体が治ったら何をしようとお思いですか?」

「畑を耕したい。食べ物を作ります」

 即答だった。

 経世済民の金属疲労した国と、経世済民を志す成立途上の共同体。

 どちらに「生き甲斐」があるだろう。

 

 ここ数日、世間を騒がせるニュースのひとつに「バイトテロ」なる事象がある。

 当たり前だ、もっとやれ、と私は思う、思ってしまう。ファストフードや

コンビニの利用客に対して払うべき「敬意」なんてはじめからないのだから。

 自分がされたら嫌でしょ? という「共感」戦略の何と滑稽極まることか。

消費者に「尊厳」などない、ゆえに我が身を置き換えるべき余地もない。

それはサラリーの問題にすらならない。醜い、卑しい、浅ましい、消費者が

消費者であるがゆえに受けるべき当然の報いを受けているに過ぎないのだから。

 

 果てなき欲望で豚と化した両親を離れ、女児が身を投じた先は、世界最古の

労働としての売春、遊廓。国民的ヒット作、『千と千尋の神隠し』のお話。

 消費社会の果てに原点への回帰を志向する、優れた舞台設定を構想しながら、

豚が豚として無残に殺されゆく当然の有様を描くことのできなかった、もしくは

描かせてもらえなかった宮崎駿が破綻を迎えるのは必定だった。

 豚は人には戻れない。

点滴岩を穿つ

  • 2019.01.25 Friday
  • 23:35
評価:
ボブ ウッドワード,カール バーンスタイン
早川書房
¥ 1,296
(2018-09-05)

 野党候補者の集金パーティーでの出来事。

「注文しない酒、花束、ピッツァ、ケーキが代金引換えで届けられ、さらに

呼ばなかった芸人もやってきたのだ」。

 ただのネトウヨあるあるか、とため息を誘われることだろう。

 ところが、作戦と称するのも馬鹿らしいこの嫌がらせの指揮を執ったのが

ホワイトハウスと大統領再選委員会の側近というから、穏やかではない。

しかも、愛国心とやらでは動くはずもない実行部隊を雇い入れる資金は

すべて政治献金のロンダリングから拠出された。

 

 はじまりは1972617日朝、ワシントン・ポストのルーキーが受けた

一本の電話。「カメラと盗聴装置を持った5人の男が民主党本部不法侵入の

現行犯で逮捕された、すぐに出社できるか、というのだった。

 ポスト紙に入社してまだ9か月のウッドワードはかねがねやりがいのある

土曜日の仕事を希望していたが、これはどうもそれらしくない。地元の民主党

支部の不法侵入では、非衛生な飲食店や小さな警官汚職の取材記事といった、

いままでにやってきたことと変りばえがしない」。法廷で被告のひとりが

CIAとの履歴を明かすのを聞いたところで、その印象に大差はなかった。

「事実、不法侵入は共和党側の工作かもしれないという考え方は成立しない

ように思われる。……大統領は、出馬を表明していた民主党の大統領候補

全員を合わせたより世論調査で19パーセントもリードしていた」のだから。

「金がこの事件の鍵だ」。

 転機はある弁護士の一言、「こそ泥」など氷山の一角でしかなかった。

 

 ウォーターゲートなど良くも悪くも端緒に過ぎない、大統領の弾劾へと至った

このケースをその名で呼ぶこと自体が、既に問題を矮小化している。

「記録盗難、怪文書、集会中止、……にせ電話、運動予定の妨害」、何もかもが

大統領陣営によって仕組まれていて、「どれ一つとして独立したものではない」。

 その数カ月前、自らに不都合なペンタゴン・ペーパーの公表を妨げるために

報道の自由をねじ曲げることすら厭わなかったニクソンを相手に、細かな糸を

手繰り寄せて、事実のタペストリーを紡いで挑む。

 本書が一際息を飲ませるのは、石橋を叩いて渡る調査報道の緊張にある。

一介の書物やWikipediaが事件を取り上げるに数行で済ませてしまうような

何気ない記述にさえも、裏取りのリソースが果てなく費やされる。

「『きみには協力したい。ほんとうにそう思っている』と〔司法省の〕法律専門家は

言った。『でも、わたしからは何も言えない』」。

 そんな電話越しの取材対象に記者は提案する。

「記事をおさえる理由があれば、10までかぞえないうちに、法律専門家は電話を

切ってしまうのだ。もし10かぞえたあとも、電話を切らなかったら、記事掲載は

心配ないという意味になる」。

 果たしてカウントは10へと至り、沈黙は時に金となる。

 遂にキーマンを明るみに引きずり出した、と記者に訪れる安堵の瞬間、

ところがこのやりとりが思わぬ大誤報を招き寄せる。

 

 ゴーサインの出た特ダネが印刷機へと回り、郵便受けや売店に送られる、

その数時間のロスでさえ、記事の賞味期限を奪い去るには十分に過ぎる、

そんな現代を生きる者にとって本書の記述はいかにも地味に映るだろう、

しかしだからこそ手に汗握る、ページを繰るほどに引きずり込まれる。

 やがて訪れる水門の決壊、このカタルシスがどこのSNSに転がっていようか。

 誰のために報じるか、奉じるか。

 それはまさか、ネットの祭りに付和雷同するイナゴのためであろうはずがない。

民主主義の舵取りを可能にする報道の自由をはじめとした憲法理念の下に集う、

党派やルーツを超えたすべて国民のためにファクトを伝える。

 国民が国民であることをやめた世界に報じる道などもはやない。

にわにはにわにわとりがいる

  • 2018.12.31 Monday
  • 18:55
評価:
アンドリュー・ロウラー
インターシフト
¥ 2,592
(2016-11-17)

「ニワトリは、静かに、だが容赦なく、不可欠なものとなった。ほとんど飛べない

けれども、国際間の輸出入を通じて世界一の渡り鳥になったのだ。……ニワトリは

昔もいまも、いわば羽の生えたスイス・アーミー・ナイフで、与えられた時間と

場所に応じて必要なものを提供してくれる万能動物なのだ。この可塑性のおかげで

ニワトリは最も有益な家畜となったわけだが、その点は私たち自身の歴史をたどる

上でも役に立っている。ニワトリは鳥の『カメレオンマン』のようなもので、

私たちの変わりゆく欲望や目標や意図――立派な品物、真実の語り手、奇跡を起こす

万能薬、悪魔の道具、悪魔祓いの祈祷師、途方もない富を生む財源――を映し出す

不気味な鏡であり、人類の探検、発展、娯楽、信仰を示す標識なのだ」。

 

 奇しくも英単語で占いをあらわすauguryは古代ローマの故事、鳥auisの針路に

未来をたずねたことに由来する。風見鶏よろしく、本書が教えるニワトリをめぐる

トピックから人間の歩みを占う。

 古代ギリシアで医神アスクレピオスへの供え物といえばニワトリが定番だった。

生命と医学のアトリビュートとしてのニワトリ、その図式は現代に引き継がれる。

例えばインフルエンザの予防接種に用いられるワクチンは鶏卵内で培養される。

そもそもL. パストゥールにワクチンの有効性を気づかせたのもニワトリだった。

ただし皮肉にも、この偉大なる発見は当のニワトリを鶏コレラから救わなかった。

というのも、「予防接種をするよりも、感染した鳥を隔離して殺処分するほうが

安上がりで効率的」だったのだから。

 ニワトリがもたらす救いは医学だけではなかった。20世紀初頭のアメリカ、

とある雑誌のすすめで女性がニワトリを飼いはじめた。馬鹿にする男どもを

尻目に、金を生む卵は女たちに「誰かに依存しているという感覚」から

飛び立つ契機を与えた。

 マリの農村で異変が起きた。昔からの習わしで「住人は予言が欲しいとき、

死ぬニワトリが右へ倒れるか左へ倒れるかを見守る」。ところが、この占いを

無効化するニワトリがもたらされた。「胸が重たくて、前へ倒れてしまう」。

アメリカから持ち込まれた「産業用ニワトリ」だった。女性たちが結集して

養鶏に励んだのも遠い昔、フォーディズムを体現する集約型巨大産業の育む

「明日のニワトリ」は、「できるだけ少ない飼料で、できるだけばらつきの

ないように、速やかに成熟する鳥」、その血が遠くアフリカに持ち込まれた。

効率性の代償を払わされるのはニワトリだ。肉の発達に内臓や骨格の発育が

追いつかない結果、慢性的な痛みを宿命づけられる。狭い鶏舎で他を

傷つけることがないように、くちばしは予め焼き切られる。時を告げる鳥が

文字通り日の目を見ぬままその生涯を閉じる。その終わり際も壮絶だ。

「屠畜場では、かなりの割合の鳥がナイフで喉を切られても死にきれずに

熱湯槽のやけどによって死ぬ羽目になる」。業者を非難するのはたやすいが、

そうでもしなければ、世界的な鶏肉、鶏卵の需要を埋めることなどできない。

 経済性、生産効率を突き詰めた先に待ち受けるのは「絶滅する運命では

なくて、増殖する運命」、それも「絶滅よりも悪い運命」。

 ニワトリは今もなお、預言者として君臨している。

You can't handle the truth!

  • 2018.10.31 Wednesday
  • 22:48

 グアンタナモの米軍基地内で死亡事案が発生した。上下関係の規律を乱すものには

身を以て制裁を加える、そんな「コード・レッド」の起こした不幸なこの事件をめぐって

開かれた軍法裁判は、ジャック・ニコルソン扮する大佐の関与をめぐって争われた。

 直接の命令を示す証拠は結局のところなかった。ところが男は自白する。前線を預かる

者としての誇り、国防を担うものとしての誇りが、証言台での自白を促さずにはいなかった。

自らの管轄下において行われたすべてのオペレーションを掌握していないということなど、

たとえ裁きの報いを受けようとも、司令官には決して認められることではなかった。

 このいけすかない男もまた、「グッドマン」であったことを知らされる、苦い後味を残して

映画『ア・フュー・グッドメン』は幕を引く。

 

2017728日……稲田朋美防衛大臣は、安倍首相に辞表を提出したことを

明らかにした。/この日、防衛省の不祥事を調査する防衛監査本部は、南スーダン国連

平和維持活動(PKO)の日報隠蔽疑惑について、防衛省・自衛隊の幹部らが組織ぐるみで

隠蔽に関与していたとする監査結果を公表した。監査本部は、陸上自衛隊幹部らが本来

開示すべき南スーダンPKOの日報を意図的に開示対象から外したり、実際には存在するのに

『廃棄した』と偽って開示しなかったとして、これらの行為を情報公開法の開示義務違反

および自衛隊法の職務遂行義務違反と断罪した。……本書は私[布施]と三浦記者という

同年代のジャーナリスト二人が、日本とアフリカそれぞれの地で、自衛隊が派遣されていた

南スーダンで一体何が起きていたのか、そして、そこで起きた出来事がいかに日本政府に

よって隠蔽され、ねじ曲げられて日本国民に伝えられていたのかを全力で解き明かそうとした

『連帯』の記録である」。

 

 そもそも南スーダンへの派遣はPKOの要請によるもの、その国連が“armed conflict”との

表現をもって現地の状況を伝えていたにもかかわらず、日本政府は一貫して「戦闘ではなく

衝突」との見解を示した。それに従えば、「政府軍と戦っているマシャール派が系統だった

組織性を有しているとはいえず、支配を確立するに至った領域があるともいえない」、

マシャール派が「国に準ずる組織」でない以上、「戦闘」の定義を満たすことができず、

然らば南スーダンへの派遣はPKO五原則にも憲法にも抵触しない。

「アメリカや国連にとっては、南スーダン政府はもはや『国造り支援』の対象ではなく、

その暴力を一刻も早く止めなければならない『紛争当事者』なのだ。そんな中、日本だけが

『南スーダンでは武力紛争は発生していない』と言い、南スーダン政府に対する『国造り

支援』を続けていた」。

 

 南スーダンを訪れた記者は、とある建物へと向かう。通称トルコ・ビル。20167月、

この建物をマシャール派が占拠したことで、2日間にわたり激しい銃撃戦が交わされた。

外壁や内部にはロケット砲や小銃の痕跡が生々しく残る。

 そのビルは、首都ジュバの国際空港を間近に監視できる戦略上の拠点だった。

 同行した政府の副報道官は記者に告げた。

「国連部隊が我々に向かって対戦車誘導弾を撃ち込んできた」。

 この場所で南スーダン政府軍とPKO部隊が交戦し、中国人兵士が死亡した、という。

 ビルからは空港の他に、まるで「校舎の屋上から目の前の校庭を見下ろすよう」に、

もうひとつあるものを一望することができた。

 自衛隊宿営地だった。

 

 本当に「戦闘ではなく衝突」だったのか。

 真相を示唆する内部文書が後に布施氏の請求に従って公開された。

「事案後の面談において多くの隊員が口にした事項については、睡眠への不安が最も多く、

入眠障害・中途覚醒の症状が多くあった。次に多かった事案が、音への恐怖心であ」った。

 またこの報告はPTSDへのケアについても併せて言及している。

「隊員は平常心を装いながらも常に緊張状態が継続し、蓄積した心疲労の回復には

時間が必要であり、また、事案時のフラッシュバックは何時起こるか分からず、(中略)

帰国後の回復が順調に行なわれなければ、メンタル不調者(抑うつ傾向から自殺)の

発生も予測される事から、原隊復帰後も継続した心情把握および心のケアが必要である」。

 

『ア・フュー・グッドメン』などフィクションに過ぎない。

 真実は、悪い奴ほどよく眠る。