「なんでだろう。涙がでた。」

  • 2017.11.18 Saturday
  • 22:25

 この本が紹介する駅、例えば大手町、例えば神戸。

 とはいっても、それは東京駅と連結した地下鉄ハブ・ステーションでもなければ、

「こうべ」と読む東海道山陽本線の三ノ宮、元町近辺の駅でもない。

 

「大人になって日本中を旅しているうちに、人知れず存在しているのに、心を動かされる

駅があることがわかってきました。僕たちがなぜ、この本で紹介される駅を『すごい駅』と

呼ぶのかというと、それは一般にはあまり知られていないからなのかもしれません。寂れても

なお風格を残す駅だったり、深い山のなかにぽつんとある駅だったり、『すごい』にもいろいろ

あるので、いくつかのテーマを設けて、秘境駅訪問家の牛山隆信さんといっしょにその魅力を

語り合うことにしたわけです。……この本では、僕と牛山さんが実際に訪れてみて感動した

駅を選んでいます。自分たちが感動したからこそ、その駅を多くの人に紹介したい。……

ですから、読者の皆さんには、この本を片手に実際に駅を訪れてみてほしい。われわれが

感じたことを、自分の目や耳で確かめてみてほしい。人によっては、われわれと違うことを

感じられるかもしれません。でも、それが駅めぐりの醍醐味ですから。駅の面白さを、自由に、

のびのびと味わってほしいんです」。

 

 原著は2007年にメディアファクトリーから刊行されたものだという。

「訪れてみてほしい」との願いは既にいくつかの駅においては叶わぬものとなっている。

 それも本書の定義する「すごい駅」の性質上、仕方のないことなのだ。

 多くの人が利用する駅ならば、安全性やバリアフリーといった点から、改装せざるを得ない。

利用者に乏しいからこそ回すべき予算も生まれず、結果的に木造の佇まいが残る。

 人の手が入らないからこそ、雄大な景色を担保することができる。必然、住人はまばら。

 万が一多くの人が訪れて金が落ちて、何なら開発、移住が進んだ日には、それはもはや

「すごい駅」ではいられない。

 廃止と紙一重ゆえにこその「すごい駅」、そしていくつかは既にその一線を超えた。

 明治開業の木造駅舎が登録有形文化財指定を受けた嘉例川や、五能線のブームで一躍

脚光を浴びた驫木のように、限界駅であるがゆえにこそかえって観光材として生き残れる

駅とてパイは限られている。

 そう思えば、不思議と本書が鉄道文化の歴史を閉じ込めた貴重な記録とすら見えてくる。

墓のうらに廻る

  • 2017.11.14 Tuesday
  • 23:09
評価:
小池 壮彦
河出書房新社
¥ 1,728
(2016-03-28)

「本書では、その土地の起伏が生んだ人の記憶に焦点を当てている。

 子供のころ、『川向こう』という言葉をよく聞いた。仄暗いニュアンスの表現で、子供心に

禁忌の匂いを感じていた。その記憶の淵源をたどると、川を境界として棲み分けた太古の

人々の精神文化の違いに行きつく。高台と低地でも住人の意識は異なっていた。

 人のいとなみが、古来、地形によって左右された。丘の上には神を祀り、崖には横穴を

掘って死者を葬った。そうした場所にはいまでも古い神社がある。

 幼いころに大人から聞かされた幽霊話は、なぜかいつも低地を舞台にしていた。

その近くを流れる川には、いつから伝わるとも知れない乙女の入水伝説があった。

 そうした事柄の背景をひもときながら、いつも歩く散歩道をあらためて凝視し、アスファルトの

下に埋もれた歴史の記憶を掘りおこしてみたのが本書である」。

 

 その地に人が生きたということは、つまり、その地に人が死んだということである。

 土地をめぐる禍々しい伝承を道連れに、あえて現代の街を散歩する。死人に口なし、と

原形となる事件の墓荒らしに励むでもなく、とにかく筆者は散歩する。

 怪談を愉しむことと、霊感を信じることはまるで別。

 本書のスタンスは終始はっきりしている。それは以下のマニフェストに現れる。

「伝説が事実をはらむかどうかは、あまり気にしなくてもいいのである。むしろ伝説の内容とは

関係なく、物語を生んだ土壌を考えればいい」。

 ここにおいて「土壌」に問われるのは、「伝説」を語り継がせる説得力に他ならない。

 

 2012年のこと、新宿区のマンション建設現場で、浅い地層から人骨が数体発見された。

 一般に、土壌の酸によって、骨は100年もすれば溶けてしまう。それがくっきりと原形を

留めた姿で複数出土した。ある者は囁く。「近くに防衛省もあることだし、人体実験の

痕跡ではないの?」と。

 果たして真相は、縄文時代の人骨だった。彼らが食しただろう貝殻の炭酸カルシウムが

土壌を中和したと目される。さらに人が絶えず暮らし続けたために、酸性化をもたらす

植物が根を張れなかったことも重なっているようだ。

 さらに骨は語る。炭素年代測定が知らせたものは何も時期に限らない。ある遺体は主に

山の幸を、また別のものは海の幸を食べていた、という。「食習慣の違いは、文化の違い、

あるいは民族の違いにつながる……つまり異なる文化の人が共生していた可能性がある」。

 物語を伝播する資格は、ことばに限られるものではない。

 

 そして今日、スクラップ・アンド・ビルドの狂気はさらに加速する。土地の記憶はやがて

アスファルトとコンクリートに覆い尽くされ漂白される。代わって与えられる物語と言えば、

時々の消費喚起のためのストーリー・マーケティング素材の他に何もない。

「太古から人が住んだ。必然的にその名残があり、地面の下には死体がある。人が生きて

死んだ記憶が埋もれている。

 埋もれた記憶の表層を私たちは日ごろから歩いている。

 かくして散歩は記憶の旅である」。

悲劇の誕生

  • 2017.10.17 Tuesday
  • 23:35

「『奇祭』には明確な定義はない。

 ただ旅をするなかで、こんなふうに考えるようになった。神道が国家的なものとして

制度化される以前のもの、つまり古層の姿をより感じさせるものをそう定義したくなった。

それらはきまって独特で素朴。それが濃いほどに奇祭と呼びたくなる。

 私が惹かれた場所は山を分け入った先、半島、離島といった細部など、結果として

中央政権の支配が届かなかった地域ともいえる。また稲作が届かなかった地域とも

重なる。稲作の神がおよばなかったと言い換えることもできるし、支配されなかった

奔放さと自由を見ることもできるはずだ」。

 

 アポロンとディオニュソス。

 ニーチェが提示したそんな図式の再現を日本の「奇祭」に見る。

 例えば沖縄宮古の「パーントゥ」、「全身に草を編んだものを身につけ、そこに

泥を塗ったくったなんとも奇怪な姿をしていて、目の前にいる者には誰彼かまわず、

泥をつけていく」。魔除けになるから、と新居に堂々「パーントゥ」が上がり込む。

泣きじゃくる幼児にも泥を塗る。

 あるいは大分国東の「ケベス」、祭りのクライマックスシーン、境内で燃え立つ炎に

男たちが差又を突き立て、振り回し、火の粉を周囲にまき散らす。

 泥で汚す、火をもてあそぶ……古き時代においてさえ、禁じられた行為のはず。

「客観視すれば、確かに『度を超えている』はずだ。それでいて実はこの度を超える感覚を

その場にいる誰もが求めている。危険に身をさらされながら、誰もが嬉々としている」。

 

 対していかにも時代を象徴するのが埼玉は秩父の「テンゴウ祭り」。

「山のなかに現れた空間。背後は深い山だ。……恐竜を連想させる胴体があり、平らな

首がある。天狗小屋だ。……先端までの高さは18メートルほどあるようだ」。

 祭りは小屋をこしらえるべく材木を切り出すところからはじまる。かつてはすべてを

子どもたちが担った。しかしいつしか作業の大半を大人がまかなうようになった。

 フィナーレには子どもの手によって小屋に火が放たれる。ただし安全確保の観点から、

消防団員のサポートがつく。

 かくして原型を失った「奇祭」は、地域の少子化もあり、2011年を最後に休止している。

 

 たぶん「奇祭」とて起源を辿れば、多くの場合、災害や疫病への畏怖と祈念が横たわる。

 かつてU.ベックは『危険社会』において、そうした自然の脅威を「危機」と名づけた。

彼が対立概念に置くのは人為に基づく「危険」、それは例えば酸性雨や原子力のような。

 福島の「奇祭」、「相馬野馬追」あるいは「木幡の幡祭り」をめぐって。

 ベックは「危険」の中のあえての希望として凝集力を読み取ろうとした、階級や国境を

超えた「みんな」の「危険」なのだから、と。そして彼の目論見はおそらく外れた。

 ポスト3.11の世界で、地元民を手繰り寄せたのは「奇祭」だった。

「震災から数ヵ月しかたっていない20117月にも、祭りは中止されることなく行われた。

その年、祭りが行われる地区の一部は警戒区域にもかかっていた。津波に流された馬も

いたし、馬具も同じようになくなったという。

 おそらく、中止されても不思議ではなかった状況だろう。いや、中止する方が自然だった

かもしれない。しかし規模を縮小して祭りは行われた。そのことを知った時、私はこの祭りが

その地に生きる多くの人にとっての寄る辺になっているはずだと思った。祭りが人の心を

結束させたはずだと」。

 人は物語を必要とする。人はフィクションを必要とする。

 人の人たる所以を「奇祭」の向こうに垣間見る。

京都迷宮案内

  • 2017.09.28 Thursday
  • 21:52

「なぜこれがこんな高いおねだんなのか、なぜあれがあんな安いおねだんなのか、

なんでそれが無料なのか、あるいはそもそもこんなものあんなものにどうしておねだんが

つくのか――京都では往々にしてそういうよくわからない局面で出くわす。京都人は

何にどれだけ支払うのかという価値基準が、ほかの地域とはいささか異なっているように

思えるのだ。

 そこが、京都を京都たらしめているゆえんなのかもしれない。もしかしたら、京都の

『おねだん』を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることなのかもしれない」。

 

「なぜ、着物であっちにいきこっちにいっている種族が京都では多数生きながらえて

いるのか」。そんなリアルな「おねだん」が時に顔をのぞかせる。

 曰く、「京都では公示地価に比べて実勢の地価が高く、その実勢の地価と上の建物を

あわせた不動産全体の資産価値はさらにはね上がる。……比較的安い税金で高い

価値を持つ不動産を保有できる――ということは、田の字地区内部に代々の土地を

持っていて、うまく活用できると、あまり経費を使わずに旦那でいられる」。

 こうしたアンリトンな価値は部外者には見えてこない、結果、「京都は地元の地方銀行・

信用金庫が、京都市内の貸出残高・預金高のうちシェア75パーセントを誇る。つまり、

経済的にも『一見さんお断り』状態で、モノの価値がわかる地元の人どうしでお金が

ぐるぐるまわっているわけだ」。

 価値観の共有はしばしば文化の共有を通じて確認される。

 かくして旦那は今日も花街に金を落とし合う。

 

 お茶屋さんの「おねだん」を探るべく、筆者は実際に祇園を訪れる。そして気づく。

「京都の古い店の支払いは、後日ご請求書をいただいてからだ。……このシステムは

店と客との信頼関係がある限りは、半永久的に関係が続くというもので、請求書はまるで

ラブレターのように両者をつなぐ。……おねだんには、決して定価があるのではない。

店と客の、人と人との『関係』のおねだんであり、それは請求書を受け取った客が己の

価値を知る数字である。それにしても、『先に金額を決めている方がおかしいと思います』

とは、〈おねだん〉の概念について、現代人に根本的に再考を迫る言葉ではないだろうか」。

 

「京都ではなにか困ったことがあれば、その小学校区の実力者に相談するのが鉄則で

ある。実は京都は『小学校区で出来ている街』だ」。

 そんな内部ルール蠢く自治の街の頂に、京都大学なるパワースポットが君臨する。

 事実は小説より奇なりを地で行く、衝撃トリック満載の本格京都ミステリー。

文化的資本格差

  • 2017.08.17 Thursday
  • 21:57

 公園がないと閉塞するのか、閉塞すると公園がなくなるのか。

 近代の終わりについて散歩しながら考える。

 

「いつも何かに追いかけられているような都会の生活に疲れたら、たまにはいつもの

生活を脇において、気持ちのいい時間を楽しんでみよう。

 東京にはよく整備された公園や庭園がたくさんある。木々に覆われた新しい公園から、

由緒ある日本庭園に西洋庭園、古くからの植物体系を守る植物園などなど。

 そして公園や庭園の魅力はもちろんだが、目的地に着くまでの道すがらの、

たたずまいや、音や、匂いを感じながら、まわりの風景を見ることもまた楽しさのひとつだ。

 いつもの日常からのちょっとした“小さな旅”である」。

 

 人口比で見れば、ロンドンの約4分の1、ニューヨークの3分の1ほど。

 もちろん、これには人口密度に基づく土建促進用の統計マジックが関与してはいるが、

世界の主要都市と比較したとき、東京というのは著しく公園に乏しい街だという。

 そうは言っても、23区内で漠然と電車を降りても、それなりの公園に辿り着く。

東京駅なら日比谷公園や皇居、新宿なら御苑、渋谷ならば明治神宮、ビルに囲まれた

ターミナル駅でもこの調子。

 都市のただ中で四季を知る、それが本書の趣旨。

 本書を彩る花の写真が、否応なしに春夏秋冬の存在を知らせる。

 

 資本の格差、本書を読みながら、そんなことをはたと思う。

 空洞化した地方の街をしばし想像する。駅周辺はシャッター通り商店街、いかにも

デヴェロッパーの手による区画のきちんと分割された建売の均質な住宅地、相対的に

栄える郊外のロードサイドといえば、ファストフードとパチンコ、リサイクルショップ……。

観光用に力を入れている市町村を別にすれば、ふらりと住民が散歩できるように

アクセスが容易で、なおかつ植物環境の整備された公園などそうお目にかかれない。

 かけられる金が限られている、優先順位もそう高くない、なるほど仕方ない。

 これならば、確かに東京の方がよほど季節に溢れた「小さな旅」を楽しめる。

 

 貴族のプライヴェートな道楽の庭を市民に向けて開放する、近代革命を象徴するように

公園の歴史ははじまった。

 そして現代、もはや開放すべき場すら持たない地域が存在する。

 公園を散策できるって実はとても贅沢なこと、そんなことを知らされる。