「オフ・ザ・プレート・ダイニング」

  • 2018.04.20 Friday
  • 23:05

 2008年のノーベル栄養学賞は、「人々がプリングルスをかじるときに聞く音に含まれる

高周波数を増やすだけで、高周波音を除去したときに比べて15パーセントほどサクサク

感が増し、新鮮に感じられる」という研究に与えられ、本書の著者はその栄誉に輝いた。

 と、ここでうっかりに気づく。ノーベル賞ではなく、イグノーベル賞だった。

 

「私が言いたいのは、たとえどんなものを食べ、飲み、売り、消費しても、そこではつねに

複数の感覚が働き、雰囲気や環境を感じ取っているということだ。そして環境こそが、

私たちが何を考え、味をどう感じるか、そして何より食事体験をどれぐらい楽しめるかを

左右する。結局のところ、中立な環境や背景など存在しない。環境だけでなく皿の形や

料理の名前、あるいはカトラリーなどのすべてが食体験に影響することをガストロフィジクスが

証明しつつある。その事実を受け入れるときがきたのである」。

 

 例えばあなたがスーパーのリカー・コーナーの担当者で、ドイツ・ワインの販売促進を

命じられたとする。どんな方法を採用するだろう。まず誰しもが思うのは、目につく場所に

配置することだろう。嘘八百のテイスティング・ノートをポップにする、いかにもありがち。

そしていずれも面倒。そんな手を煩わせるまでもない。ただBGMを変えるだけでいい。

イギリスでの実験結果、「フランス音楽を流したとき、ほとんどの人はフランスワインを買い、

ドイツらしい音楽(ビアホール音楽)をかけると、売れたのはほとんどがドイツワインだった」

(ただしこのデータはあまりにサンプル数が少ないので信頼性は保証しない)。

 北米での観察実験によれば、「テンポの速いインストゥルメンタル音楽を流したときの

ほうが、人々の食べる速さが格段に上がった。一方、ゆっくりとした音楽をかけたときは、

レストランの滞在時間が1時間近くになった」。ならば客の回転数を引き上げるために

アップテンポな曲を流せばいい、と結論づけるのはラーメンのように客単価の固定された

業態やファストフードを別にすればあまりに早計だ。「遅い音楽を聞きながら食事をした

人のほうが、3分の1ほど多く支払うことになったのだ! 音楽のテンポを落とすことで、

店の総利益率が15パーセント近く上昇した」。

 

 ガストロフィジクスが健康への貢献に寄与できる余地は極めて大きい。

 アルツハイマー病患者をめぐって、「たとえば、アメリカの長期療養施設で行われた

ある研究では、コントラストの強い皿とグラスを用いた場合、食べ物の消費量が25パーセント、

飲み物の摂取量にいたっては84パーセントも増加した!」

 あるいは糖質制限食などの満足感を引き出すために役立ちそうな話もある。

「色を使えば、すでに口の中にあるものの味覚を変えることもできる。たとえば、

ピンクがかった赤色を足すことで食べ物や飲み物の味を甘くする、などだ」。

 いずれも食べ物それ自体に何かを加えているわけではない。周辺の色を変えたにすぎない。

 あるいは、フードポルノのリスクを割り出すことによる回避策も提示できる。統計的に

相関「関係があるだけで、その理由はわかっていないが、食べ物に関するテレビ番組を

観ることの多い人はBMI値が高い」。そればかりか単に「レストランのレビュー記事を

7分間眺めるだけで、しばらく何も食べていない人々だけでなく、食事を終えたばかりの

人でも空腹感を増す」。そうやってあの手この手の誘惑に自らを進んでさらすことで

「精神力の一部を使わざるをえないのだ。では、そのあとで実際に食べ物を選択する

場面に直面したらどうなるのだろう? ラボで行なった研究では、おいしそうな食べ物の

イメージを見たあとの人は、食品のイメージをあまり見なかった人よりも悪い(軽率な)

選択をする傾向が強くなる」(ただし何がどう悪いのかが具体的に示されることはない)。

 さらに残念なお知らせ、「孤独な食事は、さまざまな点で人間に悪影響を及ぼす」。

『孤独のグルメ』、放送禁止。

 

 P.コトラーの受け売りで体験マーケティングを得意げにひけらかす広報担当者が、

その商品の粗製乱造性を無二の仕方で教えてくれるのに似て、ガストロフィジクスが

貧相なマジックの種明かしと限りなく重なってしまうのはやむを得ない。

 消費者は騙されるために存在する。そもそも消費者は選択の自由など持ち得ない、

というのも、ブラインド・テイスティングが示すように「多くの場合、彼らが自信をもって

選んだものは、普段購入するブランドとはまったく別なのだ」から。何を選んでいるのか

さえも理解する能力がない彼らにどうして自己決定権を行使することができるだろうか。

 しかし、彼らには消費を通じて幸福を追求する権利がある。スターバックスと銘打たれた

砂糖水をすするセルフ・イメージを消費することで、マスターベーション、ストリーキングの

エクスタシーに耽る権利がある。

 所詮はポルノ、買い手が買い手なら作り手も作り手。原材料や成分表示の外側で、

いかなる嘘を重ねても構わない――そして問題は、誤差やらのぬるま湯に甘やかされて

最低限さえも満たしていない点にある――、現実のどうしようもないみすぼらしさなんて

今や誰しもが知っているのだから。

 ただしその嘘は、購買者の幸福に寄与するものでなければならない。「錯覚」が「錯覚」に

過ぎなくとも、センス・オブ・ワンダーのざわめきの瞬間を否定される筋合いはどこにもない。

 だからせめて嘘は上手に美しくつこう。それがミッションだ。「そのほかの要素」をもって

付加価値を謳うすべての産業への、一消費者からのせめてもの願いだ。

暇を持て余した神々の遊び

  • 2018.04.14 Saturday
  • 22:06
評価:
ソフィー・D・コウ
河出書房新社
¥ 1,404
(2017-02-06)

「チョコレートといえば、現代人がまず思い浮かべるのは固形の甘い食べ物である。

その証拠に、食物関係の文献でも明らかに固形のチョコレートに重点が置かれている。

だがチョコレートは、その長い歴史の約9割に相当する期間、食べ物ではなく飲み物

だったのだ。本書では、貴重な飲み物としてのチョコレートにもっと目を向けることで、

その不均衡を是正したいと思う。チョコレートを扱った本や論文のほとんどが、スペイン

人による征服以前の時代についてほんの数行か多くても数ページしか割いていない

ので、本書では2章を費やしてこの領域について論じた。つまるところ、アステカ王国の

首都が陥落した1521年から現在までは、チョコレートの歴史全体から言うとほんの

5分の1ほどにすぎないのだ」。

 

 カカオはその学名をTheobroma cacaoという。属名はギリシア語で「神々の食物」を指す。

命名者のC. v. リンネはおそらくはその物語の大半について与り知るところではなかった。

しかし、このチョコレートの履歴は至るところに神々の影をまとわずにはいない。

 古代アステカといえば、今日専らケツァルコアトルの儀式をもってその名を響かせる。

健康体の奴隷がひとり選抜されて、40日にもわたり、豪奢な衣服で神を装い練り歩き、

その最後の晩、祭壇で自らの心臓を捧げる、という例のセレモニーだ。生贄はあくまで

嬉々として死に赴かねばならない。万が一、恐れを抱き拒絶した場合にはどうするのか、

チョコレートを飲ませるのだ。一口で効果覿面、「生贄の男は意識が朦朧として、死を

宣告されたことを忘れてしまう。そこで普段の陽気さを取り戻し、また踊り始める」。

 この地ではカカオ豆は通貨としても流通していた。16世紀の記録によれば、車夫の

日給がカカオ100粒、当時の交換レートでは野ウサギや雌の七面鳥一羽に相当した。

ところがそんな貴重な貨幣を特権階級は飲み物として消費していた、まるで「20ドル札で

葉巻に火をつけるように」。神をも恐れぬ所業とはまさにこのこと。

 ヨーロッパに渡った後も神との因縁は尽きない。「チョコレートの摂取に常につきまとう、

断食の規則に違反するか否かという問題である。要するに、チョコレートは飲み物なのか、

食べ物なのか、そこが問題なのだ。それは単に渇きを癒すものなのか、それとも体を養う

ものでもあるのか」。この論争、歴代教皇までも巻き込んで2世紀半も続いた。

 なくても別に死にやしない、そんな奢侈の典型のはずなのに、どうしたわけか、資本主義

経済下にあっても、チョコレートと敬虔な信仰心はやけに相性がいい。クエーカー教徒の

起業によるキャドバリー社は、「いまだに会社の温情主義が幅を利かしていて、結婚する

従業員には会社から聖書と一本のカーネーションが贈られる」。慈愛精神はハーシー社に

頂を見る。食品産業にフォーディズムを導入したことで知られる創業者はただし社会的な

道義心を忘れなかった。ペンシルヴァニアの企業城下町で社員に提供されたのは工場こと

「命の源」だけではなかった。「身寄りのない少年たちのための実業学校、ハーシー百貨店、

ハーシー銀行、男女それぞれのクラブ、5つの教会、公共図書館、住民消防団、2つの学校、

見事な庭園や動物園、ジェットコースターがあるハーシー公園、ハーシー・ホテル」etc...

ただし「この町には町長もいなければ、公選によるいかなる種類の行政体もなく、ただ

情け深い独裁者ミルトン・S・ハーシーの気まぐれのままに存在しているだけだった」。

 

 緻密に張りめぐらされた本書は別にチョコレートと宗教の話に終始するものではない。

さりとて両者のマッチングの妙を否定するものは何もない。四体液説の時代から成人病の

大敵としての現代に至るまで、医学の話題にも事欠かない。禁欲を打ち砕く背徳と罪過の

甘い味が褐色の脂肪から滲み出る。

ディオニュソスの秘儀

  • 2018.03.02 Friday
  • 23:08
評価:
コザー ケビン・R,Kosar Kevin R.
原書房
¥ 2,160
(2018-01-19)

 映画『ヤング≒アダルト』の、すばらしい小道具演出のおはなしから。

 街の酒場で供されるのはメーカーズ・マーク、一般家庭に並ぶのもメーカーズ・マーク、

郷里の人々のこよなく愛する味はただし、シャーリーズ様のお気に召さない。

 そんな中、街で疎外されるかつてのクラスメイトの家を訪れると、自作したバーボンを

差し出される。度数も強いのだろうが、一口飲んで彼女は顔をしかめる。でもあおらずに

いられない。彼らを結ぶ秘密の香りが密造酒からほとばしる。

 

「密造酒はそもそも違法である。だからその歴史を正確に解き明かすことは簡単ではない。

密造酒製造者が自伝を書くことはめったにないし、自分の手がけた作品を記録しておく

わけでもない。そんなことをすれば、摘発されたときに自分に不利な証拠になるだけだ。

それに、かつての密造酒製造者の多くは読み書きができなかった。つまり、彼らの活動は

口伝えで何世代も受け継がれてきたのである。

 密造酒造りに関しては過去も現在も、それを物語るに十分な証拠が存在する。

その歴史は彩り豊かだ。登場人物も、違法者を追い続ける法執行者、まじめな農夫、

頭の切れる何でも屋、あくどい密輸業者やギャング、尊大な詩人、沼沢地や山中に暮らす

隠者、スリルを求める若者たち、とバラエティに富んでいる。密造酒の物語には技術の

普及、人間の創意工夫、経済、欲と政治的闘争など、多くの要素が入り組んでいる。

 ただし、密造酒の物語は基本的には、酔っぱらいたいという人たちの欲望の物語である。

人々が密造酒を飲むのは、背が高くなるためでも、力が強くなるためでも、賢くなるため

でもない。酔っぱらうために飲むのである。それも、できるだけ早く酔っぱらうために」。

 

 密造酒の定義とは、つまり「違法に製造された蒸溜酒である」。然らば、「密造酒は

政府が蒸溜酒の製造者を、合法の製造者と非合法の製造者を分ける法令を

定めたときに生まれることになる。あるいは、政府が蒸溜酒に課税し、誰かがそれから

逃れようとしたときだ」。

 ということで、1920年代のアメリカをはじめとした件の規制論や、チェックを経ない

醸造の一連のリスクの話ばかりが連なるのか、とダウナーな方向に沈みかねないので、

ここではあえてパッと気分の上がる話を拾っていこう。

 

 粗悪品が供給される、ということが思わぬ恩恵をもたらすこともある。ごまかすために

カクテルの技術が向上したのだ。そうして発達したもぐりの酒場は結果、「アメリカの

女性たちを、わずかながら解放した。……ボブの髪型で気取り、新奇なスラングを使い、

ジャズに合わせて踊った。女性たちは髪をきれいに整えた男たちと一緒にたばこを吸い、

酒を飲み、法律にも道徳を説く者たちにも喜んで反抗的な態度をとった」。

 そして現代、土着の秘法による「合法の密造酒」は、ローカリティの象徴として堂々

脚光を浴びる。アメリカ国内だけでその市場規模は、2010年から14年の間だけでも

1000パーセントものを膨張を果たした。しかも業者にとってはこの上なくおいしい

商売ときている、何せ熟成期間を取らず、蒸溜から瓶詰のタイムラグがないのだから。

消費者にとっても、効率性に棹差さず伝統に根差した「本物」志向の自己イメージに

酔いしれることができる。誰が値切ろうと思うだろう、高く売りたい、高く買いたい、

理想的な互恵関係がここにある。

 

 他方で置き去りにされた消費者がいる。その「本物」を「本物」たらしめてきたはずの

人々だ。「社会の貧しい層は、合法密造酒にはほとんど興味を示さない。……もっと安い

本物の密造酒を手に入れることができるのだから」。そうして彼らは今日もメタノールの

危険に自らをさらし、現実の彼方へと酩酊する。

バランスオブゲーム

  • 2018.01.27 Saturday
  • 21:40
評価:
スティーブン・レ
亜紀書房
¥ 2,592
(2017-09-29)

「肥満や2型糖尿病、痛風、高血圧、乳がん、食物アレルギー、ニキビ、近視などの

辛い症状に悩まされている人々が世界中で増えている。『文明病』と呼ばれるこれらの

症状がここ数十年から数百年間に大きく広まったのは、年々増加する世界のより豊かな

国へと移り住む人々が、新たな土地の習慣や食生活に適応しようとすると、しばしば

病気を発症しやすくなる傾向があるせいだ。……本書『食と健康の一億年史』のおもな

主張は、現代に数多くの健康の問題が浮上してきたのは、祖先が守ってきた食習慣や

ライフスタイルを変えたことや環境の変化が原因ではないか、ということだ。本書では、

我々人類の祖先がどのように食べ、どのように暮らしてきたかを明らかにし、重大な慢性

病の発症を抑え、あるいは遅らせるために、どのように祖先の習慣のいいとこ取りをし、

日々の暮らしに取り入れるべきかについて、具体的な助言を行う」。

 

 筆者はベトナムにルーツを持つ、カナディアンの人類学者。

 このテキストでは、日本を含め世界各地を旅しては、古き食習慣の痕跡を探る。

 そんな紀行文の枠に留まっていれば、香り高い随筆になっていたかもしれない。

 しかし本書が達成しえたことといえば、控えめに言って使い古されたスローフード、

スローライフ論、有り体に言って純朴をもってよしとなす反知性主義の典型。

 そのことは以下のようなまとめのフレーズに典型的に現れる。

「主要な栄養学者のほとんどが、脂肪やコレステロール、および/または塩分を過度に

含むことの多い伝統食には懐疑的だ。しかし、何を食べ、何を避けるべきかとくよくよ

考えるよりも、一番確実なのは伝統食を食べることだ。伝統食は何世紀もかけて

形作られてきたもので、健康によい食物の組み合わせや美味しく感じられる食材の

取り合わせが考慮されていて無理なく続けられる」。

 この主張の無根拠性は、実際にそれらの多くが駆逐されたスーパーマーケットの棚を

見れば一目瞭然だろう。さまざまな面において「続」かないから「続」いていないのだ、

奇しくもそれは産業社会のサステナビリティの欠如と対をなすように。

 この手のテキストの例に漏れず、循環農法の実践者を訪ねる。なるほど、それは個人の

生存戦略としては有効なのかもしれない。しかし、地球上の70億人を養うには足りない。

「座るのは最長でも13時間にすることだ」、果たしてそれを可能にしてくれる職種が

情報化社会にいくつあるだろう。

 そうした経済合理性こそが歪みを生んでいる、との批判に傾聴すべき点は当然ある。

さりとて本書からその改善策が垣間見えるとは思えない。

 

 そもそも草食などヒトに馴染まないとひたすらに肉を薦める専門家からヴェジタリアン、

ヴィーガンまで、食事における適切なバランスとは何か、本書はそんなことを尋ねて回る

旅でもある。自然と人為のバランスを見つめる、そんな旅でもある。程よい不潔は人体の

免疫力を引き出す、そんなバランスが模索される瞬間も訪れる。

 そして本書を包括するテーマは、歴史を英知の蓄積と見るか、誤謬の蓄積と見るか、

そんなバランスを探ることにある。

 世界中の遍く文明において飲酒の習慣が見られるのは、生水の解毒、殺菌方法として

各種コストの障壁が低かったから。ただし、他の手段が開発された現代においてなおも

弊害だらけのアルコールを続けることは陋習という以上のいかなる意義をも持たない。

 雪に閉ざされる長野は、各種ビタミンやタンパク質の供給源として久しく愛好されてきた

漬物や味噌に含まれる過剰な塩分摂取を控えることで、脳や血管系の疾病リスクを緩和し

短命県との汚名を返上、転じて今や日本屈指の長寿県と化した。

 試行錯誤のデータバンクとしての伝統に学ぶべき点は現代においてなおあるのだろう。

しかし、実践知を重んじるあまりに理論知を軽視しているとしか映らない筆者の態度は、

本末転倒と述べるべきか、思考停止という以外の何物でもない。

酒は百薬の長

  • 2017.12.31 Sunday
  • 18:04
評価:
ベッキー・スー エプスタイン
原書房
¥ 2,376
(2017-11-20)

「熟成期間の長いブランデーは、伝統的にイギリスとアメリカで主に消費されてきた。

しかし近年の中国はヨーロッパの国々を追い抜く勢いであり、ブランデーの消費は

過去10年間に急増し、いっこうに衰える気配がない。また、世界にはごく安価な

ブランデーに対する大きな市場が広がっている。ベトナム、フィリピン、インドなどの

アジア諸国はどれも重要なブランデー消費国だ。この蒸溜酒がこのように多様な層の

人気を獲得するまでに、どのような歴史があったのだろうか? そしてブランデーは

どの程度愛されているのだろうか。

 生産地に加えて、熟成過程はブランデーの価格と品質に大きな違いをもたらす。

しかし、どんなブランデーも最初の工程は同じように蒸溜から始まる。蒸溜が古代文明の

中心地からヨーロッパへ、そして新世界へ伝わるには、数世紀を要する長い旅の歴史が

あった。本書ではその旅路をたどってみたいと思う」。

 

 酒は百薬の長。このことが、ブランデーの伝播の歴史を何よりも特徴づける。

 というのも、ブランデーの場合、その多くが「薬として常備しておくべき家庭の必需品」と

みなされて地産地消されてきたために、グローバルな市場圧力に基づく均質化どころか、

極めてローカル性の高いコンテンツとして独自の発展を遂げた。

 

 例えば「スペインはブランデー・デ・ヘレスを生んだ国だ。これは由緒ある旧世界の

ブランデーで、本来ならばもっと世に知られていてもおかしくない名酒である」。この品を

他と隔てるのは「ソレラ・システム」なる仕込み方。この技術の誕生自体は19世紀の偶然の

産物らしいが、この地における蒸溜酒のルーツははるかイスラーム支配の時代まで遡る。

 そして本国の影響を受けて、ラテン・アメリカやフィリピンでもブランデーは愛飲される。

例えばペルーでピスコなるブランデーの生産がはじまったのは17世紀のこと、当初は

ワインのためにブドウが植樹されるも、農業保護のためにスペインへの輸出が禁じられ、

ブランデーへの鞍替えを余儀なくされた、そんな妥協の産物だった。

 このピスコ、ゴールドラッシュ以後のアメリカ西海岸で爆発的な人気を博すも、禁酒法の

煽りを受けて壊滅。解禁後には、粗製乱造の安酒へと自ら身を落とし、ただし21世紀、

復活の足がかりを掴む。

 

 ところ変われば酒変わる。コーカサスもブランデーの名産地。ヤルタ会談の一コマ、

J.スターリンが差し出したアルメニア産の味がいたくW.チャーチルのお気に召したらしく、

以後、最高指導者は英国にこのブランデーの付け届けを続けた。もっとも、当の宰相が

その際に最高の賛辞を送っていたのは実はジョージア(グルジア)産のものだった、

そんなアネクドートも今なお語り継がれる。

 

 酒絡みの蘊蓄本止まりかと思いきや、ことのほか、世界史を反映せずにはいない。

 紛れもなく歴史のテキストとして成立している意外な逸品。