酒は百薬の長

  • 2017.12.31 Sunday
  • 18:04
評価:
ベッキー・スー エプスタイン
原書房
¥ 2,376
(2017-11-20)

「熟成期間の長いブランデーは、伝統的にイギリスとアメリカで主に消費されてきた。

しかし近年の中国はヨーロッパの国々を追い抜く勢いであり、ブランデーの消費は

過去10年間に急増し、いっこうに衰える気配がない。また、世界にはごく安価な

ブランデーに対する大きな市場が広がっている。ベトナム、フィリピン、インドなどの

アジア諸国はどれも重要なブランデー消費国だ。この蒸溜酒がこのように多様な層の

人気を獲得するまでに、どのような歴史があったのだろうか? そしてブランデーは

どの程度愛されているのだろうか。

 生産地に加えて、熟成過程はブランデーの価格と品質に大きな違いをもたらす。

しかし、どんなブランデーも最初の工程は同じように蒸溜から始まる。蒸溜が古代文明の

中心地からヨーロッパへ、そして新世界へ伝わるには、数世紀を要する長い旅の歴史が

あった。本書ではその旅路をたどってみたいと思う」。

 

 酒は百薬の長。このことが、ブランデーの伝播の歴史を何よりも特徴づける。

 というのも、ブランデーの場合、その多くが「薬として常備しておくべき家庭の必需品」と

みなされて地産地消されてきたために、グローバルな市場圧力に基づく均質化どころか、

極めてローカル性の高いコンテンツとして独自の発展を遂げた。

 

 例えば「スペインはブランデー・デ・ヘレスを生んだ国だ。これは由緒ある旧世界の

ブランデーで、本来ならばもっと世に知られていてもおかしくない名酒である」。この品を

他と隔てるのは「ソレラ・システム」なる仕込み方。この技術の誕生自体は19世紀の偶然の

産物らしいが、この地における蒸溜酒のルーツははるかイスラーム支配の時代まで遡る。

 そして本国の影響を受けて、ラテン・アメリカやフィリピンでもブランデーは愛飲される。

例えばペルーでピスコなるブランデーの生産がはじまったのは17世紀のこと、当初は

ワインのためにブドウが植樹されるも、農業保護のためにスペインへの輸出が禁じられ、

ブランデーへの鞍替えを余儀なくされた、そんな妥協の産物だった。

 このピスコ、ゴールドラッシュ以後のアメリカ西海岸で爆発的な人気を博すも、禁酒法の

煽りを受けて壊滅。解禁後には、粗製乱造の安酒へと自ら身を落とし、ただし21世紀、

復活の足がかりを掴む。

 

 ところ変われば酒変わる。コーカサスもブランデーの名産地。ヤルタ会談の一コマ、

J.スターリンが差し出したアルメニア産の味がいたくW.チャーチルのお気に召したらしく、

以後、最高指導者は英国にこのブランデーの付け届けを続けた。もっとも、当の宰相が

その際に最高の賛辞を送っていたのは実はジョージア(グルジア)産のものだった、

そんなアネクドートも今なお語り継がれる。

 

 酒絡みの蘊蓄本止まりかと思いきや、ことのほか、世界史を反映せずにはいない。

 紛れもなく歴史のテキストとして成立している意外な逸品。

人間は考える管である。

  • 2017.11.22 Wednesday
  • 22:53
評価:
藤原 辰史
集英社インターナショナル
¥ 778
(2017-10-06)

 奇しくも英単語companyの由来はcom-panis、つまりパンを共にすること、いみじくも

日本語でいう同じ釜の飯を食らう関係を指す。おなかま、お仲間、同釜、さて偶然か。

 

「片方に膨大な食べもの、つまり生きものの亡骸の塊を生ゴミとして捨てたり、バイオ

エネルギーに変えたり、その値段の高騰を狙って投機する『勝者』がいて、片方に

食べものにありつけずに死んでいく『敗者』がいる。こんな惑星の状態を生み出している

競争の仕組みには、疑問符をつけたくなります。……この本では、いろいろな地域での

調査や研究から得られた事実を示しながら、食べる現場、そして、食べ物を生み出す

農業がどんな不自然な状況になっているのかについて考え、食から見た世界の

アンフェアな仕組みを明らかにしたいと思います。食の世界には黒幕がいて、それが

食の世界の堕落をもたらしているのではありません。わたしたちの日々のささやかな

願いや快適さを求める気持ちが促した、食と農業の発展の結果でもあるのです。

とするならば、食と農業の歴史を点検しなくてはなりません」。

 

 独断で本書を一言に要約する。

 この世界がおかしいのは、おかしなものを食っているから。

 あるいはこうも言い換えられるだろう。

 何を食っているのかさえ分からないほど、もはや世界はどうかしている。

 

 そもそも「宰」なる文字は、「刀で肉を公平に切り分ける」ことを意味する。政治の

基礎は食物の再分配、ところが当の行政が競争のみを煽れば、早晩社会は朽ち落ちる。

 食にすべての出発点を見出す立場は、例えばジョン・デューイに現れる。驚くなかれ、

デューイは理想の学校の中核に台所を据えた。以下、氏のことばより。

「台所に入ってくるすべての品物は郷土から生まれたものである。それらのものは、

土壌から生じ、光と水の影響によって育てられ、地方的環境のさまざまくさぐさの様相を

しめしている。校庭からより大きな世界へとひろがるこの関連をとおして、子どもは最も

自然に諸々の科学の研究へみちびかれる。これらの物はどこでできたのか? 

その生育には何が必要とされたのか? 土壌との関係はどういうふうか? 気候の条件の

あれこれの変化によってどんな影響をこうむるか?」。

 万学の原点、人間の営為の原点が食であるならば、公教育も当然に食を原点に持つ。

アメリカン・リベラリストのこの着眼点は今日においても何ら色褪せるものではない。

 そして筆者は言う。食べて、そして排泄する、その過程をもって「人間を生態系を

さまよう一本のチューブと見なす」。その存在は世界と繋がり、世界に向けて開かれる。

「食べることは、それほど人間主導的な行為ではなく、世界に自分を育ててもらう現象に

ほかなりません」。この感覚を失えば、ただ得失をめぐる略奪のみが横たわる。

 

 畑を耕すトラクターから戦車は生まれた。肥料に用いるべく窒素の固定化、ハーバー‐

ボッシュ法は生み出され、そしてまもなく火薬へとスピンオンされた。水銀に由来する

水俣病とて、もとをたどればこの技術に行き着く。あるいはナチスによる対ソ連戦略、

食糧を絶たれたレニングラードでは、飢餓の末、人肉食が横行する。太平洋戦争期、

兵站を現地での自己調達に丸投げした日本軍の帰結は、大岡昇平『野火』に明らか。

 分け合うことから隔たれば、ただ共食いの焼け野原が世界を覆う。

老舗の品格

  • 2017.10.29 Sunday
  • 21:24

「菓子は食生活のなかで考えると、あくまでも嗜好品であり、日常の生活において

別段食べなくとも困らないものです。しかし、嗜好品であるからこそ、菓子は私たちの

生活に潤いを与えてくれます。なおかつその存在は、日本の歴史・文化・伝統の上に

成り立っています。……少し大げさな言い方になりますが、小さな和菓子のなかには

日本文化が凝縮されているのです。/小さな日本文化たる和菓子の成り立ちを考える

とき……私は五つの段階から考えてみたいと思います。それは、/1. 果実や木の実/

2. 餅や団子/3. 唐菓子(からがし、からくだもの)/4. 点心(てんじん)/5. 南蛮菓子/

5つでこの段階を経て17世紀後半の京都で和菓子は一応の大成を見たのです」。

 

 本書において圧巻なのは何と言っても老舗なるもの歴史である。

 京都は今宮神社の参道であぶり餅を提供する一文字屋和輔、日本最古の飲食店、

創業は1000年だという。

 例えば貞享五年(1688年)のこと、京都の虎屋に公家の誕生祝の発注があったとの

記録が残されているというのだが、その主は水戸光圀。さしもの『大日本史』の起草者も

300年以上の時を隔ててそんな記録が留まろうなどとはまさか想像だにしないだろう。

 時代はかなり下るが、菓子がどれだけ好まれたのかを把握するに格好の統計がある。

明治19年の東京府のデータ、「都市部に相当する区部における菓子屋は4963軒と

2位の米屋1954軒を圧する数字でした。また、菓子屋はパン屋や料理屋のように

都市部だけに特徴的な業種だけではなく、農村部(郡部)でも他の業種を抜いて、

両者をあわせた数は6000を優に超えています」。

 そんな過当競争を生き抜いて、後世に史料までも残してしまうのだから、恐ろしい。

 

 とはいえやはりどこか隔靴掻痒の感は否めない。

 そもそも「図説」と銘打つ割に口絵の数は物足りず、看板倒れは否めない。

 鎌倉時代の「中国では、定時の食事以外にとる軽食を点心と言っていました。中国に

学んだ禅僧や中国人僧侶は、禅宗とともに点心の習慣を日本へ持ってきたのです」。

この「点心」ともに持ち込まれた茶の風習が、日本の「菓子」の確立の画期となったことは

たぶん疑いようはないのだろう。では、それ以前の史料においても既に登場する「菓子」は

どのように位置づけられていたのだろうか。例えば骨格標本から探るに、当時の栄養が

現代的な水準から判断したときに十分なものであったとも見えず、だとすれば「嗜好品」と

いう位置づけにはそもそもふさわしくないとしか思えない。

 上生菓子って技巧の限りを尽くした上で、基本的には餡。羊羹も饅頭もつまり餡。

なぜここまで「菓子」が餡に執着するのか、という謎が解かれない点も腑に落ちない。

 

 享保二年、時の将軍吉宗は隅田川の両岸にサクラの植樹を命じる。やがて江戸の

庶民を引きつける名所となるのだが、管理には当然先立つものを要する。その調達に

寄与したのが桜餅。目で、口で、サクラを楽しみ、そのお礼に維持費用を置いていく。

なんと見事な循環だろう。

 それに引き換え、現代の醜態の嘆かわしきや、あな麗しき江戸の花見か。

食の考古学

  • 2017.08.09 Wednesday
  • 21:51

「食文化は、新しい素材や料理を取り込んでどんどん拡張していく一方で、

取り込んだものをその土地に合った味覚へとチューニングする作用が働く。

新しくやってきた食べ物を、これまで自分たちが慣れ親しんできた慣習でもって

咀嚼し、我がものとしてしまう。

 日本では、近代の幕開けとなった明治時代に、それが顕著に起きた。……

本書は、そのようにして日本の定番となったメニューの歴史をたどり、それがいつ、

どのように生まれて根づいていったのかを探る本である」。

 コピペが次なるコピペを生んで、瞬く間に既成事実として周知化する。

 食を題材にそんなネット環境型常識にあえて文献アーカイヴをかけて検証する、

それが本書の趣旨。

 

 その典型が肉じゃが。

 かつて留学先の英国で食べたシチューの味が忘れられない東郷平八郎が再現を

命じたところから誕生し、今やそのエピソードに因んで、「肉じゃが発祥の地」として

舞鶴と呉が自治体ぐるみで町おこしのPRに躍起になる。

 ところがこの海軍起源説、実際に文献にあたってみると、どうも怪しい。

 さらに驚くべきことに、この呼び名が定着するのは昭和40年代に入ってから、という。

 

 こんなフランクなテキストが教えてくれるのは、例えば歴史研究の難しさ。

 筆者が参照するのは昔のレシピ本ばかりではない。小説の描写や新聞広告にまで

目配せした大層な労作なのに、その上で結論はしばしば曖昧。往々にして推理に

頼らさるを得ず、ただの食レポで締めて読者が首を傾げてしまう瞬間も時に訪れる。

 一般ニーズを対象とした資料の海に溺れる傍ら、その欠落に途方に暮れる。

 たかだか100年前の話を跡づけるにも手を焼かされるのだから、歴史学研究の

けもの道を想像して束の間、気が遠くなる。

化物使い

  • 2017.07.21 Friday
  • 21:41
評価:
パラダイス山元
新潮社
¥ 529
(2014-12-22)

「申し訳餃子いませんが、本書は『餃』の字が多過ぎます。

 日本で一番『餃』の字が多い本です。

 活版印刷の時代だったら、文庫化はムリだったと思います。

 

 溢れんばかりの愛情を皮で包み込んだカリッとよく焼きの餃子は、

 少子高齢化の日本に歯止めをかける切り札です。

『食べて』『交わる』と『子ども』ができます。

 読了後、すぐに餃子をつくって、交わってみて下さい」。

 

「私がこれまで日本国内で、餃子を食べた店は400店余り。……これまでの成績は、

13勝、427敗、28引き分け」(太字はすべて原文ママ)という。

「愛情」が足りない? 当たり前だよ。

 外食なんてそんなもの、というかいかなる業種においても、プロというのはあくまで

コスト管理のプロなのであって、品質について何らかの期待を寄せる方がお門違い。

 その上での飲食店へのあえての期待といえば、モンスターたちの謝肉祭、

見世物小屋機能の他に何もない。

 そして本書においても、そんなゾクゾクするようなカーニバルが展開される。

 さるコラムに惹かれて入った横浜中華街の店。

「てんてこ舞いの厨房では、息子が、父親に向かって罵声を浴びせています。何か

えらい店に入ってしまったな、というのがファーストインプレッション。

 デカイ中華包丁を振り回しながら怒鳴り合うライブは迫力満点。そのうちホール

担当の母親が間に入ったので仲裁かと思いきや、両者に向かって参戦表明。……

何なんだろう、この寺内貫太郎一家の中華版みたいなのは。……遅れて参戦した

母親が烈火の如く二人を怒鳴りつけていた最中にもかかわらず、会計時には

ほんの一瞬とてもかわいらしい笑顔に戻って『ありがとう』と。そして店を出て数歩

歩いた時には、店内から再び怒鳴り声が聞こえていました。

 あとで冷静に考えたら、その罵り合いも、くたびれ気味の店構えも、すべてが演出

なのではないかとさえ思いました」。

 

 そして筆者もまた、時にあまりに見事なカーニバルの担い手となる。

「だいぶ前の話になりますが、……元力士の敷島関(現在は年寄・浦風)と、ナンシー関

それにパラダイス山元関という三関の巨体と、その土俵入りを迎える行事のような、

ナンシーさんの書籍のご担当だった華奢な編集者の4名で、高級中華のオーダー

バイキングを食べに行ったことがありました。……お会計はたしか5万いくらだったの

ですが、それとなく聞いたら15万円分は食べていたそうです」。

 過食嘔吐のフードファイターからは決してしたたることのない幸福感、不摂生の巨体、

めまいがする。

 ヤバい、見たい、見たすぎる。そんな土俵入りが拝めたら、メシのうまい、まずいなんて

下らないこと、どうでもいいに決まってる。

 ナンシー関亡き今、もはや叶わぬ幻のライブ、これぞ人間の生きる道。