食の考古学

  • 2017.08.09 Wednesday
  • 21:51

「食文化は、新しい素材や料理を取り込んでどんどん拡張していく一方で、

取り込んだものをその土地に合った味覚へとチューニングする作用が働く。

新しくやってきた食べ物を、これまで自分たちが慣れ親しんできた慣習でもって

咀嚼し、我がものとしてしまう。

 日本では、近代の幕開けとなった明治時代に、それが顕著に起きた。……

本書は、そのようにして日本の定番となったメニューの歴史をたどり、それがいつ、

どのように生まれて根づいていったのかを探る本である」。

 コピペが次なるコピペを生んで、瞬く間に既成事実として周知化する。

 食を題材にそんなネット環境型常識にあえて文献アーカイヴをかけて検証する、

それが本書の趣旨。

 

 その典型が肉じゃが。

 かつて留学先の英国で食べたシチューの味が忘れられない東郷平八郎が再現を

命じたところから誕生し、今やそのエピソードに因んで、「肉じゃが発祥の地」として

舞鶴と呉が自治体ぐるみで町おこしのPRに躍起になる。

 ところがこの海軍起源説、実際に文献にあたってみると、どうも怪しい。

 さらに驚くべきことに、この呼び名が定着するのは昭和40年代に入ってから、という。

 

 こんなフランクなテキストが教えてくれるのは、例えば歴史研究の難しさ。

 筆者が参照するのは昔のレシピ本ばかりではない。小説の描写や新聞広告にまで

目配せした大層な労作なのに、その上で結論はしばしば曖昧。往々にして推理に

頼らさるを得ず、ただの食レポで締めて読者が首を傾げてしまう瞬間も時に訪れる。

 一般ニーズを対象とした資料の海に溺れる傍ら、その欠落に途方に暮れる。

 たかだか100年前の話を跡づけるにも手を焼かされるのだから、歴史学研究の

けもの道を想像して束の間、気が遠くなる。

化物使い

  • 2017.07.21 Friday
  • 21:41
評価:
パラダイス山元
新潮社
¥ 529
(2014-12-22)

「申し訳餃子いませんが、本書は『餃』の字が多過ぎます。

 日本で一番『餃』の字が多い本です。

 活版印刷の時代だったら、文庫化はムリだったと思います。

 

 溢れんばかりの愛情を皮で包み込んだカリッとよく焼きの餃子は、

 少子高齢化の日本に歯止めをかける切り札です。

『食べて』『交わる』と『子ども』ができます。

 読了後、すぐに餃子をつくって、交わってみて下さい」。

 

「私がこれまで日本国内で、餃子を食べた店は400店余り。……これまでの成績は、

13勝、427敗、28引き分け」(太字はすべて原文ママ)という。

「愛情」が足りない? 当たり前だよ。

 外食なんてそんなもの、というかいかなる業種においても、プロというのはあくまで

コスト管理のプロなのであって、品質について何らかの期待を寄せる方がお門違い。

 その上での飲食店へのあえての期待といえば、モンスターたちの謝肉祭、

見世物小屋機能の他に何もない。

 そして本書においても、そんなゾクゾクするようなカーニバルが展開される。

 さるコラムに惹かれて入った横浜中華街の店。

「てんてこ舞いの厨房では、息子が、父親に向かって罵声を浴びせています。何か

えらい店に入ってしまったな、というのがファーストインプレッション。

 デカイ中華包丁を振り回しながら怒鳴り合うライブは迫力満点。そのうちホール

担当の母親が間に入ったので仲裁かと思いきや、両者に向かって参戦表明。……

何なんだろう、この寺内貫太郎一家の中華版みたいなのは。……遅れて参戦した

母親が烈火の如く二人を怒鳴りつけていた最中にもかかわらず、会計時には

ほんの一瞬とてもかわいらしい笑顔に戻って『ありがとう』と。そして店を出て数歩

歩いた時には、店内から再び怒鳴り声が聞こえていました。

 あとで冷静に考えたら、その罵り合いも、くたびれ気味の店構えも、すべてが演出

なのではないかとさえ思いました」。

 

 そして筆者もまた、時にあまりに見事なカーニバルの担い手となる。

「だいぶ前の話になりますが、……元力士の敷島関(現在は年寄・浦風)と、ナンシー関

それにパラダイス山元関という三関の巨体と、その土俵入りを迎える行事のような、

ナンシーさんの書籍のご担当だった華奢な編集者の4名で、高級中華のオーダー

バイキングを食べに行ったことがありました。……お会計はたしか5万いくらだったの

ですが、それとなく聞いたら15万円分は食べていたそうです」。

 過食嘔吐のフードファイターからは決してしたたることのない幸福感、不摂生の巨体、

めまいがする。

 ヤバい、見たい、見たすぎる。そんな土俵入りが拝めたら、メシのうまい、まずいなんて

下らないこと、どうでもいいに決まってる。

 ナンシー関亡き今、もはや叶わぬ幻のライブ、これぞ人間の生きる道。

モダン・タイムス

  • 2017.06.14 Wednesday
  • 21:41
評価:
ポール・ロバーツ
ダイヤモンド社
¥ 3,024
(2012-03-09)

 日本国内での統計。1年につき死亡者数50万人強、被害金額10兆円。

 未曾有のテロリズム、手段は生活習慣病。本書のテーマはその主犯格たる食。

 

「本書では、読者の皆さんに、肥満や食料を介して広がる伝染病の蔓延、いつまでも

根絶できない飢え、さらには、第三世界における荒地から巨大な輸出専用農場への

転換といった、現在私たちが直面している一見異なる問題の多くが、実はそもそも

現在の食システムを生み出したものと同じ経済的メカニズムと関連していて、また

そのことがこれらの問題をより深刻なものにしていることを伝えたいと考えた。そして、

そのために、昨今食糧について語られている様々な問題を吟味し、食経済全体を

幅広く掘り下げてみた」。

 

 世界最古の製造業、食品産業。それはまるで成長の限界論を先取りするかのような

破綻の図式を告げ知らせてみせる。

「低コストでの大量生産には様々なメリットがあるが、コストを安く抑えながら大量の

食品を市場に送り返そうとすると、結果的に生産者は悪循環に陥ることが避けられない。

生産量を増やせば増やすほど、価格が下がるため、さらに多くの食品を生産しなければ

ならなくなるからだ」。

「食品」を適宜差し替えれば、どの業界にもあてはまるだろうデフレ・スパイラルの構図。

 もちろんサプライチェーンの下流、小売店でも従業員の給与切り下げでコストカットに

励むため、「ウォルマートの人件費削減によって、1985年以降のアメリカの平均賃金は

2.2パーセントも下がっている」。

 そして問題は単に経済システムに留まらない外部コストの存在を告発する。

 例えばエネルギー問題、「メーカーは多くの場合、食品そのものを作るよりも多くの

エネルギーをその容器や包装に費やしている。ある試算によれば、たかだか200キロ

カロリーの炭酸飲料を1缶生産するために、2200キロカロリーの炭化水素エネルギー

……が必要となる」。結果驚くべきことに、「食料生産がアメリカにおけるエネルギー

消費量の5分の1近くを占め」るに至る。

 資源の逼迫の最たるものはあるいは水なのかもしれない。ある研究者は指摘する。

「世界の人口は現在の65億人から2050年には90億人に達するなどと予測していますが、

彼ら[人口統計学者]は根本的な問題を忘れています。地球に90億人を支えるだけの

水はあるのか、という問題です」。

 効率の最大化は生命そのものを志向する。それは鶏肉に顕著に表れる。「1970年代の

ブロイラーが屠畜重量に達するまでに10週間かかっていたのに対し、今日それは40日で

達成できるようになっている」。ただしその代償として「あまりにも肉付きが良過ぎて、

生後5週間で歩くことはおろか、立つこともできなくなる。……産業用ブロイラーの4羽に

1羽は足が不自由な上、大きな胸筋が心臓に負担となって心臓麻痺や虚血性心不全で

若死にしている」。さて、これを品種改良と呼ぶべきか。

 

「今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。

ロバート・パーカー化する世界

  • 2017.05.29 Monday
  • 22:58

「テロワールを守ることは、頑なに反動的なまでに伝統に執着することと同じではない。

その反対である。共通の過去にしっかりと根を下ろしながらも、未来に向かって進んで

いく意志を持つことである。いま現在、その根から地上において自由に枝を伸ばし、

大きくなっていって、自分にふさわしい明確なアイデンティティを創造することである。

それが、グローバル化という波に屈して均質化されてしまうことと闘う道である。それが

倫理的な意味で積極的に行動する唯一の方法である。過去を尊重し、過去を基準点と

しつつ、しかし猿真似に終わらせないことである。……歴史的な記憶は、市場と文化、

そして国際政治の破廉恥な開拓とマーケティングという何もかも蹂躙していく嘘に対して、

たった一つ残されている歯止めである」。

 

 確かそれはイアン・エアーズ『その数学が戦略を決める』の冒頭、ワインの当たり年を

知りたければ――つまりは投機価値の高低を知りたければ――、実物を飲むまでもない、

気温と降水量を調べさえすればいい。

 この判断の根底にあるのはロバート・パーカー、筆者に言わせれば「子どもっぽい味」、

「ケチャップ」、彼のハイスコアを得るには、言い換えれば市場で大金をせしめるには、

果汁は甘く濃密なほどいい。かくして世界の味覚はどうしようもなく画一化されていく。

 しかし、そこに筆者は問いを投げかける。果たしてワインはそれがすべてなのか、と。

そして、懐疑は単にワインの域を超える。「嗜好を表現することは、人間の自主独立を

表わすことであり、精神的な自由の象徴である」。然らば、「嗜好」のグローバル化、

つまり単一化は「人間の自主独立」をも脅かすことになりやしないだろうか。

 

 なるほど、筆者のことばはしばしばあまりに直截で、ただし一方でその真意を語る。

「本当の批評というのは、映画でもワインでも、みんなが自分の言うことにしたがうことなど

望んでいない。ただ、挑発して、読者に自制を促すと同時に、批評自体についてよく

考えてほしいだけなんだよ。みんなによく考えてほしいと薦めているんだ。自分が指導者に

なりたいだなんて、まったく思っていない」。

 本書にはしばしば政治批判が飛び出す。確かに享楽の酒をまずくするかもしれない。

しかし、その言動を我田引水の飛躍とみなすのは本書全体の誤読としかならない。

 言論の自由の原点とはつまり、著しい他害性を有しない限りにおいて、お前の言い分に

共感はしないが、ただし言いたいことを言う自由だけは認めてやる、この精神にこそある。

筆者にとってテロワールとはまさにこの「他者」性の探求にほかならない。

「彼には、『味方』か『敵』しかいない。だから、本当の『他者』は、存在できない」。

 この文脈の「彼」は、直接的にはパーカーを指す、ただし誰とて代入可能。

 自らが愛する大地、愛する人々、パトリを本拠に持たぬナショナリズムなど、友敵原理の

インフレーションで辛うじて体を保つしかない。割れ鍋に蓋の爆ぜる時はいずれ来る。

 そんなパトリをワインの向こうに見ることを牽強付会とはもはや言えない。

「テロワールを尊ぶには、過去に対して道徳的責任の感覚を持つ必要がある(また過去に

意味を持たせるためには、常に時間的な推移の中で再評価していかなくてはならない)。

文化、社会全体の保護、市民としての責任、公正な雇用、報道の透明性、そうしたもの

すべては、私たちが歴史の感覚を失った時、つまり私たちはみんなで共同体を構成して

いるのだという感覚を失った時、崩れ去ってしまう」。

 

 そして、筆者の試みは残念ながら徒労に終わる。

「『世界市民』は、糖質と脂質を求める安易な『グローバル消費者』になってしまった」。

 その生存戦略としてダイレクトにおいしさを感じ取れるのが「糖質と脂質」である以上、

どうあがいてもヒトはそこに引き寄せられる。ゆえに、食品産業がいかに売り文句の

ごたくを並べようが、実効性がありかつ安上がりな隠し味といえば、砂糖とマーガリンの

他には特にない。それで顧客は満足を得られる。金も流れる。何が悪い?

 別に味覚に限らない。ヒトの攻略法はとうにネタバレして、オワコンを告げた。

 人間というコンテンツの初期設定の貧困に「テロワール」は何らの解決をも与えない。

あなたの知らない世界

  • 2017.04.30 Sunday
  • 21:24

「本論は大きく4つに分かれます。第1章は『現代日本とサツマイモ』で、戦中戦後の

救荒作物・お米の代用時代から、健康を守る重要作物として品種改良技術で世界一に

なった今日までの日本を、サツマイモの側から農業技術史として見ていきます。

2章および第3章は『サツマイモとはどんな植物なの?』『日本農業にとってどんな

役割を持った作物なの?』と、サツマイモをそれぞれ植物学・農政学の面から考えます。

最後の第4章は『サツマイモはいかにして世界に広がっていったか?』です」。

 

 農水省で進められたとあるシミュレーション、もし日本を食糧危機が襲ったら?

 救世主として浮上するのはサツマイモ。なにせ肥料や農薬をほとんど必要としない。

にもかかわらず、作付面積当たりのカロリー生産量はコメの3倍、しかもビタミンや

ミネラル、食物繊維も豊富。

「白米ばかり食べていると、栄養が偏って人間は死んでしまいますが、サツマイモしか

食べなくても死ぬことはありません」。

 

 さらに、食用以外にも実はさまざまな可能性を持つ。

 エコ作物としてのサツマイモ、栽培に投入されるエネルギーと産出されるエネルギーの

比較収支で見事黒字を叩き出してみせる。これを達成できるのは他ではサトウキビくらい。

そんな効率に目をつけて、バイオマス燃料としての活用を模索する動きもある。芋焼酎の

残りカスをさらに発酵させ、そこから生じるメタンガスで発電する技術は既に実用化済み。

 あるいは都市部の緑化にもサツマイモが貢献する。都心のとあるビルの実践例では、

屋上の室外機を覆うようにサツマイモを繁らせることで、空調周辺の温度を引き下げて、

真夏のピーク時に電気代を10パーセント節約することに成功した。当然、秋になれば

収穫も期待できる。そんなレクリエーションをも、提供することができる。

 

 農水省とその出先機関で長年、品種改良に従事してきた筆者の手による本書は、

当然に日本農業の歩みを伝えずにはいない。

 他の作物の例に漏れず、サツマイモもまた、研究は公の仕事にその多くを負う。そして、

その取り組みはいわゆるお役所仕事とはおよそ対照的な「常識への挑戦」。

 食感のトレンドは「ほくほく」から「ねっとり」へ。そんな消費者の嗜好の変化をいち早く

察知し、新品種を提案する。そうして例えば「べにはるか」は生まれた。

 紫はポリフェノール、オレンジはβカロテン、そんな色素の機能性に目をつけて、

品種のブラッシュアップを図る。今や酒店でおなじみの「赤霧島」や「茜霧島」とて、

筆者の強い後押しがなければ、誕生していなかったのかもしれない。

 芋ばかりでなく、葉もまた、「スーパー野菜」と呼ばれる資格を持つ。意識すべきは

地下ばかりではない、ここにもまた「常識への挑戦」の一例が見える。

 

 種苗法は廃止された。農協は民営化ファシズムの標的として完全にロックオンされた。

世界に冠たる品種を育て上げた研究環境も遠からず崩壊する。

 正直、なめてた、本書のことも、サツマイモのことも。

 この偉大なる植物すら越えて、日本の農業のリアルを捉えた一冊。