あなたの知らない世界

  • 2017.04.30 Sunday
  • 21:24

「本論は大きく4つに分かれます。第1章は『現代日本とサツマイモ』で、戦中戦後の

救荒作物・お米の代用時代から、健康を守る重要作物として品種改良技術で世界一に

なった今日までの日本を、サツマイモの側から農業技術史として見ていきます。

2章および第3章は『サツマイモとはどんな植物なの?』『日本農業にとってどんな

役割を持った作物なの?』と、サツマイモをそれぞれ植物学・農政学の面から考えます。

最後の第4章は『サツマイモはいかにして世界に広がっていったか?』です」。

 

 農水省で進められたとあるシミュレーション、もし日本を食糧危機が襲ったら?

 救世主として浮上するのはサツマイモ。なにせ肥料や農薬をほとんど必要としない。

にもかかわらず、作付面積当たりのカロリー生産量はコメの3倍、しかもビタミンや

ミネラル、食物繊維も豊富。

「白米ばかり食べていると、栄養が偏って人間は死んでしまいますが、サツマイモしか

食べなくても死ぬことはありません」。

 

 さらに、食用以外にも実はさまざまな可能性を持つ。

 エコ作物としてのサツマイモ、栽培に投入されるエネルギーと産出されるエネルギーの

比較収支で見事黒字を叩き出してみせる。これを達成できるのは他ではサトウキビくらい。

そんな効率に目をつけて、バイオマス燃料としての活用を模索する動きもある。芋焼酎の

残りカスをさらに発酵させ、そこから生じるメタンガスで発電する技術は既に実用化済み。

 あるいは都市部の緑化にもサツマイモが貢献する。都心のとあるビルの実践例では、

屋上の室外機を覆うようにサツマイモを繁らせることで、空調周辺の温度を引き下げて、

真夏のピーク時に電気代を10パーセント節約することに成功した。当然、秋になれば

収穫も期待できる。そんなレクリエーションをも、提供することができる。

 

 農水省とその出先機関で長年、品種改良に従事してきた筆者の手による本書は、

当然に日本農業の歩みを伝えずにはいない。

 他の作物の例に漏れず、サツマイモもまた、研究は公の仕事にその多くを負う。そして、

その取り組みはいわゆるお役所仕事とはおよそ対照的な「常識への挑戦」。

 食感のトレンドは「ほくほく」から「ねっとり」へ。そんな消費者の嗜好の変化をいち早く

察知し、新品種を提案する。そうして例えば「べにはるか」は生まれた。

 紫はポリフェノール、オレンジはβカロテン、そんな色素の機能性に目をつけて、

品種のブラッシュアップを図る。今や酒店でおなじみの「赤霧島」や「茜霧島」とて、

筆者の強い後押しがなければ、誕生していなかったのかもしれない。

 芋ばかりでなく、葉もまた、「スーパー野菜」と呼ばれる資格を持つ。意識すべきは

地下ばかりではない、ここにもまた「常識への挑戦」の一例が見える。

 

 種苗法は廃止された。農協は民営化ファシズムの標的として完全にロックオンされた。

世界に冠たる品種を育て上げた研究環境も遠からず崩壊する。

 正直、なめてた、本書のことも、サツマイモのことも。

 この偉大なる植物すら越えて、日本の農業のリアルを捉えた一冊。

食べログなき時代を生きる幸福をめぐる試論

  • 2017.04.07 Friday
  • 23:27

  吉原へ行き、岡場所へ行くも皆夫々の因縁づく、能いも有り、悪いもあり。

  江戸前うなぎと旅うなぎ程旨みも違はず。

 

 こう宣ってみせたのは誰あろう、かの平賀源内。土用丑の日商法の生みの親、との

説の真偽は本書によれば危ういようだが、うなぎを好んだことだけは、このたとえを

読む限り、疑いの余地はなかろう。

 

「今回は食を中心にして江戸の食文化を眺めてみようと考えた。さまざまな食べ物が

売られているなかで、すし・天麩羅・蕎麦・うなぎを選んだのは、この四つが特に

江戸っ子に愛されて発展を遂げ、江戸の人気食になっていたからで、今でもこれは

東京の名物食になっている。

 本書では、先学の研究成果に学びつつ、この四代名物食を、江戸に生まれてきた

順に配列し、相互に関連をもたせながら、絵画史料なども用い、発展していく過程を

描き出してみた」。

 

 なるほど、食をめぐる雑学の宝庫には違いない。

 二八そば、と言えば、現代では専ら小麦粉とそば粉の配合比率を指しているが、

江戸の世においてはまるで別の意味を帯びていた、とか、家康の死因をめぐる俗説、

タイの天ぷらで食中毒に倒れた、いや、当時まだ天ぷらはないのですが、たぶん、とか、

握りずしが今のようなサイズに落ち着いたのは江戸以来の伝統によるものではなく、

戦後の物資難の産物です、とか。

 

 おそらくは史料にない以上仕方のないことなのだろうが、それにしても、方々に

肝心な点を触れずに残してあるように見えてしまうのが、本書のいかにも惜しい点。

 当時のグルメガイドからそば切りが庶民に好評を博していたのは分かった、でも、

うどんを模して麺状になったというそばが今のような細打ちのスタイルを獲得した

過程は何も見えてこない。そもそも天ぷらと他の揚げ物を隔てるだろう定義としての

衣の発展プロセスにはほとんど触れずじまい。なれずしにはじまる派生形としての

握りずしが普及していく中で、誰の発案でいつから醤油をつけるようになったのか、

なんてことも語られぬまま。

 という具合に、四大食のそもそもの定義が抜け落ちているような観は否めない。

 

 寛政の改革、そばの値下げをお上より命じられるも、各店舗は量を減らすことで

それに対応する。ただ唯々諾々と言い分に従うでもない当時の民のしたたかさが

見えてくるエピソード。浜松町や隅田川で獲れたうなぎが江戸前として珍重されて、

筆者によれば、これこそが産地ブランディングの走りだ、という。

 近いような、遠いような、そんな江戸が垣間見えるだろう一冊。

Lazy Susan

  • 2017.02.22 Wednesday
  • 22:39
評価:
エドワード ワン
柏書房
¥ 2,376
(2016-05)

「世界で毎日、15億人あまりの人ひとが食事道具として箸を使っている。しかし、

その箸の歴史を古代から現在までたどった英文の書物は、これまで一冊もなかった。

この本では、以下の3点を解き明かそうと思う。

 

 1. 箸はどのようにして、なぜ使われるようになったのか。しかも食習慣として、なぜ

 数世紀にもわたって、アジアを中心に定着し、さらに広がっているのか。

 2. 箸という食事道具が、料理にどのような影響を与えてきたのか。あるいは逆に、

 料理が箸に適合するように変化してきたのか。特定地域の食物の変化が、食事道具の

 選択と変遷にどのように影響を与えたのか。

 3. 箸の文化的な意味を検証し、それが箸文化圏の各国にどのような影響を与えて

 きたのか」。

 

 考古学の成果が教えるに、箸の歴史はどうやら新石器時代まで遡る。とはいえ、ただちに

食事の主力の玉座に就いたものと見るのはどうやら早計。ここには主食の変化が関与する、

とする説がある。曰く、熱く水気も強い粥を口に運ぶに素手よりも匙の方が好都合、

炊いた米を食すに箸でまとめるのはなるほど実践的。

 あるいは調理法も箸が時に規定する。一般に肉食中心の社会ではナイフとフォークの

組み合わせが多い、とはいえ中国ではその消費量が増えても、逆転の発想が依然として

箸と匙に主力の地位を担保した。すなわち、食す直前に切り刻むのではなく、加熱段階で

つまめるサイズにしておけばいい。

 

 ただし、本書は必ずしもそんな食生活の歴史のみに終始するものではない。

「箸は『分かちがたい』象徴なのだから、結婚話をまとめる際にも、婚約成立のときにも、

出番がある」。13世紀の書物が伝えるに、「男が女性を見初めて結婚を申し込むため

両親にあいさつに赴くとき、酒びんに水を入れ、1対の箸、2個の緑色タマネギ、4匹の

金魚とともに持参」した。あるいは少数民族に伝わるしきたり、「実家を離れる花嫁は、

きょうだいたちと一緒に食事したあと、自分のごはん茶碗と箸をきょうだいたちに託す」。

モンゴルでは「1つの椀の粥を新婚2人で1膳の箸で食べ終える」。その意味するところ、

「夫婦がこれから生活をともにしていく最初の儀式に当たって、箸によって協力の重要性を

認識し合う」。

 贅の限りを尽くす皇帝の姿は例えば箸にも表れる。ヒスイで誂えたそれは冷ややかな

眼差しを時に受ける。

「燃えてしまえば同じ土くれ」。

 箸文化圏のひとつ、日本の風習もまた、重要なトピックを形成する。

「お祝い箸がたいてい塗りのない白木であるのは、神道や仏教の影響だ。……ヤナギの

木が箸の材料として好まれるのは、……生命力の強さにあやかりたい、という感情から

来ている。両口箸の中央部が丸いのは、来たるべき1年をつつがなく、実り豊かな年に

なるように、という願いが込められている。……お祝い箸はその都度新たに購入され、

使い終えたら捨てられる。なぜかと言えば、神道の考えに従えば、白木の箸はいったん

口のなかに入れられるとその人の霊が乗り移り、洗っても落ちないからだ。使用済みの

お祝い箸を打ち捨てれば、箸に霊が残っているのだから、神と対話する道筋が構築される」。

 ――知らなんだ。