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  • 2020.05.10 Sunday

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    かんこれ

    • 2020.02.21 Friday
    • 22:25

    「和歌とは、人の心を起源として、さまざまな言葉になったもの――貫之は歌の

    成り立ちを『こころ』と『ことば』という二つのタームによって説明しようと

    しました。本書でも、貫之の言う『こころ』と『ことば』を、『古今集』の歌に

    ついて考えるための一対のキーワードとして、この二つを関連させながら、

    『古今集』の魅力を解き明かしていきたいと思います。

    〈型〉は、私が選んだキーワードです。『古今集』を読むときに、現代の私たちが

    当惑を感じることの一つに、同じような表現、発想に基づいた歌が延々とつづいて

    いることが挙げられるでしょう。たとえば、『梅』の枝に止まっているのは

    必ず『鶯』ですし、暦の上で夏が訪れると人々はこぞって『時鳥』を待つ気持ちに

    なってしまう。そうしたことが、実に似通った言いまわしによって歌われています。

    つまり『古今集』の歌には――これは古典和歌と言い換えてもよいのですが――

    『こころ』においても『ことば』においても、個人の創作の前提となる共通の

    〈型〉が厳然として存在しているのです」。

     

     桜といえばとりあえずはかない。晩春が訪れれば、藤の花の散りゆくさまと

    松の常盤の対照を見立てる。七夕が来れば逢瀬について一通り嘆く。

    宮廷の歌会ともなれば、やんごとなき人には無条件にやんごとなき人として

    長寿と繁栄の祈りを捧げる。「あしひきの」や「むば玉の」をはじめとした

    枕詞の形容表現としての妥当性など片時たりとも疑われようはずがない。

     嫌がらせをサービスと言い換えるがごとき婉曲表現の技法に従って、

    人は一連の定型文を指して普遍性などと軽々しくも呼称してはばからない。

    そして真相はおそらく違う。「こころ」は〈型〉に先行しない、否それどころか、

    「こころ」を措定すべき論拠すらない。クリシェを想起することでしか、

    およそ感受性などというものは作動しようがない。桜がはかないわけではない、

    はかないものとしてインストールされたテンプレ処理でしか桜を知覚できない。

    散る花は決して雪に似ない。ただ〈型〉に踏襲すべきコードがあるだけ。

     誰も桜など見ていない。

     

    『万葉集』に詠まれた百首強の梅の歌のうち、香りについて言及したのは

    わずか一首。対して『古今集』においては十七のうちの実に十三首もが

    香りを主題として取り上げる。

     まさかこの間に、動物的な進化が嗅覚を研ぎ澄ましたはずはない。

    筆者は「薫香の文化が貴族社会に広がったこと」をその要因に挙げる。

     誰かが〈型〉を作ったわけではない。コンテクストが〈型〉を作る。

     あとはその発見を待つだけだ。

     

     サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテは決して遍歴の騎士ではあれない。

    農夫の手による注釈は、英雄を瞬時に道化へと上書きする。

     本書の成功は、キュレーターとしての紀貫之を強調することで、図らずも

    『古今和歌集』の〈型〉を浮上させた点にある。よみ人の三十一文字が

    いかなる美を湛えようともそれが何を指し示し得ようか。受け手を持つことで

    唯一、〈型〉は〈型〉として実在を得ることができる。さもなくば、知られざる

    傑作は知られざる傑作のまま、後世に継がれる資格を喪失する。

     そして〈型〉によって見出されるだろう、「ことば」をめぐる相互作用の

    現実はまこと残酷、すなわち、人間が交わし得る情報交換に、哀れなほどに

    陳腐で退屈なクリシェを超えるものなど決して含まれることがない。

     そのファクトを知ることにこそ、現代にあえて古典と交わるべき理由がある。

     仮に国民文学なるものが可能だとすれば、凡庸をもってその唯一の要件とする。

    「Ora Orade Shitori egumo」

    • 2019.03.31 Sunday
    • 21:54

    「《猥れて嘲笑めるはた寒き》

    ……『猥』ではじまるその文語詩は、難解というより不可解であり、異様であった。

     これだけ『異形』であれば、誰かがとうぜん論じているはずだ。私は、宮沢賢治

    関連の蔵書百数十冊を繰ってみた。どこにも見当たらなかった。

     賢治が思いをこめて書いたであろう『猥』ではじまる文語詩は、誰からもまともに

    取りあげてもらえず、ほの暗い奥深くから微かな燐光を放っている――。そう感じた

    とき、私の中に小さいけれど強い火が灯った。それが始まりである。……結局、

    『猥れて嘲笑めるはた寒き』で始まる文語詩の謎を解くだけで三年近くかかって

    しまった。もっとも、それからが大仕事だった。解かれた謎は、次の謎を生んでいく。

    それが連綿と続いていった。

     気がついてみると、私の謎解きの『旅』は、六年近くにも及んでいた。そして、

    最後に辿り着いたのは、未完の大作として知られる童話『銀河鉄道の夜』であった。

    ……ところが、そこに至って私は巨大な迷路に迷いこんだ気分になっていた。出口を

    求めて辿っても辿っても、明かりは見えてこない。そして、ついに諦めかけたとき、

    奇跡としか言いようがないことが起こったのだった」。

     

    「連想は連想を生み、リズムをもって一行ずつ閃いて浮き出てくる楽しい詩草を、

    本能とも見える速度で書きとって行く」。そうして眼前に現れる詩句はしばしば、

    「突拍子もなく現れ、解釈しようにも手がかりすらない」。

     ゆえに例えば、ジョバンニが握る切符に記された「おかしな十ばかりの文字」に

    ついての仮説がいかに説得力を持とうとも、合わせるべき答えなどはじめからないと

    いえばない、そんなことは誰に指摘されずとも筆者がいちばん分かっている。

    それでもなお知らずにおれない、だから調べる。当時の新聞にあたるのは朝飯前、

    現代の花巻の町を歩いて回る、果てはその日賢治が見ただろう天体図さえ求める。

    普通に考えればむしろ作品世界は夢想に過ぎず、現実にすり合わせるべきものなど

    ひとつとしてないかもしれない、でもとにかくひたすらに探しまくる。

     そして、アマチュアの執念は大上段の表題に恥じぬ傑作を生んだ。

     

     本来ならばフォーカスすべき話題には枚挙に暇がない、とした上で、やはり一際

    強調されねばならない点は幻の天才の発見にこそある、つまり、宮沢とし子という。

     とし子は生前、一冊のノートを残した。

    「私は自分を知らなければならぬ。過去の自分を正視しなければならない」。

     そう誓った「私」は、にもかかわらず、この後「自省録」の主語を「彼女」と置く

    ことで回顧を展開していく。この文体はゆえなき試みではない。

    「彼女が凡ての人人に平等な無私の愛を持ちたい、と云う願いは、たとえ、まだ

    みすぼらしい、芽ばえたばかりのおぼつかないものであるとは云え、偽りとは

    思われない」。

    「無私の愛」を語る主体が「私」であれるはずがない。

     そして、愛に傷ついた「彼女」がどうして賢治を触発せずにいられただろう。

    「あめゆじゆとてちてけんじや」。

     とし子のことばとして誰しもが知るだろう「永訣の朝」の一節。ただし、詩には

    まだ続きがある。妹の「無私」を弁える賢治が、別れを前に幻聴を語らせるのだ。

    (Ora Orade Shitori egumo)」。

     

     通常、賢治の色として連想されるものといえば、新潮文庫の背表紙や「夜」、

    あるいは岩手の気候にちなんだ寒色系に落ち着くのではなかろうか。

     けれども本書のカバーは異様なまでに赤い。

     読後、つくづくその意味を知らされる。

    予言の自己成就

    • 2018.12.09 Sunday
    • 20:43
    評価:
    ケネス・スラウェンスキー
    晶文社
    ¥ 4,968
    (2013-08-01)

     虚構と現実の違いは、意味の有無にある。

     

    「サリンジャーのサイトをはじめていらい、私はずっとこの本を書きつづけていて、

    いつの日か公平で感傷的でない真実の伝記を、それも作品の正しい評価を

    織り込んだものにして世に問いたいと思いっていた。……7年ものあいだ、

    私はサリンジャーとその著作、彼の思想、人生の細かな事実に浸りきっていた。

    サリンジャーはいつも私の傍らにいた。その彼がいなくなってしまったのだ。

    ……サリンジャー自身は死を信じていなかったし、私もそのことを知っていた。

    私がささげるべきは敬礼であり、悲しみではなく感謝を要請することだった。

    サリンジャーにふさわしいのは肯定であり、みんなも私と同じ気持ちになって

    ほしいと思ったのだ」。

     

    「発表することはプライヴァシーの恐ろしい侵害だ」。

     隠遁したサリンジャーは、海賊版の上梓に対して、以上のコメントを寄せた。

     読者は通常、書き手と作品の間に同一性を措定しない。私小説を名乗ろうとも、

    生活と作家性には一定の「プライヴァシー」が横たわることを知っている。ところが

    ことJ.D.サリンジャーに関してはその例外と見なすべきなのかもしれない。

     当人がつい最近まで存命しており、なおかつ600ページを超える大著、さぞや

    証言が充実しているものかと思いきやさにあらず、文壇から身を引いた後の歩みも

    ほぼ秘匿に伏せられたまま。それなのに伝記として不足しない。

     なぜならば、小説の引用が何よりも雄弁に彼を解き明かしてくれるのだから。

     テキストに託された「プライヴァシー」は二つに大別できる。

     ひとつは第二次世界大戦。ノルマンディー、ヒュルトゲンの森、バルジ――

    そんな「地獄」の淵ですら、彼はタイプライターを叩き続けた。

    「焼ける人肉のにおいは、一生かかっても鼻からはなれない」。

     そう嘆く彼はただし、辛うじてPTSDの一線を踏み止まった。

    「多くの帰還兵とはちがって、サリンジャーは自分が目撃した恐怖やその影響に、

    なんとか対処することができた。彼は最後には書く力を再発見した。彼は、自分では

    表現する言葉を持たないすべての兵士たちについて、そしてそんなすべての

    兵士たちのために、書いたのだ。著作をつうじて、自分の戦争体験がつきつけた

    疑問、生と死の問題、神の問題、そして我われはおたがいにどういう存在なのかと

    いう問題への解答を追及しつづけたのだ」。

     そしてもうひとつは、「人生が芸術を模倣する」、まるで自身の作品をなぞるように、

    その後の生は営まれた。

    「いい本を読み終わったときに、『それを書いた作家が僕の大親友で、いつでも

    好きなときにちょっと電話をかけて話せるような感じ』と、ホールデンが断言したとき、

    結局、ホールデンはサリンジャーのことを語っているようにみえたのだ。多くの読者は

    この文を自分たちへの公開招待状だと解釈した。じじつは正反対だった」。

     作中でホールデンが夢見たのは、森での孤独な隠遁生活だった。

    「あとはもう一生だれともしゃべらなくていいってことになっちゃうはずだ。そして、

    みんなは僕のことを放っておいてくれるだろう」。

     筆者による『キャッチャ・イン・ザ・ライ』読解に、はたと唸らされる瞬間が訪れる。

    そもそも原題はロバート・バーンズの詩、Comin' Thro' the Ryeの一節、

     

      Gin a body meets a body

     

    をホールデンがcatchと記憶違いしたことに由来する。そこから筆者は熱弁を展開する。

    「おとなの世界という危険に落ちそうな子供を『つかまえる』ことは、救う、やめさせる、

    禁じるなどの行為で、介在することだ。しかし、『会う』ことは、支える、共有するなど

    結びつく行為だ。……彼の旅は、『つかまえる』と『会う』のちがいを理解したとき、

    はじめて終わる」。

     そんなくだりにあの小説が頭をよぎる。『罪と罰』。ラスコリニコフがソーニャを

    媒介にあえて腐り果てた大地に口づけしたように、ホールデンは妹フィービーを

    愛することを通じて彼女を含む「インチキphony」な世界にはじめて「会う」。

     ただし、フィクションはフィクション、「インチキ」は「インチキ」、現実には

    ソーニャもフィービーもいない。ならばどうして世界と接続できるだろう。

     本書に美点があるとすれば、それはただひとつ、サリンジャーの「真実」を小説へと

    収斂せしめたことにある。

    『ライ麦畑』の一節から。

     

      君にはひっそりとした平和な場所をみつけることができない。だってそんなものは

      どこにありゃしないんだからさ。

    田園

    • 2018.05.15 Tuesday
    • 23:13

     S.ホームズにとって、「大都会ロンドンこそが大英帝国の繁栄を築き、産業革命を

    成し遂げた成果であり、帰結である。対して田園は『法律のことなんてろくに知らない

    ような人ばかり』の未開地で、都市より劣悪だ」。では今日の2時間ドラマよろしく

    ミステリと観光を結びつけたのは誰か? 筆者に言わせれば、アガサ・クリスティーだ。

    「彼女が作家として活動した期間は、ちょうど1920年代から1970年代までと、およそ

    半世紀に及ぶ、大英帝国が大きく変貌した時代とも重なっている。特に戦前の英国は

    世界的帝国として史上最大の版図を支配し、『世界の銀行』を謳歌した絶頂期で、

    そんな時代に首相や貴族、富豪、外国の王族から依頼を受けて難事件を解決し、

    中東をはじめ海外の植民地でも活躍するのが、彼女の創造したベルギー人の名探偵

    エルキュール・ポワロだった。/しかし、第二次世界大戦が起き、英国は苦難の末に

    勝利したものの、戦後は植民地の多くを失い、帝国瓦解の憂き目をみるに至る。作品の

    舞台から、海外はほとんど姿を消し、ポワロに代わって登場回数の増えた老嬢ミス・

    マープルをはじめ、探偵たちの行動範囲は国内、それも田園に狭まっていく。そこで

    描かれるのは、帝国の解体と社会福祉政策によって、もたらされた英国人たちのライフ

    スタイルの変化である」。

     

     そもそもオリエント急行からして、中東へと手を伸ばす欧州覇権の権化として生まれた。

    パリを起ちバルカンを通りイスタンブールへと至るこの鉄道をめぐり、時のドイツ皇帝は

    3B政策」の大動脈に据えベルリン、ビザンチウム、バグダッドを結ぶ経路を構想する。

    だがヴェルサイユ条約によって一転、オリエント急行はドイツ、オーストリアを通過しない、

    シンプロン経由へと書き換えられる。20世紀前半のグローバリズムを象徴する鉄道には

    「あらゆる階級、あらゆる国籍、あらゆる年齢の人々が集まってい」た。1931年の冬、

    クリスティーは夫の暮らす中東から帰国すべくこの列車に搭乗するも、間もなく洪水に

    見舞われて足踏みを余儀なくされる。「おいおい泣き出すアメリカ夫人、無口な北欧の

    女性宣教師、大柄で愉快なイタリア人、おしゃべりなブルガリアの女性、ハンガリーの

    大臣夫妻、気難しい英国の老紳士と人のよさそうな妻、禿げ頭の小柄なドイツ人」……

    同乗者に足りないのはただひとり、ベルギーからのエグザイルだけだった。

     

     ミステリを道先案内人とした、20世紀イギリス地理史の講義かと思いきや、驚くほどに

    クリスティー入門として成り立っているテキスト。もう良くない? と思うくらいネタバレにも

    配慮されており、作品世界の補助線を与えてくれる。「ポワロが1930年代に回った観光を、

    実際に大英帝国が支配する植民地への『空間の旅』とすれば、ミス・マープルが1960

    70年代に行っている観光とは、大英帝国の時代に思いを馳せる『時間の旅』といえる」。

    二大名物主人公の性格の違いを捉えるに、これほどまでに的を射た表現にはそうそう

    出会えることはない。

    時間と自由

    • 2018.03.22 Thursday
    • 23:40

    『東京物語』の終わり際、笠智衆が原節子に妻の形見の懐中時計を渡す。何かせずには

    いられない、時間を持て余す実子や孫とは対照的に、夫を戦争で亡くしたことで時代への

    同期化に立ち遅れたとも見える義娘は、強迫的なまでに柔和な笑顔をもって存在すること

    それ自体の幸福を湛える老夫婦の側に配置された風に映っていた。

     ところがその原節子が言う。

    「私、ずるいんです」。

     老いた寡夫をひとり取り残す密やかな裏切りの瞬間。

     

    「たとえば小津の映画ではキャメラが動かないと誰もが涼しい顔で口にする。低い位置に

    据えられたキャメラの位置も変わらない、移動距離がほとんどない、俯瞰は例外的にしか

    用いられない。こうした技法的な側面を語る言葉に含まれている動詞の否定形は、これまた

    ごく自然に、描かれた世界の単調な表情を指摘する文章へとひきつがれる。小津に

    あっては、愛情の激しい葛藤が描かれない。物語の展開は起伏にとぼしい。舞台が一定の

    家庭に限定されたまま、社会的な拡がりを示さない。このあといくらでも列挙しうるだろう

    こうした否定的な言辞が、ながらく小津的な単調さという神話をかたちづくってきた」。

     ところがこうした「小津的」なる「紋切型」が広く共有されているのは、「誰も小津

    安二郎の作品など見ていないからだ。……小津安二郎の映画のどの一篇をとってみても、

    それは小津的なものに決して似ていない」、そう蓮實は喝破する。

     

    『晩春』から『秋刀魚の味』に至るまで、後期の小津映画に共通する構造として2階という

    空間の特殊性を指摘する。そのフロアは「たえず25歳でとどまりつづける未婚の女」にのみ

    立ち入りを許された、宙に浮いた「特権」空間となる。その「特権」を象徴するものが、決して

    画面に入り込むことのない「不可視の壁」としての階段。ただしこの記号的共通性をもって

    「小津的な」枠へと組み込むことを「小津安二郎の映画」は決して許さない。2階の存在と

    階段の不在を執拗に焼きつけていたはずのフィルムが、『秋刀魚の味』の最後において

    不意に階段のフルショットを映し出す。「宙に浮かぶ空間が、特権的な住人としての25歳の

    娘を排除した結果、物語は終ろうとしている。そして小津的『作品』の内部には、誰も

    いなくなった2階という名の『無』が確実に生産されたのだ。……娘が嫁に行ったから

    2階が空になったのではない。宙に浮んだ空間が女性という通過者を排除したがゆえに、

    『作品』の説話論的持続がその運動の契機を見失ってしまったのだ。……一貫して視界から

    遠ざけられていた階段が、その不在の特権を剥奪され、階段としてフィルムの表層に

    浮上した瞬間、それは凶暴なまでの現存ぶりによって後期の小津的『作品』の基盤を

    そっくりくつがえしてしまう」。

     

     降らないはずの雨が空から落ちてくる。「あからさまに何かに脅えたり驚いたりしてみせる

    人物は、まったくといってよいほど登場することがない」はずなのに、『麦秋』においては

    その禁をたやすく無化してみせる。

     型があればこそ可能となる型破りをもって、小津が「自由」を表現し続けたことを晦渋な

    書き口ともに表現したテキスト。「映画には文法がないのだと思う」と言った男は、皮肉にも

    文法をもって讃えられ、その開かれた侵犯者としての顔に気づかれぬままに通り過ぎる。

    「僕は豆腐屋だから豆腐しか作らない」と言った男は、ただし同じ「豆腐」を作り続けた

    わけではない。客に言わせればいつもの味、ただし店主が織り込んだ密やかな「ずれ」を

    感じ取れる瞬間があるとすれば、それは唯一口に入れている間だけ。語るとはすなわち、

    記憶に対していつもの味を更新する作業に他ならない。

     異化作用の再確認か、はたまたアンリ・ベルクソンの焼き直しか。

     

     今さら、という話ではあるが、ただ勿体ぶっただけのこの文体の醜悪たるや。

    「解放こそ、映画をめぐるあらゆる言説がかかえこむべき義務にほかならない」。

    「小津安二郎の映画が美しいのは、何よりもまず、それが自由な映画であるからだ」。

     みすぼらしいエピゴーネンどもを別にして、いったい誰がこの蓮實的な言い回しで

    「解放」や「自由」を説得されるというのか。

     原著1983年の本書に刻まれたごく初歩的な誤謬すらも修正されないまま今日に

    至ってしまったというのが、まともに読まれてこなかった無二の証左だろう。

     友人宅とはいえ、『秋日和』に堂々と階段の昇降が映っていることには気づかぬふりを

    決め込まねばならないのだろうか。あるいは『東京物語』、老夫婦に割り当てられるのは

    息子、娘の生業から隔離された空間としての2階(もしくはそれ以上)。だからこそ、

    酒の力を借りて杉村春子の美容院の椅子を侵犯する笠のシーンが際立つというのに。

    「グラデュエーション」って尾崎豊か。silhouetteがどうやったら「シュリエット」になるのか。

     

    「誰も小津安二郎の作品を見てなどいない」、蓮實重彦の作品もまたそうあるように。