孤独な散歩者の夢想

  • 2018.12.14 Friday
  • 23:24

 この散策はまず、東京(帝国)大学のお膝元、本郷を訪ねるところからはじまる。

「明治国家の物語(富国強兵、殖産興業……)にほころびが生じてきた

(リアリティが感じられなくなってきた)日露戦争前後から、煩悶青年と言われる

若者たちが登場しました。彼らの実存的不安は、世界の不安と一体化していました。

彼らは苦悩と疎外感を乗り越えるために、やがて他者や世界との透明な関係を志向し、

それを政治的に実現しようと考えるようになります」、そんな物語を確かめるように。

 そうした「煩悶青年」の鬱屈は、例えば井上日召率いる血盟団の革命思想、

日本橋を舞台とした要人暗殺に実を結ぶ。ただし事件は、「煩悶青年」を仰ぐ

テロリズムのほんの序章に過ぎず、永田町の首相官邸における5.152.26へと

進行する。「現状を打破できない政党政治への不信感は頂点を極め、一気に

変革を実現できる救世主を待望する世論が高ま」る中、来るべくして近衛文麿、

大政翼賛会の挙国一致の時を迎える。

 

「歴史は、同じ形で繰り返すことはありません。しかし、歴史には型があります。

私たちは、いまこそ戦前期の歴史の顛末をしっかりと辿り、現在を相対化しつつ、

その先を見据える指針を獲得すべきではないでしょうか。

 そんなとき、私は戦前の日本を歩いてみたいと思いました。空間は時間を

記憶しています。その痕跡はあらゆるところに潜んでいます」。

 

 このテキストは2012年に出版された。それをあえて2018年にめくるという行為が

新たなる感慨をもたらさずにはいない。

 途中、両名は隅田川界隈の下町に足を運ぶ。3.11からわずか2か月後のこと、

当地は慰霊堂に示されるように、関東大震災で苛烈な打撃を受けた場所である。

ただし、「天遣」を被った市井の人々が失ったのは単に生活拠点だけではない、

そのことを夢野久作の引用から彼らは論じる。

「かつて江戸っ子たちには、『顔が利く』という世間や社会があった。しかし震災で

下町から焼けだされ、みんながバラックでの暮らしとなり、コミュニティが崩壊し、

バラバラに生きていくようになってしまった。……つまり、江戸っ子から東京人に

なったと。そして、それによって人々は顔を失ったと」。

 読み進むと、さらに「歴史には型があ」ることを思い知らされる。

「シニシズムは、つねに救世主待望論と背中合わせで、誰か登場して、一気に

何かやってくれという世論が強まってくる。それが5.15事件の背景にあった世論

でしたし、世間の空気だった。ガラガラポン幻想ですね。そして、既得権益としての

財閥・政党政治家への暴力が湧きあがっていた」。

 歴史をひもとくだけで、2012年の著作物が、例えばドナルド・トランプの降臨を

いとも簡単に予言してしまう。今日のフランス情勢とて同じ、社会党にも共和党にも

倦み果てた国民が選んだ大統領エマニュエル・マクロンは、蓋を開けてみれば、

グローバル勢力の送り込んだトロイの木馬に過ぎず、パリの街で火を噴く暴徒は

自らの正義を信じて疑わない。敵を設けることでしか自らのアイデンティティを

明かし得ない排除主義者のパラノイアは、原理上、飽くことを知りようがない。

異論を夷論と退ける、ポスト・トゥルース・メンタリティと「煩悶青年」との間に

いったい何の違いがあるというのか。

 

 到達点を予示する歴史は、皮肉にも、もうひとつの事実を教える。

 歴史は繰り返す、なぜならば、大衆の大衆たる所以、彼らが学ぶ日など決して

来ないのだから、街を歩けば恰好の教材がいくらでも転がっているというのに。

 だからこそ、こうも言い換えられてしまう、歴史は知られないためにこそある、と。

 ファシストの存在に個人の資質に依拠するものなど何ひとつない、すべての説明は

大衆を通じてのみ与えられる。

 愚者の行進は通り過ぎてはじめていつか来た道であることに気づく。

 いかなるときも、歴史は決して一般意志を具現しない。

人生ゲーム

  • 2018.11.27 Tuesday
  • 22:14
評価:
中川 右介
朝日新聞出版
¥ 983
(2018-09-13)

「この本は記憶をもとにこの一年を調べ、新書という器に盛り込んで、『1968年』を

再構築する試みである。……意味付けするのでも、論じるのでもなく、単純に

『面白い読み物』であることを目指す。/ただ根底にあるテーマというか、問題意識を

簡単に述べておくと――一般に語られる『1968年の闘争』は、『プラハの春』も

五月革命もアメリカや日本の学生運動も、ことごとく敗北した。……しかし、一方で

1968年前後はポップカルチャーにとって黎明期であり、現在のサブカルあるいは

ポップカルチャーの礎となるものが次々と登場した。ハイカルチャーがほぼ壊滅して

いる現状を見れば、1968年の学生運動は敗北したが、同時期に勃興したサブカルは

『革命』として成就したと言える」。

 

 こうしたまえがきに連なるかたちで、「この本では一部の先鋭的・前衛的な人々に

もてはやされたものではなく、大衆が支持したヒット作品を主軸にして書く」との

アプローチが示される。

 実はこの何気ない宣言が、「1968年」の「敗北」理由を何よりも雄弁に突きつける。

 つまり端的に経済の問題だ。

「プラハの春」は、東欧の小国では太刀打ちできるはずもないソ連の軍事力の前に

屈従を余儀なくされた。五月革命は労組の取り込みによって民衆の分断を図った

フランス保守の奸智を前に無残に散った。ベトナム反戦運動の末、食えない現実に

直面したアメリカの学生は寝返りを打つ、これをもってネオコンは定義される。

 ポップだってそれと同じ。論壇がもてはやす『ガロ』やアングラとて、そうした言及に

一定の消費ニーズがある、もしくは、あった、という傍証という以上の価値を持たない。

映画界のいわゆる「五社協定」の崩壊とて、独裁者の横暴云々などという話ではなく、

単にそのビジネスモデルの終焉によってもたらされた。

 帯に「日本がいちばん熱かった年」とある。なるほど、そうかもしれない。間もなく

到来するだろうオイル・ショックは否応なく「成長の限界」を日本経済に告げ知らせ、

以後、国債によってひたすら実体を粉飾し続ける、消え際の線香花火としての20年と、

「失われた30年」に突入するのだから。

 もし私たちが今『2018年』というテキストを書くとして、映画をメイン・トピックに

組み入れようとはしない。年間興収たかだか2000億円強の市場規模しか持たない

産業に時代を反映するものなど何もないことを知っているから。スポーツも同じ、

もはや見せ場は競技ではなく、土建屋や広告代理店のカーニバルの他にない。

ほんの20年前、653万もの発行部数を誇った『ジャンプ』は今や200万すら割り、

『マガジン』も100万ラインを下回った。現代の少年誌に語るべきものがあるとすれば、

それは「クールジャパン」(笑)などではなく、消費対象世代の母数減少がもたらす

未来の推移予測資料としてでしかない。

 時代の表象を探るに、例えばSNS、検索サイトのカウントや雑誌のランキングなど

何らの用をも果たし得ない。ただ、動いた金額のみを注視しさえすればいい。

 

 餌を求めて這いずるネズミにいかなる精神性を見出すことができようか。

 時代を論ずるに、ザ・タイガースや江夏豊に触れたところで何になろうか。

「戦争が起これば、最初の犠牲者は真実である」

  • 2018.10.02 Tuesday
  • 22:59

 かつて人々が熱心にラジオに耳を傾けていた時代があった。

「これほど真剣に聞かれた放送は日本の放送史始まって以来なかったことである」。

 なにせ命がけなのだから。「戦争中ラジオがどこの家庭でも絶対になくてはならない

ものにされたのは、一つに警報放送を聴くためであった」。

 815日、玉音放送を伝えたのもラジオだった。遡ること5日、一度目の御聖断を

受けて、いち早く海外向けにポツダム宣言の受諾を発信したのもラジオだった。

「この本は、日本でラジオ放送が始まった1925(大正14)年322日から1945(昭和

20)年815日の敗戦までのおよそ20年間に、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と

相次いで起こった戦争をラジオがどのように伝えたかを検証したものである。……

〈第1章『終戦詔書』が放送されるまで〉では、ポツダム宣言をめぐる日米の短波放送に

よる交信内容のほか、ポツダム宣言受諾の可否について『徹底交戦派』と『和平派』との

間で交わされた攻防を中心に取り上げた。……〈第2章 戦争の犠牲者310万人〉では、

軍国美談のなか、前線の戦闘で、また銃後での空襲と広島・長崎への原爆投下でいかに

多くの犠牲者が出たかを検証した。……〈第3章 政府の監視下で始まった放送〉では、

検閲放送・国策放送の具体例を挙げた。……〈第4章 国策放送からGHQラジオ

コードへ〉では、敗戦直前、阿南陸相が“一億特攻”をマイクで呼びかけたものの、

疲弊した国民は心身ともに力つきつつあったこと、その一方で、『玉音放送』後も徹底

抗戦派の抵抗が国の内外で激しかったことを追った」。

 

「ラジオ放送が始まった年の年度末(1925〈大正14〉年331日)の受信契約数は

5455件だったが、1941年の太平洋戦争開始の時点では6624326件に達した」。

 当時において速報性の高いラジオを必要とさせたのは、何といっても、戦争だった。

「挙って国防 揃ってラジオ」、そんなコピーとともに人々はニュースにかじりついた。

 とはいえ、本書を総じて見たときに、本来ならばメインに据えられて然るべきラジオを

めぐる情報がどうにもマージナルなものと見えてしまって仕方ない。玉音放送をめぐる

件も『日本のいちばん長い日』に微修正を加えたダイジェストとの感は否めないし、

検閲関連の記述にしても先行研究に比べて別段ラジオに特化したものとは映らない。

 だが、それらをもって筆者の怠慢などと糾弾するつもりは毛頭ない。何せ「敗戦直前、

内幸町放送会館の周りは1週間にわたって終日、焼煙が絶えなかったと伝えられ、

ラジオニュースの原稿も大部分が灰になったものとみられている」のだから。

 調べたくても資料がない。後世に伝えられる誇るべきものなど何もないとの自白を、

それと知る能すらなく、みすぼらしくも雄弁に繰り出しているようなもの。

 ラジオへの言及がかなわない、という事態こそが戦争の無残を比類なく伝える。

 資料を焼く国、検証を認めない国に未来などない、暗黙のうちに本書が教える。

霧の旗

  • 2018.10.02 Tuesday
  • 22:55

 タダより高いものはない。

 本書を読めば万人が認めるだろう、はなはだ浅く安い教訓として。

 

「昭和48年(19733月、青山学院大学で後世に残る一大スキャンダルが噴出した。

当事者の多くは亡くなったが、まだ健在の関係者もいる。現在、振り返ってみても依然

謎が多く、登場人物も多彩だ。……このスキャンダルは朝日新聞が社会面トップで報じ、

世間に暴露された。320日の朝刊に五段抜きで『大学教授、教え子に乱暴――

青山学院大 卒業試験の採点エサ』という見出しが顔写真付きで掲げられた。……

若い助手や講師ではない。功績があり、落ち度もない、就職部長を務める63歳の

幹部教授が、『人柄』が変わったように、教え子を研究室に連れ込み、二度も強姦する

ものなのか。……表面どおり受けとれば確かに『悪徳教授』だが、警察取材だけで

書かれたこの記事では『真相』はわからないと私は直感した」。

 

 予めネタバレじみたことを書けば、筆者の執念に屈してキーマンがついに口を割った、

ということでもなければ、例えばその遺族から決定的な手記などが持ち込まれた、という

わけでもない。現代の鑑定技術が思わぬ真実を明るみに出した、などということもない。

 本書のいう「真相」はあくまで筆者による想像の域を出るものではないが、「被害者」を

はじめとした表向きのステークホルダーそれぞれの思惑をめぐる推論としては一定の

説得力を認めることができよう。ただしその上で、むしろこの政治劇をめぐる「真相」は

より分からなくなってしまった、ということを読後の雑感として抱かざるを得ない。

 再審請求を打診されて、資料を読み込んだ弁護士は断言した。

「これは冤罪と言うより、そもそも無罪だね。無罪しかあり得ない。事件として起訴すること

自体に無理がある」。

 レイプ当事者であるはずのふたりが行為の直後にレストランで親しげに食事を取る。

そして次なるミーティングの約束を交わしまたもや凶行、ただし直後に腕を組み仲睦まじく

大学を去る姿が目撃され、さらにその翌日に被害者から加害者へとバレンタインチョコが

メッセージつぎで贈られる。ところが法廷では一転、本人を前に「ケダモノ」と絶叫する。

 証言の整合性も取れなければ、医療的所見もちぐはぐ、証拠物件といえるようなものも

提出されていない。はじめから立件自体が無謀もいいところだった。

 にもかかわらず、実刑つきの判決が下り、最高裁はにべもなく上告を棄却した。

 どう見ても、「上から何か圧力がかかっている」ということ以外の説明はあり得なかった。

 

 本書はついぞその闇を解き放つことはなく、他方、その闇の深さを強烈に刻む。

「情実」は入試のみならず、教授の人選にも及び、昨日までの反対派の急先鋒が一転、

旗振り役に回る。伏魔殿を舞台とした、寝返りあり、忖度ありの政治劇が次から次へと

浮上する。事件の鍵を握るひとりは、後に最上恒産で一世を風靡する早坂太吉、

当時は資金繰りに四苦八苦する零細地上げでしかなかった男が事件から数年を経て

青学と隣接する地に社屋を築く。はて偶然か?

 アメリカ仕込みの63歳の老紳士が男に化けた、そんな磁場にあって、転向という点に

鑑みて、一際目を引く人物がいる。団藤重光という。この日本刑法界の巨魁はかつて

自身の著作においてこう記していた。

「犯罪事実および処罰条件たる事実の存在については、検察官が実質的挙証責任を負う。

すなわち、かような事実の存在が積極的に証明されないかぎり、その事実がないものとして

取り扱われ、無罪が言い渡されることになるのである」。

 その団藤が春木の上告に対しては黙殺を決め込んだ。

「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」。

他山の石

  • 2018.05.20 Sunday
  • 23:47

「考古学は、学歴のない在野の研究者でも参加できる唯一といって良い学問」。

 このことばを体現する人物がいた。名を相澤忠洋という。「戦前の青年学校

(現在の中学校相当)を出ただけの一行商人だった相澤は、仕事を続けながらも

考古学に没頭。1949年(昭和24)、23歳にして、日本に旧石器時代があったことを

発見した『岩宿の発見』を成した考古学上、伝説的人物である」。

 そしてその後見人を担ったのが芹沢長介だった。彼は「相澤のように学歴のない

アマチュアを積極的に登用して称賛し、『芹沢考古学』ともいえる数々の革新的な

発掘調査を手掛けたため、ついには『旧石器の神様』と呼ばれるに至る」。

 世紀末、その名声が地に堕ちる。「神の手」によるスキャンダルの発覚をもって

芹沢は一転、「捏造事件の黒幕」として世間や学界の糾弾を浴びる羽目に遭う。

「私は当初、相澤忠洋の追う中で芹沢長介という考古学者を知り、……アマチュア

考古学者研究者を登用し、尊重しつづけた芹沢の学者としての魅力に、強く

惹きつけられた。そんな学者が、学問の世界にいたのかと。私にとって芹沢は、

まさに理想の学者像であった。

 しかし前期旧石器の前衛を走り続け、『旧石器の神様』と呼ばれた芹沢ほどの

学者がなぜ、20年間にわたって道化を演じてきた藤村を権威づけ、そして騙され

つづけたのか。専門家なら一目でわかる藤村の偽石器をなぜ見抜けなかったのか。

その答えの一つは、芹沢と長く交流のあった藤村新一に訊ねるほかはない」。

 

 例えばネアンデルタール人の発見は、石灰岩の採掘中に出土した化石が高校教師の

もとへと持ち込まれたところからはじまった。アルタミラの洞窟壁画とて、考古学を

嗜む弁護士によって見出された。

 性格からしてそもそも「開かれた存在」である考古学界がやがて「石の虚塔」へと

変質していく、そんな様子を関係者証言をたどりつつ明らかにしていく。数万年前の

名もなきヒトの痕跡を掘り起こす仕事を汚したのは皮肉にも名を持つことの愚かしさ。

その説がいかなる論拠に従って何を述べているのか、を吟味する批判精神を失えば、

真偽を決するのは発言者のネームヴァリュー次第という政治力学だけがそこに残る。

権威の寵愛を受けた「神の手」の奇跡に一度立ち会った者はそれ以後、妄信的に

研究史のパラダイム・シフトを追認する他なく、その「詐欺」が暴露されれば一転、

「関わった遺跡全てが捏造」と掌を返す。過去の「発見」についての検証能力を

持たなかった学界にまさか「捏造」の検証能力があるはずもなかった。

 極論に踊る多数派を尻目に、追及の急先鋒は意外な証言を残している。

「藤村の石器には、実は本物も混じっているんだ」。

 

 あまりにしばしば「研究者というのは、自分の仮定や研究にあった結果が出ると、

疑問なく受け入れてしまう」。信じたいものを信じる、見たくないものは見ない、

この心性を「石の虚塔」固有のものとすることは到底できない。

 本書は単に「道化師」をめぐるレポートではない。男の出現を必然たらしめた

土壌をはるか遡って発掘してみせる、そこにこそ一読すべき意義がある。

 騙すヤツはもちろん悪い、ただしこと学問の世界においては騙されるヤツも悪い。

有力者の確執などという政治性に翻弄されて「目が曇」った輩に対して注ぐべき

同情の余地などひとつとして存在しない。

 裸の王様に裸だと告げる、そのために理性はある。

 誰がやったのか、ではなく、何をやったのか、どうやったのか。固有名詞や属性を

ひとまず剥ぎ取り、冷静に所与の状況を観察してみる、そんなことの重要さを知る。