フランケンシュタインの誘惑

  • 2017.11.30 Thursday
  • 22:20
評価:
横山 泰子
青弓社
¥ 2,160
(2012-04-01)

「本書では、『妖怪手品』を『幽霊出現などの怪異現象を、種や仕掛けによって人為的に

作り出す娯楽』の意味で使おうと思う。……江戸期の伝授本、とりわけ天狗やろくろ首などの

おばけを出すという遊びにびっくりしたのが、そもそものはじまりだった。当時の私は、

歌舞伎の怪談物を研究するため、昔の資料を眺める日々を送っていた。江戸時代の

歌舞伎役者たちが怖い幽霊や化け猫を演じていたのが面白くて、彼らが使ったであろう

仕掛けについて調べていたのである。だが、手品それ自体に注目したことはなかった。

そんな折、……共同研究会に誘っていただき、右のような次第で、『おばけを出す手品』に

ついて考えてみようかと思い付いたのである」。

 

 誰が言ったか、先端の科学技術とマジックは果てしなく似ている。

「妖怪手品」といえばいかがわしい響きを持つが、フィクションの全き虚構を別にすれば、

そこには常に種も仕掛けも横たわる。当時の科学像をあぶり出すための代償として、

盛大なるネタばらしの様相を呈してしまうのは止むを得ない。

 例えば18世紀の指南書『放下筌』に「庭前に化粧者を集め五色の雲を発さしむる術」

なる芸が紹介される。「庭にあらかじめ鬼や狐、天狗などをこしらえておき、雨戸に装着した

『五色めがね』から覗かせる。すると、作り物ははるか上の彼方に見え、その四方は五色で

はなはだ奇怪だという」。もちろんトリックの鍵を握るのはこの「五色めがね」、筆者である

平瀬輔世の説明によれば、「硝子なりとも水晶なりとも三角にすれバ一切五色に見ゆるなり。

其理の根元ハ天の虹を考てつくりたる物也。日の出に中天にあめあれば西に虹となり

日の入に中天に雨あれば東に虹見ゆる。中天に日あり東西に雨ありて虹出来ることなし。

これ即水気斜めに光りをとをす故に、五色の虹となる この理を以て五色眼鏡を作れり」。

 どう読んでも、光のプリズムの話をしている。

 そもそも、本邦における手品本の端緒、『神仙戯術』からして、「生活実用情報のなかに

手品の種明かしを含めたもの」だった。

 歌舞伎や落語といった当時の大衆芸能も、しばしば「妖怪手品」を組み入れることで

人気を博した。今日のエンタメがCGやらで観客の感嘆を誘うのと異なる点は特にない。

 

「妖怪手品」なる響きにオカルトの匂いを嗅ぎ取ってはみたが、中身はなかなかどうして

見事に江戸・明治期の知の姿を映し出す。鎖国期に独自の方向性で磨き上げた奇術は

外国人を驚かせ、そして反対に、舶来の手法も日本人の度肝を抜いた。

 娯楽と密着した科学史の1ページと称して、何ら恥じるところのないテキスト。

無罪の推定

  • 2017.11.25 Saturday
  • 22:26

「時代を象徴するような大きな事件は、一見すると、それぞれがあたかも特別な犯罪者に

よって引き起こされた突拍子もない犯行のように思える。だが、その実、事件は長く暗い

歴史を引きずっているケースが少なくない。というより、たいていそれぞれの事件は過去を

引きずり、何らかの因果関係があるといっていい。(中略)かい人21面相によるグリコ・

森永への恐喝やフィリピンの三井物産支店長誘拐、住友銀行名古屋支店長の暗殺や

オウムの大量殺人、少年Aの神戸連続児童殺傷や和歌山毒物カレー……。(中略)

本書で紹介する10の事件は、いわば日本社会に潜んできた悪玉が引き起こしてきた

裏面史である。そして暗黒事件は今もなお、姿を変えてときおり闇のなかから顔を出す」。

 

 どれかひとつの事件についてでも、衝撃の新事実を明るみに出す、というのならば、

それだけで一冊のテキストが成立してしまうわけで、本書がしていることというのは概ね

既知の情報をダイジェスト形式で伝えるに過ぎない。

 章の結びの文句で、時に現代との連続性を匂わせてみたりはするものの、別にそれを

説得的にひもづけるような論証があるでもない。

 

 そして本書において一際目につくのは、法制度についての無知である。

 それが典型的なのが、和歌山のヒ素カレー事件。状況証拠に過ぎない、毒物の鑑定に

瑕疵がある、と訴える弁護側は、検察の挙証に穴があること、裁判所の証拠認定に法的な

根拠が欠けていることを指摘しているに過ぎない。そのことが筆者には十把一絡げに

冤罪の主張と見えてしまうらしい。疑わしきは被告人の利益、という刑事訴訟の基本すら

どうやら理解していないようだ。事件時に受刑者が夫とは別の男性の子を身ごもっていた

こととて、別に犯罪を問われる事案ではないプライヴァシーの領域の話なわけで、世に

公開される妥当性が、ましてや「金銭と快楽を追い求め、悪行を繰り返してきた」などと

糾弾を受けるべき理由がどこにあるというのか、少なくとも私には理解できない。

 ロッキード事件にしても、司法取引の違法性や証拠能力の問題はそもそも筆者には

存在していないものと見える。

 

 こういう輩が事件報道に携わるというのは、ただ愚かしいと嘆く他ない。

ホモ・ファーベル

  • 2017.11.10 Friday
  • 23:18

「本書では、1880年代前後のイギリスにおける状況を詳細に検討していく。自転車の歴史を

紐解くにあたって、この時代を主たる対象とする第一の理由は、趣味的楽しみとして自転車に

乗るという行為が、この時期に数十万人という多くの人々が楽しむ娯楽もしくはスポーツへと

成長していき、後の時代のさらなる自転車の普及を基礎づけたということを、明確に示すと

いうところにある。自転車が現代のような形になる以前の、前輪が大きな自転車の時代に、

すでにレースや自転車旅行が盛んに行なわれ、多くの自転車旅行記やロードブックなどの

自転車関連出版物が存在していたという事実を提示していく。そして、それらの事実を

全体として把握することによって、本書のもう一つの目的へと近づくことが可能となる。それは、

1880年代のイギリスにおいて、なぜ自転車が現代のような形へと変化していったのかという

疑問に対する回答である。この問いに単純明快な回答を示すことは、正しい歴史的知識に

基づく行為とは言いがたい。前輪の大きなオーディナリ型自転車が、隆盛をきわめた後に、

速やかに消え去っていった様子を詳細に把握することによって、はじめて、ローバー型安全

自転車の出現と普及を、歴史的な必然として理解することが可能となるであろう」。

 

 便利になるとはつまり、人間関係の省略に他ならない、そんなことをつくづく思う。

 前輪が大きなオーディナリ型を乗りこなすのは相応の困難を強いられる。然らば、「練習に

他の人の手を借りたり、アドバイスを受けたり、どこかから練習用の古い低い自転車を借りて

きたりといった、自転車に乗る人同士の結びつきが重要な要素として立ち現れてくる。定期

刊行の雑誌もまだなく、書籍も数えるほどしか出ていなかった状況では、乗り手同士直接の

情報交換はより重要であったであろうし、現代のスポーツ自転車においても見られるような、

自転車販売店を基点として人と人との繋がりも形成されていったことであろう」。

 もちろん、実利を離れた交流を自転車に求める動きとて、当時にもあった。とはいえ、

チームスポーツでない以上、そもそも集うべき必然が薄い。「社交の道具として考えた場合、

オーディナリ型の自転車は、他の娯楽物と比較すると、道具にお金がかかり、活動時期が

制限され、怪我などの危険を伴い、女性が参加できないなど、いくつもの欠点をもつ娯楽で

あった」。そうして衰退期に入ったかに見えたミーティングが、セーフティ型自転車の普及に

よって新たな側面を見せる。パレードとして、他の見物客の視線を求めて集結する。やがて

「珍しさを失っていくとともに、そうした行進は、人々を惹きつける力を失っていったが、

19世紀においては自転車に乗るだけで参加できる、きらびやかな行進であり続けた」。

 人間が道具を作り、道具が人間を作る。そんな相互作用のサイクルを自転車に見る。

 

 この時期に起きた技術革新は単にオーディナリ型からセーフティ型への移行に留まらない。

それまでは一直線だったハンドルに曲がりがついたのも1880年代。コイルスプリングが

サドルに採用されるのもちょうどこの頃。車輪が小さくなったことで、踏み幅もコンパクトな

ものへと変わる。空気入りのゴムタイヤの実用化も90年代に一気に進む。

 そんな変遷が豊富な図を通じて一目瞭然可視化される。

 そして同時に、技術が人間にもたらす可塑性にも気づかされる。

 主題を19世紀後半のイギリスに絞っている以上仕方のないことなのだが、そしてNgram viewerを

参照する限り、それ以前においては文献すらもほとんどないだろうことは容易に想像できるのだが、

難点と言えば、それ以前の背景が見えないために技術史としての片手落ち感が否めないことだろうか。

 徒歩や馬車から自転車へ、そうした手段の変化が紀行文学やガイドブックに与えた影響のあたりも、

少し簡潔に過ぎやしないだろうか。

 面白い、ただし物足りない、そんな贅沢な印象は拭えない。

沈黙

  • 2017.10.31 Tuesday
  • 22:15

「家族の過去がこれほど恐るべきものであるとき、それとどうやって折り合いをつけて

生きられるだろう。ナチ高官の子どもたちがとった立場は、ときに正反対のものとなった。

親の立場に同調する者もいたが、中立の立場でいられた者はほとんどいない。ある者は

父の行動をきっぱりと拒絶するにいたっても、父への愛をもちつづけた。ある者は『怪物』を

愛することができず、絶対的な親への愛を守るために、親がもつ暗黒の面を否定した。

さらにある者は憎しみを抱くようになり、父を拒絶した。親の過去は足につながれた鉄の

玉のように子に伝えられ、子はそれをつけて日々をすごさなければならず、無視することは

できないのである。まったく否定しない者もいれば、宗教の道に進む者、さらには、あとの

世代に『病気を伝えない』よう不妊手術を受ける者、罪をあがなうためとして……自慰行為に

走る者もいる。罪を否認するにせよ抑圧するにせよ、賛同するにせよ罪責感を抱くにせよ、

すべての者が意識するしないにかかわらず、自らの過去と向き合うために自らの道を

選ばなければならなかった」。

 

 その人は娘を「お人形さんPüppi」と呼んだ。そんな「ピュッピ」は、終戦を迎え過去を

知らされてなお、父性愛に包まれた自身の記憶に忠実に服し、「適当な距離をとることもなく、

無条件で、あの愛情深い父親を崇拝」した。姓を告げれば「たちまち制裁を受けた。解雇され、

住まいから追い出された。けれども父の名を守りたかった。同僚や働いている店の客たちは、

いずれも彼女と付き合うのを避け」た。そんな仕打ちが「ピュッピ」を頑なにしたのでは、

そう筆者は推察する。やがて彼女は極右、ネオナチの積極的支持者となった。「彼女にとって、

父の記憶に敬意を表することは、ナチのイデオロギーに賛同しそれに関与することとセットに

なっていたようである」。

 

「『ハイル、ヒトラー』と敬礼したら、激しい平手打ちをくらったこともあった。直接総統に

呼びかけるときは、『ハイル・マイン・フューラー(わが総統)』と言わなければならないのだった。

父の厳しさは子どもの心に深い傷を残した」。

「マイン・フューラー」への限りなき忠誠の証として、息子はアドルフを名前の一部に付された。

国家社会主義信仰を失った彼において、その空洞はカトリックをもって埋め合わされた、

いみじくも「国家社会主義とキリスト教」は「イデオロギーの面で競合関係にあ」った。

後年、彼は口を開いた。「私は沈黙してなければならなかった。父の息子として発見され、

追及されるのではないか、ナチ体制が犯したすべての罪を糾弾されるのではないかという

恐れ――根拠のあるものであれ、ないものであれ――から、黙っていなければならなかった。

ナチの罪は、私がその間に知ったものだ。過去について、過去に彼らが自らの責任で行った

ことについて、親と話す機会はもうないのだ」。

 

 本書は独自取材の産物ではなく、ほぼ先行文献のコラージュで成立する。幸か不幸か、

親ほどに歴史の究明が進んでいないために、彼ら自身への記述は実のところ薄い。

 とはいえ、その生きざまは、「『知る』ことと、『受け入れる』ことは別」というドイツ国民における

戦争責任論の十字架を一身に引き受けたものとも見える。戦後大衆は鍵十字旗に責任を

なすりつけ、ひとまずは沈黙を選んだ。ところが、「ナチの子どもたち」は否応なしに向き合う

ことを強いられた。「感情的に近ければ近いほど、判断を下すのに必要な距離をとることが

難しくなる。……父が怪物だったのを知っていた、でも父を愛していた、と言うのは難しい。

このように認められるようになるまでの道は険しく、障害に満ちている」。

 別に、これはホロコーストという極限状況に限ったジレンマではない。

 典型的には性衝動や万引きといった事例が示すように、人格的にごく「普通」であることと

犯罪性向は、実のところ、大概の場合において矛盾を来すものではない。

 大衆は、自らの「普通」を免罪符に、ナチの幹部を「怪物」とすることで逃げおおせた。

 

 ところで、アウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人作家、プリーモ・レーヴィは指摘する。

「怪物は存在する。だが、本当に危険な者はごくわずかしかいない。もっと危険なのは

普通の人間である」。

 過去の悲惨にもし一点の慰めがあり得るとするならば、「普通」であることの危うさ、

自らに内在する「怪物」の可能性を教訓として学び、繰り返しを避けることにのみある。

トムとジェリー

  • 2017.10.25 Wednesday
  • 22:30

「本書は『検閲帝国ハプスブルク』と題している。承知のようにハプスブルク王朝は

15世紀頃から、現在のドイツ、オーストリアとチェコをはじめとする東欧諸国を版図と

する神聖ローマ帝国の皇帝位を独占してきた。

 ところで15世紀とは世俗権力と宗教権威を問わず検閲の必要性が飛躍的に

高まった世紀である。すなわち当時としては超弩級の伝播力を持つメディアが

出現したのだ。活版印刷の発明である。

 この広大極まる情報フィールドの出現に対してハプスブルク王朝は皇帝政府として

さまざまな検閲政策を打ち出してきた。しかしそれらの政策でハプスブルク王朝は何を

守ろうとしてきたのか? そして何を恐れてきたのか?

 本書は主としてドイツ、オーストリアを舞台としたハプスブルク王朝の検閲政策を

『個々の著名な事実の羅列』としてではなく、歴史的、社会的コンテキストのなかで

読み解くことで、ドイツ、オーストリアの文化史の一面を探るものである」。

 

 権威のカトリック、権力のハプスブルク。

 そんな幸福な棲み分けのもはや能わぬ時代の悲喜劇とてもちろん興味深くはある。

 とはいえ、本書を面白くするのはやはり検閲それ自体が引き起こす諸々。

「検閲官は間抜けに見えたとしても検閲システムそのものは創造的なのだ。少なくとも

検閲する側とそれを拒否しようとするもののあいだに創造的議論の場を提供する」。

 出版社は皇帝政府から事前検閲を通して印刷特権を申請すべく、「最終的には5部の

見本を帝国宮内法院に提出する義務を負った。新聞・雑誌の場合は発刊が迅速なので、

発行者は発行と同時に18部を郵送で帝国宮内法院に送付することが義務付けられた」。

この納本制度が皮肉にも、皇帝政府の図書館の充実を促すこととなる。

 そればかりではない、検閲、出版統制の証としてのこの印刷特権、思わぬ副作用を持つ。

海賊版を撲滅し、特権保有者の権利が結果的には保護される。著作権のはじまりである、

たとえ守られるのが著者ではなく出版社だけだったとしても。

 検閲制度はカトリックとプロテスタントの血で血を洗う抗争を反映せずにはいない。

三十年戦争の後、国家の再カトリック化を目指したハプスブルクにおいて、プロテスタントの

教義流入を阻む国策として検閲を活用する。業務委託を受けその使命に躍起になった

イエズス会は、見事ミッションを遂行してみせた。「しかしオーストリアはそのために他の

ドイツ諸邦が享受していた文化の進歩から取り残されてしまった。……『ハプスブルク家は

権力を強化すると信じた政策で実は体系的に自らの力を殺いでいたのである』」。

 他方17世紀のフランス、カルヴァニスムへの弾圧を逃れるべくユグノーはスイスに向かう。

「ユグノーはフランスの時計産業を担っていた。そんなユグノーの亡命はスイスに時計という

地場産業をもたらし、雇用機会を生み、当時のスイスの出稼ぎ傭兵経済依存体質からの

脱却の第一歩となった」。

 流通を防ぐと言っても具体的に何を止めるべきなのか、かくして禁書目録が作成される。

ここにまさしく検閲の「創造的」たる所以が見える。「考えてみればこれほど危険な印刷物は

無い。どんな書籍が禁書になっているか、たちどころにわかるのだ。そして人はある書物が

発禁になればそれをむきになって読みたがるものだ。そのとき、この禁書目録ほど

タイムリーな情報が満載されているガイド本はどこを探しても無い。禁書目録はたちまち

ベストセラーになった。そこで委員会は1777年、書籍収集家や書籍商が争ってむさぼり

読むこの禁書目録そのものを、禁書リストに入れることにしたのである」。

 

 歴史は繰り返す。

 焚書に熱狂するナチスによって国を追われたヤノシュは、新天地で研究を継続する。

 かくしてノイマン式コンピュータの扉は開いた。

 

 人の口に戸は立てられない。

 声出すことは超え出すこと、検閲は表現の自己言及を煽らずにはいない。

 もし仮に立てられたとしよう。そんな抑圧は国の活力を奪い去るだけ。情報化社会の

現代にあっては、なおいっそう真実味を増す。過去の教訓がもたらす最大の収穫は効率化、

ルール・メイキングのいたちごっこに費やすエネルギーなどもはや無駄というに過ぎない。

そのことはwinnyが見事に物語る。

 千年紀の象徴、J.グーテンベルクの末裔として、ハプスブルクのコント劇は未来に

通ずるものを持つ。

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