他山の石

  • 2018.05.20 Sunday
  • 23:47

「考古学は、学歴のない在野の研究者でも参加できる唯一といって良い学問」。

 このことばを体現する人物がいた。名を相澤忠洋という。「戦前の青年学校

(現在の中学校相当)を出ただけの一行商人だった相澤は、仕事を続けながらも

考古学に没頭。1949年(昭和24)、23歳にして、日本に旧石器時代があったことを

発見した『岩宿の発見』を成した考古学上、伝説的人物である」。

 そしてその後見人を担ったのが芹沢長介だった。彼は「相澤のように学歴のない

アマチュアを積極的に登用して称賛し、『芹沢考古学』ともいえる数々の革新的な

発掘調査を手掛けたため、ついには『旧石器の神様』と呼ばれるに至る」。

 世紀末、その名声が地に堕ちる。「神の手」によるスキャンダルの発覚をもって

芹沢は一転、「捏造事件の黒幕」として世間や学界の糾弾を浴びる羽目に遭う。

「私は当初、相澤忠洋の追う中で芹沢長介という考古学者を知り、……アマチュア

考古学者研究者を登用し、尊重しつづけた芹沢の学者としての魅力に、強く

惹きつけられた。そんな学者が、学問の世界にいたのかと。私にとって芹沢は、

まさに理想の学者像であった。

 しかし前期旧石器の前衛を走り続け、『旧石器の神様』と呼ばれた芹沢ほどの

学者がなぜ、20年間にわたって道化を演じてきた藤村を権威づけ、そして騙され

つづけたのか。専門家なら一目でわかる藤村の偽石器をなぜ見抜けなかったのか。

その答えの一つは、芹沢と長く交流のあった藤村新一に訊ねるほかはない」。

 

 例えばネアンデルタール人の発見は、石灰岩の採掘中に出土した化石が高校教師の

もとへと持ち込まれたところからはじまった。アルタミラの洞窟壁画とて、考古学を

嗜む弁護士によって見出された。

 性格からしてそもそも「開かれた存在」である考古学界がやがて「石の虚塔」へと

変質していく、そんな様子を関係者証言をたどりつつ明らかにしていく。数万年前の

名もなきヒトの痕跡を掘り起こす仕事を汚したのは皮肉にも名を持つことの愚かしさ。

その説がいかなる論拠に従って何を述べているのか、を吟味する批判精神を失えば、

真偽を決するのは発言者のネームヴァリュー次第という政治力学だけがそこに残る。

権威の寵愛を受けた「神の手」の奇跡に一度立ち会った者はそれ以後、妄信的に

研究史のパラダイム・シフトを追認する他なく、その「詐欺」が暴露されれば一転、

「関わった遺跡全てが捏造」と掌を返す。過去の「発見」についての検証能力を

持たなかった学界にまさか「捏造」の検証能力があるはずもなかった。

 極論に踊る多数派を尻目に、追及の急先鋒は意外な証言を残している。

「藤村の石器には、実は本物も混じっているんだ」。

 

 あまりにしばしば「研究者というのは、自分の仮定や研究にあった結果が出ると、

疑問なく受け入れてしまう」。信じたいものを信じる、見たくないものは見ない、

この心性を「石の虚塔」固有のものとすることは到底できない。

 本書は単に「道化師」をめぐるレポートではない。男の出現を必然たらしめた

土壌をはるか遡って発掘してみせる、そこにこそ一読すべき意義がある。

 騙すヤツはもちろん悪い、ただしこと学問の世界においては騙されるヤツも悪い。

有力者の確執などという政治性に翻弄されて「目が曇」った輩に対して注ぐべき

同情の余地などひとつとして存在しない。

 裸の王様に裸だと告げる、そのために理性はある。

 誰がやったのか、ではなく、何をやったのか、どうやったのか。固有名詞や属性を

ひとまず剥ぎ取り、冷静に所与の状況を観察してみる、そんなことの重要さを知る。

魂の労働

  • 2018.05.04 Friday
  • 22:32

「本書は、戦後の葬祭事業者が葬儀商品を開発・販売するうえで、なぜこんなにも

批判されたのか、そうした批判に対して、どう事業者側は自らの事業を正当化して

きたのかを明らかにするものである。……その際、主に葬祭事業者側の資料に

依拠しながら事業内容を分析していくが、本論をやや先取りしていえば、葬儀を

商品化し、事業者がサービス業化していくなかで、死者や遺族が自らを消費者で

あると自覚しにくかったことが、葬祭業批判が長く続いた要因の一つだったと考えて

いる。つまり、葬祭事業者側は伝統や慣習という葬儀の意味と葬儀の消費――

儀礼における葬儀商品を購入するというよりも遺族や死者の好み・意向によって

購入する――を同一平面上に認識していたこと、またそれと同時に遺族自身もすでに

消費者となっていたにもかかわらず、消費者として自覚しにくく、社会的にも遺族を

消費者(顧客)、生活者、グリーフケアの対象者、(宗教の)信仰者など、複数の立場と

して認識せざるをえなかったことがその要因になったと考えられる。消費者としての

自覚がないということは、死の発生前後で葬儀商品を比較せずに購入するという行為と

しても読み取れ、また悲しみにくれているなかで商品比較どころか葬儀をおこなうこと

そのものへの不満にもなるため、葬祭事業者の不当な利益確保にしか映らないのである」。

 

 かつて彼らは「見る」主体だった。曰く、「戦後の葬儀は、家(=自宅)でおこなわれる

ことが大半であり、祭壇を運び日常の生活空間を儀式空間に変える作業が必要だった。

……しかし、この装飾幕の張り方は、誰かに教えてもらうような類いではなく、遠くで

先輩の仕事を盗み見ながら覚えることだとされていた」。

 しかし葬儀会場使用が専ら定着していく中で、そうした「職人」的な仕事は必要を失い、

代わって彼らは「見られる身体」となった。マニュアルが述べるに、「ダラダラした様は

お客様に不快感を与える」、「お客様の話を聞く」際には「目を見て、話に頷き『熱心に

聞いていますよ』という態度や表情で示す必要がある」、「身だしなみで最も大切なのは

清潔感である」、それはちょうどレストランの従業員と同じように。

 

 効率的に仕事する「職人」から「お客様」第一の「ホスピタリティ産業」への移行、

その現象だけを観察すれば、他のサービス産業と別段変わったところはない。他方で、

葬儀会場の空間設計論など、業界ものの系統として光るものは随所に見られる。

 その上で、本書を通じて疑問に思えてならないのは、テーマとしてあったはずの、

「批判」そのものへのアプローチにある。部落差別の側面もかつてはより強かったに

違いない。遺族感情という名の八つ当たりにさらされるのも、パッケージのうちなのかも

しれない。社会問題化した互助会への糾弾も含まれるだろう。新国立葬儀場を思わせる

丼勘定の不明朗な相場への疑念も拭え去れない。そして今ならば、ラグジュアリーを謳う

みすぼらしさと同質の、「ホスピタリティ」なる嫌がらせをもって付加価値を請求する

恥知らずへの死刑宣告も伴っているのではなかろうか。相撲協会よろしく、何らの論拠も

示せない伝統とやらに則って換金を正当化するいかがわしさも端々に匂う。

 業界モデルが時代に伴って転換していくさまを追跡しているはずのテキストなのに、

なぜか本書において「批判」は概ね「批判」としてひとまとめにされて、その変質が俎上に

のぼる記述はほぼ見られない。

 そして個人的なフラストレーションの頂点は、「遺体への尊厳、遺族への配慮と心理的

ケア」等を「商品的ではない死」と位置づけて、議論をまとめにかかる点にある。むしろ

本書の論旨を追えば、かつての社会が見落としていたそれらの「商品」を「商品」として

位置づけ直すことで、収益を図るビジネスモデルの話をしていたのではなかろうか。

 言い換えよう、「商品化された死」と「商品的ではない死」は引き裂かれてなどいない。

 

 自由主義経済とはすなわち、すべてを「商品」化する自由をいう。死でさえも「商品」の

呪縛から人を解放しない。「商品的ではない」自由を人は決して享受できない。

 今日、大叔父の葬儀があった。祖父と同じ斎場で、祖父と同じ業者で、そんな意思を

伝えていたという。臨席する筋合いもないが、そんな日にふと思う。

Separate but equal

  • 2018.05.04 Friday
  • 22:22

 国家の総力を動員しての戦争に、あえて利点を探すとすれば、それは階級を

多少なりとも平準化する作用にある。

 

19435月、人種隔離されたラングレーの西側の棟で、5人の黒人女性が働き

はじめた。本書でおもに語られるのは、のちに『ウエスト・コンピューターズ』として

知られることになる、この女性たちの物語だ。独自の豊かな生態系をもつ孤島が、

そのじつ地球全体の生態系とつながっているように、一見特異な、あるいは、

見落とされていた過去の人々や出来事を深く知ることで、現代社会との思いがけない

つながりや有意義な洞察が見えてくる。人種隔離の時代に、南部にあるNASA

施設で、黒人女性が数学者として雇用されていたという事実は、私たちが知っている

つもりであるアメリカの歴史に異議を突きつける。ともあれ、これはすばらしい物語だ。

それだけで、語る価値はじゅうぶんある」。

 

1940年、大学の学位をもっていたのは、黒人女性全体のわずか2パーセントに

すぎなかった。そのうちの60パーセントが、公立小学校や高校の教師になった。

技師になった者の割合は、ずばり0パーセント」。

 そんな時代に、黒人が、ましてや女性が国家機関で航空工学の研究に携わるなど、

「憧れようもなかった」。けれども戦争はそのチャンスを提供した。貴重な人材をただ

肌の色と性差だけを理由に跳ねのけている暇などなかった。

 とはいえ、彼女たちが「分離すれど平等」原則から瞬時に解放されたわけではない。

カフェテリアのテーブルには「有色人種の計算手」向けの標識が設けられていた。

トイレも別だった。通勤のバスには乗ることすらできなかった。

 総力戦体制は大戦終結後においても宇宙開発に舞台を移して続いた。教育資源の

分配による人材供給が叫ばれた。「ソ連の工業学校は女性だらけ」と新聞は煽った。

それでもなお事実上、「分離すれど平等」は維持された。「プリンス・エドワード郡の

学校は、1959年から1964年まで、5年間の長きにわたって閉鎖された。この影響を受けた

子どもたちの多くは……受けられずに終わった数学年分の教育をけっして取り戻す

ことができなかった。〔ラングレーの所在する〕バージニア州は、世界有数の科学的才能が

結集する州でありながら、国家の先頭に立って若者の教育を否定したのだ」。

 

「単なる個人の歴史としてはなく、誰もが知る物語の一部として語」る。

 筆者が掲げたこの目的は、かなりの部分で達成されてはいる、そしてそこに本書の

弱点がある。黒人として、女性として、マイノリティにおける同時代性の強調がうまく

いき過ぎているがために、逆説的に「個人の歴史」が史実の文脈に埋没してしまった

感がどうにも否めないのだ。平たく言えば、キャラが立っていない。

 結果として、「誰もが知る物語」の枠に留まらざるを得ない。

豊饒の海

  • 2018.04.24 Tuesday
  • 23:01
評価:
志賀 健二郎
筑摩書房
¥ 2,700
(2018-03-16)

 博覧会の展示物に値札をつけることで、世界最古の百貨店ボン・マルシェは生まれた。

 と、展覧会と百貨店をめぐる私の知識はそこから一気に、堤清二率いるパルコ・セゾン

文化まで飛躍する。その間のことなんて、考えたことすらなかった。

 

「百貨店の展覧会実績をつぶさに見ていけば、歴史、文学、芸能、科学、学術ほか様々な

文化・芸術の分野が取り上げられていて、さらに時事的な話題や社会的な問題をテーマと

したもの、子どもたちを対象とした教育や娯楽的なもの、人々が趣味や教養として研鑽を

積んだ成果の発表、企業や行政によるプロモーションが“○○展”の名で開催されていた。

(中略)本書は、東京都心の百貨店が、展覧会という事業によって戦後昭和の都市生活者に

どのような文化や娯楽を提供してきたかを紹介するとともに、百貨店がなぜそうした事業に

力を入れて取り組んだのか、またどのような影響を社会に及ぼしてきたのかを考察し、

あわせて昭和の世相の一端を垣間みようというものである」。

 

 朝鮮特需ととも百貨店が上向きに転じた50年代、一際好評を博した企画があった。

主要寺院の国宝、重要文化財の展覧会だ。文化財保護法の制定で、保存とともに「活用・

公開」へと舵を切った国家の下、集客が見込める百貨店と経済的に困窮する所有者の

利害が見事に噛み合った結果だった。

「日本が貿易・為替の自由化に踏み切ったのは、東京オリンピックの年であった」。

かくして展覧会も画期を迎える。各店がこぞって英国を中心に海外フェアを実施した。

とはいえ、それ以前にも抜け穴がなかったわけではない。「わが国百貨店が欧州諸国の

百貨店と提携して、双方のデザイン研究に資する商品を等額に交換し、これを当事者の

店舗に展示した後販売すること」は通産省のお墨付きだった。

 そんな具合に、本書は単に年代別に目録を羅列するに満足せず、各々の時代背景を

たどっていく中で展覧会の向こうに消費社会の脈動を捉えていく。

 

 19701112日から17日、池袋東武にてある作家の展覧会が開かれた。

 企画を立てた百貨店にとっては、駄目でもともと、という思いで持ち込んだ話だった。

そんな予想に反して快諾した作家は、どころか能動的に案を提示した。「展示物の背景を

白黒で統一すること」も作家の主張だった。かくして急ピッチでこぎ着けた展覧会は、

「『書物』『舞台』『肉体』『行動』の四つの河にわけて構成され、黒一面の壁面を背負って

これまでの創作、活動を、小学校時代の作文から自身の裸体写真までを含めて全人格的に

示す」ものとなり、好評のうちに幕を閉じた。

 後に思えば、何もかもが生前葬を暗示していた。

 同月25日、作家は市ヶ谷で自裁した。

 

 今日、百貨店の一階を占めるのはもっぱらマーケティング商品の花形としての化粧品。

匂いを逃がすといった事情もあるようだが、百貨店が華やぎをそこに認めなければ、そして

儲けが得られなければ、かくも広大な面積を自らの顔となるフロアに配置しようはずがない。

 昭和のテレビCM隆盛期、資生堂を舞台に、今日に至るメイク・アップ・ブランディングを

確立した巨人があった。その名を杉山登志という。死から四年、新宿伊勢丹で開催された

回顧展には、上映される作品集を目当てに、若者たちが列をなして殺到した。

 時代の寵児は絶頂の最中、訣別の辞とともに自ら命を絶った。

「リッチでないのに/リッチな世界はわかりません。/ハッピーでないのに/ハッピーな

世界などえがけません。/『夢』がないのに/『夢』をうることなどは……とても/

嘘をついてもばれるものです」。

「お前は国民の敵だ」

  • 2018.04.17 Tuesday
  • 22:29

 宮沢俊義「八月革命」の夢は雲霞と帰する。

 

「昭和に入ってからの大日本帝国の動きは大日本帝国憲法にさえも違反していた。

事実上のクーデターだった。……治安維持法も事実上の改憲を強行する役割を担った。

……国は面従腹背、GHQの指示に従って治安維持法を廃止しても、敗戦に伴う大混乱を

口実に治安維持法の下で生み出された諸制度を新刑事訴訟法の規定の中に潜り込ませた。

/治安維持法下の諸制度は、『戦時の衣』を『平時の衣』に着替えることによって例外の

制度が原則の制度に逆転し、むしろ拡大されることになった。……戦後の大いなる矛盾も

含めて治安維持法の検証を本書で試みたい」。

 

 行為の態様のみを見れば、逮捕・勾留と拉致・監禁、差し押さえと強盗、死刑と殺人に

何ら異なるところはない。では何が違うのか。

 いみじくもマックス・ヴェーバーは「正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する

人間共同体」として国家を定義づけてみせた。本書もまた、そんな過去を踏襲する。

「近代市民社会」において「市民が真っ先に取り組んだのは、市民による市民のための

市民の統治を法的に保障することであった。刑法は憲法と並んでこの法的保障の重要な

一翼とされた。市民の利益を国家刑罰権によって保護すること、そして市民の自由を国家

刑罰権の濫用から守ることが『市民刑法』の任務とされた」。

 実に、先の前者と後者を分けるものは「市民刑法」に基づく同意の有無に他ならない。

 

 しかし本書は、この国の刑事司法体系がほぼ一貫してこの前提を裏切り続け、その底流に

治安維持法の思想が横たわることを暴露する。共謀罪とて氷山の一角に過ぎない。

 市民によるコンセンサスは、治安なる美辞麗句へとすり替えられたまま、今日に至る。

「通常の『市民刑法』が処罰する側もされる側も同じ市民であることを前提とするのに対し、

『敵味方刑法』では対象者が被害者や処罰する側と異質な存在として位置づけられる」。

 罪を憎んで人を憎まず、とは本来において刑法の基本理念として機能する。罪を規定する

コードに触れたがために、そのスクリプト反応として罰が下される。裁く側も裁かれる側も

「市民刑法」の手続きに則るに過ぎず、その過程において、国家なるプラットフォームの

成員たることを一時たりともやめることはない。法の支配とはかくなる事態を指す。

 対して「治安刑法」においては、人を憎んで罪を憎まず、を地で行く。怪しい輩が怪しいと

いうだけで暴力に服する。そこに罪が毀損しているはずの保護法益の有無は問われない。

ムスリムがムスリムというだけで裁かれかけた入国禁止令の異常性に向けられた冷笑は、

こと共謀罪においては発揮されない、原理において全く同じ性質を有するにもかかわらず。

 マッカーシズムが何を生んだか。東側指導部の猜疑心が何を生んだか。ただリソースを

空費しただけ。思想戦に勝者などいない。少しでも歴史を学ぶ知性があれば分かること。

 視点を変えれば誰もが怪しい。論点次第で敵と味方は入れ替わる。ゆえに「治安刑法」は

一度定めたその瞬間から自壊を宿命づけられる。

 

 本書が訴えるのは、「近代市民社会」の基礎ガイダンスに過ぎない。翻って、そんなことが

改めて著されねばならないというその事態こそが昭和、平成の治世の危うさを告発する。

「近代」革命史の伝統を知らぬ無教養がこの国においては「保守」なる語の定義となる。

 歴史に学ぶことで漸進的な改良を志向する、そんな真正保守の保守たる所以など、

無能に過ぎて知る由もない。