「そこに社会があった」

  • 2019.02.20 Wednesday
  • 22:02

「本書は硫黄列島という小さな島々の島民の社会史的経験を描いている。一方で、

硫黄列島のたどった、一見するとミクロな歴史経験からは、日本本土側にとって

一方的に都合のよい歴史像、たとえば『立派に耐えた玉砕の島』といった地上戦

イメージや、『焦土から復興へ』というお馴染みの戦後イメージを揺るがす、新たな

20世紀史像が浮かび上がってくる。

 したがって本書は、二つの目的をもって書かれている。一つは、硫黄列島の歴史を

従来の『地上戦』一辺倒の言説から解放し、島民とその社会を軸とする近現代史として

描き直すことである。もう一つは、日本帝国の典型的な『南洋』植民地として発達し、

日米の総力戦の最前線として利用され、冷戦下で米国の軍事利用に差し出された

硫黄列島の経験を、現在の日本の国境内部にとどまらないアジア太平洋の近現代史に、

きちんと位置づけることである」。

 

 映画『硫黄島からの手紙』のワンシーン。

 クリント・イーストウッドは、「米軍の硫黄島空襲開始を受けて島民を強制疎開

させる決断をおこなう場面で、栗林〔忠道中将〕にこう語らせてしまう。『島民は

速やかに本土に戻すことにしましょう』と」。

 本書の議論を知らなければ、さしたる引っかかりを覚えることは恐らくないだろう。

むしろ焦土作戦からせめて島民だけでも逃がさんとする「人道的」存在としての栗林に

胸を鷲掴みにされる、そんな忘れがたき瞬間でさえあるのかもしれない。

 しかし、「戻す」という表現は、「1944年の硫黄島がすでに半世紀以上の歴史をもつ

社会であった事実をかき消してしまう」。彼らは本土に「戻」るのではない、あくまで

生活拠点から一時的に疎開するに過ぎない。あるいはその理解すら真を衝いたものとは

言い難い。「南方離島からの疎開は、島々を軍事利用するために当局によって組織的に

おこなわれた、事実上の故郷追放だった」のだから。そして疎開による「難民」状態は、

太平洋戦争終結後、施政権返還後の現在もなお続く。

 そしてこの延長線上でかの名匠は、もうひとつの隠蔽に加担してしまうことになる。

プランテーション商社を経由しての「偽徴用」によって「最後まで島に残された16人の

うち、地上戦の間に11人が死に追い込まれた」、その事実の隠蔽に。

 11。この数字は後の統計上でも大きな意味を持つ。「現在でも多くの資料には、

硫黄島民の地上戦での死者数は、『82名』と記載されている」。他方、都のまとめた

とある資料は「地上戦における硫黄島民の死者数を『93名』としている」。

「偽徴用」された人々は、一方では「硫黄島民」として数え上げられぬまま、つまり

自らのアイデンティティを知られぬまま、死んでいったのだとすれば平仄が合う。

 

 本書の中に、ある者は満州やブラジルなどに通じる入植の悲哀を見るだろう。

戦略拠点との美辞麗句がいかなる暴虐非道をも正当化する、そんな光景を沖縄に

投影する者も恐らくはあるだろう。愛国者どもによる311被災者バッシングを

オーバーラップさせることを想像の飛躍と咎められる筋合いもあるまい。

 硫黄島の歴史に、「国策に翻弄され」るマイノリティの運命を予見する。

人の不幸は蜜の味

  • 2019.02.07 Thursday
  • 23:32

「本書に描かれているのは、1860年に英国のカントリーハウスで起きた殺人事件

――おそらくは当時もっとも騒がれた事件――の物語である。その殺人犯の捜査は、

初期の刑事たちの中でも最も能力のある人物のキャリアを脅かし、英国中に

“探偵熱”をもたらし、探偵小説誕生の指針を与えることとなった。被害者一家に

とっては、屋敷にいたほとんど全員に疑いの目が向けられるという、異常なまでに

恐ろしい殺人事件であった。だが国全体にとって、このロード・ヒル・ハウス

殺人事件は一種の寓話となった――ヴィクトリア朝時代の家庭と、探偵行為の

危険性についての、暗い寓話である」。

 

 チャールズ・ディケンズも、ヘンリー・ジェイムズも、誰もが事件に魅せられた。

コリンズ『月長石』にインスピレーションを与えたのもこの事件だった。

 鍵とかんぬきで閉ざされた屋敷の内部で3歳の少年が姿を消し、やがて便器から

首を深く裂かれた遺体として発見された。そして間もなく邸宅にいたすべての者に

懐疑の目が注がれた。同じ育児室で寝ていたシッターの場合、その動機は密通を

幼児に目撃された口封じとされた。前妻の子どもたちによる嫉妬というのも確かに

説得力があった。失踪を知った父親は近くの署ではなく、少し離れた知己の警視の

もとへと自ら馬車で出向いた、この選択も言われてみればいささか不可解。

 隠されれば隠されるほど見たくて見たくて仕方ない、プライバシーなる新概念が

強調された時代だからこそ、ケント家の何もかもが好奇の視線にさらされた。

「殺人事件は、鎧戸を閉じた中流階級の屋敷の内部に展開していたものを暴いて

しまいかねない。ヴィクトリア朝社会で尊敬されている深窓の家族に、不健全で

有毒な、性的で感情的な瘴気がひそんでいることもあるかのように見えた。

ひょっとしたら、プライバシーが罪の源泉、楽しい家族の光景を芯から腐らせて

しまう病なのかもしれない」。

 

 時の経過が横溝正史の禍々しさをいや増すように、ヴィクトリア朝という舞台が

本書のスリルを限りなく引き出す。今日の刑事裁判の基準に照らせば、証拠能力も

それをあぶり出す科学的手法もあまりに乏しい。しかし当時の報道競争(狂騒)は、

今日改めて書籍をまとめてなお、溢れんほどの情報を供さずにいない。それでいて、

どうにも書き切れぬ、埋まり切らぬ間隙がある、ゆえに想像をそそられる。

 そして筆者も、同時代人が各々の推理をスコットランド・ヤードへと書き送らずに

いられなかったように、新たな見立てを提示する。事件から150年が経過している、

いかに現代的な知見を補強に用いてみたところで、そうかもね、以上のものとは

なり得ない。そもそも論として、どれほど理が通っていようとも、調査報道たりえぬ

状況で時効を逆に楯に取ったようなプライバシーの侵害を認めるべきとは思えない。

 とはいえ、筆者にそうさせしめるだけの誘惑が事件から滲むことは否めない。

 鼻白む歴史の事実は、華麗を極めた陰謀論の真実を前に屈従を余儀なくされる。

 仕方ない。なぜならば、事実は常に退屈だから。

存在の耐えられない軽さ

  • 2019.02.07 Thursday
  • 23:25
評価:
ロミ
国書刊行会
¥ 4,536
(2018-04-27)

『自殺の歴史』なる表題は、一般にいかなる内容を想像させるのだろうか。

 それは例えば、それぞれの時代や手段に共通する精神性を実例から読み解く

ような、主題に基づく正統派のアプローチだろうか。

 繊細な読者ならば、あるいは自らのメンタルを同期化させかねないような、

そんな危険なメソッドが本書において選択されることはない。

 代わって本書がしていることといえば、フランス語のテキストや新聞記事の

アーカイヴスから自殺をめぐる項目をひたすらに抜粋、羅列していくこと。

その書き口はいかにも軽やかで、安いゴシップ紙よろしく、この沈鬱なテーマを

さらりと読ませる手腕は、微かな違和感とともに、感嘆を誘わずにいない。

 なるほど文献のIT化が可能にしたコピペ本かとテキストを閉じかけて、訳者の

あとがきに驚愕する。著者ロミの生まれは1905年、原著の出版は1964年、

検索ツールなど動員できるはずもない。周知のネタばかりを拾うでもない。

 テキストにこれほどに重量をもたらす仕事であるにもかかわらず、その語りは

果てしなく軽い。無論、筆者の技量もあるだろうし、読み進むうちにいつしか

感覚が麻痺している部分もあるのかもしれない。しかしその最大の理由はやはり、

過去の文献を渉猟する、という作法そのものから来ているのではなかろうか。

 そもそも世間が自殺を消費してきたから本書は成り立つ。

 グーグルで「ソクラテス」と入力すれば、示される検索候補のトップは「死」、

フィンセント・ファン・ゴッホが例の最期を持たずして名声を獲得できたとは

到底考えられない。ノーマ・ジーンは死に際してすら、マリリン・モンローなる

メディア・アイコンとしてあらゆる仕方で食い尽くされた。

 そして現代もそれは変わらない。人身事故による電車の遅延と聞かされても、

利用者に喚起される感情は苛立ちや怒り、焦りでしかない。統計が細工を尽くし

過少に数え上げてようやく年間3万弱という自殺者に慣れ切った世間はただし、

1件の児童虐待死にヒステリーを抱かずにはいない。

 ミラン・クンデラはかつて問うた。

「そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?」

ロマンスの神様

  • 2019.02.02 Saturday
  • 22:36

「初めてアメリカ領空でハイジャックが起きた1961年から、701便がシアトルへの

飛行中に乗っ取られた1972年までの間に、アメリカでは159便の民間航空機が

ハイジャックされた。しかも、そのほとんどすべてが、その尋常ならざる時代の最後の

五年間に、しばしば毎週もしくは週に数回といったペースで立て続けに起きた。

……この狂乱状態の意味をなんとか理解しようとした評論家や政治家たちは、よく

伝染病の流行(エピデミック)という言葉を用いた。……すなわち常にいくつかが

固まって起きるのだが、それらは必ず感染源となる一件のハイジャックに引き続いて

起きた……この『ウイルス』はメディアを、それも特にテレビのニュース番組を通して

広まった。……視聴者の中には、被害者たちに同情するよりむしろ、国中をとりこに

する壮大なドラマを生み出した犯人の才能にワクワクする者たちもいた。

 そういった人々はハイジャックウイルスに感染しやすい。なぜなら、彼らはアメリカが

約束する将来に対し、完全に信頼を失ってしまっていたからだ。ハイジャックの隆盛が、

1960年代の理想主義の最後の残滓が消えつつあった時期と一致しているのも、

けっして偶然ではない。……このような迷える魂にとって、飛行機はまさに理想的な

ターゲットだった」。

 

 散り散りのはずの個人と個人が、一人のインフルエンサーに刺激を受けて同様の

行動や傾向を示すことで、やがて「社会」なる一塊のモンスターが生成する。

 フランスの社会学者ガブリエル・タルドならば、ハイジャック「エピデミック」に

『模倣の法則』の例証を得た、と草葉の陰から必ずや歓喜を表明したに違いない。

 ある時代の模倣犯にとって、目的地はキューバの他にあり得なかった。自国に

失望した彼らを英雄として迎え入れてくれる約束の場所、それがハバナだった。

あるハイジャック犯は供述する。「キューバは真の民主主義を実現していた。そこでは

誰もが平等で、黒人に対する暴力や不公平や人種差別は過去のものになっていた」。

 しかしそのシンデレラ・ストーリーは幻影に過ぎなかった。カストロにとって彼らは、

「好ましくない不平分子として侮蔑の対象でしかなかった」。

 次なる「ウィルス」の変質は、ベトナム帰りのイタリア系士官によってもたらされた。

国に裏切られたと怒りに打ち震える19歳が目指したのはローマだった。やがて彼が

逮捕されると、「イタリアの一般大衆は罰せられるいわれはないという彼の考えに

同調した。それどころか、その強引な外交政策ゆえに西欧世界でしだいに嫌われつつ

あったアメリカに立ち向かった勇気ある若者として、国民的英雄よろしく称賛された」。

 ただし熱狂ははしかのようなものでしかなかった。「魅力の真髄は、常にその犯罪の

劇場性にあった。……だが、多くの劇場型ブームと同じく、ハイジャックも時の試練を

うまくくぐり抜けることはできなかった。……というわけで、自暴自棄になった

アメリカ人の多くが、自身を自らのゆがんだ贖いの物語のヒーローに仕立てる新たな

方法を模索した。ウォーターゲート事件とサイゴン陥落に続く年月は、誘拐、車両爆破、

政治家や有名人の暗殺など、途方に暮れた男女の引き起こす数々の話題性のある事件で

埋め尽くされることになった。だか、その時代の狂気のどれ一つとして、アメリカの

空では起きなかった」。

 

 ハイジャックの頻発にもかかわらず、なんとも驚くべきことに、航空会社は傍観を

決め込んでいた。慌てふためく政府に対し、彼らはひたすら黙殺を貫いた。

「航空業界はアメリカの全空港に保安対策を導入するよりは、周期的に起きる

キューバへのハイジャックに耐えるほうがコスト的にはましだと信じていたからだ。

 事業全体の数字から言えば、自社の航空機の一機がハバナに寄り道させられても

会社の収益にはほとんど影響はない。乗っ取られた機体と乗客をアメリカに取り戻す

のにかかる費用は、……電子機器による検査が義務付けられた場合にかかると

予想される巨費に比べれば、はした金だった。

 それに、乗客たちも、もし制服姿の警備官にポケットの中身を出せと言われたり、

スーツケースの中を強制的に調べられたりしたら、二度と飛行機には乗らないと

誓いはしないだろうか?」

 

 PTSD持ちのベトナム帰還兵とメンズエステ嬢の破れかぶれの恋、言うなれば

『ボニーとクライド』のハイジャック版、ただし劇的クライマックスを持たない。

 ハノイへと向かう当初のプランが、星占いに導かれるままアルジェに至る。

男もまた夢に見ていた、アメリカを捨てた英雄として祝福されるその光景を。

なるほど、アルジェリアは拍手した、彼らがせしめた身代金に、超大国を超大国

たらしめているそのドルの束に。

 戦争によって分断された世相にあって、確かに彼らへの支持を示す者もいた。

だが、時流になまじ乗れてしまったトレンド・キャッチャーの末路はしばしば悲惨、

過去の栄光に溺れることしかできぬまま、時代の波に取り残される。

 もはや人間にできることといえば時代に消費されることだけ。そんな喧騒とは

無縁のまま、金のみが変わらぬ輝きを放ち続ける。

孤独な散歩者の夢想

  • 2018.12.14 Friday
  • 23:24

 この散策はまず、東京(帝国)大学のお膝元、本郷を訪ねるところからはじまる。

「明治国家の物語(富国強兵、殖産興業……)にほころびが生じてきた

(リアリティが感じられなくなってきた)日露戦争前後から、煩悶青年と言われる

若者たちが登場しました。彼らの実存的不安は、世界の不安と一体化していました。

彼らは苦悩と疎外感を乗り越えるために、やがて他者や世界との透明な関係を志向し、

それを政治的に実現しようと考えるようになります」、そんな物語を確かめるように。

 そうした「煩悶青年」の鬱屈は、例えば井上日召率いる血盟団の革命思想、

日本橋を舞台とした要人暗殺に実を結ぶ。ただし事件は、「煩悶青年」を仰ぐ

テロリズムのほんの序章に過ぎず、永田町の首相官邸における5.152.26へと

進行する。「現状を打破できない政党政治への不信感は頂点を極め、一気に

変革を実現できる救世主を待望する世論が高ま」る中、来るべくして近衛文麿、

大政翼賛会の挙国一致の時を迎える。

 

「歴史は、同じ形で繰り返すことはありません。しかし、歴史には型があります。

私たちは、いまこそ戦前期の歴史の顛末をしっかりと辿り、現在を相対化しつつ、

その先を見据える指針を獲得すべきではないでしょうか。

 そんなとき、私は戦前の日本を歩いてみたいと思いました。空間は時間を

記憶しています。その痕跡はあらゆるところに潜んでいます」。

 

 このテキストは2012年に出版された。それをあえて2018年にめくるという行為が

新たなる感慨をもたらさずにはいない。

 途中、両名は隅田川界隈の下町に足を運ぶ。3.11からわずか2か月後のこと、

当地は慰霊堂に示されるように、関東大震災で苛烈な打撃を受けた場所である。

ただし、「天遣」を被った市井の人々が失ったのは単に生活拠点だけではない、

そのことを夢野久作の引用から彼らは論じる。

「かつて江戸っ子たちには、『顔が利く』という世間や社会があった。しかし震災で

下町から焼けだされ、みんながバラックでの暮らしとなり、コミュニティが崩壊し、

バラバラに生きていくようになってしまった。……つまり、江戸っ子から東京人に

なったと。そして、それによって人々は顔を失ったと」。

 読み進むと、さらに「歴史には型があ」ることを思い知らされる。

「シニシズムは、つねに救世主待望論と背中合わせで、誰か登場して、一気に

何かやってくれという世論が強まってくる。それが5.15事件の背景にあった世論

でしたし、世間の空気だった。ガラガラポン幻想ですね。そして、既得権益としての

財閥・政党政治家への暴力が湧きあがっていた」。

 歴史をひもとくだけで、2012年の著作物が、例えばドナルド・トランプの降臨を

いとも簡単に予言してしまう。今日のフランス情勢とて同じ、社会党にも共和党にも

倦み果てた国民が選んだ大統領エマニュエル・マクロンは、蓋を開けてみれば、

グローバル勢力の送り込んだトロイの木馬に過ぎず、パリの街で火を噴く暴徒は

自らの正義を信じて疑わない。敵を設けることでしか自らのアイデンティティを

明かし得ない排除主義者のパラノイアは、原理上、飽くことを知りようがない。

異論を夷論と退ける、ポスト・トゥルース・メンタリティと「煩悶青年」との間に

いったい何の違いがあるというのか。

 

 到達点を予示する歴史は、皮肉にも、もうひとつの事実を教える。

 歴史は繰り返す、なぜならば、大衆の大衆たる所以、彼らが学ぶ日など決して

来ないのだから、街を歩けば恰好の教材がいくらでも転がっているというのに。

 だからこそ、こうも言い換えられてしまう、歴史は知られないためにこそある、と。

 ファシストの存在に個人の資質に依拠するものなど何ひとつない、すべての説明は

大衆を通じてのみ与えられる。

 愚者の行進は通り過ぎてはじめていつか来た道であることに気づく。

 いかなるときも、歴史は決して一般意志を具現しない。