プリンストンの銀河系

  • 2017.07.02 Sunday
  • 21:22

 1945年、ロスアラモスから帰還したジョニー・フォン・ノイマンは妻にまくしたてた。

「われわれが今作っているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っているんだ。

……科学者の立場からしても、科学的に可能だとわかっていることをやらないのは、

倫理に反するんだ。その結果どんなに恐ろしいことになるとしてもね。そして、これは

ほんの始まりに過ぎないんだ!」。

 ここであえて筆者は「怪物」を原爆ではなく、「機械の力」として解釈しようと試みる。

 本書はいわゆるノイマン型コンピュータをめぐる技術史。

「デジタル・コンピュータの歴史は、ライプニッツに率いられた予言者たちが論理を

提供した旧約聖書時代と、フォン・ノイマンに率いられた予言者たちが機械を製作した

新約聖書時代に分けられる」。

 しばしばコンピュータの誕生史として紹介されるのは、B.ラッセル、A.ホワイトヘッドの

分析哲学あたりを始原に、D.ヒルベルトやK.ゲーデルを経由しつつ、A.チューリングの

暗号解読あたりを終着点とする、英独中心の理論的な「旧約聖書時代」のもの。

 しかし、本書の舞台はもっぱらアメリカ、プリンストン大学や高等研究所の歴史を

絡めつつ、そこにフォン・ノイマンという巨人が降臨して、第二次世界大戦を背景に、

二進法の巨大計算機が生み落とされ、あるいはそれが軍事や気象、進化論といった

かたちでの活用を見るまでの「新約聖書時代」。

 この主題で面白くならないはずがない。なのに……。

 

 伝記的なストーリー・テリングの明快さとはおよそ対照的に、晦渋に過ぎてどうとも

語りようがないのは、その技術的な議論に用いられる表現の数々。

 第1章早々に出てくる言い回し、「デジタル宇宙はどれも2種類のビットからなっている。

空間における変化と、時間における変化、それぞれに対応する2種類だ。デジタル・

コンピュータは、情報をこの2種類の形――つまり、『構造』と『シーケンス』――のあいだで

厳密なルールに則って翻訳する。われわれは、構造として具現化したビット(空間のなかで

変化するが、時間が流れても変化しない)をメモリとして認識し、シーケンスとして具現化した

ビット(時間のなかで変化するが、空間を移動しても変化しない)をコードとして認識する。

ゲートは、ある瞬間から次の瞬間へと推移する刹那にビットが、この2つの世界の両方に

広がる交点である」。

 気象にせよ、モンテカルロ法にせよ、いちいちがこんな表現で紹介される、Wikipedia

連なるジャーゴンを想わせるように。

 前提知識のない人間が、これを読んで何を学べというのだろうか。

 少なくとも私には、悪趣味なひけらかしとしか映らない。

緑の惑星

  • 2017.06.12 Monday
  • 21:29

「植物について考えるとき、私たちは無意識のうちに、植物に2つのレッテルを

貼りつけようとする。『動かない』、それから『感覚をもたない』というレッテルだ。

……けれども、これらは植物の特質ではない。アリストテレスにまでさかのぼる

文化的産物にすぎないのだ。それでも、その効力はいまだに続いている。……

ごく最近の研究によって、植物は感覚をもっていて、コミュニケーションを行ない

(植物どうしや動物とのあいだで)、眠り、記憶し、ほかの種を操ることさえできると

わかった。さらに、植物はどこから見ても知的な生物だ。根には無数の司令

センターがあり、たえず前線を形成しながら進んでいく。根系全体が一種の

集合的な脳であり、根は成長を続けながら、栄養摂取と生存に必要な情報を

獲得する分散知能として、植物の個体を導いていく」。

 

「地球上で生きている多細胞生物の総重量を100とすると、多少の変動はあるが、

植物の総重量はそのうちの99.5~99.9にあたる」。

 そんな絶対的な支配力を有するに至った植物の生存戦略が本書の主題。

 例えば外敵から身を守る自衛の仕方。「ふだん、植物が防衛に使っているのは

化学兵器だ。植物は特別な物質を作り出して、葉を虫の食欲をそそらない味に

変えたり、草食動物に効く毒に変えたりできる」。もちろん無差別爆撃は資源の

浪費になるから、「植物はどんな選択をするときも、問題を解決するために最低限

必要なエネルギー量はどのくらいなのか計算している」。動物のように特定の臓器に

役割を集中させていないため、多少かじられた程度では「機能不全に陥ったり

生存不能になったりしない」。それでも足りなければ、集団的自衛権の出番となる。

戦略的互恵を呼びかけるべく「植物は揮発性化合物を放出し、敵の敵を援軍として

呼び寄せる。そして助けてもらったお返しに報酬を与える」。古いトウモロコシの場合、

「ハムシの幼虫に根を攻撃されると、助けを呼ぶために『カリオフィレン』という物質を

作った。この物質には、ある小さな虫(線虫の一種)を引き寄せるという独特の効果が

ある。この線虫はハムシの幼虫が大好物だ。こうして、線虫はハムシの幼虫をすべて

貪り食い、トウモロコシを寄生虫から助けた」。

 

 もっとも、現代のわれわれが口にするトウモロコシにこの防衛手段は期待できない。

品種改良のトレード・オフ、「代償はとても高くついた。ハムシによる損失額は世界全体で

年間10億ドルにも及び、この数十年におけるトウモロコシの最悪の問題になったのだ」。

この機能は遺伝子組み換えに頼ることでしか修復できなかった。

 

 より多く、よりおいしく、より病害に強く――人間が日々重ねる品種改良の努力とて、

実のところ、蜜に群がることで受粉の手伝いに駆り出される昆虫とさして変わるところは

ないのかもしれない。

 植物の掌の上で遊ばされる、そんな「知性」の夢を束の間見てしまう。

七つの子

  • 2017.06.02 Friday
  • 21:33

「家の近くで鳥を見ることには、自然豊かなところに行って鳥を見ることよりも

良い点があります。それは、じっくり見られるということです。……町の中に

いる鳥たちは、我々を好んでいるかどうかはともかくとして、人のいる環境が

日常ですから、それほど人を恐れません。双眼鏡なんてなくても、手ぶらで

十分観察できます。鳥のほうが我々に近寄ってくることさえあります。そのため、

姿や行動、生態をじっくり観察できるのです。……これらの鳥をじっくり見ると

思いがけない発見があります。『何をやっているのか』『なぜそこにいるのか』

『何羽でいるのか』などがわかれば、そこから季節を感じることもできます。また、

鳥の視点で町を眺めてみることで、町がどんなところかを再認識することにも

つながるかもしれません」。

 

 スズメを見れば季節が分かる?

 人を恐れず広場で戯れるハトは、そもそも「自然には分布していない」?

 実はカラスは黒くない?

 日常の背景、あるいは時に厄介者くらいにしか思ってなかった鳥たちを、

足を止めてじっと観察したくなる、そんな気づきを与えてくれる一冊。

 

 夕暮れの駐車場、仕切り越しに数メートル先の2羽のスズメを凝視する。

重さは概ね20グラム強だという、鶏の唐揚げ一切れでもそれくらい優にあると

思うと、にわかには信じられない。せわしなく動き回るので足関節の作りは

よく分からない。子スズメの場合、「くちばしの根元、口角の部分が黄色」く、

「背中の模様も、親鳥が濃い茶なのに対し、子スズメのそれは全体に薄い

茶色」で、「頬の黒も……薄墨が滲んだようにぼんやりして」いる。

 どう見ても、親鳥のようだ。

 

 そして時に漠然と眺めていてもそうは確かめようのない話も挿入される。

 例えばスズメは水浴び、砂浴びならぬ「活字浴び」が好き?

 たとえ近接していても、神社と寺では鳥の生息分布が異なる?

 

 猫町の存在はやけにフォーカスされるのに、あまりにありふれているせいか、

鳥町なんてことが強調されることはまずない。

 でも、やってみると都会でもバード・ウォッチングってできる。案外、飽きない。

すると、何気ない街並みにほんの少し彩りが加わる。

100万ドルチャレンジ

  • 2017.05.11 Thursday
  • 22:02
評価:
マーカス デュ・ソートイ
新潮社
¥ 810
(2015-12-23)

 ウェル・メイドって、時としてものすごく気持ち悪い。

 

「この本では、みなさんをいくつかの旅にお連れする。各章で数学における大きな

テーマをひとつ取り上げ、最後に、数学史上かつてない難問とされているものの

なかから、未解決の謎をひとつ紹介しよう。……第1章では、数学のもっとも基本的な

対象である数そのものを取り上げて、数学にとってもっとも重要でありながらもっとも

謎の多い素数を紹介する。……第2章では、サイコロ、泡、ティーバッグ、雪の結晶と

いった自然が作るすばらしくも奇妙な形を巡る旅に出よう。そして最後に形に関する

最大の謎――わたしたちのこの宇宙はどのような形をしているのか、という問題を

取り上げる。……第3章では、論理や確率に関する数学を知っていると、ゲームを

するときにいかに有利になるかを説明する。……第4章では、暗号学を取り上げる。

昔から、秘密のメッセージを判読する際には数学が鍵となることが多かったが、ここでは

数学を利用した新たな暗号の作成法を紹介する。……第5章では、誰もができれば

いいのにと心から望んでいること――未来予測を取り上げる。ここでは、なぜ数学の

方程式が優れた占いの道具になるのかを説明する」。

 

 本書のテーマの最終到達地点はいずれもがいわゆる「ミレニアム懸賞問題」。

 とはいっても、そのWikipediaの各項目を開いてみても、何を言っているのか、

少なくとも私には皆目見当もつかない。例えば「P≠NP予想」は、「計算複雑性理論

(計算量理論)におけるクラスPとクラスNPが等しくないという予想」だという。

より詳細に書かれた英語版を読んでも霧はますます深まるばかり。

 ところが本書にかかれば様子は一変、この問いを扱った第3章は、じゃんけんを

導入に、カジノ、サイコロ、モノポリー、数独などに立ち寄りつつ、気づいてみれば、

問題の核心へと誘われている。「組み合わせの候補をしらみつぶしにあたらずにすます

うまい方法はないものなのか」、そのアプローチを示せても100万ドル、そんな虫のいい

手段などないことを証明できても100万ドル。

 

 ただし、この手の数学概説書が世の中に行き渡っているせいなのだろうか、

極めて身近な具体例なども含めて、その語り口にいちいち既視感がつきまとう、

このレーベルの既刊の切り貼りだけでも本書が再現できそうなほどに。

 たぶんそれは分かりやすさをめぐる試行錯誤を経て洗練を得た証なのだろう、

他方で定型化、硬直化し切った過剰接待の講習会にでも参加させられているような

いたたまれなさもどこか否めないのだけれども。

ドクター・ストレンジ

  • 2017.04.03 Monday
  • 21:04

 本書の原題は、Deciphering the Cosumic Number: The Strange Friendship of

Wolfgang Pauli and Carl Jung

 

「排他原理」をもってノーベル賞を手にした物理学者の周辺で囁かれていた現象に

「パウリ効果」なるものがある。これは「パウリが研究者の道を歩みはじめた当初から、

彼が実験室に入ってくると実験装置がひとりでに動かなくなってしまう」という現象。

あるいは、とある講演前のできごと、パウリとの食事を終えた知人3人がそれぞれ別の

手段で会場に向かう途中、異なる仕方でトラブルに遭う。俗に「多重パウリ効果」と言う。

そして「パウリ効果のきわだった特徴は、パウリ自身にはけっして累が及ばない」こと。

 そんなオカルトが飛び交う魔空間にあって、彼らは真剣だった。

 パウリが言うに、「『われわれはいまでは確かに自然科学を手にしているが、もはや

全体的な科学的世界像を失ってしまった。物理学は原理的には全世界を理解できると

主張してきたが、作用量子が発見されて以降、徐々にその誇り高き主張を放棄せざるを

えなくなってきている』。パウリが望んでいたのはただ一つ、量子力学とユング心理学の

結合だった」。

 

 パウリとユングが取り組んだテーマのひとつに、「3から4への移行」というものがある。

 古くはケプラーとフラッド、「宇宙の仕組みを理解する上で不可欠の重要な数」として

それぞれ34を論争した。時を下りパウリ自身が別の問題において両極に立たされる。

「ボーアとハイゼンベルグはかたくなに、電子の量子数は3つしかありえないと主張して

いた。だがパウリは……量子数は4つでなければならないと実感していた」。

 他方、ユングもやはり彼の方法論に従ってこの「3から4への移行」問題に遭遇する。

それは例えば、奇数、3に象徴される男性原理がもたらす意識の克服は、女性的な

4によって果たされる、との仕方で。「いまや本質が女性である無意識を解き放ち、

34へ変えることによって、バランスのとれた状態を生みださなければならない」。

 物理学と心理学双方に、「3から4への移行」が現れるのは必然だった、少なくとも

彼らに言わせれば。なぜなら世界は「元型」によって司られているのだから。

 

 そしてパウリはやがて新たな数に辿り着く。137

 あのR.ファインマンをして「人間にはまったく理解不能な魔法の数」と言わしめた、

量子論に憑依する定数のひとつ、微細構造定数、1/137

 他方カバラの世界、「古代ヘブライ語では、数は数字ではなく文字で表わしていた。

……カバラを表わすヘブライ語は、それぞれ5302100の数値をもつ4文字から

なる。つまり、それらの数値を合計すると137になるのだ!……カバラの重要な2つの

言葉は『知恵』と『神のお告げ』だが、前者はヘブライ語では73の数値をもち、後者は

64である。2つを合計すれば、これも137である」。

 さらに、パウリの眼前にも137が現れる。激痛に苛まれて運び込まれた病院の一室、

彼は確信する、「私がここから生きて外に出ることは絶対にない」ことを。なぜならば、

そこが137号室だったから――

 

 諸学の統合を夢見て、あるいは倫理の基礎づけを夢見て、そして破れた者たちの物語、

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を思い出す。

 バカげたオカルトと笑うのは簡単、では普通に世界を見るって何?

 十人十色、それぞれに映る世界はそれぞれの仕方で現れる。

 相対化せざるを得ない世界、そしてなぜか厳然と天を統べる1/137。それと同じように、

崇高なる道徳律が深く万人の胸に刻まれることは果たしてありえないのだろうか。

 そんな知的誠実が本書を、パウリを貫く。

PR

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM