雲をつかむような話

  • 2017.08.27 Sunday
  • 21:17

「本書では、からだの中で、いつ、どこで、どれくらいの量のたんぱく質がどのように

はたらいているのか、その全体像を、タンパク質の研究者でない方々にも理解して

いただけるように記述した。また、なぜタンパク質で病気を予防できるのか、なぜ

タンパク質で病気を診断できるのか、さらに、なぜタンパク質の異常を治療できるのか

についてもできる限り詳しく説明した。これまでに出版されたタンパク質の本とはかなり

違った視点から、からだのタンパク質について考察したつもりである」。

 

 本書の内容は新書という枠をはるかに超えてガチ、というか晦渋。

 論より証拠、漠然と開いたページから(p.94)

「抗体を用いることによって定量的に特定のタンパク質を検出したり、精製したり、

局在性を解析することができる。これを免疫化学的手法というが、この手法は

タンパク質発現解析に欠かせないものになっている。免疫化学的な手法には、

エンザイムイムノアッセイ法(ELISA)、免疫組織化学的方法、免疫電子顕微鏡法、

免疫沈降法、ウエスタンブロッティング法などがある。いずれの方法を用いる場合でも、

まず検出したいタンパク質に対するモノクローナル抗体またはポリクローナル抗体

(注11)を作製する必要がある」。

 全編がこんな調子で進んでいく。もちろんこんなタームを丸暗記してもらおうなどという

非効率な意図で書かれているわけでないことくらいは分かる。その動的な性質ゆえに

プロテオームが秘めたゲノム・サイエンスとも似て非なる難しさ、あるいは面白さを

表現するという点ではある程度うまくいっているようにも思う。結論だけを中途半端に

耳障りよく紹介する安直さを避けたいという真剣さも伝わる。とはいえ、こうした記述群を

目にした上でそこから何かを得るとなれば、対象はどうにも限られてしまう。教科書や

論文ならばそれでもいい、ただし新書というのはそういう場所ではない、と私は思う。

その高度な技術や知識から導き出された結論の恩恵は何かしら受けているのかも

しれないが、実験環境にアクセスできるでもない人間にとっては、雲をつかむような話が

ひたすらに展開されていく。

 

 筆者の知的な廉直を疑うつもりは微塵もない。

 私のスペックに問題があるのも事実だろう。

 ただし、一般向けの橋渡しという新書の役割に鑑みたとき、この書き口はどうなのか、と

首を傾げざるを得ない。

猫の皿

  • 2017.08.18 Friday
  • 21:21

「ネコは原始的な過去の遺産をひきずっていて、その行動の多くはいまだに野生の

本能を反映している。ネコの行動の理由を理解するためには、それがどこから

生じたかと、それを現在の形に変えた影響について理解しなくてはならない。

そのため、この本の最初の3章では、野生の孤独なハンターから、高級マンションに

住む動物へネコが進化したことについて記している。……ネコは人間のかたわらで

暮らすようになった。しかし、ネコと分かち合っている世界について情報を集める

方法も、理解のしかたも、人間とネコではまったく異なっている。第4章から第6章は

ヒトとネコのちがいを検討する。……飼いならされるために求められることによって、

ネコの社会的な領域を野生の祖先と比べて劇的に広げた。第7章から第9章は

こうした社会的な関わりを詳細に検討する。……最後に、本書では世界における

現在のネコの立場を検討し、今後それがどうなっていくかについて考察する」。

 

 本書の射程は、ネコの行動学や心理学の範疇をも時に超えてみせる。

 それは例えば歴史学、世界中のイエネコのDNAを調べてみると、彼らを運び入れた

人間の移住や海洋進出の過程もまた見えてくる。文献を渉猟すれば、迫害と迫害と、

あと迫害、ハンターからコンパニオンへ、というネコの発達史とはまた違う、血まみれの

暗部を目の当たりにさせられる。

 

 とはいえ、本書を手に取るような類の人々が気になるのは、やはりペットとしての

ネコと上手に暮らすための生理学に違いない。ヤマネコからイエネコへ、「住み込みの

害獣駆除係から相棒である同居者へ」、家畜化の歴史の中で、いつしか彼らも飼い主に

愛着を示すようになる。コミュニケーションのためのコミュニケーションを求めるのは

ネコとてまた同じらしい。ただしあいにくながら、ネコがいかに社会化を重ねようとも、

「大半のネコにとって、存在理由は人間との愛情あふれる関係ではない」。

 彼らにはより大切とするあるものがある。

 

 そして、こうした一連のプロセスはその先に皮肉な未来を予言する。

 ある調査によれば、イギリスのとある地域における飼いネコの98パーセント以上が

去勢されている、という。言い換えれば、子孫を残せる「ネコが産んだ子ネコの特性は、

残念ながら、わたしたちが排除したいと思っているものなのだ。すなわち、人間を警戒し、

自分の食べ物をまかなうための狩りが上手であるという特性だ。……責任感のある

飼い主によって早期の去勢が広まると、イエネコの遺伝子はじょじょに野生に戻っていき、

現在の家畜化された状態から遠ざかっていく」。

 人間の管理社会の未来とて、おそらくはまた同じ。

 なるほど、ネコがコンパニオンたる所以が見える。

プリンストンの銀河系

  • 2017.07.02 Sunday
  • 21:22

 1945年、ロスアラモスから帰還したジョニー・フォン・ノイマンは妻にまくしたてた。

「われわれが今作っているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っているんだ。

……科学者の立場からしても、科学的に可能だとわかっていることをやらないのは、

倫理に反するんだ。その結果どんなに恐ろしいことになるとしてもね。そして、これは

ほんの始まりに過ぎないんだ!」。

 ここであえて筆者は「怪物」を原爆ではなく、「機械の力」として解釈しようと試みる。

 本書はいわゆるノイマン型コンピュータをめぐる技術史。

「デジタル・コンピュータの歴史は、ライプニッツに率いられた予言者たちが論理を

提供した旧約聖書時代と、フォン・ノイマンに率いられた予言者たちが機械を製作した

新約聖書時代に分けられる」。

 しばしばコンピュータの誕生史として紹介されるのは、B.ラッセル、A.ホワイトヘッドの

分析哲学あたりを始原に、D.ヒルベルトやK.ゲーデルを経由しつつ、A.チューリングの

暗号解読あたりを終着点とする、英独中心の理論的な「旧約聖書時代」のもの。

 しかし、本書の舞台はもっぱらアメリカ、プリンストン大学や高等研究所の歴史を

絡めつつ、そこにフォン・ノイマンという巨人が降臨して、第二次世界大戦を背景に、

二進法の巨大計算機が生み落とされ、あるいはそれが軍事や気象、進化論といった

かたちでの活用を見るまでの「新約聖書時代」。

 この主題で面白くならないはずがない。なのに……。

 

 伝記的なストーリー・テリングの明快さとはおよそ対照的に、晦渋に過ぎてどうとも

語りようがないのは、その技術的な議論に用いられる表現の数々。

 第1章早々に出てくる言い回し、「デジタル宇宙はどれも2種類のビットからなっている。

空間における変化と、時間における変化、それぞれに対応する2種類だ。デジタル・

コンピュータは、情報をこの2種類の形――つまり、『構造』と『シーケンス』――のあいだで

厳密なルールに則って翻訳する。われわれは、構造として具現化したビット(空間のなかで

変化するが、時間が流れても変化しない)をメモリとして認識し、シーケンスとして具現化した

ビット(時間のなかで変化するが、空間を移動しても変化しない)をコードとして認識する。

ゲートは、ある瞬間から次の瞬間へと推移する刹那にビットが、この2つの世界の両方に

広がる交点である」。

 気象にせよ、モンテカルロ法にせよ、いちいちがこんな表現で紹介される、Wikipedia

連なるジャーゴンを想わせるように。

 前提知識のない人間が、これを読んで何を学べというのだろうか。

 少なくとも私には、悪趣味なひけらかしとしか映らない。

緑の惑星

  • 2017.06.12 Monday
  • 21:29

「植物について考えるとき、私たちは無意識のうちに、植物に2つのレッテルを

貼りつけようとする。『動かない』、それから『感覚をもたない』というレッテルだ。

……けれども、これらは植物の特質ではない。アリストテレスにまでさかのぼる

文化的産物にすぎないのだ。それでも、その効力はいまだに続いている。……

ごく最近の研究によって、植物は感覚をもっていて、コミュニケーションを行ない

(植物どうしや動物とのあいだで)、眠り、記憶し、ほかの種を操ることさえできると

わかった。さらに、植物はどこから見ても知的な生物だ。根には無数の司令

センターがあり、たえず前線を形成しながら進んでいく。根系全体が一種の

集合的な脳であり、根は成長を続けながら、栄養摂取と生存に必要な情報を

獲得する分散知能として、植物の個体を導いていく」。

 

「地球上で生きている多細胞生物の総重量を100とすると、多少の変動はあるが、

植物の総重量はそのうちの99.5~99.9にあたる」。

 そんな絶対的な支配力を有するに至った植物の生存戦略が本書の主題。

 例えば外敵から身を守る自衛の仕方。「ふだん、植物が防衛に使っているのは

化学兵器だ。植物は特別な物質を作り出して、葉を虫の食欲をそそらない味に

変えたり、草食動物に効く毒に変えたりできる」。もちろん無差別爆撃は資源の

浪費になるから、「植物はどんな選択をするときも、問題を解決するために最低限

必要なエネルギー量はどのくらいなのか計算している」。動物のように特定の臓器に

役割を集中させていないため、多少かじられた程度では「機能不全に陥ったり

生存不能になったりしない」。それでも足りなければ、集団的自衛権の出番となる。

戦略的互恵を呼びかけるべく「植物は揮発性化合物を放出し、敵の敵を援軍として

呼び寄せる。そして助けてもらったお返しに報酬を与える」。古いトウモロコシの場合、

「ハムシの幼虫に根を攻撃されると、助けを呼ぶために『カリオフィレン』という物質を

作った。この物質には、ある小さな虫(線虫の一種)を引き寄せるという独特の効果が

ある。この線虫はハムシの幼虫が大好物だ。こうして、線虫はハムシの幼虫をすべて

貪り食い、トウモロコシを寄生虫から助けた」。

 

 もっとも、現代のわれわれが口にするトウモロコシにこの防衛手段は期待できない。

品種改良のトレード・オフ、「代償はとても高くついた。ハムシによる損失額は世界全体で

年間10億ドルにも及び、この数十年におけるトウモロコシの最悪の問題になったのだ」。

この機能は遺伝子組み換えに頼ることでしか修復できなかった。

 

 より多く、よりおいしく、より病害に強く――人間が日々重ねる品種改良の努力とて、

実のところ、蜜に群がることで受粉の手伝いに駆り出される昆虫とさして変わるところは

ないのかもしれない。

 植物の掌の上で遊ばされる、そんな「知性」の夢を束の間見てしまう。

七つの子

  • 2017.06.02 Friday
  • 21:33

「家の近くで鳥を見ることには、自然豊かなところに行って鳥を見ることよりも

良い点があります。それは、じっくり見られるということです。……町の中に

いる鳥たちは、我々を好んでいるかどうかはともかくとして、人のいる環境が

日常ですから、それほど人を恐れません。双眼鏡なんてなくても、手ぶらで

十分観察できます。鳥のほうが我々に近寄ってくることさえあります。そのため、

姿や行動、生態をじっくり観察できるのです。……これらの鳥をじっくり見ると

思いがけない発見があります。『何をやっているのか』『なぜそこにいるのか』

『何羽でいるのか』などがわかれば、そこから季節を感じることもできます。また、

鳥の視点で町を眺めてみることで、町がどんなところかを再認識することにも

つながるかもしれません」。

 

 スズメを見れば季節が分かる?

 人を恐れず広場で戯れるハトは、そもそも「自然には分布していない」?

 実はカラスは黒くない?

 日常の背景、あるいは時に厄介者くらいにしか思ってなかった鳥たちを、

足を止めてじっと観察したくなる、そんな気づきを与えてくれる一冊。

 

 夕暮れの駐車場、仕切り越しに数メートル先の2羽のスズメを凝視する。

重さは概ね20グラム強だという、鶏の唐揚げ一切れでもそれくらい優にあると

思うと、にわかには信じられない。せわしなく動き回るので足関節の作りは

よく分からない。子スズメの場合、「くちばしの根元、口角の部分が黄色」く、

「背中の模様も、親鳥が濃い茶なのに対し、子スズメのそれは全体に薄い

茶色」で、「頬の黒も……薄墨が滲んだようにぼんやりして」いる。

 どう見ても、親鳥のようだ。

 

 そして時に漠然と眺めていてもそうは確かめようのない話も挿入される。

 例えばスズメは水浴び、砂浴びならぬ「活字浴び」が好き?

 たとえ近接していても、神社と寺では鳥の生息分布が異なる?

 

 猫町の存在はやけにフォーカスされるのに、あまりにありふれているせいか、

鳥町なんてことが強調されることはまずない。

 でも、やってみると都会でもバード・ウォッチングってできる。案外、飽きない。

すると、何気ない街並みにほんの少し彩りが加わる。

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