確証バイアス

  • 2017.05.15 Monday
  • 21:10
評価:
岡澤 浩太郎
東京書籍
¥ 1,620
(2014-08-28)

「さまざまな通説や学説は過去の研究者や批評家たちによって成し遂げられた偉業で

ある。ただ、それらを疑いもせず盲信する態度は、そもそも芸術という分野に許された

自由を閉ざすことにつながりはしないだろうか。ならば、このような考えたらどうだろうか。

『傑作』や『代表作』といった『肩書』を取り払う時、その作品から一体何が見えてくるのか」。

 

 ダ・ヴィンチには「名声の割には実力が伴っていない」?

 歴史を描いた名画と目される「民衆を導く自由の女神」は「作家の意図にかかわらず

周りがどんどん付加価値をつけていって、挙句の果てには最高傑作になってしま」った?

 ピカソの「ゲルニカ」は「ただ突貫工事でつくった感じ」?

 別にtwitterから拾ってきたわけではない。本書で取り上げられる15の著名作品は

それぞれに研究者や論者からコメントを集めることで成立しており、上記はその一部、

抜き出せば刺激的と映るだろう言及でも、それぞれに一定の論拠は示されている。

 

 アプローチ自体はつまらないことはない。

 ただし、本書の方法はあまりに簡潔。支配的な定説が紹介されるでもなければ、

ヒアリングを取ったのはひと作品につき23人程度で、良くも悪くも、こんなことを

言っている人もいます、という域を何ら出るものではなく、美術観賞、批評における

多様な可能性を開示する、なんてレベルには到底達するものではない。

 おそらくは単に弱視から生まれたモネの技法が抽象画への道を開いた、なんて

そんなに新しい論だろうか? しばしば触れられる史的位置づけの再検討にしても、

むしろ使い古された構図を繰り返しているだけのようで、逆に何をしたいのか、

当惑を覚えずにはいられない。

 

 単にオピニオン集としてしまった点に、本書のそもそもの「失敗」はある。

千と千尋の神隠し

  • 2017.03.19 Sunday
  • 20:48

「彼女たちは湯女と呼ばれた。……描かれているのは6人の女だ。さまざまな色と文様の

小袖は、彼女たちの肉体の曲線をかなり露にしている。……容貌は概して美しくはない。

凡庸というよりもむしろ野卑で醜い(でも何だか颯爽としている)。何の背景もない空間を

女たちは歩く。足袋と草履を履いて。……『湯女図』の画面では何が起こっているのか。

この画が描いたのは何だったのか。つまり『湯女図』とは何か。私たちがほんとうに知るべき

ことはまだ解き明かされていない。……ここでは彼女たちの視線の意味を考えること、

失われた〈視線のドラマ〉を復原することを手掛かりに、問い始める」。

 

「湯女図」の左から3番目、桃色をまとい、顎を突き出し胸を張り、後ろに気を留めず歩く、

ひときわ目を引くこの女、何かに酷似している。

 可翁筆「寒山図」。

 並べてみれば一目瞭然、「ともに真横を向いた姿を左から描かれており、顔を少し上げて

前方中空を見る姿勢と目付き、大きく前にたるんだ着物の前身頃と後方に反った下半身とが

作る『く』の字のフォルム、前身頃と後方に流れる両袖の組み合わせでできる上半身の

三角形などが共通する」。

 もちろん、単に写実的に重複するだけではない。両者を跨ぎ、聖俗、貴賤が交差する。

そしてそれは「見る」‐「見られる」のねじれをも誘い出すだろう。

 

 無論、コンテクストにせよ、画そのものにせよ、歴史に霧消した部分が大きすぎる以上、

どうにも「推理」の域を超えることは難しい。

 とはいえ、それは本書の議論の面白さを否定するものではない。

 例えば「湯女」と「遊女」との違い、という紙それ自体の上においては描かれざる部分を

透視して、あるいはその延長に横たわっただろう何かを束の間覗き見てしまうこの興奮、

いかに絵を前に格闘してもそうは浮き出すことのない、美術史の楽しみが詰まった一冊。

春の再来

  • 2016.12.19 Monday
  • 21:11

「西洋美術には……『美少年が描かれなければならない』シーンが頻出する。本書では、

こうした西洋美術におけるモチーフとしての美少年たちを、テーマごとに見ていく。

そのためにはまず、西洋において少年がもつ美しさが初めて認識され、規定された

古代ギリシャ時代から始めなければならない。その次に、そうして誕生した『少年の

美しさ』が、神話世界においていかにして地歩を固めていったかを見る必要があるだろう。

 しかしこの価値観が大いなる危機に直面した時代が中世……キリスト教中心の時代に、

美少年には肯定的な意味と否定的なそれとの両方が与えられた。続くルネサンスでは、

ようやく復活した古代ギリシャ、ローマ時代の文化の重要な一要素として、美少年もまた

復活する。その後の西洋世界では、ルネサンス時代に規定された美少年像を基本的に

継承しつつ、複雑化する社会状況にあわせて、さまざまなヴァリエーションが誕生していく

ことになる」。

 

 このシリーズの例に漏れず、系統づけて並べられた豊富な口絵だけで既に、一定の

用は満たされている。

 二次元ポルノ規制論者はなぜこれを問題視しない? と思わずにはいられない表紙、

ウィリアム・ブグロー先生の透き通るような筆捌きは本書でも堪能できる。世紀の名画

「世界の起源」、ギュスターヴ・クールベがこんなにイケメンだとは知らなんだ。

 神話や聖書にかこつけてしまいさえすれば、何を描いても構わない。

 印象派とそれ以降は、なぜこの自由を手放してしまったのだろうか。

 

 ガニュメデス、エンデュミオン、クピド、トビアス、ダヴィデ――なるほど、「美少年」素材と

その文脈についてはある程度分かった。

 ただし、本書において若干疑問に思えてならないのは、時代における「美」の定義の

変遷があまりに曖昧なこと。19世紀における「美少年」の定義と古代ギリシャのそれは、

たとえ同様のモチーフを扱っていたとしても、多分の食い違いを見せるだろう。さりとて、

美術史の系譜において、後の世の描き手が先行作品の影響を被らずにいることなど

あり得ようはずもない。

 そういった点についての吟味にいささかの不満を残す。

 

 全世界70億のやおいオタ、ショタコンのみなさん、出番です。

アドリア海の真珠

  • 2016.10.23 Sunday
  • 22:20

「ヴェネツィアのユニークさや景観の美しさは、私がここに述べるまでもないことであり、

日本でも広く知られている。しかし、この都市が類まれな美術の宝庫であり、世界最高の

美術の島であることは意外に知られていないようだ。……本書では、ヴェネツィアで

見られる作品を中心に、ヴェネツィアの美術と歴史の歩みを振り返ってみよう。美術の

歴史は町の歴史と重なり、両者は不可分なのだ。ヴェネツィアにある作品や建物を

中心として、実際にヴェネツィアを旅行するときのガイドとなるようにたどりたい」。

 

 まずは豊富な口絵と写真。そして、そこに捉えられるは壮麗な建築に鮮烈な絵画。

 わずか5キロ四方程度の面積しか持たない群島都市にして、他を圧する質と量。

 年代別に整理されたアーカイヴ、美術ガイドとして評価すれば、極めてよくできた一冊。

 

 ただし、「歴史」という点になると、いくらなんでも簡潔に過ぎやしないか、との念は

どうにも拭えない。

 建築にしても、いちいちが驚嘆の一語なのだが、それを可能にした当時の技術史的な

発展への言及はほとんど見られないし、その豪奢の前提としての政治・経済についても

いささかシンプルに過ぎて、「歴史」というには遠い。

「ヴェネツィア派は、フィレンツェ派の線描に対して色彩を重視する様式」なのは、

その通りなのだろうが、そうした表現の伝承についても、記述が概ね抽象的なレベルに

留まってしまっている点も物足りない。

 とある研究者が言うには、「湿潤な空気のうちに不断に移ろうこうした視覚体験から、

色彩に敏感な感性が育まれ、線描よりも色彩を重視する」ようになったらしいのだが、

そんなことを言い出したら、例えば日本をはじめとした高温多湿の東アジア絵画に

同様の傾向は果たして認められるのか、という話なわけで。

 

 表層としての文化を切り出すことにおいてはひたすら圧巻、タイトルが『ヴェネツィアの

美術』とかならば、これで十二分とは思う。ツルゲーネフが言うに、「すでに自分の生涯を

生きてしまった人、人生に打ち砕かれた人、そうした人はヴェネツィアを訪れても無意味」、

半ば反則じみたあとがきの感触を残して頭から改めて目を通してみると、叙情的散文として

秘められた苦みも見え隠れする。

 ただし、街それ自体が主題化されている以上、その深層をえぐり出せているか、と問えば、

いささか首をひねらざるを得ない。

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