ドゥームスデイ

  • 2019.05.10 Friday
  • 23:05
評価:
デイヴィッド ピリング,David Pilling
早川書房
¥ 2,268
(2019-03-20)

 自動車の外部性がその必然として殺人を犯す。何を驚くべきことがあろう。

すべてモータリゼーション礼賛者の傾ける同情のいかに安いことか。

 かくなる知的退廃の精算は唯一、死を通じて達成される。

 

「経済成長は今や人々が大切に思うあらゆる物事を代替する指標として崇拝の

対象と化し、私たちはそのためにどんな犠牲もいとわなくなってしまった。

成長の追求のためには、長時間労働に耐え、公共サービスを削減し、格差拡大を

受け入れ、プライバシー権を放棄し、何事もすべて『富を創造する』銀行家たちの

意のままにさせる覚悟が必要だとされている。……無限に増殖することが美徳と

見なされるのは、経済学においてのみだ。生物学では、それは癌と呼ばれている。

……本書が目指しているのは、経済成長に宣戦布告することではない。

そう誤解した人々からは、批判が寄せられるだろう。だが、狙いはむしろ、

経済成長の測定方法のどこが間違っているかを示すことで、それを崇拝の

対象から引きずり下ろすことにある」。

 

 ある研究者に言わせれば、「クズネッツはGDPの創始者からは程遠く、逆に

その最大の論敵であった」。彼にとって、例えば「戦争の準備にかかる費用は、

個人の消費能力の削減につながり、本質的に予防的支出であるために、国民の

幸福度を減少させる役にしか立たない。つまり、もしその種の支出が必要悪で

あるなら、それはプラスではなくマイナスとして計上させるべきなのだ」。

 

「由緒ある大英図書館は、交付された公的資金1ポンドにつき、イギリス経済に

4.40ポンドの付加価値を生みだしていると主張することで、その活動を正当化

していたが、本来はそんな必要を感じるべきではない。……安全な市街地、

良い就職口、清浄な大気、緑地、地域社会の連帯感、安心感、幸福感などは、

それ自体が良いものであり、正当化の必要はない」。

 ここに本書の抱える構造矛盾が凝縮される。「必要はない」ならば、そもそも

この本が書かれる「必要はない」のだから。会話の通じない怪物を相手にする、

それ自体がいかに現代が不毛な時代であるかを証する。サンプリングに基づく

GDPの算出がいかに杜撰なものであるかはもはや承前の通り、それでもなお、

社会は今日もその神話への惑溺をやめようとはしない。「常に懐疑的であれ」と

いくら筆者が訴えようとも、その声を解する能力をそもそも持たない。

 知性の足りないサルのカーニバルに巻き込まれる、この事態をもって人間は

不幸と名指す。

 

 今一度、サイモン・クズネッツ御大にご登場願おう。

「貪欲に支配された社会ではなく、啓蒙された社会哲学の観点から見て、益よりも

害をもたらす要素を総計から除外した国民所得の推定を得ることには大きな価値が

ある。そうした推定は、現在の国民所得の総計から軍備費、広告関連費用の大半、

金融や投機にかかわる出費の大部分を差し引くことになるはずだ」。

 一世紀にわたり黙殺され続けたこの箴言に加えるべきものを本書は持たない。

いとしのエコン

  • 2018.12.27 Thursday
  • 21:55
評価:
リチャード・セイラー
早川書房
¥ 3,024
(2016-07-22)

「私の最大の目標は、行動経済学がどのようにして生まれたのかを伝え、その中で

私たちが何を学んだのかを説明することだ。……この本は、年代順にトピックを

取り上げる構成になっている。ここで本書の内容をざっと説明しておこう。まず、

私の大学院生時代に時計の針を巻き戻し、授業で習っていたモデルと矛盾する

おかしな行動を集めたリストをつくった原点に立ち戻る。……次に、研究者の道を

歩み始めてから15年間に私の関心の大半を占めた一連のトピック、すなわち

メンタル・アカウンティング、セルフコントロール、公正性、ファイナンスに目を

向ける。……その後、最近の研究を取り上げ、ニューヨーク市のタクシー運転手の

行動やNFLのドラフト、高額の賞金が懸かったゲーム番組の出場者の行動について

考えていく。そして最後に、ロンドンの首相官邸で帯同している刺激的なチャレンジと

チャンスを紹介する」。

 

「いま、政府が自国経済は深刻なリセッションに陥っていると判断し、全国民を

対象に、一人あたり1000ドルの一括減税をすることを決めるとしよう」。

 いわゆる「ホモ・エコノミクス」(本書では「エコン」という)は、例えばライフ

サイクル仮説に従って、こう考える。エコンはこれからあとn年生きることを前提に

使い道を模索する。40年と見積もれば、その間1000ドルを均等に消費するだろう。

より賢明な「エコン」はさらにスパンを拡げて自分の子孫に及ぶ効用に思いを致す。

この減税の財源が国債ならば、いずれ返済しなければならない、その際に税金として

支払わされるのは相続人だろう、ゆえにその臨時所得には手をつけず、遺産に回す。

 この超人エコンたちにどうして笑いを誘われずにいられるだろう。

「エコンという架空の存在を想定して、その行動を記述する抽象的なモデルを

開発するのをやめる必要はない。しかし、そうしたモデルが実際の人間の行動を

正確に記述しているという前提に立つのはやめなければならない」。

 

 本書が読者を連れ出すのは、「実際の人間の行動」をあぶり出すための実験や

データの数々。そして、問いかけは必然的に読者の思考テストを促さずにいない。

 それは例えばこんな具合。

 45ドルのラジオを買いに出かけたあなたは、店員から耳寄りな情報を聞く、

車で10分の支店では同じ商品がキャンペーン中につき35ドルで売っている、という。

さて、あなたはそちらへ出向くだろうか。

 そして後日、485ドルのテレビを求めて足を運んだあなたは、やはり同様に、

系列店で現在475ドルで販売されていることを知らされる。値引き幅は10ドル、

果たしてあなたは車を走らせようとするだろうか。

「エコン」にとっては同じ10ドル、でも、「ヒューマン」にとっては違う、きっと。

 

 こんな具合に、読者の関心を誘う工夫が見事に施されている。そして、本書が

すぐれているのは、そのこと自体が筆者のテーマ設定と重なっている点にある。

 パターナリズムのトップダウンで強制を加えることはしない。ただし、「人々が

自分自身の目標を達成するのを支援する」ようなアーキテクチャを組むことは

できる。つまり例えば、小用の便器に的のシールを貼りつけることで、尿の飛散を

抑制するように、あるいは、これ面白い、と最後まで読み通すことで、少なからず

行動経済学のレクチャーが果たされるように。

 

 先の10ドル値引きに話を戻してみる。

 ラジオだろうとテレビだろうと、少数ながらも「ヒューマン」は、親切な店員に

販売実績が残るように、10ドル程度ならあえて差額を払うことを惜しまない。

 ところが、現代の「ヒューマン」はある面「エコン」より先を行ってしまった。

実店舗は商品に触れるショールームに過ぎず、購入はスマホで最安値を探す。

陳列コストがある以上、コスパではネットに勝ち目がない。とても、合理的だ。

 そうしてアメリカではトイザらスが崩壊し、かつて小売店をなぎ倒していった

大型モールすらも死屍累々の山を築く。

 巨大倉庫と各家庭を輸送手段とITがつなぐ。残るのはせいぜいコンビニか、

ファストフードか、ロードサイドには他に何もいらない。

 これが「ヒューマン」の夢見た消費社会の結晶だ。

「経済学者は最高の警官」

  • 2018.10.27 Saturday
  • 20:09
評価:
トム・ウェインライト
みすず書房
¥ 3,024
(2017-12-16)

「基本的な経済学を応用して、まったく別の視点から麻薬取引を分析したら、いったい

何がわかるのだろう? 今いちど麻薬カルテルを詳しく見てみると、合法的な企業との

共通点がいっそう明らかになる。コロンビアのコカイン・メーカーはアメリカの巨大スーパー

マーケット・チェーン『ウォルマート』と同様、サプライ・チェーンを厳格に管理することで

利益を守ってきた。メキシコの麻薬カルテルはマクドナルドが成功させたフランチャイズ

方式で規模を拡大してきた。エルサルバドルでは、かつて不倶戴天の敵と誓い合ってきた

全身タトゥーのギャングたちが、競争するより協力した方が互いの利益になると気づき

はじめている。カリブ海諸国の犯罪者たちは悪臭ただよう刑務所を求人センターとして

利用し、人材確保の問題を解決している。麻薬カルテルは、一般の大企業と同じく

オフショアリングを試験的に取り入れることで、規制の緩い別の国々に問題の解決策を

見いだしはじめているし、一定規模まで成長した大半の企業と同じく経営の多角化も

試みている。そして、路面の小売店と同じくオンライン購入の波に押しつぶされつつある」。

 

 コカインの供給を止めたければ、原材料のコカの葉の栽培を解体してしまえばいい。

そうすれば必然的に末端価格も高騰し、消費の抑制につながるだろう。

 なるほど、一見理に適った推論だ。そうしてペルーやコロンビアでは軍を動員してまで

畑を焼き払い、除草剤で木を枯らした。

 しかし、コカイン市場では微塵の価格変動も起きなかった。何せコカの葉はカルテルの

独占状態、不作だろうが皺寄せは農家にすべて被せてしまえばいい、それはちょうど

アメリカの小売市場でウォルマートが供給業者を買い叩くのとまったく同じように。

「コカの栽培条件が悪化しても、貧しい農家がいっそう貧しくなるだけで、カルテルの利益が

減ることも、コカインの販売価格が上がることもない」。

 人々はやがて「根絶」というムチに代わり、「補助金」というアメの有効性に気づく。

「コカよりも別の合法的な作物を栽培する方が儲かるなら、農家は栽培する作物を変える」。

 ところが、この戦略も思わぬ壁にぶち当たる。

「コカイン生産者は、従来よりも60パーセントも効率的にコカからコカインを生産する方法を

開発したのだ」。

 市場の圧力にプレイヤーが合理的な反応で答える。これをイノヴェーションという。

 

 規制を逃れるイノヴェーションといえば、脱法ドラッグもその典型。

 従来の法を免れる新種の合成麻薬を業者が開発しては、政府からの横やりが入り、

そして業者はまた別の抜け穴を探す。消費者のドラッグ・ニーズが衰える兆候はない。

 このいたちごっこの最大の不毛は、安全性、有害性が二の次にされてしまうこと。

「ドラッグ・メーカーの研究開発チームは、より高品質または安全な製品ではなく、販売が

可能な新しい製品を開発することだけに専念している」。

 優先順位が危険性や依存性に設定されないことから来る、極めて合理的な帰結。

 

 本書の概要は、麻薬カルテルを素材に用いた入門経済学、マネジメントの実践編。

自由市場のプレイヤーの努力という点において、彼らとてその例外であろうはずがない。

 堅苦しい教科書ならば誰にだって書ける。しかし、楽しく学べるというインセンティヴを

付与するとなれば、その難易度は格段に上がる。

 そして本書は見事にその条件をクリアする。なにせ刺激に事欠かない。

 メキシコでは「試験官の腐敗が進み、賄賂なしでは運転試験に合格するのが難しく

なったため、数年前に試験が廃止された」。エルサルバドルを取材訪問したときのこと、

「街のど真ん中だというのに、どういうわけか携帯電話の電波がまったく入らない。……

囚人の電話をブロックするための妨害電波のせいだ」。

 面白い、ということはさらなる副産物を伴う、つまり、そのメッセージが説教臭さを排して

より読者にとって受け入れやすいものになる。伝えようとしていることそれ自体は同じ、

ただし伝え方次第でまるで届き方は違う、そんなPRの実践例を示すかのように。

 本書のすばらしさは、テキスト構成そのものが経済学の有効性を体現していることにある。

 禁止からコントロールへ。ストイシズムの効力が限定的という点において、薬物依存症も

テキスト読者もひとつとして変わるところはない。

人間の安全保障

  • 2018.03.30 Friday
  • 23:03

「昨今、ベーシックインカムへの関心が高まっている一因は、現在の経済政策と社会政策の

下で、持続不可能な規模の不平等と不正義が生まれているという認識にある。猛烈な

グローバル化が進み、いわゆる『新自由主義』の経済が浸透し、テクノロジーの進化により

労働市場が根本から様変わりするなかで、20世紀型の所得分配の仕組みは破綻して

しまった。……本書の目的はあくまでも、読者にベーシックインカムの基礎知識を提供し、

掘り下げた紹介をすることにある。ベーシックインカムとはどういうものか、この制度が

必要な理由として挙げられてきた三つの側面、すなわち正義と自由と安全について論じ、

あわせて経済面での意義にも触れる。また、さまざまな反対論も紹介する。とくに財源面での

実現可能性の問題と、労働力供給への影響についても検討する。さらに、実際に制度を

導入するうえでの実務的・政治的な課題も見ていく」。

 

 ベーシックインカム批判の典型に、「社会を破壊しかねない怠惰」を引き起こすだけ、と

訴える説がある。しかし筆者はこれらの妄想を裏づける根拠など存在しない、と一蹴する。

あくまで「ベーシックインカムは、人々が何もせずに怠惰に過ごすためのお金を配る制度では

なく、『やりたいこと』と『できること』をする自由を与えるための制度なのだ。……

心理的な安全を感じている人は仕事の量を減らすのではなく、増やす……心理的な安全を

感じれば、人は協力的になり、仕事上のグループの生産性も上昇する可能性が高い。基礎的な

安全が確保されると、自信が強まり、活力が増し、他人への信頼感が高まって、より多く、

より質の高い仕事ができるようになるのだ」。

 インドでの社会実験例、「大人(とくに女性)の仕事量と労働が増えた。多くの受給者が副業

(主に自分のビジネス)を始めたことが大きな理由だ。唯一、労働量が減ったのは、学齢期の

子どもたちだった」。それだけではない。「医療費など不慮の支出に対応したりするために、

しばしば急な借金をしなくてはならない。多くの場合はきわめて高い金利を支払う羽目になる」。

この事態が回避される結果、債務リスクが減少するばかりか、「より戦略的な意思決定も可能に

なった。以前より低い金利で金を借り、必要な農具や種子、肥料などを買」い求めるようになり、

必然的に生産性が向上した。

 BIの恩恵は単に家計に留まらなかった。「ある村では、試験プロジェクトが始まった当時、

若い女性は誰もがベールで顔を覆っていた。……しかし数カ月後、私が調査チームの同僚と

一緒に村を訪れると、ベールをかぶっている女性は一人もいなかった。ある女性が理由を

説明してくれた。以前は年長者のいうことを聞くしかなかったが、自分のお金が手に入るように

なったので、自分の意思に従って行動できるようになったのだ」。

 

 もちろん、先進国において筆者が強調するような「労働labor」から「仕事work」への

移行を果たせるほどのBI給付をしようとすれば、途方もない財源を要するだろう。

 とはいえ、筆者がBIを推奨する理由、言い換えれば、現行の各種社会保障制度を

批判する理由について知るだけでも本書は参照に値する。

 例えば資力調査に基づく社会的扶助の場合、まず審査のコスト自体が馬鹿にならない。

プライヴァシーも侵害される、ゆえに本当に必要としているはずの人が申請すらしない。

そして何より「貧困の罠」が待っている。中途半端に職にありつけば、かえって実入りが

少なくなる。それを避けるために就労を義務づけるのは、ブラック企業に餌を与えるだけ。

 現物給付やバウチャー制度の場合、まず極めて反現実的な仮定を前提に置いている。

曰く、現金を渡したところで浪費を助長するだけ。しかし現実は全く逆の傾向を示す。

「給付金は、子どものための食糧、医療、教育など、有意義な目的に用いられる場合が多い。

……違法薬物やアルコール、タバコへの支出は減る」。クーポンが想定しない生活必需品を

入手できない、そんな問題は当然に起きてくる。システムコストは狂気を極める。「ある研究に

よれば、……現物給付は、同程度の現金給付に比べて4倍近い行政コストがかかる」。

「バウチャーは、使える店が決まっていたり、店側が受けつけた場合しか使えなかったりする。

その結果、業者間の競争があまりはたらかず、バウチャーを受け付ける店は価格を引き上げ

やすい。バウチャーは同額の現金に比べて、購入できる商品の量が少ないのだ」。だとすれば

制度の拡張を図るほどに汚職や利権誘導が進むことは火を見るよりも明らかだ。

 

 BIのコストをどう捻出するか、なるほど問題には違いない。

 しかしそのことは、イギリスで「医療、警察、刑務所など、ホームレス一人に対して年間に

推定26000ポンドが費やされている」点を決して擁護しない。直接給付にすれば、彼らが苦境を

脱するのにかかるコストはそれよりもはるかに低い。それでいて、乗数理論に基づく循環効率も

非常に高いパフォーマンスを期待できる。どこに差額をくわえ込むしか能のない豚どもを

生かしておくべき理由があるというのか。

 BIが不労所得のバラマキであるという批判が正当であるならば、全く同じ理由に基づいて

資本家(笑)が糾弾されることもなくのさばっていられるこの矛盾はどう説明されるのか。

 

 ベーシックインカムを叩く前に、自らの常識がいかに薄汚い臆見に過ぎないか、巷間広まる

愚かしい言説で誰が得をするのか、を少しでも立ち止まって考えてみる。

 それだけで、「ユートピア」はほんの少し近づく。

お気に召すまま

  • 2017.12.22 Friday
  • 22:09

 例えば「200996日、ブルガリアの国営ロトは当選番号としてランダムに41523

243542を選んだ。これらの数に特に驚くようなところはない。……驚くべきことはその

4日後に起こった。2009910日、ブルガリア国営ロトは当選番号としてランダムに4

1523243542を選んだ――前回とまったく同じだったのである」。

 1987年のブラック・マンデーを振り返ってある者はその発生確率を10^-160と見積もった。

そして1998年のヘッジファンドの倒産劇には「テンシグマ事象」との説明が与えられた。

ちなみにその確率は、1.3*10^-23だという。20078月の暴落に際して付された形容詞は

10万年に1度の出来事だった。起きないはずのインシデントが本当に金融を襲ったのか、

さもなくば、単にモデルが間違えていたか。

 

 本書の原題は、The Improbability Principle: Why Coincidences, Miracles, and Rare Events

Happen Every Day

「本書のテーマは、到底起こりそうにない出来事である。考えれば考えるほど起こりそうに

ない物事がなぜ起こるのかについて語っていく。だがそれだけではない。なぜ次々起こる

ものなのかも解き明かす。……起こりそうもない出来事にも法則があるのだ。『ありえなさの

原理』とは偶然に関する法則一式に私が付けた呼び名で、それらは総体として、思わぬ

出来事は起こるものであること、そしてそれはなぜなのかを教えてくれる」。

 例えば上記のロトの説明は、「超大数の法則」によって与えられる。つまり、試行回数を

果てしなく増やせば稀な出来事だって混ざり込む。同じく金融の悲喜劇も、「確率てこの

法則」に従う。つまり、正規分布の曲線によれば想定外の出来事とて、その前提となる

分布の条件をいじれば、よく起きる事象へと変貌する。

 だとしたらこんな事例はどうだろう。

 あるIT企業においてCEOに対して「合計6回あったストックオプション付与はすべて、

株価が上昇する直前に往々にして急落時に底値でなされていた」。この「偶然」を報じた

記事に従えば、発生確率は3000億分の1だという。

 

 手計算や目算の及ばない複雑な数式が出てくることはない。宝くじあり、サイコロあり、

具体例もごくごく身近、それゆえしばしば生々しい。目の前の事柄にとかく因果を探って

みたくなるのが人間の性、だから時には落とし穴にもはまる、そんな哀愁も時に滲む。

 総計5つの法則から「偶然」について再考する、統計リテラシーの入門書。

 

 年の瀬の恒例行事、有馬記念のトリビア。

 松田優作が夭逝したその年、単勝万馬券の大穴が内ラチから強襲する。その馬の名は

ダイユウサク。2着には俳優つながりで、メジロマックイーン。

 あるいは、NYのワールド・トレード・センターにテロリスト操る旅客機が飛び込んだその年、

制したのはマンハッタンカフェ、続いたのはアメリカンボス。

 山本モナが不倫で世間を賑わせれば、その年末にアドマイヤモナークが大外からなだれ込み、

長嶋茂雄が来場すれば、同じ誕生日のジェンティルドンナが有終の美を飾る。

 偶然だろうか?

 この本を読んだ後ならば――いや、読まなくても――はっきり言える。気のせいです。