「経済学者は最高の警官」

  • 2018.10.27 Saturday
  • 20:09
評価:
トム・ウェインライト
みすず書房
¥ 3,024
(2017-12-16)

「基本的な経済学を応用して、まったく別の視点から麻薬取引を分析したら、いったい

何がわかるのだろう? 今いちど麻薬カルテルを詳しく見てみると、合法的な企業との

共通点がいっそう明らかになる。コロンビアのコカイン・メーカーはアメリカの巨大スーパー

マーケット・チェーン『ウォルマート』と同様、サプライ・チェーンを厳格に管理することで

利益を守ってきた。メキシコの麻薬カルテルはマクドナルドが成功させたフランチャイズ

方式で規模を拡大してきた。エルサルバドルでは、かつて不倶戴天の敵と誓い合ってきた

全身タトゥーのギャングたちが、競争するより協力した方が互いの利益になると気づき

はじめている。カリブ海諸国の犯罪者たちは悪臭ただよう刑務所を求人センターとして

利用し、人材確保の問題を解決している。麻薬カルテルは、一般の大企業と同じく

オフショアリングを試験的に取り入れることで、規制の緩い別の国々に問題の解決策を

見いだしはじめているし、一定規模まで成長した大半の企業と同じく経営の多角化も

試みている。そして、路面の小売店と同じくオンライン購入の波に押しつぶされつつある」。

 

 コカインの供給を止めたければ、原材料のコカの葉の栽培を解体してしまえばいい。

そうすれば必然的に末端価格も高騰し、消費の抑制につながるだろう。

 なるほど、一見理に適った推論だ。そうしてペルーやコロンビアでは軍を動員してまで

畑を焼き払い、除草剤で木を枯らした。

 しかし、コカイン市場では微塵の価格変動も起きなかった。何せコカの葉はカルテルの

独占状態、不作だろうが皺寄せは農家にすべて被せてしまえばいい、それはちょうど

アメリカの小売市場でウォルマートが供給業者を買い叩くのとまったく同じように。

「コカの栽培条件が悪化しても、貧しい農家がいっそう貧しくなるだけで、カルテルの利益が

減ることも、コカインの販売価格が上がることもない」。

 人々はやがて「根絶」というムチに代わり、「補助金」というアメの有効性に気づく。

「コカよりも別の合法的な作物を栽培する方が儲かるなら、農家は栽培する作物を変える」。

 ところが、この戦略も思わぬ壁にぶち当たる。

「コカイン生産者は、従来よりも60パーセントも効率的にコカからコカインを生産する方法を

開発したのだ」。

 市場の圧力にプレイヤーが合理的な反応で答える。これをイノヴェーションという。

 

 規制を逃れるイノヴェーションといえば、脱法ドラッグもその典型。

 従来の法を免れる新種の合成麻薬を業者が開発しては、政府からの横やりが入り、

そして業者はまた別の抜け穴を探す。消費者のドラッグ・ニーズが衰える兆候はない。

 このいたちごっこの最大の不毛は、安全性、有害性が二の次にされてしまうこと。

「ドラッグ・メーカーの研究開発チームは、より高品質または安全な製品ではなく、販売が

可能な新しい製品を開発することだけに専念している」。

 優先順位が危険性や依存性に設定されないことから来る、極めて合理的な帰結。

 

 本書の概要は、麻薬カルテルを素材に用いた入門経済学、マネジメントの実践編。

自由市場のプレイヤーの努力という点において、彼らとてその例外であろうはずがない。

 堅苦しい教科書ならば誰にだって書ける。しかし、楽しく学べるというインセンティヴを

付与するとなれば、その難易度は格段に上がる。

 そして本書は見事にその条件をクリアする。なにせ刺激に事欠かない。

 メキシコでは「試験官の腐敗が進み、賄賂なしでは運転試験に合格するのが難しく

なったため、数年前に試験が廃止された」。エルサルバドルを取材訪問したときのこと、

「街のど真ん中だというのに、どういうわけか携帯電話の電波がまったく入らない。……

囚人の電話をブロックするための妨害電波のせいだ」。

 面白い、ということはさらなる副産物を伴う、つまり、そのメッセージが説教臭さを排して

より読者にとって受け入れやすいものになる。伝えようとしていることそれ自体は同じ、

ただし伝え方次第でまるで届き方は違う、そんなPRの実践例を示すかのように。

 本書のすばらしさは、テキスト構成そのものが経済学の有効性を体現していることにある。

 禁止からコントロールへ。ストイシズムの効力が限定的という点において、薬物依存症も

テキスト読者もひとつとして変わるところはない。

人間の安全保障

  • 2018.03.30 Friday
  • 23:03

「昨今、ベーシックインカムへの関心が高まっている一因は、現在の経済政策と社会政策の

下で、持続不可能な規模の不平等と不正義が生まれているという認識にある。猛烈な

グローバル化が進み、いわゆる『新自由主義』の経済が浸透し、テクノロジーの進化により

労働市場が根本から様変わりするなかで、20世紀型の所得分配の仕組みは破綻して

しまった。……本書の目的はあくまでも、読者にベーシックインカムの基礎知識を提供し、

掘り下げた紹介をすることにある。ベーシックインカムとはどういうものか、この制度が

必要な理由として挙げられてきた三つの側面、すなわち正義と自由と安全について論じ、

あわせて経済面での意義にも触れる。また、さまざまな反対論も紹介する。とくに財源面での

実現可能性の問題と、労働力供給への影響についても検討する。さらに、実際に制度を

導入するうえでの実務的・政治的な課題も見ていく」。

 

 ベーシックインカム批判の典型に、「社会を破壊しかねない怠惰」を引き起こすだけ、と

訴える説がある。しかし筆者はこれらの妄想を裏づける根拠など存在しない、と一蹴する。

あくまで「ベーシックインカムは、人々が何もせずに怠惰に過ごすためのお金を配る制度では

なく、『やりたいこと』と『できること』をする自由を与えるための制度なのだ。……

心理的な安全を感じている人は仕事の量を減らすのではなく、増やす……心理的な安全を

感じれば、人は協力的になり、仕事上のグループの生産性も上昇する可能性が高い。基礎的な

安全が確保されると、自信が強まり、活力が増し、他人への信頼感が高まって、より多く、

より質の高い仕事ができるようになるのだ」。

 インドでの社会実験例、「大人(とくに女性)の仕事量と労働が増えた。多くの受給者が副業

(主に自分のビジネス)を始めたことが大きな理由だ。唯一、労働量が減ったのは、学齢期の

子どもたちだった」。それだけではない。「医療費など不慮の支出に対応したりするために、

しばしば急な借金をしなくてはならない。多くの場合はきわめて高い金利を支払う羽目になる」。

この事態が回避される結果、債務リスクが減少するばかりか、「より戦略的な意思決定も可能に

なった。以前より低い金利で金を借り、必要な農具や種子、肥料などを買」い求めるようになり、

必然的に生産性が向上した。

 BIの恩恵は単に家計に留まらなかった。「ある村では、試験プロジェクトが始まった当時、

若い女性は誰もがベールで顔を覆っていた。……しかし数カ月後、私が調査チームの同僚と

一緒に村を訪れると、ベールをかぶっている女性は一人もいなかった。ある女性が理由を

説明してくれた。以前は年長者のいうことを聞くしかなかったが、自分のお金が手に入るように

なったので、自分の意思に従って行動できるようになったのだ」。

 

 もちろん、先進国において筆者が強調するような「労働labor」から「仕事work」への

移行を果たせるほどのBI給付をしようとすれば、途方もない財源を要するだろう。

 とはいえ、筆者がBIを推奨する理由、言い換えれば、現行の各種社会保障制度を

批判する理由について知るだけでも本書は参照に値する。

 例えば資力調査に基づく社会的扶助の場合、まず審査のコスト自体が馬鹿にならない。

プライヴァシーも侵害される、ゆえに本当に必要としているはずの人が申請すらしない。

そして何より「貧困の罠」が待っている。中途半端に職にありつけば、かえって実入りが

少なくなる。それを避けるために就労を義務づけるのは、ブラック企業に餌を与えるだけ。

 現物給付やバウチャー制度の場合、まず極めて反現実的な仮定を前提に置いている。

曰く、現金を渡したところで浪費を助長するだけ。しかし現実は全く逆の傾向を示す。

「給付金は、子どものための食糧、医療、教育など、有意義な目的に用いられる場合が多い。

……違法薬物やアルコール、タバコへの支出は減る」。クーポンが想定しない生活必需品を

入手できない、そんな問題は当然に起きてくる。システムコストは狂気を極める。「ある研究に

よれば、……現物給付は、同程度の現金給付に比べて4倍近い行政コストがかかる」。

「バウチャーは、使える店が決まっていたり、店側が受けつけた場合しか使えなかったりする。

その結果、業者間の競争があまりはたらかず、バウチャーを受け付ける店は価格を引き上げ

やすい。バウチャーは同額の現金に比べて、購入できる商品の量が少ないのだ」。だとすれば

制度の拡張を図るほどに汚職や利権誘導が進むことは火を見るよりも明らかだ。

 

 BIのコストをどう捻出するか、なるほど問題には違いない。

 しかしそのことは、イギリスで「医療、警察、刑務所など、ホームレス一人に対して年間に

推定26000ポンドが費やされている」点を決して擁護しない。直接給付にすれば、彼らが苦境を

脱するのにかかるコストはそれよりもはるかに低い。それでいて、乗数理論に基づく循環効率も

非常に高いパフォーマンスを期待できる。どこに差額をくわえ込むしか能のない豚どもを

生かしておくべき理由があるというのか。

 BIが不労所得のバラマキであるという批判が正当であるならば、全く同じ理由に基づいて

資本家(笑)が糾弾されることもなくのさばっていられるこの矛盾はどう説明されるのか。

 

 ベーシックインカムを叩く前に、自らの常識がいかに薄汚い臆見に過ぎないか、巷間広まる

愚かしい言説で誰が得をするのか、を少しでも立ち止まって考えてみる。

 それだけで、「ユートピア」はほんの少し近づく。

お気に召すまま

  • 2017.12.22 Friday
  • 22:09

 例えば「200996日、ブルガリアの国営ロトは当選番号としてランダムに41523

243542を選んだ。これらの数に特に驚くようなところはない。……驚くべきことはその

4日後に起こった。2009910日、ブルガリア国営ロトは当選番号としてランダムに4

1523243542を選んだ――前回とまったく同じだったのである」。

 1987年のブラック・マンデーを振り返ってある者はその発生確率を10^-160と見積もった。

そして1998年のヘッジファンドの倒産劇には「テンシグマ事象」との説明が与えられた。

ちなみにその確率は、1.3*10^-23だという。20078月の暴落に際して付された形容詞は

10万年に1度の出来事だった。起きないはずのインシデントが本当に金融を襲ったのか、

さもなくば、単にモデルが間違えていたか。

 

 本書の原題は、The Improbability Principle: Why Coincidences, Miracles, and Rare Events

Happen Every Day

「本書のテーマは、到底起こりそうにない出来事である。考えれば考えるほど起こりそうに

ない物事がなぜ起こるのかについて語っていく。だがそれだけではない。なぜ次々起こる

ものなのかも解き明かす。……起こりそうもない出来事にも法則があるのだ。『ありえなさの

原理』とは偶然に関する法則一式に私が付けた呼び名で、それらは総体として、思わぬ

出来事は起こるものであること、そしてそれはなぜなのかを教えてくれる」。

 例えば上記のロトの説明は、「超大数の法則」によって与えられる。つまり、試行回数を

果てしなく増やせば稀な出来事だって混ざり込む。同じく金融の悲喜劇も、「確率てこの

法則」に従う。つまり、正規分布の曲線によれば想定外の出来事とて、その前提となる

分布の条件をいじれば、よく起きる事象へと変貌する。

 だとしたらこんな事例はどうだろう。

 あるIT企業においてCEOに対して「合計6回あったストックオプション付与はすべて、

株価が上昇する直前に往々にして急落時に底値でなされていた」。この「偶然」を報じた

記事に従えば、発生確率は3000億分の1だという。

 

 手計算や目算の及ばない複雑な数式が出てくることはない。宝くじあり、サイコロあり、

具体例もごくごく身近、それゆえしばしば生々しい。目の前の事柄にとかく因果を探って

みたくなるのが人間の性、だから時には落とし穴にもはまる、そんな哀愁も時に滲む。

 総計5つの法則から「偶然」について再考する、統計リテラシーの入門書。

 

 年の瀬の恒例行事、有馬記念のトリビア。

 松田優作が夭逝したその年、単勝万馬券の大穴が内ラチから強襲する。その馬の名は

ダイユウサク。2着には俳優つながりで、メジロマックイーン。

 あるいは、NYのワールド・トレード・センターにテロリスト操る旅客機が飛び込んだその年、

制したのはマンハッタンカフェ、続いたのはアメリカンボス。

 山本モナが不倫で世間を賑わせれば、その年末にアドマイヤモナークが大外からなだれ込み、

長嶋茂雄が来場すれば、同じ誕生日のジェンティルドンナが有終の美を飾る。

 偶然だろうか?

 この本を読んだ後ならば――いや、読まなくても――はっきり言える。気のせいです。

パラダイス・ロスト

  • 2017.11.10 Friday
  • 23:28
評価:
ジェームス・K・ガルブレイス
明石書店
¥ 3,024
(2017-09-30)

「これらの2つは、痛しかゆしである。公衆の側においては、それに見合うような強力な

誘因が存在する単純な政治的な物語をつくり出した。経済学者の関心は、多くの競合する

理論、仮説、主張を育んだ。かつて散らかっていなかった領域は、今では錯綜している。

……私の目標は、論争とは一定の距離を保ちつつ、最も重要な問題を巡るツアーを

提供することである。経済的不平等を扱った本で厳密に政治とは無関係であった本は

ないが、それでも本書は政治的な本ではないのである。

 一貫して、私は2つの信念を保持し続ける。第一に、経済思想史は原理・原則の導きに

なるということである。問題は新しいものではなく、それらの問題と取り組んだ原典、ルソーの

『人間不平等起源論』やアダム・スミスの『国富論』などは今でも読むに値する。第二に、

事実を選り分けようとする誠実な努力は、定義や測定に対する最も注意深い配慮を必要と

するということである。これらの理由のために、読者はいくつかの章が思想史、賃金や所得の

概念、データの出所、特定の尺度の性質に割かれていることを見つけるだろう」。

 

 本書が訴えるのは、「不平等」をめぐる時に意外な側面。

 例えば「教育を増強させれば、所得階層の最上位にある人たちが享受している賃金と

所得の優位性が低下する」という通説が、「2つの困難に直面している」と論じる。第一に、

現状のアメリカにおける所得の不平等は、賃金よりも株価によって説明される、という点。

「錬金術により、ある企業の株式をたまたま所有していた人たちは、スキルと才能の典型例で

あるという主張……と、この主張を現実の問題としてまじめに考えることとは別問題である」。

そして「第二の困難は、供給過剰に反応する賃金調整の需要と供給の話が最も先進的な

経済部門すなわち最も支払いの多い経済部門で雇われている人の報酬の動きを説明

できないことである。……先進のスキルが要求される領域への教育投資は、……宝くじを

買うようなものであり、一か八かに賭けた人のほんの一部の人のみが利益を得るのである」。

 あるいは例えばこんな神話、「多くの経済学者は、長年、『効率』と『公平』は競合する

要求であるという考えを受け入れてきた。つまり、もしより平等主義的社会において、

政治的な価値として公平を追求するならば、総所得や生活水準において犠牲を被らざるを

えない。もしそうであるならば、平等主義的な社会は完全に貧しい人で埋め尽くされると

いうこともありうる」。国家を豊かにしたければ、格差からのトリクル・ダウンに期待するより

道はなく、平等は全体の先細りを誘発するだけ、というわけだ。ところが現実のデータを

参照すると、「驚くべき事実は、そのような社会が世界には存在しないということである。

平等主義的な国家はほとんど豊かである。貧しい国はすべて非常に不平等である」。

あるいは、死亡率や平均余命などの統計を参照しても、「平等主義的な社会はこれらの点に

おいてよりうまくいっている。……地位の低い人々がトップに上る人々より大きな健康上の

問題を抱えている……低い地位にとどまり続けることのストレスがそうした状況を生み出した

主要な力であることは明らかだろう」。

 

 そして筆者は、戦争における「民主主義の勝利」なる仮説に対してこんな対案を掲げる。

「平等な社会のほうが不平等な社会よりも戦争の際にうまく機能するかという問題である」。

さて、過去の統計はいかなる示唆を与えるだろうか。

 1962年以降の戦争において、この説の例外となるのは、インド‐パキスタン間の場合のみ、

ただし、当時のパキスタンがバングラデシュを含んでいた点を加味すれば、不平等の秤が

逆転する公算がかなり高い、という。アメリカはベトナムで膠着を味わい、コソボにおいても

苦汁を飲んだ。かつてゴリアテに挑むダビデに自らをなぞらえたイスラエルは、不平等を

拡張させる中で、経済においても軍事においてもはるかに劣るレバノンもパレスチナもついぞ

蹴散らすことのできないまま、今日に至る。

 考究はさらに遡って進められる。建国期のアメリカとフランスは、「部分的に傭兵を用いる

帝国側との戦争に突入し」、そして勝利を収めた。アメリカは1812年により平等主義的な

カナダに敗北を喫するも、ただし1815年の大英帝国との戦争で名誉を挽回した。他方で、

ナポレオン帝政に戻ったフランスは、1803年にハイチで解放奴隷に屈した。南北戦争に

負けたのも、黒人奴隷を抱える南部であった。第二次世界大戦の勝者もやはり、より平等な

連合国だった。「これらすべての事例において、工業システムがずっと弱くても、また一人

当たりの所得が低くても、より平等主義的な側が勝利しているように見える。……要するに、

これらすべてにおいて際立っていることは、平均所得水準や工業の発展、民主主義の状況が

不利な状況にあったとしても、より平等的な国のほうが通常紛争に勝つという理論について

論ずるのが容易だということではない。際立っていることは、明白にそれと反対の事例を

見つけるのが難しいということである」。

 国力の礎としての平等を諭すに、これほど説得的な仕方が果たしてあるだろうか。

水を得た人

  • 2017.03.25 Saturday
  • 21:27

20151月、ダボス会議で知られる世界経済フォーラムは、『潜在的な影響が最も大きい

と懸念されるグローバルリスクは水危機である』と発表した。……本書では、水について

何が問題で国際社会はどのように解決しようとしているのか、貧困撲滅や持続可能性の

構築とどう関係するのか、そして日本に住む私たちや日本の経済活動・外交にとって

グローバルリスクへの取り組みがなぜどのように大事なのかを解き明かそうとした。水から

社会と経済と環境の持続可能な未来を考えるため、2014年に国際標準が発行された、

ウォーターフットプリントや、仮想水貿易といった新しい概念も紹介している。気候変動の

人間社会への影響はほとんど水を通じてであるので、二酸化炭素の排出削減以外の気候

変動対策として浮上してきた適応策でも水関連リスクの管理が主要な位置を占めている」。

 

「水危機」と聞けばとっさに浮かぶのはたぶん、洪水や旱魃。

 ただし本書が取り上げるのは、そうした自然災害の枠を超えた「グローバルリスク」の諸相。

「水は文化のバロメータ」、水道へのアクセスは社会インフラ整備、公衆衛生の普及の無二の

指標、「世界各国を比較すると、各人が大量の生活用水を利用しているような国では乳児

死亡率が低い」。また「死なないためには123リットルの飲み水でぎりぎり足りるとしても、

少なくともその10倍、日本の場合には約100倍もの水を、健康で文化的な人間らしい生活の

ためにわれわれは使っているのである」。

 風呂や飲用といった目に見える水だけが水消費のすべてではない。工業とて、農業とて、

末端の製品やサービスにはどこかしら水が使われずにはいない。そんな水利用の可視化を

促す評価指標が「ウォーターフットプリント」、すなわち「水の量的な利用や質の劣化によって

利用可能な水資源量が減ってしまう、あるいはその影響が人間の健康や生態系に及ぶと

いった潜在的な環境影響を定量化した」もの。

 

 本書が伝えるのは、水をめぐる現在情勢に限定されるものではない。

 例えば倫理の教材として。

 環境保護と言えばしばしば想像されるのは反消費活動、しかし現状の世界的な趨勢は、

「生態系の価値がそれ自体にあるというよりは、生態系サービスという便益をもたらすからこそ

生態系は重要である」として、人間のクオリティ・オブ・ライフの維持、向上に軸足が置かれる。

 気候変動の各ファクターの算定が不確実性を孕んでいるからといって、それを「理由に

決断を先送りするのは、卑怯なのか無責任なのか、あるいは単にやる気がない」のだろうか。

 環境規制は時にメーカーがボトムアップで先導する。だって、絶えざる金の借り換えが

企業活動の要である以上、世界にも自社にも未来がなくては困るのだから。

 あるいは仮想水貿易赤字国家における「安全保障は必ずしも一国で閉じた自給自足を

意味しない」のか。「いざとなれば孤立してもなんとかやっていける国家を目指すよりは、

国際協調を目指し、どんな状況でも交易が維持される良好な関係を世界の多くの国々と

築けるように努力し続けるのが現実的」と水は知らせてくれているのかもしれない。

 そんな手がかりが、次から次へと繰り出される。

 

 かつて、U.ベックは『危険社会』において、チェルノブイリを契機に、島宇宙化した世界を

横断して、グローバルに共有されざるを得ない人為のブーメランとしての「危険」を説いた。

 階級を越え、国境を越え、あるいは時間軸すらも越えて、万人に通じるテーマ、ゆえに

新たなる公共性が要求されずにはいない。

 さりとて、人間(笑)にそんな高尚なものを担う能力などあるはずもなく。

 唯一、人工知能による屠殺という仕方で、その合理的な決着は図られる。