荷風を待ちわびて

  • 2020.02.29 Saturday
  • 21:39
評価:
永井 荷風
中央公論新社
¥ 1,100
(2019-03-20)

 この度の散歩を立ち上げるにあたって、始点はまずこの一枚から。

 見ての通り工事中のため立ち入れず、表紙の画角に寄せることあたわず。

早くも出端は挫かれた。

 

 上流へしばらく遡ると、小さな分岐に出くわす。

「市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の

麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流の

いずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。

 これは子供の時から覚え始めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いて

不図小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委がたずねて見たくなるのだ。

来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去れず、事に会えば忽ち再発するらしい。

雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである」。

 

「真間の町は東に行くに従って人家は少く松林が多くなり、地勢は次第に

卑湿となるにつれて田と畠とがつづきはじめる。丘阜に接するあたりの村は

諏訪田とよばれ、町に近いあたりは菅野と呼ばれている。真間川の水は

菅野から諏訪田につづく水田の間を流れるようになると、ここに初て夏は河骨、

秋には蘆の花を見る全くの野川になっている。堤の上を歩むものも鍬か草籠を

かついだ人ばかり。朽ちた丸木橋の下では手拭いを冠った女達がその時々の

野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには

殊に多く白鷺が群れをなして、耕された田の中を歩いている」。 

 

「真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづく

稍広い道路を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水と合して、この辺では

珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を

立てている」。

「猶いくことしばらくにして川の流れは京成電車の線路を横切るに際して、

橋と松林と小商いする人家との配置によって水彩画様の風景をつくっている」。

「わたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに

行き会ったので、驚いて見れば『やなぎばし』としてあった。真直に中山の町の

方から来る道路があって、轍の跡が深く掘り込まれている。子供の手を引いて

歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯れした

荒涼たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび

法華経寺にお参りした人達が柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと

帰って行くのであろう」

「わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵をかえした」。

 

 確かにそこには水田も松林もない。遠くを望む視線は訳もなく低層住宅によって

遮られる。川沿いのベッドタウンでさえあれば、同様の写真はいくらでも集まろう。

かくして昭和二十二年の荷風を訪ねた令和二年うるう日の旅はめでたく不首尾に

終わった、かに見える。

 違う。まさにこの現象こそが、散歩者と荷風を束の間同期化させる。

「市川の町を歩いている時、わたくしは折々四五十年前、電車も自動車も走って

いなかったころの東京の町を思出すことがある」。

「葛飾土産」において荷風がひもとく場面は、そのすべてが彼の愛した東京の

田園の残滓に他ならない。過日の記憶にしばし揺蕩う。彼がここに記したものは

決して眼下の情景でも声でもない。不意に時間が現前する。

 だからこそ、この随筆は読むに足る。本書巻末に付された石川淳の追悼文、

まるでいしかわじゅんの手によるような酷評にあって、「葛飾土産」のみを

「風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし」と戦後ただ一点の例外的な

称賛へと導いたものは、まさにこのマドレーヌ性、朽ち果てた老境にあって

失われた時が不意に見出されたからに他ならない。それは決して陳腐な比喩、

燃えさしのロウソクには似ない。

 

 Camera don't lie、ダニエル・パウターの言うことには

 カメラが空振るほどに、歩みは荷風へ近づいていく。

グッバイ・クリストファー・ロビン

  • 2019.09.12 Thursday
  • 22:16
評価:
石井 桃子
河出書房新社
¥ 799
(2018-05-08)

 過日、高畑勲『アニメーション、折りにふれて』を読む。ひときわ印象に残ったのが

石井桃子という名前だった。『ピーターラビット』、『くまのプーさん』、『ノンちゃん

雲に乗る』……まさか一点として触れることなく幼少期を通り過ぎたはずはない。

さりとてこれらをめぐる具体的なエピソード記憶が頭をかすめることもない。

 いずれにせよ、いしいももこを読んでいた時代がきっとあって、遡り得ぬ時間を思い、

そんな本に囲まれた過去があっただろうことに感慨を誘われる。

「描かれているものや、読んでもらうことが、ちんぷんかんぷんであっても、

幼児のまわりには、現実に、ちんぷんかんぷんのことがあって、そういうものに

ぶつかっていくあいだに、子どもは知ったり、発見したりして喜ぶのにちがいない。

……そして、その子は、現実に見たものを、頭の中でもう一ど、そらで組みたてる

作業――どんなほかの動物もできない作業――を、どんどん頭のなかで

つみ重ねていって、やがて、現実の形や絵、いまのはやりのことばでいえば、

イメージの力をかりないでも、イメージを思いうかべることもできれば、そこから進んで

抽象観念にまで到達することができる。

 そして、その作業は、けっして学校へいって、勉強といわれるものがはじまってから、

はじまるのではなくて、生まれるとまもなく、その第一歩の活動がはじまっているのだと

いうことは、子どもたちを見ていると、いやでも教えられないわけにはいかない。

 そうとすると、絵本は、おとなが子どものために創りだした、最もいいもの、だいじな

ものの一つということができないだろうか」。

 

 自宅の一室を子ども向けの図書室として開放する。

「話し手にとって、たいへん勉強になることは、子どもの感じるおもしろさの質が、

子どもの反応にあらわれることです。げらげら笑う時も、おもしろいのですし、

くすくす笑って、となりの子をふりかえる時も、おもしろいのですし、しーんとなって

しまう時もおもしろいのです。

 これをくり返しているうちに、どういうことが子どもにおもしろく、どういうことが、

おもしろくないか、話し手に大体わかってきます」。

 こうした経験のひとつひとつが、作品にも必ずや反映される。現代的に言えば、

クライアントからのフィード・バック、けれどもそう換言することで失われてしまう何か。

「一つの本がある時代の子どもに読まれて、また二十年、三十年たってからの

子どもに愛読されるということは、どういうことだろうか。それは、その本が、一つの

時代の子どもの求めるものでなく、いつの時代の子どもにも訴えかけるものを

もっているということである。つまり、そうした本は、子ども自身が、自分では答えて

くれない秘密、子どもの求めるものは、こういうものですよという答案を、私たちに

示してくれていることになる」。

 本書が回顧調をもって読まれざるを得ない理由がここにある。かくも悠長な

タイムスパンへと選定を委ねることももはやできなければ、そもそも子どもを

ここまで信用することさえもできない。絵本の力を信じることのできた時代とは

つまりその受け手たる子どもを信じることのできた時代。翻してみれば、本が

捨てられる時代とは、子どもが捨てられる時代なのかもしれない。

 

「子どもは、そこに本があり、自分がいくと、歓迎してくれる人のいるところが

あれば、本を読みにゆくのです」。

 このことばを説得的に聞かせられるおとなが現代にどれほどいるだろう。

人間の條件

  • 2019.09.05 Thursday
  • 21:34

「羽をもがれるようにして、光と音を失って育つ。3歳で目に異常がみつかり、

4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。……14歳でこんどは右耳が

聞こえなくなり、18歳ですべての音も奪われる。

 無音漆黒の世界にたった一人。地球からひきはがされ、果てしない宇宙に

放り出されたような、孤独と不安にうちのめされる。

 盲ろうになって、一番の苦痛は『見えない、聞こえない』ことそのものでは

なく、『人とコミュニケーションができないこと』だった」。

 

 映像を取り込んでデジタル化して、ビット数に基づいて情報量を比較する。

福島自身の研究によれば、「音声情報は文字情報の2000倍、動画情報は

5万倍……それは、『健常者の状態から全盲の状態』への落差が5万と

2000で『25分の1』なのに対して、『全盲の状態から盲ろう者の状態』への

落差は『2000分の1』なので、この落差は、前者の80倍も大きいことになる」。

 試しに小説から視覚、聴覚の記述を消去した状態を想像してみればいい。

そこには茫漠たる白紙が広がる。

 

 彼の学生生活を支えた全盲の女性が「目が見えないとは、どういうことか」を

かつて語って聞かせたことがあった。

「兄が大学院生のとき焼身自殺をしました。石油を頭からかぶって火をつけて。

身元確認してほしい、と警察に呼ばれ、父親が広島まで出かけた。でも、私には

それができず、確認できないまま受け入れるしかなかった。見えないって、

こういうことなんです」。

 

 5万分の1の世界に孤絶する福島に訪れたターニング・ポイントは、

母が利かせたとっさの機転によるものだった。

 病院に行く時間だというのに母の支度ができていない、声を荒げる息子を

なだめるために、点字のタイプライターになぞらえてメッセージを発信する。

 

  さ と し わ か る か

 

 そして「通じた!……のちに福島、そして盲ろう者の重要な生命線のひとつに

なる『指点字』は、生ゴミのすぐそば、神戸の台所で母と子によって生まれた」。

 

「輝く者は、燃える苦しみに耐えねばならない」。

 盲ろう者のアイコンとして多忙を極めた福島はやがて心身の不調に襲われる。

Goodbye Norma Jean、下った診断は適応障害。

「盲ろうは、命は奪われていないけれど社会から黙殺されてきた。黙殺され、

殺されてきた。実際に自殺した人も何人もいます。これはどこかおかしい。

何かに怒ったということです。……盲ろう者は、内部の戦場体験をしている。

それは、たったいまもです」。

 

 5万分の1の世界の中にあってすら、本書にはほのかな希望が漂う。

その源は「わ か る」ことにある。障害者自立支援法について問われて、

福島は以下のように答えた。

「自立は、おそらく他者の存在がないとありえない概念。……ただ一人生きている

わけではなく、他者がいるから自分もいる。つまり、実は他者がいないと自立はない。

自分だけがただ一人でいるのは、存在していないのと同じなんです」。

 福島が糧とすることばがある。

「しさくは きみの ために ある」――「思索は君のためにある」。

「わ か る」の道は唯一、「しさく」を通じて開かれる。まさかこれが盲ろう者に

固有の話であるはずがない。

Daydream Believer

  • 2019.08.06 Tuesday
  • 21:48

「強大な記憶力を研究した他の心理学者と異なって、著者は、記憶量や

その安定性を測定したり、被験者が材料の記銘と再生に用いた数々の

方法を記述することだけをしたわけではなかった。はるかに強く著者の

関心をひいたものは、別の問題だったのである。

 つまり、非常に秀でた記憶力が、人間の人格のすべての基本的な側面

――思考、想像、行動――にどのような影響を与えるのか、もし、人間の

心理生活の一つの側面である記憶力が異常に発達し、その人の心理活動の

他の側面のすべてに変化を及ぼしはじめたならば、その人間の内面的世界、

他の人々とのコミュニケーション、生活の仕方が、どのように変化しうるので

あろうか、という問題だったのである」。

 

 古くより伝わる記憶術の仕方に、「記憶の宮殿」なる方式がある。具体的な

建物や通りを脳裏に浮かべ、その暗記の対象をイメージ化して配置していく。

抽象的なことばの羅列ではなく、鮮明な画像として身体に落とし込むことで

まるで臨場したかのように記憶の定着を促すこの流儀は、印刷術の未発達な

時代の学問を支え、やがて忘れ去られた。

 本書の被験者シィーが期せずしてその伝承に辿り着いたのは、彼固有の

共感覚の導いた半ば運命だった。例えば「50ヘルツ、100デシベルの音を

与えると、シィーは、暗い背景に、赤い舌をもった褐色の条線を見る。その音の

味は、甘ずっぱいボルシチに似ており、味覚が舌全体をおおう」。数字さえも

この共感覚を作動させる。例えば2は「平べったいもので、三角の形をした、

白味ががったもので、やや灰色をしていることがよくあります。……8は、素朴な、

青みがかった乳色で、石灰に似ています」。

 音素から生じる印象と、その組み合わせによって生じる単語はしばしば彼に

耐えがたい齟齬をもたらす。共感覚に従えば「コルジイク(あげせんべい)」は、

「食物であるが、長細い形をしたカラーチ(円弧型白パン)であるはずで、

小さなすじがついていて、かならず乾いたもので」あらねばならない。語によって

もたらされる確固たるイメージは、ただししばしば現実の世界と照応しない。

 

 いみじくもスタンダールは『赤と黒』の主人公、ジュリアン・ソレルの人格に

並外れた記憶力を付与した。たまさかではない。

 脳内の像と現実のはざまを生きる、必然、シィーは「空想家」になった。

「彼の空想はあまりにも鮮明な像に変わる。そして、それらの像は彼の中に

もう一つの非常に鮮明な世界をつくり出し、彼はその世界に移り、その世界の

実在性を経験するのである。夢想家も、現実に存在するものと、『見ている』

ものとの境を失うのである……」。

 幼いシィーは急いで学校に行かねばばならない。動転したシィーはそこで

イメージの世界へと誘われる。「彼」が現れて、てきぱきと支度し学校へ向かう。

「私は家に残り、『彼』は出かけたのだ。ところが、突然父が部屋に入ってきた。

『こんなに遅いのに、おまえはまだ学校に出かけないのか!』」。

「私」と「彼」のギャップは、生涯にわたり続く。

「鮮明な像は、現実と一致しないことがしばしばで、このような像に頼ることに

慣れていたシィーは、現実の事態ではしばしば手も足も出なくなった」。

「私」が現実として経験する世界はシィーにとってはあくまで「一時的」なもの、

「彼」として「見る」世界の到来を待ち、「そして行ってしまう いつも」。

「本当の人生、それは別のものです。すべては夢の中にあって、仕事の中には

ありません。(中略)いつも、何かを待っているのです」。

 

 本書を特殊な共感覚や記憶力をめぐる物語として読むことはもはやできない。

 相対化され尽くした「私」と「彼」の断絶を生きる、近代の果てを具現する肖像を

「見る」、鏡のように、この視線は間もなく「私」を「見る」経験として跳ね返る。

ドン・キホーテよろしく、各々にできるのは各々のイメージをさまようことだけ。

「私」と「私」の果てなき乱反射をもって人はそれを「現実」と呼ぶ。

 ただし、それを見た者はまだ誰もいない。

危険なメソッド

  • 2019.05.10 Friday
  • 22:59

「本書では、五人の男たちを取り上げる。矢部八重吉、丸井清泰、大槻憲二、

中村古峡、古澤平作である。いずれも草創期の日本の精神分析に関わった

人物である。彼らによって日本の精神分析は今こうして、実践され、研究されている。

……歴史はトラウマに満ちている。しかし、それを振り返り、吟味することの意義を

歴史研究は教えてきた。逆に言えば、起きた事実を隠蔽し、歴史を塗り替えて

しまうことの恐怖や愚かさを歴史は伝えてきた。それは精神分析も明らかに

してきたことである。精神分析は、個人の歴史の再構成が、心的変化に重要な

役割を持つを考えてきた。精神分析が示し続けてきたのは、歴史を知ることから、

私たちは現在の問題を理解する枠組みを学べるということであり、これから歩むべき

道をもまた知ることができるということである。日本の精神分析の歴史を知ることに

よって、私たちは今の日本の精神分析や、これからの日本の精神分析を考える

ための理解を得ることができるのではないだろうか」。

 

 との言とは裏腹に、残念ながら、本書がこの目標を到達することは叶わなかった。

というのも、全体のフレームがまるで見えてこないのだ。それが証拠に、日本の

精神医学史の素描が著されるのがようやく第四章になってからのこと、それにしても

「よく知られているように」という仕方での、行きがかり上の簡潔なメモに過ぎない。

精神医学や社会政策といった枠組みの中で、いかにして精神分析が立ち位置を

獲得していったのかも見えなければ、全体のつながりを欠いているがために、なぜに

五人が取り上げられなければならないのか、というそもそも論からして分からない。

代わって本書の展開する「歴史」といえば、「初めにフロイトがあった」史観とでも

呼ぶべき何か。各人が時代やテーマの文脈からぶつ切りに分断されている以上、

パーソナル・ヒストリーに終始せざるを得ない。そこで紹介される臨床例にしても、

私にはそのほとんどが創作物としか読めず興醒めを誘う。

 その中で長所といえば、「父殺し」を見事に引き出した第五章の結びだろうか。

終わり良ければすべて良し、物語として上手に落としたと讃えることもできようが、

その構造に耽溺しているだけと突き放してみても的外れとは言えまい。