君はカール・ゴッチを見たか

  • 2018.01.12 Friday
  • 22:34
評価:
玉袋 筋太郎,プロレス伝説継承委員会
毎日新聞出版
¥ 1,620
(2016-09-01)

「昭和のプロレスラーといえば、俺たちのハートを盗み続けた、罪深き大泥棒! そんな

錚々たる“容疑者”たちを片っ端からしょっ引いて、わたくし玉袋筋太郎と、フリーライターの

堀江ガンツ、椎名基樹という、プロレス伝説検証委員会こと変態的な昭和プロレス捜査官が、

彼らの波乱万丈の人生を徹底的に吐かせた“調書の束”が、この本というわけ。……特に

今回は、アントニオ猪木、ジャイアント馬場が率いた、新日本プロレス、全日本プロレス

黄金期の貴重な証言が満載! もちろん、その陰で怪しく輝いた、我らが国際プロレスや、

すべての源流である日本プロレスの話もあますところなく掲載! 昭和のプロレスファンには

たまらない一冊になっていると思うよ。/ただね、これは昭和を知らない、平成世代の人にも

読んでいただきたい。/何だったら、べつにプロレスすら知らなくてもいいんだ。

プロレスラーの話ってことを抜きにしても、相当コク深く濃厚な人生を送った人たちの

生きた証が詰まっているからね。何か、感じるものがきっとあると思うんだよな」。

 

 語るべき確かなものが何もないから、しょうもない与太話で茶を濁す。

 別に私は星野仙一葬送曲がごとき大言壮語には何の関心もない。

 ところが本書は期せずして、時に匠の逸話がこぼれる。そしてその源流には決まって

例えばカール・ゴッチがいて、アントニオ猪木がいる。ショービス内部の高度なお約束の

集積物としてのいわゆる「プロレス」である前に、レスリングの技術的な粋があることが

彼らの証言を裏打ちし、本書を興味深いものへと昇華させる。

 そんな荒行の果て、「結局は『自己満足』なんだよ」と男は言う。

「みんな身体障害者ばっかりだよ。ヒザ悪くてテーピングしてるヤツばっかりだし。……

さっきまであんなに脚が痛かったはずなのに、ちゃんと歩いてるよ、走ってるよって。

頭から落とされたりして、『ヘタすりゃ死ぬぞ』と思うけど、気合い入ってるから死なない。

練習だとボディスラム一発くらうだけで『うう……』ってなるけど、お客さんの前なら、

あんなの何十発でも平気だもんな。それはアドレナリンのおかげなんだろうけど、

その中毒になっちゃうんだよな。……ロクなもんじゃないけど、あれ1回知っちゃったら

もうダメだよな。カタギの仕事なんかできないよ」。

 彼らはただの「自己満足」に終わらない、だって伝承すべき技と知識があるのだから、

ゆえにこそ、その歩みから時に「何か、感じるもの」が生まれる。

 翻って昭和精神主義、狂気のシゴキや武勇伝が「自己満足」の他に何を残せるだろう。

男はつらいよ

  • 2018.01.05 Friday
  • 21:25

  本書は、201310月号から20171月号まで40回にわたり岩波書店の『世界』に

  連載した「裁判官の余白録」をまとめたものである。この連載をふりかえってみると、

  裁判官にこのようなコラムを書かせようとした岩波編集部も変わっていると思えてくる。

  どうみても、堅苦しいことばかり書くことが予想されるのに、よく踏み切ったものだ。

  そうはならないように、少しでも肩の凝らないものをめざしたが、そうはいっても、

  取り扱うテーマが死刑だとか冤罪だとかいった深刻な問題で、軽率なことを書く

  わけにもいかない。……書名は、「裁判の非情と人情」とした。非情とは、不人情では

  なく、非人情である。裁判は権力により無実の者を死刑に処しうる。まさに、非情で

  ある。他方、その中にも人情を感じさせる判断もある。ここが書きたかったのである。

 

「無罪判決は、楽しくてしょうがない」。

 有罪率99.9パーセントのこの国の刑事裁判にあって、高裁判事として実に20件もの

逆転無罪を下した経歴を持つ筆者はこう断言する。

「筆が自然と伸びるのである。すこしも、文章の長さなど気にならない。気が付いて

みれば、長文となっただけで、それを目指したわけでもなく、長文を書かなければと

苦しんだわけでもない。……審理を尽くし、事件の実体を明らかにすれば、検察官も

手が出せない無罪判決に到達するのである」。

 とはいえ、ここにはある種の論理矛盾がちらつく。ならばなぜ、そのような案件が

起訴にまで至ってるのか、と。

 あるいはこんなあざとい言い換えもできよう。筆を進ませるほどのケースでない限り、

有罪に処せられる。果たしてこれで推定無罪原則が守られるのだろうか。

 

 筆者は法学の世界では、いわゆる「量刑相場」の研究で名を成した人でもある。ただし、

手塩にかけて育てた理論よりも重んじなければならないものが法廷にはある、とも語る。

「裁判は、事実認定にしろ、量刑にしろ、人間を対象とする。いくら勉強ができて理論に

詳しくとも、人間観察の力がないと、理屈だけの薄っぺらい裁判官になってしまう。……

私は、若い裁判官によく池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読めと勧める。悪い奴は徹底的に

懲らしめるが、可哀想な奴は救うという精神で一貫している。ここがいい。裁判官は権力を

もっているのだから、可哀想だなと思ったら、量刑相場でなくとも、軽い刑や執行猶予に

すればよいのである。検察官の控訴を恐れるべきではない」。

 

「寅さんは、観ておいて欲しい。寅さん映画は、まさに、人情とは何かを語っているからだ」。

 本書に帯を寄せた山田洋次『男はつらいよ』の主人公、車寅次郎の生業はテキヤ、

つまりは世間のグレーゾーン、それも限りなく黒に近い灰をさまよう住人である。

 そして筆者も時にあえて自らをそんな危うい境界にさらす。

 賭けマージャンをしますか、そう問われて回答は「ご想像にまかせます」。

 

 本書は時に知られざる裁判官の日常を映す。

 何せ「実務家は、時間制限の中で生きている」。開廷が隔日だとはいえ、「家でも必死に

仕事をしている。……あまりに記録が多いときは、自宅に持ってくるのも不安があるので、

できるだけ裁判所で記録を読む。そこで、土曜も日曜も出勤することにもなる」。

 そんな過労状態にあっても「まず、余暇を入れて、その残りで仕事をしなさい」と豪語して、

それを実践してみせた超人もいる。本業で東京高裁長官まで上り詰めたその方は

鉄道マニアとしても高名で、著作を持ち、国鉄・私鉄の鉄道全線完全乗車を達成し、

通称掛紙、駅弁カバーのコレクターとしても鳴らした人だという。

「仕事を入れてから余暇を入れるのでは、ダメだ。仕事があるから余暇を入れないのでは、

生涯、仕事に追いまくられ、良い仕事もできないし、良い家庭も築けない」。

 なるほど、この裁判所には人情も希望もある。

Much Ado about Nothing

  • 2017.12.12 Tuesday
  • 22:36

「『美しきもののみが機能的である』。挑発的な響きさえ持つこの言葉は、建築家・丹下健三が

残した名言の中でも突出して有名で、さまざまな場面で繰り返し引用されてきた。

 この言葉がインパクトを持つ要因として二つ挙げられる。一つは、いかに実態が醜悪でも

それを華麗な表層で覆ってしまえば美しくなる、という美容整形的な発想と丹下の言葉が

一線を画するためである。もう一つは、求められた機能を真面目に充たそうと心がければ、

余分な要素が削ぎ落され、自ずと美しくなる、という機能主義的な発想と丹下の言葉が対極に

位置するためでもある。丹下の発言は、美容整形とも、機能主義とも大きく異なり、選ばれし

者のみが美を創出しうる、という神話的でロマン主義的な発想に基づいていた」。

 

 以下、本書の論旨を遠く離れて、あくまで私個人の読後の雑感として。

 

「選ばれし者」としての自負、そんなエスタブリッシュメントの終焉を丹下は告げる。

 そのことを予示したのがいわゆる「丹下モデュロール」だった。「このモデュロールの発想は

コルビュジェに端を発し、ヒューマンスケールや身体の比例に呼応した建築を作るための

尺度であった。……丹下モデュロールはチームで設計する際の共通言語となり、各作品の

質を維持するのに大きく貢献した。……身体スケールに調和するためにモデュロールは

用いられるが、丹下モデュロールは都市と建築をつなぐ手法で調整されたため、小さい数値は

洗練された家具やこなれた手すりをデザインするには不向きであった。例えば、香川県庁舎の

立面図を描いた際、低層棟下ピロティに階段の手すりが現れるが、これは丹下モデュロールに

従ってデザインされた。遠方から庁舎を捉えた際、丹下モデュロールに沿った手すりは建物

全体と調和しているが、実際に目の前で手すりを握ると非常にごついものになった」。

「選ばれし者」の目線は、彼らが思い描いた動線によって導かれるはずの選ばれざる者の

目線とは見事なまでにすれ違う。この失敗は、丹下の指揮による新都庁、新宿副都心の

廃墟にも似た寒々しい街並みに限りなく重なる。

「選ばれし者」などもとからなくて、そこにはただ人間工学的、統計学的に計算可能な

選ばれざるモルモットしかいない。社会を表現するに、未来を構想するに、今や建築など

いらない。株価、為替、金利、バランスシート……それらの数字を示すモニターさえあれば、

他には何もいらない。

 そんな中であえて建築に励むことの意味は、東京五輪狂想曲を見ればすべて分かる。

お友達向けのパーティー、自称エスタブリッシュメントのマスターベーションという以外に、

何の機能を見出し得るというのか。もはや現代の我々は歴史修正主義的に過去へと

遡らずにはいられない。そして結論するだろう、はじめから、他の意味などなかった、と。

 後世へと引き継がれるのは、食い散らかした負債だけ。

 

 丹下の人間は、ひたすらに都市を目指す。その集大成が大阪万博だった。いみじくも

美浜原発の試送電はこの会場へと向けられた。

 しかしその頃、既に工業化に基づく公害問題、環境問題は浮上していた。そして間もなく

訪れるだろうオイルショックは、「成長の限界」を突きつけた。選ばれざる者は、これら現実に

呼応するように、少子化という手法で見事に丹下の人間像を打ち砕いた。

「戦後日本の構想者」は、直視を拒んだ現実の前に、無残に敗れ去った。

テキストなんですけど

  • 2017.11.25 Saturday
  • 22:29

 何もかもが、ジョン・スチュワートのThe Daily Showを髣髴とさせる、もっとも久米の方が

はるかに先行しているのだけれども。

 

  僕にとって『ニュースステーション』とは、結局「テレビとは何か」を考えることだった。

  テレビにしかできない報道とはどういうものか。もっともテレビ的な番組とは何なのか。

  /それを突き詰めるために、僕は番組が始まる1年以上前から企画を練り上げた。

  進行役としてニュースの読み方やコメント、インタビューだけではなく、スタジオセット、

  小道具、衣装、撮影、照明に至るまで、番組制作のあらゆる点にこだわって自分の

  色に染め上げようとした。/そこには僕がそれまで出演したラジオとテレビ番組で得た

  知識、技術、発想、考え方のすべてを注ぎ込んだ。『土曜ワイドラジオTOKYO

  『料理天国』『ぴったし カン・カン』『ザ・ベストテン』『おしゃれ』『久米宏のテレビ

  スクランブル』……。/そのどれ一つが欠けても『ニュースステーション』は生まれなかった

  だろう。その意味で、この番組は「久米宏」というタレントの集大成だった。/同時に

  『ニュースステーション』は、おそらくテレビが世の中ともっとも密な関係をもった時代の

  所産でもあった。/そのプロセスをきちんと見直してみたい。自分の足跡を追うことを

  通して、「テレビとは何か」「テレビと時代はどう関わってきたか」について考えてみたいと

  思う。/そのためには少し時代をさかのぼる必要がある。僕が大学を出て、放送という

  考えもしなかった世界に入ったころへ。ちょうど半世紀前だ。

 

 

 本書内で「タレント」という自己定義が幾度披露されただろうか。「アナウンサー」ではなく、

あくまで「タレント」、ここにこそ、「テレビ的なニュース」を志向した久米の自負が内在する。

「それまでのニュースは原稿主義、つまり原稿の中身をしっかり書くことが最優先され、

映像はその添え物という位置づけだった。……テレビが面白いのは生きている人間が

そのまま映っているからだ。出演者の髪型から服装、癖や表情、語り口。それらが見ている

者の皮膚感覚に訴える。この皮膚感覚こそがテレビと他の媒体との決定的な違いだろう。

……そして何度も言うように、テレビにはエンターテインメントの要素が不可欠になる。

それはニュースを軽視することではない。エンターテインメントのもともとの意味が

『もてなす』であるように、不特定多数の視聴者を対象とするテレビというメディアは、

誰もが理解できて楽しめるという要素がなければ成立しない」。

『ニュースステーション』が「テレビ」である以上、久米は「タレント」であらねばならなかった。

現在の視点から遡って常識が常識でなかった時代に常識を生み出すこと、ルール・メイカーの、

パイオニアの興奮がここにある。「ニュース」の枠を超えて、「テレビ的」なるもののセオリーを

確立していくまでの当事者視点による日本メディア史として圧巻。

 

 見られることに自覚的なテレビの申し子は、つまり異常なほどに客観的な人間だった。

「僕がコメントを口にするときに何よりも優先したのは、『まだ誰も言っていないことを言うこと』

『誰も考えていない視点を打ち出すこと』だ。失敗に終わってもいい。他人が言いそうなことを

すべて排除して、誰も言いそうにない言葉を選ぶことをまず考えた」。

 このプライオリティの先にあるのは、「テレビを見る側に何か反応が生じ」ることだった。

「周りの言うとおりに右や左を向いたりせずに自分個人の意見を言う。そういう空気をつくる

ことこそ、僕がコメントに込めた思いだった」。

 しかし、マス・メディアを構成する側に久米の意識が共有されることはなかった。

 

『テレビスクランブル』での共演を振り返って、当時横山やすしのマネージャーを務めていた

木村政雄の回顧が引用される。

「あれは横山さんにとって、初めての挫折だった。しゃべりの天才を自負していた自分が、

久米さんにしゃべりで負けた」。

 たぶんそれは単にこの「タレント」の「しゃべり」のスキルが他の追随を許さないせいに

違いないのだが、悲しいかな、本書を通じて知らされることのひとつは、久米宏なる傑物が

つくづく音声メディアの人だという点にある。

 巻末に編集協力としてさる人物の名前と略歴が記される。恐らく本書は氏の語り下ろしを

そのライターが文字起こしして、適宜構成を加えることで成り立っている。そのプロセスで、

「しゃべり」から活字メディアでは拾い切れない何かがスポイルされてしまっているのだ、

いみじくもそれは『ニュースステーション』が「原稿主義」からは決して生まれ得なかった

ことと全く同じ理由によって。

 本書で扱われる話題のいくつかは、既にラジオなどで披露されているものでもある。

そして残念なことに、圧倒的にそちらの方が面白い(YouTubeとかいう霊媒師に頼めば、

今でも降臨させられる)。

 テレビやラジオという媒体特性にかくも鋭敏であれた久米だからこそ、テキストという

方式にも同じ感覚が作用しなかったことに一点悔いが残る。

我田引水

  • 2017.11.07 Tuesday
  • 21:56

「ほんの数か月前まで、わたしは黒島の存在すら知らなかった。

 この島のことを知ったきっかけは、ある映画監督の手がけた『黒島を忘れない』という

タイトルのドキュメンタリーとの出会いだった。

 19454月から5月にかけて、18歳から24歳の6人の特攻隊員が、黒島に

流れついた。鹿児島の飛行場から、激戦地、沖縄を目指して飛行機で飛び立った

ものの、何らかの理由で不時着した若者たちだった。なかにはひん死の重傷を

負った者もいた。そんな彼らを、島の人びとが懸命に介抱し、そのいのちを救った。

助かった元特攻隊員と、島の人びととの交流は、戦争から70年経った今も続いて

いる――。戦争という暗い影のなかにうもれていたあたたかい物語がそこにはあった。

 黒島で特攻平和祈念祭が行われるという話を聞いたのは、出発のひと月前の

ことだ。黒島に行ってみたい。そんな思いがわき上がってきた。

 そして、わたしは鹿児島へと飛んだ」。

 

 黒島という地を象徴するようなエピソードが紹介される。

 この島の戦争は、815日をもって終焉を迎えることがなかった。米軍機が空から

ビラをまいて降伏を知らせたものの、「情報の遮断されたこの島では、何が真実か、

見極めることなどできるはずもなかった」。かくして住人は襲撃に備え山深く身を隠した。

終戦を彼らが受容したのはその2か月後、島出身の兵士の帰還によってだった。

 

 本書の主人公は事実上、「ある映画監督」小林広司の妻、ちえみ。

「書くことに集中したいから、しばらくほかの仕事ができない。だから、頼む!」

『黒島を忘れない』の放送から数か月後、夫は書斎で執筆に入った。その「しばらく」が

年単位のものになろうとは、まさか想像だにしなかった。ましてや、その肉体がガンに

蝕まれていようとは。

 自宅で夫の最期を看取った妻は、彼の憑かれた黒島を訪れる。それから数か月、

彼女ははじめて夫の未完の原稿を読み、そして決意する、自分で完成させよう、と。

 彼女も仕事を離れ執筆に没頭する。毎年黒島を訪れては、島民の話に耳を傾ける。

さりとて手は進まない。すべてがまるで夫をなぞるように。

 そして彼女はいつしか「黒島の女」になった。

 

 テーマも優れている、筆者の誠実を疑うつもりもない。

 だが、思想性は必ずしもコンテンツやその作り手に無条件の肯定を付与しない。

 戦争を知らない世代が、「記憶」を「記録」することで、「架け橋」となる、そんな筆者の

作家性の証明のために、黒島が手段に堕している。目的と手段の倒錯、残念ながら

そう結論づけざるを得ない。それを例証するようなテキストを以下に引用する。

「今も昔も共通する、人への思い――。

 わたしたちの生きる日常と、彼らが生きた日常――時代の違いはあっても、人が人を

思う心に変わりはない。遥か遠く離れた過去が、自分の生きる今とつながっている。

 そしてあらためて思った。

 誰でも、戦争の記憶の伝承者になることができるのだと――」。

 過剰な詩性を取り込むことで、黒島という主題に筆者のナルシシズムが優越している。

「記憶の伝承者」になるというのは、果たしてそういうことなのだろうか。