道理の感覚

  • 2017.07.07 Friday
  • 23:21

「負けたからわるいのではなく、わるいから負けたのである」。

 天野貞祐は敗戦をそう総括してみせた。

 そして、この悔悟を天野は「教育者」としての自身へと向ける。

「支配階級の道徳的堕落が真の敗因であると私は信ずる者ですが、それとともに

堕落者の横暴をゆるした社会の一般教養水準の低さが反省されねばならぬと

思います。この関係においてはわが社会における教養水準の低さが敗因だとも

言えるでありましょう。あらゆる虚偽、偽善、愚劣を許容したものは教養水準の

低さだからであります」。

 

「本書では天野の何が知りたいのか。そう自問した時、私の頭には二つのことが浮かんだ。

一つは、天野という一人の人間の歩みを人間形成史、思想形成史として捉えて見たいと

いうことである。そしてもう一つは、天野を時代の『格闘者』として捉えることで、天野から

見えてくる『時代』を照射してみたいということであった。つまり、天野を初めから一個の

完成された人格と捉えるのではなく、天野自身が時代と格闘し、思い悩み、挫折を

繰り返しながら、如何にして自身の思想と教育観、そして人生観を形成していったのか、

また、天野から見えてくる『時代』の意味を考えて見たいということであった。本書が念頭に

おいたのは、いわば、『天野を考え、天野から考える』ということである」。

 

 今さら新資料が発掘されるでもない。波乱万丈の経緯を関係者に改めて尋ねて回るには、

もはや時間が切れている。

 ゆえに本書は当人の著作をはじめとした先行文献に負うわけだが、それでも読み応え十分、

吉田茂の三顧の礼を受けて座に就いた文部大臣としての2年半の政治劇ドキュメントだけでも

圧倒的な密度を誇る。

 

 ただし、「教育者」として自己定義した天野に、教育学を専門とする筆者が肉薄する

一方で、本書がどこか片手落ちと思えてならないのは、哲学の「研究者」としての

天野像への言及があまりに軽い点に存する。

 大臣としての天野の「修身」論とはつまり、統治機構としての国家とナショナリズムの

不一致をめぐる極めて古典的なテーマの焼き直しでしかない。いみじくもそれが典型的に

現れるのは御用学者としてのヘーゲル論。

 ドイツ観念論の近代の伝統に置けば、天野のことばはことごとくがその祖述でしかなく、

ただし行政の担当者として主張を発する限りにおいて、ステイトとネイションの再帰性の

自己矛盾として崩壊することを余儀なくされる。

 そしてそもそも「教養水準の低さ」ゆえに、そんなことを理解できる者もいなかった。

 議会など、パンとサーカス以上のいかなる意味も持たない。

 

 知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

 この格言の真実味こそが、そもそも「教育」の意義を下支えする。

 そして皮肉にも歴史が告げるに、「教育」という仕方による愚者殺しの夢は常に裏切られる

運命にある。

 天野の時代から寸分違わぬ仕方で今日の「教育」もまた、「教養水準の低さ」を踏襲する。

仕方がない、ヒトもどきのサルって、上がりようもなく、そもそも「低」いのだから。

 世界は愚者のためにある。

トランスボーダー

  • 2017.06.23 Friday
  • 22:32

「寒いからストッキングをはいた。ただそれだけだよ」。

 きっかけはそんな必要にかられてのことだった。しかし、ふと迷い込んだきらびやかな

女性用下着売り場が筆者に思わぬ気づきを与える。

「これ以上、狭い世界に押し込まれるのはごめんだ!

 人生で初めて、ストッキングを購入するためにレジの前に並びながら、僕は考えた。

男の役割を捨てようか。女としての生活は、いったいどんなものなのだろう? 男よりも

快適なのだろうか?……僕は、今のままの自分であることに、違和感をもちはじめていた。

男であるというじじつがささいなことのように思えてきた。世の男たちは“男らしさ”を

演出しようと苦心するが、昔から僕はそういったことにあまり関心がない。もしかすると、

女性のほうが生活をより楽しめるのではないだろうか?」

 かくしていつしかパンツの下のストッキングを越えて、彼の女装生活の日々がはじまる。

 

 防寒具としての機能性の高さを、単に女性用/男性用という仕切りのために放棄する。

 なるほど、馬鹿らしい。

「僕は人間でありたい。妥協も区別もしたくない。男でも女でもない完全なもの」。

 本書は一面では、そうした開かれた人間性の境地を目指すもの。

 

 とはいえ、総体的な印象としては、古臭いフェミニズムの域を脱するものではない。

「何よりもたちが悪いのは、男のイメージは何があっても壊されてはならないとする、

宗教にも似た信念だ。疑問を抱くことすら許されない。たとえば、男は強いものだという

イメージ。忍耐強く、どんな困難にも挑戦し、すべてを乗り越え、あらゆる問題を解決

できると思い込んでいる。……まったく、傲慢としか言いようがない」。

 指摘のすべてが的外れとも思わないが、一義的にはこうしたバイアスを通してしか男を

観察できない筆者個人の問題としか思えない。

「女性になることで、僕のアンテナは“送信”から“受信”に切り替わっていた」。

 フェミニズムをめぐる典型的な視線の政治学、見る−見られる。

 古典的に過ぎて、今さら新しいものが発掘される期待など抱きようがない。

 

 そして、女への幻想は時に無残に裏切られる。

 あるとき、妻の不満が爆発する。

「みんな、あなたの話しかしないのよ。頭がおかしくなっただとか、性転換するつもり

だとか。そして言うのよ。『あんな男と結婚して、あなた、かわいそうね。だいじょうぶ?

私たちはあなたの味方よ』って」。

 たちまち彼は打ちひしがれる。「僕の前ではそんなそぶりを少しも見せなかった。

理解すら示していた。おもしろい! 感心しちゃう! そう言っていたのに」。

 そして追い打ちをかけるように宣告される。

「あなたは女を美化しすぎよ、女も完璧じゃないわ。男とおんなじよ」。

 

 LGBTでも、女装癖でもなく。社会実験としての面白みがないことはない。

 とはいえ、日本ではいわゆる「男の娘」が既にやっていること。

 ジェンダー論に新たな視点や話題を加えた、という次元には程遠い。

 そして中には、研究者からの引用とは強調しつつも、「男脳が極度に発達したものが

自閉症」などという暴論も登場する。定義や観察例すらも曖昧な「男脳」や「自閉症」と

いった単調なスティグマを越えて、「人間」へと開くことこそがフェミニストの目指すべき

道なのではなかろうか。

「ピカソが生きていたら、彼を雇っていただろう」

  • 2017.06.02 Friday
  • 21:30
評価:
ギィ・リブ
キノブックス
¥ 1,728
(2016-08-17)

「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる」。

 このことばを残したのはピカソだという。

 

 家を飛び出し、路上で生活した時期もある。正統な美術教育を受けたこともない。

絵描きの技術を仕込まれたのは絹織物の図柄の工房。審美眼は窃盗で磨いた。

 そうして美術を習得した叩き上げが腕一本で富を得る。高級ホテルに居を構え、

クラブやカジノで豪奢を尽くす。世界的セレブリティとも知己を得る。それはまさに

絵に描いたような、胸高鳴るサクセス・ストーリーの予感。

 ただしその男、贋作者だった。

 

「贋作は永遠に続く実験のようなもので、失敗と発見の連続、そこにはもちろん

マニュアルなど存在しない」。

 この男の贋作、二束三文の絵に署名を捏造するような安い仕事とは訳が違う。

 下調べからして念には念を入れる。「本を読んで、たとえば、ピカソが人生の

ある時期、ある場所で、絵的な探求をするなかで10点のデッサンとスケッチを

作ったことがわかったら、俺の目的は11点目を作ることだった。……本物の

10点のデッサンを徹底的に研究することから始めた。ピカソ自身の足跡をたどる

なかで、その歩みを自分のなかに刻み込まなければならなかった」。

 道具とて同時代の画材にこだわる。シャガールの贋作を手がけるとなれば、

「妻が毎朝持ってくる花束の色から着想を得ていた」というエピソードに目をつけ

花屋に配達をオーダーする。そこまでしてでも、「その画家になりきらなければ

ならなかった」。

 ある鑑定士がシャガールの真贋に疑惑の目を向けた。なるほど、その指摘は

もっともだった。しかし、娘の証言がそれを一瞬にしてひっくり返す。

「これは本物に間違いありません。私は父がこのグワッシュを描いているのを

見たのを覚えています」。

 かくして、紛う方なき「本物」が完成した。

 

 彼が作るのは「11点目」ばかりでなく、時にコピーに手を染めることもあった。

とはいえ、複製ゆえにこそかえって、いささかの狂いも許されない険しさがある。

「俺はそのコピーの作製に1か月かけた。ピカソは蜜蝋の絵具による非常に独特な

テクニックを使っており、俺はそれを理解して身につけるのに多くの時間を費やした。

しかし、いったん取得したところで、俺から動きの軽さがなくなってしまった。……

幸いにも、最後は必要な軽やかさを再び身につけることができ、贋作は顧客たちには

何も気づかれずに渡すことができた。……その結果、市場には同じピカソが2点存在

することになり、その2点は証明書のみを信頼する画商の目から見ても本物だった」。

 

 フェルメールの贋作者、ハン・ファン・メーヘレンにも通じる職人魂を見る。

 ペテン師の居直りと糾弾することもできよう。ストーリーのすべてを言うがままに

受け取ってよいものとも思えない。しかし、彼は自身の逮捕の朝をこう振り返る。

「俺の手や目は、ピカソやルノワール、マティス、さらにはダリの手であり目だった。

みんなとっくに死んだあとだ。俺は彼らのように描くことを身につけ、そうして自分

自身の絵を忘れ、贋作の迷宮にはまり込んで、自分を見失うほどになった。俺は

もう自分が誰だかわからなくなっていた。しかし、ついに自分自身に戻れるのだった。

偉大な巨匠の高みを忘れ、自分の足でうまく切り抜けられるようになるのだった。

逮捕された日、俺は本当の画家になった」。

 このことばは本物だ、と私は思う。

相棒

  • 2017.05.31 Wednesday
  • 21:51

 バイエルン王家の分派の末裔、その血を辿れば9世紀にまで遡り、ただし当の両親は

「いかに金を使わないかを考える良い手本」だったというオックスフォード出身の銀行家。

息子2人は聖職者の道を歩み、自身もマルタ騎士団の幹部を務めた。経歴を並べるに

古きエスタブリッシュメントの典型。

 窺い知れぬ裏の顔はともかくも、文体もまた、そうした硬質性を前面に押し出したもの。

エピソードや会話には装飾を排し、筆者の目から見た簡素な事実の羅列に終始する。

山っ気も、ハッタリも、サービス精神もない、ショービズの住人のパブリック・イメージとは

およそ似つかない堅物による、とんでもなく平板な自伝。

 

 ストーンズのファンにとっては、あの出来事の裏でこんなことが、なんて発見があるやも

知れぬが、はっきり言って、自伝単体としての評価としては、相当につまらない。

 しかし本書を逆説的に面白くしてしまうのは、こんな謹厳な人間がロック・バンドの

マネジメントを担当してきた、というミスマッチングの妙にこそある。

 ミック・ジャガーとの二度目の面会を追憶する。「意外にも家は飾り気がなく、部屋は

がらんとしていた」。まもなく理由を把握する。「家に家具がなかったのは、ミックには

家具を買う金がなかったからなのだ」。そしてそれこそが筆者が招かれた理由だった。

「彼の話の要点は、『私には金がない。バンドのメンバーにも金がない』ということだった。

ストーンズは成功しているのに、なぜ誰にも一銭も金が入ってこないのか」。

「スターの資質」なんてものがまさか筆者にあるはずもない、この本がつぶさに証明する。

ただし彼には財務の知識は十二分にあった、メンバーの持ち合わせるはずのない。

 足りないものを補い合う。バディの興奮がそこに生まれる。

 

 そんな互いにとっての未知との遭遇は、時代とシンクロしたものでもあった。

「ミュージシャンたちは、すべての上流階級がバカで不愉快な人間であるとは限らないと

理解するようになった。上流階級の人々も次第に、ミュージシャンは必ずしもワルで

愚か者ばかりではないと考えるようになっていった」。

 彼らのビジネスはそんな架け橋のひとつの象徴となった。

 

「長いあいだ、面白おかしく奇妙なローリング・ストーンズとの関係が続く中、どうして私は

彼らの音楽が好きになれないのか、よく考えたものだった。多くの外部の人たちにとって、

私がけっしてストーンズのファンでもなければ、いわゆるロックンロール好きでもないことは

大きな驚きのようだった。

 今もなお、はっきりとそう思う」。

 この独白が飛び出すのはなんとエピローグでのこと、文中でも絶え間なくその旨は

表明され続けているわけだが、この期に及んでまだ言うか。

 筆者にとって音楽といえばクラシック、「ミックには、私の憧れる素晴らしい歌手たち、

ティト・ゴッビやボリス・クリストフのような歌唱技術は備わっていない」。当たり前だろ。

 形式主義者もここまでいけば筋金入り、思わず笑いを誘われる。

リヴァイアサン

  • 2017.05.29 Monday
  • 22:51

「ある若い黒人の刑務官はこういった。刑務所の図書室は、99.9パーセントの

受刑者にとっては無用の長物だが、マルコム〔X〕のような人間を再び輩出する

可能性があるというだけで存在価値がある。

 その一方で、ホワイティことジェイムズ・バルジャーという凶悪な男の例もある。

……その悪名高い戦術と、計画的で残忍な弾圧の方法にみがきをかけたのは、

軍事史を詳しく研究したからだった。刑務所の図書室でのことだった。……

ホワイティもマルコムと同様、最初に本と出会った場所は刑務所の図書室だった。

本棚の並ぶ静かな図書室の中で、彼は初めて、とことん勤勉に知的努力とした。

マルコムもホワイティも、刑務所の図書室に足を踏み入れたときには若くて無学な

街の悪党にすぎなかったが、出てきたときは人の上に立つ才覚を身につけていた」。

 とはいっても当然、図書室の利用者に与えられる選択肢はこの二通りではない。

言ってしまえば、本書の主役はそのいずれでもない普通の囚人たち。

 そして、その目撃談をつづる筆者の出身はユダヤのエリート・コミュニティ、大学は

ハーバード、ところがキャリア・パスを自ら降りて、ボストンの新聞に死亡記事を寄せる

しがないライターとなる。そんな数奇な運命のひとまずの終着点が刑務所だった、

ただし囚人ではなく、司書として。

 

 彼は同時に創作ワークショップの講師も担当する。

 その教え子ジェシカは「ぼくにはとても気になる存在だった。彼女はいちばん後ろの

席に、もちろんひとりで座り、窓の外をじっとみていた」。講義なんて上の空で、いつも

外ばかり眺めていた。席替えを促すと彼女はもう来なくなった。あるとき、理由を知る。

「十年も会ってなかった息子が、突然現れたのよ、青い囚人服を着て」。

 恋人との結婚をためらっていた頃、「大事なこと」を彼女から忠告された。

「あなたには分からないと思う。自分にとって大事なものを何もかも失うって、どんな

感じか。でもあたしはわかる。だからいうの……誓いを立てて、ちゃんと守りなさい。

……書類に記入して、点線の上に署名しなさい」。

 それは彼女がただ一度「自ら沈黙を破って残した言葉」だった。

 

 あるいは別の参加者、チャドニーの場合。

「シェフになりたいんだ。でもって、自分のテレビ番組を持ちたい。本気なんだ」。

 筆者はその一歩を手助けする。料理学校の願書や納税など各種手続きの概要、

そしてレシピ本を渡す。数日後、気に入ってくれたらしく、メニューを暗唱してみせる。

「スチールヘッド・トラウトのアスパラガス、熟成バルサミコ酢、ラディッキオ添え。

マガモのモモ肉のタイム風味ローストとタンポポのポレンタ」。

 もっとも彼はほとんどの食材について触れたことすらなかった。

「新しい道に進みたい一心で、ひたすら食材やスパイスの名前を組み合わせ、

料理の練習をしていたのだ。本で得た知識から、『バルサミコ酢』という言葉は、

『アスパラガス』という言葉と相性がいいと知っていたが、どちらも食べたことが

なかった。また、『ローズマリー』はチキンのレモン風味と相性がいいということも

知っていた。ただ、転んでローズマリーの茂みの中に倒れこんだとしても、それが

ローズマリーだとはわからないだろう、と告白した」。

 

 そして、ジェシカもチャドニーも、既にこの世にはいない。

 天才トマス・ホッブズは言った。

 戦争状態における生は、「孤独でまずしく、つらく残忍でみじかい」。

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