Strings of Life

  • 2017.09.16 Saturday
  • 21:35
評価:
価格: ¥ 820
ショップ: 楽天ブックス

2015年初夏、41歳で右脳に脳梗塞を発症した僕は、身体への後遺症は軽かった

ものの、いくつかの高次脳機能障害(高次脳)が残ってしまいました。……しかし、

この高次脳機能障害は、身体の麻痺などのように一見して分かるものではないために

『見えない障害』『見えづらい障害』等とも言われ、本人にも周囲の家族にも、医師にすら

なかなかその障害の実態が分かりづらいという側面を持っています。……あれ?

この不自由になってしまった僕と同じような人を、僕は前に見たことがあるぞ?/それは

うつ病や発達障害をはじめとして、パニック障害や適応障害などの精神疾患・情緒障害

方面、薬物依存や認知症等を抱えた人たち。僕がこれまでの取材で会ってきた多くの

『困窮者たち』の顔が、脳裏に浮かびました。……本書では、病識があり軽度な高次脳で

ある僕が、自分の負った障害の不自由感や辛さや当事者感覚をできる限り言語化して

みようと思います。病棟のベッドで、退院後の日常生活の中で、取材記者である僕が、

何ができなくてどのように苦しいのかを自らに取材します」。

 

 非常に主観性の強いテキストであるには違いない。病気の発症を専ら自身の性格(と

そこから来る生活習慣)に求める自己診断にしても、自身の症例と「困窮者たち」の

共通性にしても、それらの観察が臨床医学的にどれほどの論拠を持っているのかは

よく分からない。あるいは、これこそが感情失禁なる症状の典型なのかと恐れつつも、

文章の圧がしばしば過剰で読みづらい点も否めない。

 でもやはり、本書全体を貫く、できて当たり前と周囲には言われるようなことができない、

そんな痛みがどうしようもなく刺さる。

「レジで小銭を出そうとすれば、目のピントが合わずに小銭は二重に見え、指は思うように

動かずで、遅々として狙った数の小銭を出せない。『小銭を手に持ち続けるための

集中力』すら維持できず、一枚二枚と硬貨が手から零れ落ちる。それだけならまだしも、

数枚の小銭を数えると、何枚まで数えたのか分からなくなってしまう」。

 そして、全く同じ風景に見覚えがあった。さる貧困女性の取材時のこと、「夫のDV

離婚のショックからメンタルを深く病み、精神科から処方される抗鬱薬に依存するように

なっていた彼女は、床に落ちた小銭を振るえる指先で一枚一枚集めながら、ぼたぼたと

大粒の涙を床にこぼした。/最後は小銭集めを諦め、レジにグシャグシャの五千円札を

叩き付けるように置き、漫画のように鼻水をプランと垂らしながら釣り銭をもらわずに

店を出た」。そのときは「なんとキレ易い人なのだろう」としか思わなかったが、「いま僕は

痛いほどに彼女の気持ちがわかる」。

 本を読みはじめてすぐ、強烈な睡魔に襲われる。「神経的疲労」の仕業だという。

 これまた既視感のある光景だった。生活保護申請のために公的書類を用意したものの

説明をはじめると、相手の女性たちは「高確率で『気絶するような勢いで寝』」てしまう。

「見えない障害」に思い至らなければ、周囲が無気力と匙を投げてしまうのも無理もない。

ましてや当人自身が抱くだろう絶望についてなど知る由もない。

 自身の回復過程で筆者は気づく。「彼ら彼女らに必要なのは、いち早く生産の現場に

戻そうとする就業支援ではなく、医療的ケアなのではないか。それも精神科領域ではなく、

僕の受けているようなリハビリテーション医療なのではないか」。

 

「ようやくあたしの気持ちが分かったか」。

 こうした理解の難しさを、筆者は間もなく身近に見出す。

 妻は典型的なLDAD持ちで、しかも脳腫瘍を経験していた。

 

 このテキストの範疇は、単なる当事者ドキュメンタリーという域をはるかに超える。

「貧乏と貧困は違う」。

 そんなセーフティ・ネット論として、分配論として、本書は広く読まれるに値する。

もはや戦後ではない

  • 2017.09.06 Wednesday
  • 21:55

「本書は、1925年生まれのシベリア抑留体験者のインタビューをもとに構成されている。

この本は2つの点で、これまでの『戦争体験記』とは一線を画している。

 その一つは、戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いたことである。……

それを通じて、『戦争が人間の生活をどう変えたか』『戦後の平和意識がどのように

形成されたか』といったテーマをも論じている。

 二つ目は、社会科学的な視点の導入である。同時代の経済、政策、法制などに留意

しながら、当時の階層移動・学歴取得・職業選択・産業構造などの状況を、一人の人物を

通して描いている。本編は一人の人物の軌跡であると同時に、法制史や経済史などを

織り込んだ、いわば『生きられた20世紀の歴史』である」。

『生きて帰ってきた男』、その名を小熊謙二という。――筆者の父でもある。

 

 私の母方の祖父もまた、シベリア抑留を経て日本へと帰還した。

 極寒の中、ソ連兵がふと差し出したウォッカに身体が熱くなった、記憶にある話といえば

それくらい。口にするのを憚ったのか、思い出すのも忌み嫌ったのか、私の脳の杜撰か、

捕虜生活の苛烈についての記録はついぞ残らず、残さず、そして、昨年彼は亡くなった。

私は彼が暮らした街の名前すら知らない。

 

 とはいえ、本書が一介のパーソナル・ヒストリーを越えてしまうのは、たぶん単に悔悟含みの

私のバイアスのせいばかりではないはずだ。

 幼くして極貧の生地・北海道を離れ、東京の親族に預けられる。やがて徴兵で満州へと

渡り、敗戦後、ソ連へと引き渡される。帰国後も安定した職は得られず、恩給とて雀の涙。

そんな最中に結核に襲われ、片方の肺をほぼ失う。経済成長に合わせやがて独立して

事業を興すまでに至るも、産業構造の転換などからじきに行き詰まる。仕事を譲った後に、

縁あって戦後補償裁判や地域保全にも関わり、そして今日に至る――「下の下」と自嘲する

歩みのいちいちが「同時代の社会的文脈に規定」されずにはいない。

 そして、戦争という大きな物語を共有しているはずの謙二が目撃した社会風景は、現代の

3.11難民や沖縄の民が、「社会的文脈」の論を差し置いて、自己責任とやらに基づく分断を

どうしようもなく暴露してしまうのと実はさして変わらない。「受忍論」と言えば耳触りは

いいがつまり、聞きたくない話は聞かない、その態度を正当化しているだけのこと。

 

 他方で、本書を単に「ある日本兵」の述懐に終わらせなかったのは筆者の手法である。

 種々のテキストやデータの引用を通じて、ただの個人的な印象論とまとめることを読者に

許さない「社会的文脈」を見事に伝える。

 当然、それは語り手の力量が前提としてあってはじめて可能なこと。冷淡とさえ見える

その客観性は、歴史に改めて重ねてみると、不意に痛々しさすら促す。

 

 様々なトピックを持ちつつも、本書が曲がりなりにも一冊に収まったのは、あくまで

一個人の回想だった点も寄与しているだろう、20世紀日本の縮図のようなその人生の。

「記憶とは、聞き手と語り手の相互作用によって作られるものだ」。

 語るとは、その都度過‐去を現‐在させる行為に他ならない。

たちきれ線香

  • 2017.08.05 Saturday
  • 20:56

「尋常小学校に通って二年目の明治三十三年、きぬは七歳で東の廓の置屋

『福屋』へ養女として入籍することになった。身売りである。この年に妹さとが

生まれた。そして五年後には妹も養女となる。きぬは百円、さとは八十円だった。

……廓の養女制度は、身代金で抱え込む年季奉公を意味した。奉公は明治から

大正にかけては十五年間が決まりだった」。

 1892年生まれ、金沢の花街を生きた「名妓」の年代記。

 

 もちろん奉公におけるタフな日常も回想される。

 大正バブルの時代、昼夜引きも切らぬ依頼の中、仮眠をとる場所といえば厠、

「廓の厠は、長裾をひく芸者たちのために、ゆったりとした広さがとられていたし、

板の間は床板のように、しっとりと磨かれていた。……ときどき下のほうから微かに

風が吹きあがってくるので、匂いが鼻をつく。がだ、それを気にするどころではなく、

ねむりたい。疲れすぎていた」。

 当然に、いわゆる水揚げや旦那のことにも言及される。

 とはいえ、老境の回顧録というせいか、本書はどこか楽天的、苦労の染みついた

重みを押しつけられることもなく、しっとりとした調子の中で話は進む。

 

 そして、同時にオーラル・ヒストリーとしての性格も帯びる。

 時は日露戦争下、敵軍の俘虜は驚くほどにリッチ、「多額の軍資金を貯えていて

降伏と決めたとき、それらの公金を敵軍に没収されるのを惜しんで全員に分配した

ためといわれている」。

 そんな連中が廓に入り浸るようになってまもなく、近くに下洗いの小屋が建つ。

梅毒ケアのためだった。

 

 時は下り太平洋戦争末期、「決戦非常措置要綱」により営業を禁じられた置屋に

唯一おめこぼしが認められたのが売春、「芸者は三味線ひくことならん、太鼓たたく

ことならんと、表芸を止められてねえ。慰安婦たら、接待婦たらとしてなら良いと

お上がいうまさりゃ」。そうして休日ともなれば、兵隊が大挙して押し寄せた。

「そい時分にも水揚げだけが相変らず行なわれとりみして」、一晩を共に過ごして

20円という公定価格が定められていた時期に、「お金持の旦さんが、どうしても

この妓を欲しいというましたさな、なんと三千円にも撥ね上るがや」。

 

 いかに荒唐無稽な英雄伝で取り繕おうとも、戦火を交えるとは性を交えること。

 気持ち悪い。人間って、そんなもの。

 明らめるとは、諦める。そんな心境がどこか本書を牧歌的にする。

みなさまのNHK

  • 2017.07.29 Saturday
  • 19:49

「丸山鐵雄は、組織の中で表現の仕事をするサラリーマンである。本書はこのような

人間のことを〈サラリーマン表現者〉と呼ぶ。……丸山鐵雄は、放送局における〈サラリー

マン表現者〉のプロトタイプである。新聞記者や劇作家、編集者あがりが多かった戦前の

日本放送協会に、採用試験を受けて就職した。そして、当時『お係りさん』と呼ばれていた

放送局員が表現者としての自意識を確立していく中で、娯楽番組の原型を作り出した。

現代日本の放送メディア、そして現代日本に住む人々が情報や娯楽を享受するその

あり方の原点に、この男がいる。ジャーナリスト丸山幹治の息子であり、政治学者眞男、

そしてフリーライター邦男の兄である鐵雄は、なんでわざわざNHKなどという不自由な

組織に入り、しかも娯楽番組の制作者になったのか。本書は、丸山鐵雄という人生を

通して、日本の戦前戦後精神史と放送メディア史を描く試みである」。

 

「戦後の鐵雄は、GHQ特に日本の大衆文化に理解を示したフランク馬場らの指導の下、

アメリカから学んだ戦後民主主義を体現するラジオ番組を作った人物だといわれることが

ある。……戦前戦中は政治権力による言論抑圧の犠牲者であり、敗戦と民主化によって

ようやく本物の表現者になることができた、というストーリーである。……実態は違っていた

ように思われる。戦中の鐵雄は音楽雑誌に好戦的な文章を書き続け、ユダヤ陰謀論まで

唱えていた。……鐵雄は支配層による上からの『指導性』が大衆のエネルギーを捉えて

いないこと、そして資本主義的でも『国策』的でもない第三の新しい大衆文化が

生み出されるべきであることをどうしても主張したかったから筆を執った」。

 奇しくもmediaなる語の源は、神と人との中間物、ご託宣。ところが、この上から下への

「指導性」を旨とするメディアの中にありつつも、鐵雄はあえて逆の流れ、下から上への

「大衆性」を志向する。

 このことは、時に戦中においてさえ、当時の方針への異議申し立てとして表れる。

国策教化でも芸術でもなく、「大衆」が求めるものはあくまで「笑ひ」、そして言う。

「大衆が何か我々より低いものであつて、何を教へてやらなければいかんとか指導して

やらなければいかんとかいふからをかしかなことになつて来る。我々自身が大衆なんだよ」。

 ただし、もし戦争への熱狂が、軍部の「指導性」でなく、「我々」の求める「大衆性」に

由来するものであったなら? 「鐵雄の論法を突き詰めれば、自己=大衆の心情を

大義名分にすれば、なんでも許されることになってしまうだろう。大衆が米英に対する

怒りに燃えていると判断すれば『敵愾心』が、大衆が意気消沈していると思えば悲しみの

表現が正解ということになる」。

 それでも、日本人は「戦争」を選んだ。「我々」が「戦争」を選んだ。

 

 そして、鐵雄の「大衆性」は戦後へと引き継がれ、『のど自慢』に結晶する。

「『のど自慢』に出たがる大衆を、歌の上手下手にかかわらずラジオに登場させる。人間の

勘違いや気取り、しょい込みなどがそのまま表現され、それを見る人はなんともいえない

気恥ずかしさと滑稽さを感じる。そして鐘が鳴る。そこには放送局の下手な演出がない。

つまり戦前の鐵雄が忌み嫌った『指導性』が存在していない。大衆が見たがるものを提供

しているのは、大衆自身である。ここに『大衆性』に依拠した鐵雄の番組論のひとつの

帰結があった」。

 

 音源が残っていないだろうから仕方のない面はあるのだが、「娯楽番組」それ自体への

フォーカスが弱い点は気にかかる。ラジオという音声媒体に固有の表現手法の確立史に

話が具体的に踏み込むこともない。学生時代からの活字における言論はともかくも、

〈サラリーマン表現者〉のテキストを標榜しながら、肝心のラジオ「表現」への言及が

薄い点は物足りない。

 とはいえ、大衆史として、メディア史として、興味深い記述が並ぶ。丸山眞男の実兄、

そんな背景も描写に少なからぬ奥行きをもたらすだろう。

 そしてもちろん、「大衆性」と「指導性」の平衡は、マス・メディアにおける永遠の課題。

媚びるでもなく、ただし寄り添いを拒絶するでもなく。「娯楽番組」の中にそんな政治性を

読み解いていく。

 聞きたくない話はこれすなわちフェイク・ニュース、聞かせたい話とてフェイク・ニュース、

そんな世界だからこそ、今あえて丸山鐵雄を発掘する意義は確かにある。

道理の感覚

  • 2017.07.07 Friday
  • 23:21

「負けたからわるいのではなく、わるいから負けたのである」。

 天野貞祐は敗戦をそう総括してみせた。

 そして、この悔悟を天野は「教育者」としての自身へと向ける。

「支配階級の道徳的堕落が真の敗因であると私は信ずる者ですが、それとともに

堕落者の横暴をゆるした社会の一般教養水準の低さが反省されねばならぬと

思います。この関係においてはわが社会における教養水準の低さが敗因だとも

言えるでありましょう。あらゆる虚偽、偽善、愚劣を許容したものは教養水準の

低さだからであります」。

 

「本書では天野の何が知りたいのか。そう自問した時、私の頭には二つのことが浮かんだ。

一つは、天野という一人の人間の歩みを人間形成史、思想形成史として捉えて見たいと

いうことである。そしてもう一つは、天野を時代の『格闘者』として捉えることで、天野から

見えてくる『時代』を照射してみたいということであった。つまり、天野を初めから一個の

完成された人格と捉えるのではなく、天野自身が時代と格闘し、思い悩み、挫折を

繰り返しながら、如何にして自身の思想と教育観、そして人生観を形成していったのか、

また、天野から見えてくる『時代』の意味を考えて見たいということであった。本書が念頭に

おいたのは、いわば、『天野を考え、天野から考える』ということである」。

 

 今さら新資料が発掘されるでもない。波乱万丈の経緯を関係者に改めて尋ねて回るには、

もはや時間が切れている。

 ゆえに本書は当人の著作をはじめとした先行文献に負うわけだが、それでも読み応え十分、

吉田茂の三顧の礼を受けて座に就いた文部大臣としての2年半の政治劇ドキュメントだけでも

圧倒的な密度を誇る。

 

 ただし、「教育者」として自己定義した天野に、教育学を専門とする筆者が肉薄する

一方で、本書がどこか片手落ちと思えてならないのは、哲学の「研究者」としての

天野像への言及があまりに軽い点に存する。

 大臣としての天野の「修身」論とはつまり、統治機構としての国家とナショナリズムの

不一致をめぐる極めて古典的なテーマの焼き直しでしかない。いみじくもそれが典型的に

現れるのは御用学者としてのヘーゲル論。

 ドイツ観念論の近代の伝統に置けば、天野のことばはことごとくがその祖述でしかなく、

ただし行政の担当者として主張を発する限りにおいて、ステイトとネイションの再帰性の

自己矛盾として崩壊することを余儀なくされる。

 そしてそもそも「教養水準の低さ」ゆえに、そんなことを理解できる者もいなかった。

 議会など、パンとサーカス以上のいかなる意味も持たない。

 

 知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

 この格言の真実味こそが、そもそも「教育」の意義を下支えする。

 そして皮肉にも歴史が告げるに、「教育」という仕方による愚者殺しの夢は常に裏切られる

運命にある。

 天野の時代から寸分違わぬ仕方で今日の「教育」もまた、「教養水準の低さ」を踏襲する。

仕方がない、ヒトもどきのサルって、上がりようもなく、そもそも「低」いのだから。

 世界は愚者のためにある。

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