歌を忘れたカナリヤは

  • 2017.05.19 Friday
  • 21:50

 何にどこで線を引くのか、それはあたかも共謀罪を予告するように。

 

「警察官が捜査対象であるヤクザを知らない。そんなことがあるのか……。

暴力団対策法(1992)、続く各自治体による暴力団排除条例(暴排条例)の

施行以降、警察官は暴力団の内部に協力者を作りにくくなった。つまり、

濃密交際を疑われるのを避けようとしている内に、暴力団組織の内情に

疎くなったというのだ。しかし、捜査第四課の警察官の対象は暴力団だ。

実態がよく分からないのに取り締まる。……どういう対象を、どう取り締まろうと

しているのか。それは、私たちがどういう社会を作ろうとしているのかに

関連している」。

 

 笑いとは緊張の緩和、と定義したのは確か桂枝雀だった。

 ヤクザという極大の緊張を強いられる取材対象ゆえか、思わぬ笑いが時に襲う。

「小指もなく刺青もバッチリ入れている」ヤクザに好きな本を尋ねると「刑事モノ」、

「悪が懲らしめられるストーリーがスカッとするのだそうだ」。本棚に差し入れの

ストックが並ぶ。『世界の猫カタログ』、『犬と私の10の約束』。「刑務所の中では

癒しが欲しくなるでっしゃろ」。目覚まし時計はサンリオのマイメロディ。

 取材に応じた暴力団の系列の親族が亡くなる。葬儀の模様をカメラに収めようと

すると、「参列者たちはいっせいにこっちをギロッ、一気に物々しい雰囲気になる」。

そして思う。「この場から消えてなくなりたい」。

 山口組の(元)顧問弁護士の事務所を訪問する。悪徳を想像し、身構えていた。

なのに、「気がついたら本人が出演しているヤクザ映画のDVD観賞会になって

しまっていた。しかも驚くべきことに、弁護士役ではなくヤクザ役で出ている」。

 そんな中、なんとも「不思議なやりとり」が紹介される。

 ヤクザが買ってきた200円のたこ焼きの相伴にあずかるのは利益供与なのか。

押し問答の末、コンプライアンスを恐れて実費を支払う。

「同じ人間として僕は、ヤクザとしておごってんとちゃいますよ。……人間やないやん

俺ら。人間の扱いちゃうで。なあ、そんなひどいこと言わんでよ。差別や」。

 

 本書が閉じ込めてしまったものは、単に笑いを越えた、名状しがたい何か。

 ドキュメンタリーの最高の愉楽とは、取材する側、される側、観賞する側、される側、

そんな境界がふと消失する瞬間にある。気づいてみれば本書においても訪れていた、

ヤクザをめぐるあちらとこちらが揺らぐ瞬間。

「取材に入る前は、ヤクザというのは悪の道を極めたワルがもっと悪いことをするために

なるのだと思っていたが、それは違っていた。私たちから見れば信じがたいのだが、

ほとんどのヤクザは成り行きでこの世界に入ってくるのだ」。

 先の弁護士も言う、「もう引退したいが、付き合いで仕方なく続けている」。

 誰しもがどこかしら「成り行き」で「付き合いで仕方なく」、気づけば何かになっている。

人間って、そんなもの。ヤクザとてその例外ではない。

 けれども彼らは銀行口座を開けない。脅迫罪のリスクのため、名刺交換さえできない。

子どもを学校に通わせることすら難儀する。

「人と人とが会ったらなにかの矛盾生まれてくるやん」。

 需要は供給に先立つ。たとえ暴力団を制圧できたとしても、そんな社会的要請が

消えてくれるわけではない。

 そして辞めたところで、「どこで受け入れてくれる?」

 

 つい先日、ラジオで聴いた短歌から。詠み人、鈴木美紀子。

 

  容疑者にかぶされているブルゾンの色違いならたぶん、持ってる

スポンサーサイト

  • 2017.08.18 Friday
  • 21:50
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    PR

    calendar

    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << August 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM