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    「ナードには親切にしよう」

    • 2017.10.05 Thursday
    • 22:25

    『ザ・シンプソンズ』のワンシーン、スタジアムのスクリーンに4つの選択肢が大写しになる。

    本日の観客数を予想してください、とのこと。

     

     A. 8191

     B. 8128

     C. 8208

     D. 不明

     

     予備知識がなければたぶん8000人前後ということか、くらいで見過ごしてしまうだろう場面、

    ただし本書によれば、それぞれの数が大いなる含みを秘めているのだ、という。

     

    「実は、『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームには、数を深く愛する者が何人もいて、彼らの

    究極の望みは、視聴者の無意識下の頭脳に、数学というごちそうをポトリポトリと滴らせる

    ことなのだ。つまり、かれこれ20年以上ものあいだ、われわれはそうとは知らぬまに、

    微積分から幾何学まで、πからゲーム理論まで、さらには無限小から無限大まで、実に

    さまざまなトピックについての入門番組を、アニメという形でまんまと見させられてきたので

    ある。……1999年には、このなかの数名が『ザ・シンプソンズ』の姉妹篇として、1000年後の

    未来を舞台とする『フューチュラマ』というシリーズを立ち上げた。驚くにはあたらないが、

    SFの形をとることで、彼らは数学的なテーマにいっそう深く踏み込めるようになった。……

    しかし、その切り立つ高みを目指す前に、まず次のことを証明しておきたい。すなわち、

    『フューチュラマ』が、テレビを媒体として、定理や予想や方程式の話題をちりばめながら、

    大衆文化としての数学を視聴者に届ける究極の作品となるための礎石を築いたのは、

    ナードたち、そしてギークたちだったということだ」。

     

     基本的に、頂の高さは裾野の広さに従って規定される。

     国産SF検証がほとんどの場合において、柳田理科雄よろしくトンデモ科学の匂いを

    させずして書き進めることができないのとは彼我の差。なにせ脚本家のことごとくが

    名門大学の修士、博士を経て、査読つきの論文を通した実績持ちと来ている。

    日本のオタクの鼻をへし折る記述に気圧される。

     フェルマーの定理にせよ、素数にせよ、円周率にせよ、取り上げられる数学の大半は、

    切り口を見ても、確かに既存の一般向け概説書で紹介済みのレベルには違いない。

    小ネタのエッジが過ぎれば、ほとんど誰も気づけないのだから、当然なのかもしれない。

    安定のサイモン・シンなだけに、そうしたダイジェストとしても本書はよくできている。

     しかし圧巻なのは何というに、さりげなく『フューチュラマ』に導入した設定が、応用数学の

    専門家の手をも煩わせるなかなかの難問になり、ついにはその結果が「フューチュラマの

    定理」と名づけられるまでに至った、というその事実。

     既知に飽き足らず数学の扉を叩いてしまったというのだから、もはや唖然とするばかり。

     

     日本でこんなオタクの楽園を提供できたのは誰だろう、と考える。

     ふと頭を過ぎったのはオウム真理教、やるせない。

     

     脚本家のひとりは言う。

    「本音のところでは、自分は研究者として一生を送りたかったのかもしれない。それでも、

    『ザ・シンプソンズ』と『フューチュラマ』は、数学と科学を楽しいものにしているとは思って

    いるし、そのことで新しい世代に影響を及ぼせるんじゃないかとも思っている。そうして

    影響を受けた人たちの中から、わたしがやれなかったことをやってくれる人が出るかも

    しれない。そう思えば慰めにもなるし、これで良かったと思えるんだ」。

     エンタメはエンタメ、それ以上の何かである必要なんてない、基本的にはそう思う。

    ただし、作り手のこの志の高さとそれを具現する能力に異を唱える気にはとてもなれない。

     

    「ナードには親切にしよう。きみたちは将来、ナードに雇ってもらうことになる可能性が

    高いのだから」とは、本書で引かれるさる教育者のことばだという。

     ホモ・サピエンス、何よりもまず知に従ってヒトは定義される。

     経済的なインセンティヴだけが人間の意欲を引き出すわけではない。どころか時代を

    切り拓く者はたいていにして、差し出された既存の価値観を後追いすることしかできない

    ジョック的なものの向こう岸から突然にして現れる。

     奇しくも私の師は言った、勉強は仕事かもしれないが、学問は遊びだ、と。

     教育の投資効率ばかりを謳い、楽しいとか面白いという動機づけを蔑ろにする社会に

    いかなる未来が広がっているというのだろうか。

     つくづく思う、好きこそものの上手なれ。

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