緊急検証!

  • 2018.01.24 Wednesday
  • 22:04

 自身の過去作、『理性の限界』へのセルフ・オマージュだろう、今回も例によって

対話篇の形式で進められる。

 本書は、「人類が『論理的・科学的・倫理的』に築いてきた成果を『学=反オカルト』と

すれば、その対極に位置する『非論理・反科学・無責任』な妄信を『欺瞞=オカルト』と

みなすというスタンスに拠っている。……本書の目的は、一般に『学』を志す読者、

とくに大学生諸君を対象として、上記の8つの『オカルト傾向』[騙される、妄信する、

不正を行う、自己欺瞞に陥る、嘘をつく、因習に拘る、運に任せる、迷信に縛られる]に

対してどのように対処すべきか、判断するためのヒントを提示することにある」。

 

 そもそも本書は『週刊新潮』連載コラムを土台にしている。

 そうした時事性を意識してなのか、「オカルト」サンプルのうちの少なからぬ部分は

STAP騒動の顛末に当てられている。

 ないものをあるとまくし立て、ただしその主張者による証明は置き去りにされたまま、

ないものをめぐり大のおとなが翻弄される、なるほど現象を見れば、「オカルト」の定義を

満たしてはいそうだ。

 

 科学、教育政策に関わる話題なだけに、論じるに値するものがないとは思わない。

ただしこのテーマ、少なくとも私には絶望的なまでにつまらない。「欺瞞」を「欺瞞」として

あえて乗っかる、ポジション・トーク・バラエティとしての「オカルト」に爆笑したい私には、

この事件のいちいちが退屈で、そしてしばしば不快に過ぎる。

 この差異の理由について考えて辿り着く。「学」の対義語としての「オカルト」ではなく、

むしろ同義語としての「オカルト」こそを私は求めているのだ、と。

 自然科学が実験や数学を素材に仮説を立てていくように、法学が六法や判例を素材に

法理を説いていくように、例えばキリスト教神学は聖書を素材に神の存在証明を図る。

最低限の道具立てから論理を組む、その限りにおいて、「学」としてみな等しい。

スピリチュアリズムにしても、信奉者は反駁者と同様、論理をもって他者の説得にあたる、

たとえ怪奇とされる現象を語るための諸前提が完全に壊れてしまっているとしても。

自称・霊媒師とて論より証拠の具体性をもって他者へと挑む、たとえその手口の内実が

しょうもないマジックやマインド・リーディングの類に過ぎないものだとしても。

「ありまぁす」を唱え続ければ無理が通る、そんな態度とは対照的な「学」がそこにある。

 小保方晴子のどこに、庇護者の瀬戸内寂聴のどこに、果たしてそんな「学」があるだろう。

スポンサーサイト

  • 2019.08.18 Sunday
  • 22:04
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック