バランスオブゲーム

  • 2018.01.27 Saturday
  • 21:40
評価:
スティーブン・レ
亜紀書房
¥ 2,592
(2017-09-29)

「肥満や2型糖尿病、痛風、高血圧、乳がん、食物アレルギー、ニキビ、近視などの

辛い症状に悩まされている人々が世界中で増えている。『文明病』と呼ばれるこれらの

症状がここ数十年から数百年間に大きく広まったのは、年々増加する世界のより豊かな

国へと移り住む人々が、新たな土地の習慣や食生活に適応しようとすると、しばしば

病気を発症しやすくなる傾向があるせいだ。……本書『食と健康の一億年史』のおもな

主張は、現代に数多くの健康の問題が浮上してきたのは、祖先が守ってきた食習慣や

ライフスタイルを変えたことや環境の変化が原因ではないか、ということだ。本書では、

我々人類の祖先がどのように食べ、どのように暮らしてきたかを明らかにし、重大な慢性

病の発症を抑え、あるいは遅らせるために、どのように祖先の習慣のいいとこ取りをし、

日々の暮らしに取り入れるべきかについて、具体的な助言を行う」。

 

 筆者はベトナムにルーツを持つ、カナディアンの人類学者。

 このテキストでは、日本を含め世界各地を旅しては、古き食習慣の痕跡を探る。

 そんな紀行文の枠に留まっていれば、香り高い随筆になっていたかもしれない。

 しかし本書が達成しえたことといえば、控えめに言って使い古されたスローフード、

スローライフ論、有り体に言って純朴をもってよしとなす反知性主義の典型。

 そのことは以下のようなまとめのフレーズに典型的に現れる。

「主要な栄養学者のほとんどが、脂肪やコレステロール、および/または塩分を過度に

含むことの多い伝統食には懐疑的だ。しかし、何を食べ、何を避けるべきかとくよくよ

考えるよりも、一番確実なのは伝統食を食べることだ。伝統食は何世紀もかけて

形作られてきたもので、健康によい食物の組み合わせや美味しく感じられる食材の

取り合わせが考慮されていて無理なく続けられる」。

 この主張の無根拠性は、実際にそれらの多くが駆逐されたスーパーマーケットの棚を

見れば一目瞭然だろう。さまざまな面において「続」かないから「続」いていないのだ、

奇しくもそれは産業社会のサステナビリティの欠如と対をなすように。

 この手のテキストの例に漏れず、循環農法の実践者を訪ねる。なるほど、それは個人の

生存戦略としては有効なのかもしれない。しかし、地球上の70億人を養うには足りない。

「座るのは最長でも13時間にすることだ」、果たしてそれを可能にしてくれる職種が

情報化社会にいくつあるだろう。

 そうした経済合理性こそが歪みを生んでいる、との批判に傾聴すべき点は当然ある。

さりとて本書からその改善策が垣間見えるとは思えない。

 

 そもそも草食などヒトに馴染まないとひたすらに肉を薦める専門家からヴェジタリアン、

ヴィーガンまで、食事における適切なバランスとは何か、本書はそんなことを尋ねて回る

旅でもある。自然と人為のバランスを見つめる、そんな旅でもある。程よい不潔は人体の

免疫力を引き出す、そんなバランスが模索される瞬間も訪れる。

 そして本書を包括するテーマは、歴史を英知の蓄積と見るか、誤謬の蓄積と見るか、

そんなバランスを探ることにある。

 世界中の遍く文明において飲酒の習慣が見られるのは、生水の解毒、殺菌方法として

各種コストの障壁が低かったから。ただし、他の手段が開発された現代においてなおも

弊害だらけのアルコールを続けることは陋習という以上のいかなる意義をも持たない。

 雪に閉ざされる長野は、各種ビタミンやタンパク質の供給源として久しく愛好されてきた

漬物や味噌に含まれる過剰な塩分摂取を控えることで、脳や血管系の疾病リスクを緩和し

短命県との汚名を返上、転じて今や日本屈指の長寿県と化した。

 試行錯誤のデータバンクとしての伝統に学ぶべき点は現代においてなおあるのだろう。

しかし、実践知を重んじるあまりに理論知を軽視しているとしか映らない筆者の態度は、

本末転倒と述べるべきか、思考停止という以外の何物でもない。

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