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    シェイプ・オブ・ウォーター

    • 2018.04.03 Tuesday
    • 22:29

    「第一作目の中でのゴジラが姿を現すまでには、いくつかの段取りが踏まれている。

     まず冒頭では、ある貨物船が沈没して、救助船がさらに沈没するという形で、

    不安感を煽り立てる。

     次に、大戸島にゴジラが上陸して漁村の人達を翻弄するのだが、夜の嵐の中、

    足元が薄っすらと映るだけ。建物が押し潰されたりはするものの、怪獣はまだ姿を

    明確に現さない。

     その後、前述のように山根博士ら科学者グループが島にやってきて、ついに白昼に

    ゴジラが現れる。そこで一般観客も初めて動くゴジラを目の当たりにすることになる」。

     提示されるのはモザイクの一部、ラフなピースに過ぎず、「全体がどのようなもので

    あるかもわからない」、だが既に「〈ただならぬもの〉として全的に承認してしまっている」。

    何がすごいのかは分からない、でも何かすごいことが起きているらしいことだけは分かる、

    その正体が「ぬっ」と姿を現す。

     

     今さら『ゴジラ』の概要紹介がしたいわけではない、本書における描写の仕方が

    いみじくもこの作法を踏襲する、まさか筆者が意図していないはずがない。

     まえがきから、まるで創作メモのような散文が並ぶ。本論においても、評伝の多くが

    そうするように、時系列をなぞっていくでもなければ、特定のテーマや期間に絞り込んで

    テリングを展開していくでもない。あるときは戦争体験を、あるときは作品論を、あるときは

    科学描写を取り上げる。そうした欠片が時に本多の映像をめぐる記憶と結びつくことで、

    「全的」な像が束の間、「ぬっ」と立ち現れて、さっと消える。

     フィクション論に自己言及的な方法を持ち込むことで、いかなる雄弁にも勝り語る。

     映画体験をテキストで表現する。ゴジラはいない、そんなことは知っている、けれども、

    背筋を駆け抜けた戦慄の感覚はその瞬間、現在する。そしてすぐさま、ゴジラなき現実に

    引き戻される、街の映画館でしかないことを知らされる、踏み荒らされてなどいない。

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