國民の創生

  • 2018.04.09 Monday
  • 23:33
評価:
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みすず書房
¥ 7,344
(2017-08-11)

「本書の各章は近代化の悪影響が明らかとなった1870年から1930年頃を扱っているが、

その時代には近代化の二つの流れが交錯してきた。第一の流れは、近代的な工業と

技術が急速に発達し、西洋社会にかつてない生産力をもたらしたことである。近代化の

途方もないエネルギーは、ごく初期のうちから身体と精神の病気を生み出していた。……

第二の波は、精神科学にもたらされた重大な『パラダイムシフト』である。欧州と北米の

医師たちは心因性疾患の存在をますます強く信じるようになり、精神と身体の関係を

新しい方法で探究し、多くの身体症状の原因は精神機能と心理的な過程にあると考えた。

……要するに、1870年から1930年の時期には技術的な近代化と並行して、それが人間の

精神にもたらす影響を研究することの意義が初めて組織的に体系化された。この二つの

現象が同時に生じたことは、後に論じるように、決して偶発的なことではない。……この

時期には、心理的トラウマという概念が疾患としての地位を獲得し、専門用語、原因理論、

治療システムを与えられ、さらにはそれが医学と法学の中に位置づけられるべきことが、

政府によって承認されたのである。この二つの現象は自己増殖的に並行して発達し、

両者が相まって、心理的なトラウマへの社会的、文化的な関心を生じることになった」。

 

 近代化の象徴としての鉄道、馬車とは桁違いの輸送能力を誇るこの機関に運搬される

存在として大衆は定義される。そして鉄道は人々に同時に厄介なものを運び込んだ。

事故がもたらすトラウマである。ただし、当時の医学が与えた病名は「鉄道脊髄症」、

あくまで物理的なダメージの産物として見なされた。

 ここで大衆は新たなる定義を獲得する。すなわち近代化がもたらすリスクの共有主体、

統計的な計算客体としての国民である。こうして設けられた事故保険制度が新たなる

トラウマを作り出す。題して「年金神経症」、制度が被保険者の詐病を産む、という。

 第一次大戦下のドイツで「戦争神経症」が国庫を食い潰す、そんな危機が囁かれる。

医師の持つ選択肢は二つ、「トラウマ神経症と診断し、患者に際限のない年金の支払いを

保証するか、ヒステリーと診断して症状は病的な反応であるとし、年金を打ち切」るか。

結果「戦争神経症」は「恐怖にとりつかれた意志薄弱な、怠惰な人間に生じる心理的な

ヒステリー反応」と片づけられる。トラウマが非国民の自己責任として定義された瞬間。

 対してアメリカでは「歴史上最大のロビー団体」在郷軍人会が「戦争神経症」を負った

帰還兵のために立ち上がる。やがて彼らをケアする法案が議会を通過する。一連の活動は

ある恩恵をもたらした。「米国人は神経疾患に苦しむ人々は自分たちと同じ人間であると

考えるようになった。これは『平均的な市民が精神疾患を他の病気と同じように考える

ようになる』という精神衛生運動の目的とも合致している。……彼らは精神疾患という

スティグマとは無縁であり、それどころか愛国心による犠牲者として尊敬された」。

 

 とある医師は自分の患者についてユーモア混じりに同僚に伝えた。

「この女性は自分の膣を裁縫仕事のゴミ箱として使い、指ぬきや布きれ、糸、針、

押しピンやボタンを入れていただけでなく、虫にも食われないし泥棒にも入られる

ことのないセーフティボックスとして、“大切な宝石や、くすねた小銭”を入れていた」。

 医師の多くは当時、女性に虐待やトラウマの可能性を見ようとはしなかった。

 20世紀初頭の出来事だ。

 トラウマは実に、人として遇されるその資格を証する。

 

 医学史から社会制度に至るまで、対象国も英米独仏伊と多岐に渡り、分担が可能とした

幅の広さを誇る。にもかかわらず、各人が狭く自分の領分に閉じるでもなく、きちんとした

連関性が見て取れる。論文集としてこれは異例と言っていい。

 そしてその流れの中で注目すべきは、医療政策の対象を規定する試みが必然的に

国民国家の定義形成と軌を一にしていく、そのプロセスにある。逆の観点に立てば、

トラウマの対象として数え入れることさえ拒絶する排除の論理もしばしば浮上する。

ここにおいて提示されるロジックはナショナリズムの歴史を表すばかりでなく、現代の

保険制度、社会制度にも一脈ならず通じるだろう。

 本書が示すネーションの由来は告げ知らせる、分かち合うべき痛みを知らぬ国家は

もはや国家の体をなさない、と。

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  • 2018.05.29 Tuesday
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