No Silver Bullet

  • 2018.04.17 Tuesday
  • 22:25

 ヨハネス・フェルメールに『天秤を持つ女』なる作品がある。

 コインを量る妻・カタリーナの背後にかかるのは、最後の審判をモチーフに取った

フランドル派の絵画。「この絵の躍動感や荒々しい動作とは対照的に、カタリーナは

もの言わず穏やかで、それは、まるで重厚な額に入った絵の傍らに広がる漆喰の壁の

ようである。この画中画によって、観る者は道徳的選別という主題に気づかされる。

ちょうどキリストが最後の審判の日に善悪を量るように、良心は自らのおこないを

慎重に判断するものである。カタリーナの優しげなポーズから、観る者が、哀れな罪人の

側に立って彼らもまた天国に入れるよう仲裁する聖母マリアを思い浮かべるように、

フェルメールは計算していたのかもしれない」。

 まことに見事な図像解釈だ、しかし本書においてフェルメールに割り振られた機能は

水先案内人を超えない。7章中2章においては、その役割さえ他に譲る。ここで筆者が

着目するのは、カタリーナが量っているもの、すなわち銀貨。オランダで銀は獲れない。

近隣の産出量はごくわずか。当時、主要産出国だった日本の銀は専らアジア域内での

貿易に使用されていた。つまり、彼女が持つ銀は中南米から来た公算が極めて高い。

「絵画とは、自分たちが生きている時代とはどんなところで、それはどのようにして

成立しているのかという難問と不安を解くことをわれわれに迫るパズルである」。

 かくしてこの絵は、光の画家終生の地、デルフトと世界をつなぐ窓となる。

 

 何せ中国は銀を高く買ってくれる。おまけに、ヨーロピアンが中国で売り捌けるほどの

品質を満たすものなど、銀の他にはさしてなかった。かくして新大陸の銀は止めどなく

スペインを経由して中国へと流れ込んだ。カタリーナが携えるのは、そうして銀貨不足に

陥ったオランダ政府がようやく自前で鋳造するようになった、そのうちの一枚だった。

 グローバリゼーションの欲望は、欧州を通らない独自ルートの開拓を促さずにはいない。

東側から流れ込む実に倍量の銀が、太平洋を横断して中国人の手にもたらされていた。

その合流地点がマニラだった。「東洋の真珠」に座する華僑を経て、ますます中国には

銀が溢れ、そして間もなく白銀時代は終焉を告げた。

「新しい富の形態を享受できる人々はその到来に飛びつき、高価な品物や骨董品、

それに豪邸を手に入れるために途方もない額の銀を使いまくる喜びを満喫した。

だが、それまで見られなかったこの贅沢三昧の風潮は、17世紀に入るころになると、

大衆の凄まじい反発を引き起こした。……銀は金持ちの個人資産をますます肥やす

手段となる一方で、貧者からはその生計手段を奪い取っていった」。

 荒廃する中国にとどめの一撃を見舞ったのもやはりグローバリゼーションだった。

銀を積んだアカプルコの船がマニラに届かない。交易は滞る。1639年の晩秋、

生活に困窮した華僑の農夫が蜂起するのも、そして鎮圧のために占領民が虐殺に

乗り出すのも、もはや必然だった。

 

「銀さえばらまけば、あなたの教えに耳を傾けない人間なんていません」。

 とある中国人が宣教師にそんな助言を与えたことで、想定問答集は以下の返事を

用意する羽目になる。

「それは教えに従うことではありません。銀に服従するということです」。

 そして、この答えにはさらなる続きがある。

「もし銀だけが目的で人が集まってくるのだとしたら、銀の切れ目が縁の切れ目という

ことになってしまいます。西洋からもたらされる銀には限りがあるし、人々の欲は

底知れないから、一度ばらまく銀が底をつくと、人々の求道心も銀と同様に費えて

しまうのではないでしょうか」。

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  • 2018.10.19 Friday
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