「お前は国民の敵だ」

  • 2018.04.17 Tuesday
  • 22:29

 宮沢俊義「八月革命」の夢は雲霞と帰する。

 

「昭和に入ってからの大日本帝国の動きは大日本帝国憲法にさえも違反していた。

事実上のクーデターだった。……治安維持法も事実上の改憲を強行する役割を担った。

……国は面従腹背、GHQの指示に従って治安維持法を廃止しても、敗戦に伴う大混乱を

口実に治安維持法の下で生み出された諸制度を新刑事訴訟法の規定の中に潜り込ませた。

/治安維持法下の諸制度は、『戦時の衣』を『平時の衣』に着替えることによって例外の

制度が原則の制度に逆転し、むしろ拡大されることになった。……戦後の大いなる矛盾も

含めて治安維持法の検証を本書で試みたい」。

 

 行為の態様のみを見れば、逮捕・勾留と拉致・監禁、差し押さえと強盗、死刑と殺人に

何ら異なるところはない。では何が違うのか。

 いみじくもマックス・ヴェーバーは「正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する

人間共同体」として国家を定義づけてみせた。本書もまた、そんな過去を踏襲する。

「近代市民社会」において「市民が真っ先に取り組んだのは、市民による市民のための

市民の統治を法的に保障することであった。刑法は憲法と並んでこの法的保障の重要な

一翼とされた。市民の利益を国家刑罰権によって保護すること、そして市民の自由を国家

刑罰権の濫用から守ることが『市民刑法』の任務とされた」。

 実に、先の前者と後者を分けるものは「市民刑法」に基づく同意の有無に他ならない。

 

 しかし本書は、この国の刑事司法体系がほぼ一貫してこの前提を裏切り続け、その底流に

治安維持法の思想が横たわることを暴露する。共謀罪とて氷山の一角に過ぎない。

 市民によるコンセンサスは、治安なる美辞麗句へとすり替えられたまま、今日に至る。

「通常の『市民刑法』が処罰する側もされる側も同じ市民であることを前提とするのに対し、

『敵味方刑法』では対象者が被害者や処罰する側と異質な存在として位置づけられる」。

 罪を憎んで人を憎まず、とは本来において刑法の基本理念として機能する。罪を規定する

コードに触れたがために、そのスクリプト反応として罰が下される。裁く側も裁かれる側も

「市民刑法」の手続きに則るに過ぎず、その過程において、国家なるプラットフォームの

成員たることを一時たりともやめることはない。法の支配とはかくなる事態を指す。

 対して「治安刑法」においては、人を憎んで罪を憎まず、を地で行く。怪しい輩が怪しいと

いうだけで暴力に服する。そこに罪が毀損しているはずの保護法益の有無は問われない。

ムスリムがムスリムというだけで裁かれかけた入国禁止令の異常性に向けられた冷笑は、

こと共謀罪においては発揮されない、原理において全く同じ性質を有するにもかかわらず。

 マッカーシズムが何を生んだか。東側指導部の猜疑心が何を生んだか。ただリソースを

空費しただけ。思想戦に勝者などいない。少しでも歴史を学ぶ知性があれば分かること。

 視点を変えれば誰もが怪しい。論点次第で敵と味方は入れ替わる。ゆえに「治安刑法」は

一度定めたその瞬間から自壊を宿命づけられる。

 

 本書が訴えるのは、「近代市民社会」の基礎ガイダンスに過ぎない。翻って、そんなことが

改めて著されねばならないというその事態こそが昭和、平成の治世の危うさを告発する。

「近代」革命史の伝統を知らぬ無教養がこの国においては「保守」なる語の定義となる。

 歴史に学ぶことで漸進的な改良を志向する、そんな真正保守の保守たる所以など、

無能に過ぎて知る由もない。

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