田園

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 23:13

 S.ホームズにとって、「大都会ロンドンこそが大英帝国の繁栄を築き、産業革命を

成し遂げた成果であり、帰結である。対して田園は『法律のことなんてろくに知らない

ような人ばかり』の未開地で、都市より劣悪だ」。では今日の2時間ドラマよろしく

ミステリと観光を結びつけたのは誰か? 筆者に言わせれば、アガサ・クリスティーだ。

「彼女が作家として活動した期間は、ちょうど1920年代から1970年代までと、およそ

半世紀に及ぶ、大英帝国が大きく変貌した時代とも重なっている。特に戦前の英国は

世界的帝国として史上最大の版図を支配し、『世界の銀行』を謳歌した絶頂期で、

そんな時代に首相や貴族、富豪、外国の王族から依頼を受けて難事件を解決し、

中東をはじめ海外の植民地でも活躍するのが、彼女の創造したベルギー人の名探偵

エルキュール・ポワロだった。/しかし、第二次世界大戦が起き、英国は苦難の末に

勝利したものの、戦後は植民地の多くを失い、帝国瓦解の憂き目をみるに至る。作品の

舞台から、海外はほとんど姿を消し、ポワロに代わって登場回数の増えた老嬢ミス・

マープルをはじめ、探偵たちの行動範囲は国内、それも田園に狭まっていく。そこで

描かれるのは、帝国の解体と社会福祉政策によって、もたらされた英国人たちのライフ

スタイルの変化である」。

 

 そもそもオリエント急行からして、中東へと手を伸ばす欧州覇権の権化として生まれた。

パリを起ちバルカンを通りイスタンブールへと至るこの鉄道をめぐり、時のドイツ皇帝は

3B政策」の大動脈に据えベルリン、ビザンチウム、バグダッドを結ぶ経路を構想する。

だがヴェルサイユ条約によって一転、オリエント急行はドイツ、オーストリアを通過しない、

シンプロン経由へと書き換えられる。20世紀前半のグローバリズムを象徴する鉄道には

「あらゆる階級、あらゆる国籍、あらゆる年齢の人々が集まってい」た。1931年の冬、

クリスティーは夫の暮らす中東から帰国すべくこの列車に搭乗するも、間もなく洪水に

見舞われて足踏みを余儀なくされる。「おいおい泣き出すアメリカ夫人、無口な北欧の

女性宣教師、大柄で愉快なイタリア人、おしゃべりなブルガリアの女性、ハンガリーの

大臣夫妻、気難しい英国の老紳士と人のよさそうな妻、禿げ頭の小柄なドイツ人」……

同乗者に足りないのはただひとり、ベルギーからのエグザイルだけだった。

 

 ミステリを道先案内人とした、20世紀イギリス地理史の講義かと思いきや、驚くほどに

クリスティー入門として成り立っているテキスト。もう良くない? と思うくらいネタバレにも

配慮されており、作品世界の補助線を与えてくれる。「ポワロが1930年代に回った観光を、

実際に大英帝国が支配する植民地への『空間の旅』とすれば、ミス・マープルが1960

70年代に行っている観光とは、大英帝国の時代に思いを馳せる『時間の旅』といえる」。

二大名物主人公の性格の違いを捉えるに、これほどまでに的を射た表現にはそうそう

出会えることはない。

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  • 2018.12.14 Friday
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