アンナチュラル

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 23:34
評価:
ヴィンセント・ディ・マイオ,ロン・フランセル
東京創元社
¥ 2,700
(2018-01-31)

「法医学的証拠は司法の根幹をなすものだ。それは証言の内容を変えることも

なければ、見たものを記憶違いすることもない。裁判所の外に怒れる群衆が

集まっていても怖気づいたりもしない。恐怖のあまり逃げたり口をつぐんだりも

しない。どこまでも正直に率直に、知らなければならないことを我々に告げる。

たとえ、それとは違うことを言ってほしいと我々が望んだとしても。我々はただ、

それを見て誠実に解釈する知恵を持たなければならない」。

 

「完璧な犯罪などというものはない。未熟で不注意な捜査員と、いいかげんな

検死医がいるだけだ」とは、さる往年の名医のことばだという。

 本書が教える検死の実際は、アメドラの世界とはかなり隔たる。『CSI』よろしく

最先端の技術で秘められた真相を探知することもなければ、モーラ・アイルズの

ごとく意識高い系リッチ・ライフを送ることもない。何せ捜査当局にそんな予算が

割り振られてなどいないのだから。それでもなお筆者は力説する。

「私は、1940年代の検死医を現代のモルグに連れてきて、半日ほど最新科学に

ついての研修を受けさせれば、それだけで充分に仕事ができるだろうと心から

信じている。なぜなら、優れた法医学者の一番のツールは今も自分の目と頭脳と

メスだからだ。それらがなければ、どんな最先端科学も役には立たない」。

 そのことを証明するのが本書で紹介される実例の数々だ。ある事件は、白人の

自警団員による黒人銃殺が正当防衛であるか、否か、をめぐって争われた。裁判は

いつしか人種問題へとすり替えられ国論が分断される中でも、筆者に言わせれば、

「法医学的にはまったく複雑ではなかった。悲劇的なまでに単純だった」。

 その論証に「最先端科学」はいらない、「自分の目と頭脳」さえあれば十分だ。

 

 そして筆者は法廷に立つ自らが直面する、あまりに皮肉な現実を告発する。しばしば

「科学的な証拠は、多くの人が聞きたくなかった、そして今にいたるもなお信じようと

しない事実を物語」る。このテキストが取り上げる事例は往々にして挑発的。

人種あり、児童虐待の疑惑あり、音楽業界の超大物が被告人となった裁判にも関われば、

JFK暗殺犯とされる男への陰謀論をめぐり、墓から遺体を掘り返しての解剖にも立ち会う。

 それらのいずれにも共通する点がある。「人は法医学的事実よりも、自分の信じたい

ことを信じる」その態度である。

 ストーリー・マーケティングの他に見るべきもののないV.ゴッホの死をめぐって

想像を巡らせるのはいいだろう、荒唐無稽な空論で世間がどれほどどよめこうとも

ただオークショニアが喜ぶだけ、もはや誰が傷つくこともない。

 しかし、「論理的思考」ではなく感情で人が裁かれるとなれば、話は変わる。

そしてそのことが、推理の快刀乱麻を超えて、読者の手を不意にフリーズさせる。

フィクションならばまず間違いなく、主人公の明らかにする真実を前に登場人物が

ひれ伏して、物語は決着を迎えるだろう。しかし現実は時としてそうはいかない。

 そんな狂気の法廷を前にして、それでもなお法医学者の矜持が語らせる。

「私の患者はもう苦しんではいないが、その多くが裁きを求めている。彼らを生き

返らせることはできないし、最後の別れを言う時間すら与えられない。だが、私には

正しい裁きを与えることができるのだ」。

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