ビッグ・アイズ

  • 2018.10.12 Friday
  • 22:37

「美術品の取引の歴史は、美術市場の歴史とは異なる。美術品取引にとって鍵となるのは、

そしてその最も重要な主導者たちの歴史にとって鍵となるのは、美術品を商う画商や

美術商の個性である。それこそが本書のテーマだ。美術品を売ることに対して自身の

想像力と創意工夫と、そして説得力の限りを捧げた一群の魅力的な男たち(そして女たち)

について研究することだ。……画商は、コレクターが買う作品にどれほどの影響力をもち、

その結果、その同時代の人々の趣味にどれぐらい影響を与えているのだろうか? そして

画商は、画家が実際に描くものに対して、どれほどの影響を及ぼしているのだろうか?

あるアーティストやある芸術運動をプロモートすることにおいて、美術史、そしてとりわけ

近現代の美術史は、画商たちによってどれぐらい左右されてきたのだろうか? 本書は、

こうした疑問に答えようとするものだ」。

 

 例えばそれは18世紀のロンドン、その画商は自らの邸宅を販売会場として開放した。

「店に比べると押しつけがましくなく、同時によりスタイリッシュでもあった。美術品という

ものが、気持ちのいい室内空間のしつらえの魅力をいかに高めるかを、その本来のしつらえの

なかで強調する場所だったのだ」。

 博物館の展示品に値札を吊り下げる、デパートのはじまりと名高いパリはボン・マルシェに

はるか先立って、こうした陳列方法は美術商の世界では既に採用されていたという。

 お目が高い。

 

 1886年のNYで印象派展覧会を企画した際のこと、「アメリカは、旧世界の偏見からは

自由」なはずで、ただしこの勝算にはひとつだけ気がかりなことがあった。「ルノワールの

裸婦像がアメリカ人の清教徒としての本能を動揺させ、税関で差し止められてしまうかも

しれない」。税官吏がカトリック教徒であることを調べ上げた画商はここで一計を企てる。

「一緒にミサに参列し、そして『募金用の盤に、これみよがしに多額の募金を注ぎ込んだ』

のだ……その結果、絵は『なんらの支障もなく』入管が許された」。

 

 そしてこの画商、海のものとも山のものとも知れぬ印象派の黎明期にあって、経済的な

援助を彼らに対して施した。勇気づけるための助言も与えた。ただしそれは独占的な

販売権を引き換えにしていた。もちろん、ただ寄越せというのではあまりに芸がない。

流通をコントロールし、価格調整を容易にすることは必ずや画家サイドにも利益になる、

そんな甘言で垂らし込む。こうしてルノワールもモネもピサロも画商の軍門に下った。

 それはあまりによくできた、ベンチャー・ビジネス、コンサルタントのモデル・ケース。

 

 本書を読むほどに知らされるのは、美術の世界にあっても商業原理を逸脱する

例外事項などひとつとしてありやしない、というあからさまな現実。

 そして本書に募る不満は、全体を通じてそうした個別事例の箇条書きにしかなっていない

点にこそある。エピソード集として見れば、なかなかに飽きの来ない逸話揃いには違いない。

 しかし、それらは点でこそあれ線にはならない。よくできた史学書のように、登場人物の

相互作用のもたらす時代性や立体性がふとした瞬間に舞い降りる、そんな興奮には程遠い。

 ただし現代にあっては誰もが知る、リアルにおいて物語などもはや幻想ですらないことを。

世界が志向するのはただ商取引の効率化のみ、アートの空間を例外化し得ない現代社会の

自己言及とでも本書は見なされるべきなのかもしれない。

 

 artの語源はラテン語arsscientiaの猛威を前にもはや実践知であることさえも

やめて久しい。「名画」の定義はただひとつ、価格の他には何もない。

 

 モノからコトへ。そしてすべてのコトは消費循環の履歴のみを残して、各人を並列的に

通り過ぎていく、そんなモダンの果ての表象として捉えるならばむしろ、稀に見る逸品と

結論づけねばなるまい。

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  • 2019.09.27 Friday
  • 22:37
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