炎上女王

  • 2018.10.19 Friday
  • 23:33

「なぜこれほどまでに、コンスタンツェは否定的なまなざしで受けとめられてきたのか?

 この疑問を解くべく、本書ではまず、コンスタンツェの実家であるウェーバー家、および

彼女の生涯を概観する。……そして――ここからがこの本の真の目的であるのだが――、

彼女が数あるモーツァルト伝やモーツァルト関係のメディアにおいて、どのように描かれ、

どのように評価されてきたのかを追ってゆく。なぜ[アルフレード・]アインシュタインは

彼女を『蠅』と呼んだのか、なぜ彼女はヨーロッパから見れば遥か東の島国においてさえ

『悪妻』というレッテルを貼られるようになったのか。コンスタンツェに関する受容史を

探るのが、じつは本書最大の狙いにほかならない。

 それにしても、人はコンスタンツェにいったいなにを見てきたのだろう? またそのような

視線のなかに、人はどのような想いをこめてきたのだろう? 『悪妻』と呼ばれつづけてきた

ひとりの女性をめぐって、人間の抱える複雑な羨望と嫉妬を解き明かしてゆきたい」。

 

 ヴォルフガンク・アマデウスの死に際して、葬儀を催すどころか遺体を教会墓地へと

見送ることさえしなかった妻が、それから一週間と経たないうちに、皇帝に年金嘆願書を

申請する。さらには、著作権の概念すらも確立されていないような時代に、夫の遺した

楽譜を餌に出版社を天秤にかけ、見事ひと財産を築いてしまう。

 あるときは夭逝せり天才の妻として、またあるときは再婚相手の「ダンネブロー騎士」

(デンマークの勲章)夫人として、その肩書を巧みに使い分けてみせる。

 コンスタンツェのふるまいは、そのいちいちがある種の人々の癇に障ってたまらない。

 そこには二つのメカニズムが作用するものと見られる。

 ひとつには聖なるミューズに愛された天才の俗なる部分を下支える「世話女房」として、

凡庸な引き立て役を割り振られた存在としてのコンスタンツェ。彼が遺した稚拙な手紙の

数々もすべては妻の愚劣によって説明される。夫の聖人化が極致へと向かうほどに、

その対立軸に座する妻は地位を貶められていく。その関係は、あるいはナザレのイエスを

救世主キリストに仕立てるべく要請されるユダとのそれに近いのかもしれない。

 もうひとつの尖鋭化された要素は、「近代社会は、人間が神に支配されるのではなく、

むしろみずからが小さな神となることによって繁栄を遂げてきた」、その心性に由来する。

「神は死んだ」、この事態に瀕して、かのフリードリヒ・ニーチェは「超人」たることを求めた。

文字通り、人を超えてかつて神が担っただろう高みを目指すことを彼は謳った。ところが、

世の人々は別の仕方で「小さな神」たらんことを実現した、つまり、自身の見下すもの、

気に食わないものを徹底的に叩くことによって、それはまるで今日のネット炎上のように。

 モーツァルトを愛するとはすなわち、その曲に秘められた「或るもの」を感知できる自分を

愛することに他ならない。あたかも「愛国心」に似て、このナルシシズムを完遂するためには、

「コンスタンツェという、モーツァルトにたいする教養も知識も理解ももちあわせず、そこから

判断するに愛情にも欠けていたと思われるアンチ・リファレンスが必要なのである」。

 

 

 炎と怒りの祭典に捧げられた生贄へのせめてもの慰めに墓前にバラを手向けよう。

 桃のような甘美な香りを振りまく、この花の名を「コンスタンツェ・モーツァルト」という。

スポンサーサイト

  • 2018.11.08 Thursday
  • 23:33
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    PR

    calendar

    S M T W T F S
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    252627282930 
    << November 2018 >>

    selected entries

    categories

    archives

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM