前前前世

  • 2018.10.27 Saturday
  • 20:07

「私は7年間、福島第一原子力発電所事故を追い続けている。

 この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、

次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが

激減した。

 関心が薄れたところで、政府は支援を打ち切り、人々は苦しんでいる。(中略)

生きる選択肢が限られた彼らに、いったいどうしろというのか?

 そもそも、彼らはどうなっているかということすら、もはや世間の関心を失い、

忘れられそうになっている……。

 ネット社会の進展で、自分の好きな分野の話題や情報が大量かつ手軽に入手できる

ようになった。その反面、それ以外は見ないという風潮が広がり、そうした流れを助長

している。

 結果として、不都合な事実を『なかったこと』として揉み消そうとしている国家権力の

思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北でも

あると言われても仕方がない」。

 

 いつしか、何もかもが「なかったこと」にされた。

 除染作業員に分配されているはずの危険手当ても、中抜きを繰り返した末、いつしか

「なかったこと」になった。回収しなければならないはずの汚染物は、川に捨てられた。

「除染ならぬ移染」の事実も「現場のせい」と転嫁されいつしか「なかったこと」にされた。

 20138月、フクイチでの瓦礫撤去に際して放射性物質が飛散したことが原因と

見られる高線量の汚染が確認された。そしてその秋、風下で収穫されたコメからは

基準値を超えるセシウムが検出された。だが翌年、原子力規制委員会は、実測値を

乖離した計算値に基づき、コメ汚染と瓦礫の関係性を「ほぼないということが確実」と

断言し、一連の証拠を「なかったこと」へと葬った。

 避難先の都内中学に通う女子生徒は、たかりをはじめとした一連のいじめの事実を

教育委員会等に「虚言癖」とまで罵られ、訴えは「なかったこと」と結論された。

 

 真実はいつも醜い、なぜなら人間が醜いから。

 300ページ足らずの本書を読み終えるまでに、幾度しおりを挟んだだろう。

 読めば読むほど気が滅入る。見たくない、聞きたくない。「なかったこと」にさえすれば、

感情的なコストは安上がりで済む、そんなメカニズムを逆説的に教えられる。

 そして同時に知らされる、そんなマインドにただ乗りすることで得をするのが誰なのかも。

「アンダー・コントロール」の正体がここにある。

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  • 2018.12.14 Friday
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