ポロメリア

  • 2018.11.06 Tuesday
  • 22:28

「遊廓の日常を描きだすといっても、ここで行なうのはノスタルジックな遊廓文化の

回想ではない。……かの女たちがおかれていたのはほぼ絶望的ともいえる過酷な

状況であった。そのような日常にあっても状況の改善に希望を見出し、ストライキや

集団逃走という手段で生き抜こうとした女性たちの歴史に光をあてることが本書の

第一のテーマである。

 第二のテーマは遊廓のなかの女性たちの行動を中心にして公娼制度の問題を

とらえかえすことである。……蚊帳の外におかれていた女性たちが、はじめて歴史の

なかで公娼制度や遊廓における搾取に団結して抗議を始めたのが1920年代の

ことであり、ここではそういった女性たちの行動を、それを後押しした社会的な議論と

あわせて提示したい」。

 

 序文で早々にこのテーマの困難を明かす、つまり、「当事者による手記などがほとんど

残っていない以上、史料批判に耐え得る史料を使って史実を確定していくという通常の

実証史学の方法で遊廓のなかの女性たちの歴史を叙述することはまず不可能である」。

聞き取り調査というのも、とうに時効を迎えている。

 そこで筆者が主として頼るのが新聞記事、ところがこの策が苦肉どころか、研究に思わぬ

僥倖をもたらす。本書の描き出す光景は、まさにマス・コミュニケーションがなぜにかつて

そう呼ばれ得たのか、その所以を映してみせる。

 元娼婦による回想録、森光子『光明に芽ぐむ日』の一節が引用される。曰く、「自分の

今の慰めの一つは、自分と同じ運命の人達の、今迄辿って来た道を聞く事である。聞いて、

その人に同情し、又その人に憐れまれると云う事は、今の自分にとって、唯一の慰めに

なるように思われる。同病相憐むといったのはほんとうのことだ」。

「同情」が波紋となって伝播する。遊廓の同僚が身を寄せ合って相憐れむ。隔絶されて

いるはずの遊廓と遊廓を新聞が繋ぐ。自主廃業を求めての脱走を報じる記事の切り抜きが

回し読みされることで得られた「慰め」が、後にストライキとして決壊を招く。

 それは例えば貧困問題のように、人はしばしば娼婦に「籠の鳥」を見てしまう、つまり、

自ら立ち上がる術など知らない、支援されるべき無力な対象としての彼女たちの姿を。

 しかし、本書は「遊廓のなか」に焦点を当てることで見事その固定観念を払い落とす。

 廃娼運動家や当時の思想潮流がこの動向に何の影響も持たなかったとは無論言えない。

しかし本書による限り、彼女たちは「救済者」によるメディア型トップ・ダウンに導かれ、

多少なりとも改善された待遇の恩恵を授かったわけではない。コミュニケーションの

密やかなボトム・アップの輪が彼女たちを鼓舞し、能動的にアクトへと駆り立てた。

 新聞が字義通りマスのコミュニケーションを媒介した時代がそこにあった。

 

 マウントか、虎の威を借る狐になるか、声がでかけりゃ、それでいい。

 文春砲よろしく、今やニュースは感情の沸騰を束の間誘い、そしてその場で捨てられる

ためだけに存在する。コミュニケーションではなく分断の誘発装置としてのマスゴミ。

熟慮のためのプラットフォームなど、まさか望むべくもない。

 ひたすら惨め、やがて悲しき。そんな時代から「遊廓のストライキ」を逆照射するとき、

1世紀前の#Me Tooがユートピアとさえ見えてくる。

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  • 2019.08.18 Sunday
  • 22:28
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