二重基準

  • 2018.11.14 Wednesday
  • 23:04

「本書では、古代から現代まで、海賊の変遷をたどっていく。……そして本書では、

こうした海賊の姿を描くと同時に、それぞれの時代に海賊がどのような存在として

みられていたのかという点もあわせて検討していく。そこからは、現代のソマリア

海賊のような犯罪者としての海賊とは異なる別の姿が見えてくるはずである。

 さらに、海賊が時代に規定された面だけでなく、逆に、各時代において海賊が

いかに歴史に影響を及ぼしたのか、海賊という存在をとおして、裏面から世界史を

再読していきたいと考えている。

 すなわち、それぞれの時代において、どのような海賊が存在したのか、人びとは

海賊をどのように見なしていたのか、そして、海賊の存在が世界史をどのように

動かしたのかを探ることが本書のねらいである」。

 

 本書のアウトラインは、古代ギリシャにはじまる海洋戦記のダイジェスト、どう転んでも

面白くならないはずがない。逆に言えば、新書一冊の紙幅をはるかに超えて然るべき

射程を持つに至る、本書の「海賊」の定義それ自体に疑問を呈さずにはいられない。

 なにせその尺度に照らせば、「海を越えてやってきて住民を殺し、王国を滅ぼし、

富を掠奪するスペイン人は、現地民[インディオ]から見れば、まぎれもなく海賊に

ほかならない。そしてそれは、人類史上最大の海賊行為であったといえよう」。

 大航海時代における国策さえも本書においては「海賊」を構成する。この見立てに

根拠を与えるのは例えばN. チョムスキー、「大王と海賊の関係と同様に、アメリカの

覇権的な外交と国際テロリズムには、暴力性という共通項が存在しており、その意味で

両者は同等である」。結果、『海賊の世界史』と海洋史が、少なくともある時代までは、

事実上ほぼ同義語として処理される。

 一方ではかような定義を与えつつも、ただし他方で現行の国際法に敷衍して

「海賊行為」を「私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的のために行う

すべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為」という別の仕方でくくり込む。

 もちろん狙いは分かる、つまり、近代国家の樹立や国際法、条約といった概念の

発達史そのものが「海賊」との絡みの中で把握されるべきテーマなのだ、と。ただし、

正史の相対化の具として一方で持ち出されている「暴力性」の権化としての「海賊」が

循環論法的に正史へ包摂されていく組み立てに根本的な混乱を見ずにはいられない。

 オスマン帝国とスペイン帝国の衝突やアルマダの海戦をもって互いを「海賊」として

紹介することを許すのならば、全く同じ資格によって、例えばミッドウェイ海戦を

双方にとっての「海賊」として取り上げずして、「海賊の終焉」を宣告するというのは

理に合わない、少なくとも私にはそう思えてならない。

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  • 2019.08.18 Sunday
  • 23:04
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