祭りがヤラセでなぜ悪い

  • 2018.11.14 Wednesday
  • 23:11

「試合が近づくにつれ……コアなプロレスファンとボクシングファン、アリのサポーター、

格闘技・武術の愛好家たちがそれぞれに、この試合とその真剣度に思いをめぐらせて

いた。アリ自身もプロレス界の隠語であらかじめ筋書きや結果が決まっている試合を

指す“ワーク”に落ち着くことを望んでいたが、アメリカ・プロレス界の長老ビンス・

マクマホン・シニアが数カ月前、その考えを持ってアリ陣営にアプローチしたとき、

いったんその話は消えてなくなった。……マクマホンはアリに、グラウンドに倒されて

フォールされるのが利口だと言った。自分を倒せない男の足下にひれ伏したりはしない、

とボクサーは答えた。人気の絶頂にあったアリが筋書きのある結果より真剣勝負の

リスクを選んだ事実は、競技者としての矜持を物語っている」。

 結果、時のレギュレーションが導き出した「真剣勝負」が、「世紀の凡戦」だった。

 

 プロレス超弱者の私、本書を読むまではブックの存在がミスター高橋や『ビヨンド・

ザ・マット』をもってようやく公然の事実として定着したものとばかり思っていた。

 しかし記述による限り、少なくともアメリカでは1937年には既に自明と化していた。

「真剣勝負」の行き着く先は往々にして「波乱のない退屈な試合内容」。エンタメを

提供するにはフェイクを織り込むしかない、「ショーマンシップを発揮して観客と一緒に

“熱狂”を生み出」すしかない、「本物でない試合を本物と思いこ」ませるしかない、

かくしてどんなリアルよりもリアルな「熱狂」が立ち上がる。

「熱狂」は生まれるのでなく、作られる。

 そんなことを知り尽くした人々が、あえて「真剣勝負」を選び取る。

 仰向けのレスラーに起立を強制するルールが存在しなかった以上、リング内で

提供可能な「本物」としてはおそらくは最善に違いなかった。

 そして「本物」はしばしば残酷な代償を当事者に強いる。トータルで107もの蹴りを

受けた「蝶のような」フットワークの源は、「ズボンが穿けないくらい……腫れていた。

……脚のあらゆる血管が切れていたと思う。激痛に見舞われていたはずだ。……

いろんな色に変色していた。黒とか青という言葉では表現しきれない色に」。

 ボクサーのダメージは単に痛みに留まらなかった。

「血栓が血管を移動して脳の動脈を詰まらせたら命に関わる。死ぬかもしれないんだ。

感染症の危険もある。肺や心臓や脳が侵される可能性もある」。

 寝転んだ脚から繰り出されるローキックの破壊力を当時の観客が知るはずもない、

その目が捉えたのはあまりに変わり映えしない退屈な絵面だけだった。

 

 ショービズという断り書きは痛みを決して無化しない、ただし「熱狂」をもたらすに

至らなかったその事実は観客のいかなる罵声にも限りなき免罪符を与える。

 ライヴ・ヴューイングで試合を見届けたアメリカのファンは言った。

「むしろ腹を立てていた。筋書きはあってもエキサイティングなショーを見たほうが、

みんなハッピーだっただろうね」。

 日本武道館では「金返せ!」の怒号が響いた。

 リアルはファンタジーに決して勝てない、ただ一点、換金機能を除いては。

 消費者は舞台裏の真相を知る必要などない、シュートかワークかを問う必要などない、

惨めな現実に視線を送る必要などない、ただ金を置いていきさえすればいい。

「本物」の結末は両者の痛み分けではない、哀れな現実の爆敗宣言だった。

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  • 2019.08.18 Sunday
  • 23:11
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