「血は命」

  • 2019.01.07 Monday
  • 22:19

「当時、フランスとイングランドの科学者たちは、血液の謎を解き明かして人間への

輸血を最初に成功させようと、しのぎを削って激しく争っていた。……そんなときに、

どこからともなく現れたのが、ジャン=バティスト・ドニという若い医師だった。彼は、

初の動物からヒトへの輸血を行って科学界をあっと言わせ、大きな評価を得る一方で、

それ以上に大きな論争を巻き起こした。16676月の半ば、ドニは子羊の血液を

16歳の少年の静脈に輸血した。結果は驚くべきものだった。少年は死ななかった

……最初の成功に気を良くしたドニは、さらに患者を見つけて数回にわたる輸血を

行なったが、結局3人目が最後の被験者となった……ドニは子牛の動脈を切開し、

数本の鵞鳥の羽軸を糸でつないだ初歩的な装置を取りつけてから、150ミリリットル

余りの子牛の血液をモーロワの腕から輸血した。すると翌朝には、実験がうまくいって

いる――少なくとも致死的な状態には至っていない――という明るい兆しが見えた。

ところが、その後輸血を繰り返したところ、結局モーロワは死亡した。そして、間もなく

ドニは、殺人罪で告発された。……本書では、ドニの試みをふたつの異なる側面から

考える。ひとつは、17世紀のわずか数年間に起きた、輸血医ドニ、及び輸血全般の

盛衰をたどる……ミクロヒステリーの側面で、もうひとつは、麻酔、消毒薬、血液型の

概念がない時代に、輸血を考え出すことができた知識、発見、文化、政治、宗教の

土壌をたどる、より重要性が高いと思われるマクロヒストリーの側面だ。すなわち、

本書で取り上げるのは、輸血そのものに関する歴史であると同時に、科学革命――

偉大な科学者たちと計算高い国王たち――の歴史でもある」。

 

 血に飢えた各国のナショナリズムの燃料に、17世紀ヨーロッパは事欠くことを

知らなかった。例えば三十年戦争、例えばピューリタン革命。戦火に次ぐ戦火は、

倦んだ者に海を渡らせるに十分な動機を与えた。

 血の通った母国語で学問を著す、その潮流が生まれたのも時代の必然だった。

時の公用語とも呼ぶべきラテン語でもフランス語でもなく、自国の言葉で論じる、

科学革命を導いたガリレオもニュートンもいくつかの著作ではその作法に従った。

 血で血を洗う、そんな国家間対立の舞台のひとつが輸血医療だった。

 血と汗の結晶、「血液循環説」を提唱することでイングランドを牽引したのが

かのウィリアム・ハーヴェイだった。対するフランスはといえば、不動の中心たる

パリ大学医学部が依然としてガレノスやアリストテレス由来の古典主義信奉を

貫いていた。「循環運動はあまりにも単純であり、非常に単純な生物にしか適さない

……人体では、血液は目に見えない導管を通り、心臓の房を横切って、『純粋な

生命の液に変化し、それがすべての内臓器官を生まれもった温かさに保つ』」、

血とし肉とし、古典に通じたトップ・エリートの彼らにとって、この見解こそが

揺るぎようもない真理だった。

 血をたぎらせて、パリへの対抗意識に燃えていたのが、フランス医学の傍流

モンペリエが育んだ無名のアウトサイダー、ジャン=バティスト・ドニだった。

彼は夢見る、動物からヒトへの輸血を論より証拠と示すことで、パリはおろか

イングランドさえも出し抜いて、スターダムへと駆け上がるその日を。

 血道を上げて科学に入れ込むパトロンがドニの野心を支えた。上流階級にとって

科学は当時、最高のステータス・シンボルだった。その支援者モンモールは、

「私的な学会……の会員に、思いつく限りの資源、広々とした空間、必要な器具、

研究用の豊富な蔵書、そして――むろんのこと――満腹になる食事を提供」した。

ところが、楽園に斜陽が射す。王立科学アカデミーが創設されたのだ。財源は

民の生き血を絞って得た税金、一介の貴族では太刀打ちできるはずもない。

 血も涙もなくルイ14世は決断する、「絶対的忠誠に対しては多額の報酬を

惜しみなく与え、少しでも忠誠心に欠ければ徹底的な罰を惜しみなく与える」、

この意に面した会員がモンモールに背を向けたのは、やむなき必然だった。

 血を吐く思いで没落貴族は、挽回の一縷の望みをドニに託す。対して学界は、

反逆児を血祭りに上げるその好機を手ぐすね引いて待っていた。

 

 血湧き肉躍る、ということにおいて、ここまでの材料を揃えた作品も珍しい。

医学史だけでも十分にそそるというのに、そこに陰謀渦巻く政治劇に法廷劇、

血なるものが人間に呼び起こさずにいないスリルと戦慄、さらに宗教対立さえも

絡んでくるというのだから。

 血のにじむような筆者の労苦が、素材を見事に生かす。軽やかで、かつ精緻、

まるで見てきたかのような筆致が冴え渡る。史学書としては時に過剰演出を

疑うほどに、街並み、手術台、食卓……その情景が匂いとともに立ち現れる。

 血気にはやるならず者、事件の概要のみを知れば、ドニをそう見なすのも

無理はない、ところが事実は異なる像を示す。そこにささやかな救いがある。

「裁判の4年後、輸血を専門としていた彼は、まったくあり得ないような方向へ

研究の道筋を向けた。強い抵抗を受けながらも、堂々と輸血を支持していたドニが、

今度は止血剤を開発したのだ――現在では世界中の薬品戸棚に保管され、

軽い出血の処置に使われる薬だ。彼は、血流を促すことを基本とする治療では

後世に遺産を遺すには至らなかったにしても、血流を止める治療においては

足跡を残すことができた」。

 血の涙のその先で、アスクレピオスはドニに微笑む。

 血が騒ぐ、とはまさに本書を指していう。

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