「Ora Orade Shitori egumo」

  • 2019.03.31 Sunday
  • 21:54

「《猥れて嘲笑めるはた寒き》

……『猥』ではじまるその文語詩は、難解というより不可解であり、異様であった。

 これだけ『異形』であれば、誰かがとうぜん論じているはずだ。私は、宮沢賢治

関連の蔵書百数十冊を繰ってみた。どこにも見当たらなかった。

 賢治が思いをこめて書いたであろう『猥』ではじまる文語詩は、誰からもまともに

取りあげてもらえず、ほの暗い奥深くから微かな燐光を放っている――。そう感じた

とき、私の中に小さいけれど強い火が灯った。それが始まりである。……結局、

『猥れて嘲笑めるはた寒き』で始まる文語詩の謎を解くだけで三年近くかかって

しまった。もっとも、それからが大仕事だった。解かれた謎は、次の謎を生んでいく。

それが連綿と続いていった。

 気がついてみると、私の謎解きの『旅』は、六年近くにも及んでいた。そして、

最後に辿り着いたのは、未完の大作として知られる童話『銀河鉄道の夜』であった。

……ところが、そこに至って私は巨大な迷路に迷いこんだ気分になっていた。出口を

求めて辿っても辿っても、明かりは見えてこない。そして、ついに諦めかけたとき、

奇跡としか言いようがないことが起こったのだった」。

 

「連想は連想を生み、リズムをもって一行ずつ閃いて浮き出てくる楽しい詩草を、

本能とも見える速度で書きとって行く」。そうして眼前に現れる詩句はしばしば、

「突拍子もなく現れ、解釈しようにも手がかりすらない」。

 ゆえに例えば、ジョバンニが握る切符に記された「おかしな十ばかりの文字」に

ついての仮説がいかに説得力を持とうとも、合わせるべき答えなどはじめからないと

いえばない、そんなことは誰に指摘されずとも筆者がいちばん分かっている。

それでもなお知らずにおれない、だから調べる。当時の新聞にあたるのは朝飯前、

現代の花巻の町を歩いて回る、果てはその日賢治が見ただろう天体図さえ求める。

普通に考えればむしろ作品世界は夢想に過ぎず、現実にすり合わせるべきものなど

ひとつとしてないかもしれない、でもとにかくひたすらに探しまくる。

 そして、アマチュアの執念は大上段の表題に恥じぬ傑作を生んだ。

 

 本来ならばフォーカスすべき話題には枚挙に暇がない、とした上で、やはり一際

強調されねばならない点は幻の天才の発見にこそある、つまり、宮沢とし子という。

 とし子は生前、一冊のノートを残した。

「私は自分を知らなければならぬ。過去の自分を正視しなければならない」。

 そう誓った「私」は、にもかかわらず、この後「自省録」の主語を「彼女」と置く

ことで回顧を展開していく。この文体はゆえなき試みではない。

「彼女が凡ての人人に平等な無私の愛を持ちたい、と云う願いは、たとえ、まだ

みすぼらしい、芽ばえたばかりのおぼつかないものであるとは云え、偽りとは

思われない」。

「無私の愛」を語る主体が「私」であれるはずがない。

 そして、愛に傷ついた「彼女」がどうして賢治を触発せずにいられただろう。

「あめゆじゆとてちてけんじや」。

 とし子のことばとして誰しもが知るだろう「永訣の朝」の一節。ただし、詩には

まだ続きがある。妹の「無私」を弁える賢治が、別れを前に幻聴を語らせるのだ。

(Ora Orade Shitori egumo)」。

 

 通常、賢治の色として連想されるものといえば、新潮文庫の背表紙や「夜」、

あるいは岩手の気候にちなんだ寒色系に落ち着くのではなかろうか。

 けれども本書のカバーは異様なまでに赤い。

 読後、つくづくその意味を知らされる。

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  • 2019.08.18 Sunday
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