誰かとどこかで

  • 2019.04.06 Saturday
  • 22:17

「滑り出しは順調だったソウルフード探訪の旅。しかし、間もなくしてひとつの問題に

ぶつかった。ソウルフードの定義とは何なのか、ということだ。……悩んだ末に定義に

こだわることをやめた。その代わり、自分がソウルフードだと思う料理についての

思い出やこだわりを自由に語ってもらうことにした。ソウルフードを単純に日本語に

置き換えると『魂の食』だ。彼らの料理への愛情や誇りが言葉として積み重なって

いくことで、ソウルフードの本当の意味が見えてくるかもしれない、そう思ったのである」。

 

 何を食べるか、よりも、誰と食べるか、いつ食べるか、どこで食べるか。

 

 例えばチャンサンマハという料理がある。現地のことばで茹で肉、その名の通り、

羊肉のブロックをただ塩でゆがいただけ、ローカリティの欠片もないといえばない。

 しかしモンゴルの人々に言わせれば、これが替え難きソウルフードなのだという。

遊牧の民が極寒の冬に備えて羊を「出し」――締める、殺す、捌くではなく――、

その命を少しずつチャンサンマハにして食する。その肉の味はエサの味、つまりは

共に歩んだ場所の痕跡を留める。

「だから、モンゴル人はどこの羊か食べればわかるんですよ」。

 チャンサンマハを食すとき、彼らは同時に記憶を食す、時間を食す、風土を食す。

その物語を持たない者がどうしてその味を噛み締めることができるだろう。

 ソーセージにカレーソースを絡めるだけなら誰にでもできる、ただしそこに戦後の

ドイツ復興の物語を込めることなどできない。

 本書はグルメガイドにもレシピ集にもならない、なれない、だから尊い。物語をもはや

持たない、持てない東京の空の下、ソウルフードをソウルフードたらしめる物語を紡ぐ。

 

  ふるさとは遠きにありて思ふもの

  そして悲しくうたふもの

  よしや

  うらぶれて異土の乞食になるとても

  帰るところにあるまじや

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  • 2019.07.19 Friday
  • 22:17
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