ヘラクレイトス

  • 2019.04.30 Tuesday
  • 20:01
評価:
山尾悠子
文藝春秋
¥ 2,160
(2018-05-10)

 インドネシアはトラジャ族に伝わる神話。創造主は石の彫刻から人類最初の

男と女を作った。主は併せて人類に火を与えたが、ただし作り方は授けなかった。

途絶えぬように守り続けてきたがある日、火は消えてしまう。折りよく天が地上に

近づいてきたので、火を再度分けてもらえるように使者を出す。乞われた通りに

火は与えよう、ただしその過程を見てはならない。そう命じられた昆虫は手で

目を覆った。ただし神はその肩の下についたもう一対の目の存在を見落とした。

かくして人は石を打ち、火の粉を広げることを知る。

 ニュージーランド、マオリ族の場合。英雄マウイが村中の火を全て消して回る。

火を取り戻すには大祖先マフーイカのもとに出向いてもらってくるより他にない。

その役を引き受けるのもまたマウイ。子孫を歓待するマフーイカは自らの爪を

引き抜いて火を起こす。ところがマウイは受け取っては消し、受け取っては消し、

そうして最後の爪のみを残したところでマフーイカはマウイの陰謀に気づく。

女神は怒りの炎を地上に放ち、その火でマウイを追い回す。マウイの懇願で

水の神が大雨をもたらし鎮火する。マフーイカの火は消えた、ただし彼女は

いくつかの火花を木の中に隠した。だから木をこすり合わせれば火が起きる。

 数日前にたまたま読んでいた、J.G.フレイザー『火の起原の神話』からの引用。

この碩学の立場は明快だ。「神話はそれらの多くをゆがめている幻想的な特徴にも

かかわらず、本質的には真実なものを持って」いる、その痕跡を求めて読み進む。

 そして私はバカバカしくも換骨奪胎して「幻想的な特徴」に魅かれていく。

数多の口伝は神からの窃盗をもって起原を明かす。プロメテウスを典型に、

火は原罪を象徴する。

 

「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。

 大人たちがそう言うのを聞いて、少女のトエはそうかそうかと思っただけ

だったが、火は確かに燃え難くなっていた。まったく燃えないという訳では

ないのだが、とにかくしんねりと燃え難い」。

『飛ぶ孔雀』の物語の舞台は、川のほとりのとある街。流れ出る先は

どうやらあるらしい、ただし「トエは川を知るばかりで海を知らない」、

そして源流についても知らない。

 

 同じ川に二度入ることはできない、と古代ギリシア、ヘラクレイトスは言った。

いっそ本邦古典に倣って、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水に

あらず」とすべきか。一時の洪水の奔流をもって人はそれを川と呼ばない。

川が川と呼ばれるために問うべきは「水」ではなく「流れ」。絶えざる運動性を

構成するかぎりにおいて、「水」に違いを論ずべき必然は何一つとしてない。

同じ「流れ」に身を浸す限りにおいて、それは同じ川でしかあれない。

 流転しているはずの万物が、同一性の相に繋がれる。

 この小説の時間はたぶん右から左へと流れてはいかない。より正確には

流すべき時間すらない、なぜなら同じなのだから。火が失われてすら、以前と

以後を隔てることができない。運動を持てど、時間は自明性を脱臼する。

 原罪以前の世界など人はそもそも持たない。できるのはただ現在ある世界が

現在ある世界、同じ世界であることを受容することだけ。

「――だって皆、この手紙に書いてあることばかりだもの。予言だなんて

もともと本気ではないにしても、これほど楽勝の予想もないってものだわ。

問題は聞いてくれる観客がいないということで、こればかりはあたしの宿命、

抗えない運命なのよね」。

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  • 2019.09.15 Sunday
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