Tomorrow never knows

  • 2019.07.24 Wednesday
  • 21:48
評価:
石川 初,内海 慶一,田中 純,中川 理,中谷 礼仁,南後 由和,福住 廉,松岡 剛,みうら じゅん
フィルムアート社
¥ 104,866
(2013-01-28)

「首都東京を壊滅させた1923年の関東大震災は、欧米における第一次世界大戦に

匹敵する歴史の断絶をもたらした。そして、この震災後の日本の1920年代は、

独自なモダンな都市の学を生み出している。今和次郎らの『考現学』がそれである。

……それは徹底して現象の表層にまなざしを滑走させ、風俗を採集し、統計を

とることによって、その多様性と差異を分類しようとしていた。考現学とはいわば、

探し求めるべき犯人を欠いた、無目的な探偵の捜査活動なのであり、この探偵は、

犯罪という主題の不在を埋め合わせようとするかのごとく、都市、都市生活の表皮に

残されてゆく束の間の痕跡の数々を狂ったように蒐集しつづけるのである」。

 

「路上観察学会は、『物件』に機能主義や計画の論理で満たされた都市からの

逸脱の『自由』を見出そうとしていた。『物件』がもつ無用さや無意味さが、既存の

政治、経済的な秩序からはみ出す『抵抗』としての意味を逆説的にもちえた」。

 

 めくるほどに、引きずり込まれる。考現学をめぐる記述のいちいちが、

どうしようもなく私をある場所へと誘わずにはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは至極ありふれた校舎の風景。量産型にせめてもの差別化を期して

設けられたのがこの突起だったようだ。

 海に面した学校ということで、船の舳先をイメージしたという。

 その二階部分はこうなっている。

 教室と体育館の動線という以外に機能を帯びることもない、当時ですら渡り廊下に

屋根を被せれば用の足りただろうこの無用の長物は、生徒を失ったことでいよいよ

本格的に「超芸術トマソン」改めディアー改めグリーンウェル改めブロワ―ズ(中略)

改めロサリオと化した。

 この建物は数年前、他校との合併というかたちで事実上の閉校を迎え、

市民活動の拠点としてリノベーションされた。

 

 校舎としてのこの場に私が最後に訪れたのは、311の翌日。街は液状化により

上下水道が絶たれ、そして校庭にはいつ来るとも知れぬ給水車を待ちわびる

大量のタンクが並ぶ。開放されたプールの門には、自由にお使いくださいとの

旨が記されている。この瞬間、不思議なほど甲羅干しの映像しか再生されなかった

プールサイドの記憶は、濁り切った3月の水の緑とヘドロ臭へと更新される。

 それから8年、その場所は跡形もなく整地され、駐車場へと変わっていた。

 

 下駄箱の撤去されたエントランスから中に入る。総合病院かと見紛うほどに

廊下は過去の痕跡を消していた。

 ただし、かつて教室だった場所の多くには黒板やロッカーが残されたまま、

あえてのデザインなのか、単に除去コストの制約なのか。

 ある部屋は会議室に、ある部屋はNPOに、おそらくは保健室だったその場所は

ハローワークに変わった。そして一室は、女性起業家のシェアルームとして

エステに供されていた。こみ上げる笑いを辛うじて押し殺しながら撮っていると、

中でミーティングをしていたスタッフに敵意全開の一瞥を受ける。

 それはきっと、四半世紀前の同じ廊下で浴びた視線と限りなく似ている。

 

 閉校を余儀なくされた理由は明らかだった。

 都心半径15キロ圏内の埋立地、ニュータウン構想の理想郷がそこにあった。

団塊世代を中心的なターゲットに団地が片っ端から設けられ、そしてその子どもが

小学校へと送り込まれる。

 1981年生まれの私が入学したとき、年長組は4クラス、設計で各学年につき

3クラスとして割り振られた教室では足りず、プレハブ校舎で補われた。反して

卒業していく頃には2クラスが標準化し、やがて1クラスに、そして役割を終えた。

 日本の人口ピラミッドを極度に先取りした結果、ごく平凡な公園風景さえも

超芸術ロサリオと化した。

 晴れ間ものぞく日曜日午後2時の砂場で、遊んでいる幼児がひとりとしていない。

幾何級数的な上昇曲線がおそらくは広く信じられていただろう70年代にこの未来を

予見できなかったことを誰が批判できるだろう。

 あちらこちらのメゾネットの扉に貼られた「ハリガミ」。

 この「自由」の光景を指して人は限界集落と呼ぶ。

 

 30年前に既にかつて堤防だった何か、ロサリオのその先で、ゼロ年代もなお

開発が進められた。集合住宅の性質からしてほぼ不可避な特定世代の加齢は、

いずれ公立学校をどうしようもなくロサリオへと変える。

 確定した未来、この光景をロサリオと呼ぶことにためらうべき理由がどこにある。

 

 消費社会の勝利を讃える大聖堂のファサード。

 このモニュメントに他にいかなる意匠を与えることができるだろう。バブルの絶頂に

突如としてショッピング・モールは屹立した。もっとも旗艦店として華々しく漕ぎ出した

この世の春も長くは続かず、いつしか装飾もロサリオ暫定的に改めミッチェルと化した。

もはや通行人にこのオブジェを気を留める者など誰もいない。

 

 そして、その一角の店先で起きた出来事。注文すべく店員の顔に視線をやると、

同級生の顔がそこにあった。いやむしろ、卒業以来一度として合わせたことのない

そのおばさん顔は若返ってすら見えた。ショートボブ風味の髪型すらも記憶のまま。

ネームプレートに刻まれるのはそれなりに珍しい彼女の名字。小学生時代、私が

一も言わないうちに、明後日に向かって十の妄言をまくしたてたハスキーな声は

鳴りを潜め、接客向けのコケティッシュな響きすら帯びている。

 きれいに、なっていた。

 

 大竹伸朗の「日本景」には、「対象への淡々とした距離感のようなものが感じられる。

否定すべき対象として突き放すのでもなく、かといって醜さを際だたせて見せるのでも

ない。批判するのでもなく、ましてや礼賛するわけでもない。どうしようもなさが、

淡々と、自分に近しいものとして描かれるのだ」。

 ひとたびはグロテスクなものとして、そして愛しいものとして。

 

 例えばそれは一枚の校舎の写真、ただし一枚の校舎だった何かの写真。

 カメラの眼差しは決して物自体を捉えることができない。

「やがて視線は対象にぶつかって跳ね返り、自分を覗き込む」。

 考現学がその着地点として再帰型近代を反映するのは必然だった。

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  • 2019.09.15 Sunday
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