表現の不自由

  • 2019.08.15 Thursday
  • 21:54

「今回はこれまでとは違うのです」。

 2007110日、そう男は受けがった。

 イラク戦争の失敗はその時点で既に明白だった。大量破壊兵器をめぐる大義は

でっち上げだった。テロリストの猛威を前に、米軍のできたことといえばむしろ

火に油を注ぐようなものだった。中東に民主主義を広めるとの理念も頓挫した。

 にもかかわらず、その男、G.W.ブッシュ・ジュニアは驚愕の一手に打って出る。

段階的撤収どころか、イラクへの派兵増員に踏み切った。

 本書は、その決定に基づいて新たに送り込まれた大隊の一つ、第一歩兵師団

第四歩兵旅団第十六歩兵連隊第二大隊をめぐる物語。

「彼[陸軍中佐ラルフ・カウズラリッチ]の兵士たちは、増派が始まったときにはまだ、

彼のことを『敗将カウズ』と呼んではいなかった。やがて負傷することになる

兵士たちは、そのときにはまだ五体満足だったし、やがて死ぬことになる兵士たちも、

そのときにはまだ生を謳歌していた。彼お気に入りの兵士、彼の若い頃そっくりだと

言われていた兵士は、『こんな糞みてえなところ、もううんざりだ』という手紙を

友人にまだ書き送ってはいなかった。やはり彼が目をかけていたもうひとりの兵士も、

『希望をすっかり失くした。もうじき終わりが来る気がする。もうすぐ、いまにも』と、

隠していた日記にまだ記してはいなかった。別の兵士は、血だまりをぺろぺろ舐めて

渇きを癒している犬を撃ち殺すほどの怒りをまだ抱えてはいなかった。すべてが

終わった後で大隊一の勲章受章者となる兵士は、自分が殺した人々のことを

まだ夢に見てはいなかったし、梯子を登っていたふたりの民間人について神に

問いただされたらどうしようという不安をまだ抱いてはいなかった。別の兵士は、

眼を閉じるたびに、男の頭を撃ち抜いている自分の姿が浮かび上がったり、

その男の頭を撃った自分をじっと見つめていた幼い女の子の姿が見えたりする

ことはまだなかった。彼自身の夢について言えば、やがてたびたび見るようになる

夢はまだ現れてはいなかった。少なくとも、妻や友人たちが取り囲んでいる墓地の

穴に自分が突然落ちていく夢や、自分の周りの何もかもが吹き飛ばされ、なんとか

応戦しようとしても武器も爆弾もなく、空の薬莢の入ったバケツしかないという

夢はまだ現れていなかった」。

 

 ある者は四肢を失っていた。ある者は重度の熱傷に冒されていた。

 前線で重傷を負った兵士のための医療施設、通称「勇者のセンター」の落成に

あたって、軍の幹部はスピーチを寄せた。

「みなさんについて、こう言う人がいるでしょう。『彼は腕をなくした、彼は脚を

なくした、彼女は失明した』と。でもそれは違うのです。あなたがたはその腕を

捧げたのです。その脚を捧げたのです。目を捧げたのです。国への贈り物として」。

捧げた」その現場、ラスタミアには誰も来なかった。「連邦議会のメンバーは

ひとりとしてやって来なかった。ジャーナリストはふたりだけ来た。しかしこれは、

イラクの別の地域を素早く『車中の遠足』をした後で増派は成功していると

宣言していたワシントンのシンクタンクの学者の数より多かった」。

 そして彼らは高らかに宣言するだろう、20079月における戦死兵の数は

イラク全土で最少を記録した、ミッション成功の証左だと。彼らは決して直視しない、

統計は嘘をつく、「戦争に無関係な」死者は省かれた上での数字であることを。

彼らは決して直視しない、統計が語るだろう死傷者のその実情を、「銃弾。火傷。

爆弾の破片。手を、腕を、脚を、目を失った。鼓膜が破れ、大腿が押しつぶされ、

筋肉が剥ぎ取られ、神経が切断された。ある兵士は、作戦基地で公衆電話を

使おうと待っているときにロケット弾が近くに着弾し、腹部に重傷を負った。

ロケット弾、追撃弾、携行ロケット弾、スナイパーによる銃弾、EFP」によって広がる

戦場の惨劇を。彼らは決して直視しない、平和と自由をもたらすためにやってきた、

そう信じていた兵士が市民から向けられる、恐怖と懐疑に震えるその眼差しを。

 そしてそれから10年の時が流れて、情報化社会は刺激への中毒を加速させた。

フード・ポルノ、動物ポルノ、感動ポルノ、そして「捧げ」る愛国ポルノ。

 

 作戦を支えるべく、基地には数十人の現地人が通訳として雇用されていた。

「彼らの月収は1050ドルから1200ドルだった。その金と引き替えに、兵士とともに

EFPに吹き飛ばされたり、スナイパーに狙われたり、ロケット弾や追撃弾を

撃ち込まれたりする危険を、さらに同胞のイラク人から『よそ者』と見なされる

危険を、一身に引き受けていた」。

 この後新たに君臨する大統領は、アメリカのために献身し、ただし祖国では

「売国奴」と謗られた彼らをも十把一絡げに入国禁止令を発動するだろう。

 しかし、ポルノ消費者はあまねく刺激の応酬にそんな過去をとうに忘れ去った。

 既に歴史実験の結論は出た。デジタルに長文は向かない、熟慮は向かない、

見たいものしか見ない、脊髄反射のめくるめく劇場の他に提供物は何もない。

 クソすぎる世界をクソすぎるものとして表現する、それこそが真実なのだ、

なぜなら世界はクソだから。

 見たくないものを見る、見せられる、そのために表現はある。

スポンサーサイト

  • 2019.09.27 Friday
  • 21:54
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック