新しい地図

  • 2019.09.20 Friday
  • 23:22
評価:
山口 晃
祥伝社
¥ 1,944
(2012-11-01)

「中国や西洋から見て、現代人から見て『変わっている』日本美術。何故こんな風に

描いたのか、どうやればこんな風に描けたのか『ふしぎ』な日本美術。『ヘンな

日本美術・史』とみた場合はそういう事です。『ヘンな・日本美術史』とみた場合は、

古い順に並べただけで『美術史』気取りとは、変わっているなあ、と云った所です。

 肝心の内容はと云えば、私が得手勝手に先達の絵を見立てているのを、余談も

含めて記しただけです。まあ、でも私の気分としては、『やあ、色んな絵が在って

面白いぞ、先達は凄いなぁ、ようし自分も頑張ろう』と云った所でありますので、

悪しからずとって頂けたら幸いです」。

 

「絵がいくら現実に迫っても、ただそれだけでは限界があります。単に技術としての

透視図法的写実に特化してしまった部分があったために、西洋の画の世界は、

あれだけ真に迫った絵を描く事ができながら、写真が出てきた途端にその部分を

芸術から放り出してしまうのです」。

 そしてそこに日本美術史の「ヘン」がある。明治の文明開化政策の一環としての

西洋絵画との邂逅は「あらかじめ終わりを含んだものとして」果たされる他ない。

「かつての日本人が透視図法と云う概念を知らずにいる事ができたのに対して、

現在の私たちは、既にそれを知ってしまいました」、よりにもよって技術の黄昏に。

西欧が非透視図法としてのジャポニズムを発見するこの逆流現象は必然だった、

さりとて日本人がトレンドの先駆者たることがかなったわけでもない、あたかもそれは

「自転車に乗る事よりも、一度知った乗り方を忘れる事の方が難しいように」。

 

 では、その末裔たる筆者はどこを目指すか。手がかりは「洛中洛外図」にある。

「これはどこかから見たままを描いた絵ではあり得ません。様々な視点から見える

風景を飲み込んだ上で、それらを合成して描いた『地図』なのです。……絵描きは

基本的に嘘つきです。ただ、その嘘は観た人の心の中にこそ『本当』が焦点を

結ぶように事実を調整した結果なのです。どれくらい上手に嘘をつくか、嘘をつく事で

自分の描きたいものをどれだけ表現できるかと云う事を追求している」。

 そして筆者は暁斎に「内発性」の物語を読み取る。対立概念としての「外発性」、

すなわち「天心の危機意識と同志フェノロサの理想の押し付けが生み出した」

ものとしての。ただしもちろん、透視図法以前の楽園へと戻ることはできない。

つまり、「内発性」の神話は、外部への接続回路を絶たれた各人の「嘘」への

落着を見る他ない。

 至るべくして、美術史が自己再帰性へと着地する。

 モナドには窓がない。

「地図」と「嘘」の非同一性のはざまで。本書は単に筆者個人のマニフェストではない、

正統な日本美術史の叙述だ。

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  • 2019.09.27 Friday
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