I would prefer not to

  • 2019.09.26 Thursday
  • 05:55

「書記バートルビー」。

 法律家の「私」は業務の拡張に伴って新たに書記の求人を出す。

「そこで私が出した広告に応じて、一人のおとなしい若い男がある朝、

事務所の入り口に立っていました。夏だったので、入り口のドアは開いて

いたのです。ああ、その姿は今でも私の目に浮かびます――青白いほど

こざっぱりして、哀れなほど礼儀正しく、救いがたいほど孤独な姿!

それがバートルビーだったのです」。

 法律文書の筆写という職務を機械的にこなす彼に異変が間もなく訪れる。

原本と写しのチェックを命じられたときのこと、彼は「非常に穏やかな、しかし

しっかりした声で」こう言った。

「わたくしはしない方がいいと思います」。

 

 交わした契約は、1フォリオ(100語)につき4セント。バートルビーにとって

果たすべきデューティはこれ以上でも以下でもない。状況倫理としての応答性、

レスポンシビリティの主体としての引き受けは断乎として拒絶される。

「答えるとき以外決してしゃべらない。自分自身の時間をかなり持っているのに、

本を読んでいるのは見たことがない。いや、新聞さえも読まない。……喫茶店や

安食堂には決して行くことがない。……紅茶やコーヒーを飲むということもない。

それに名前をあげれば私でさえも知っているような場所へは決して出かけは

しない。散歩にも行かない」。契約通りのレイバーを除いて彼のすることといえば

「ずっと身動きもせず、仕切りの向うの窓から視界を遮るレンガの壁に向かって

物思いにふけ」ること、実のところ、何もしていない状態にあえて何かをしている

かのような意味づけを外部から無理矢理にこじつけられたに過ぎない。

 正のインセンティヴが作動しない以上、振る舞いの一切はいかにして負を

回避するかに従って規定される、つまり、何もしない。だから頑なに繰り返す。

「わたくしはしない方がいいと思います」。

 それはちょうど彼の好対照をなす、同僚二人の姿を通じて強調される。

まるで「衛兵のように互いに交代し合って」不機嫌な午前と静穏な午後を

日毎繰り返すニッパーズと、ジキルの午前とハイドの午後を併せたターキー。

彼らは共にインストールされた暴力性の発露を自律性と信じて疑わない。

 人格という神話の周縁、否、終焉には常にバートルビーが横たわる。

結局のところ「漂流船」のベニートも同じ構造を反復するに過ぎない。

 

 生きていたいわけでもない。死にたいわけでもない。

 もし眠りに落ちたきり、朝を知ることがなければ――彼にとってそれを幸福という。

スポンサーサイト

  • 2019.09.27 Friday
  • 05:55
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック