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  • 2020.05.10 Sunday

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    Q.E.D.

    • 2020.03.22 Sunday
    • 22:07

     を覚ましました。

     朝、目を覚ますということは、いつもあることで、別に変ったことでは

    ありません。しかし、何が変なのでしょう? 何かしら変なのです。……

    空腹のせいかもしれないと思って、食堂に行き、……ところがそうしている

    間にも、その変なことはいよいよ変になり、胸はますますからっぽになって

    行くのでぼくはそれ以上食べるのをやめました。……カウンターの前に

    立って、係の少女からつけの帳面を受取りました。サインをしようとして、

    ぼくはふと何かをためらいました。……ふと、ぼくはペンを握ったまま、

    サインができずに困っていることに気づきました。僕は自分の名前が

    どうしても想出せないでいるのでした」。

    「名前」を失った「ぼく」、何者でもあれない「ぼく」は翻って、

    何者にも代入可能な「ぼく」として、「歴史に記載されたすべての

    事件犯罪、ならびに現在行われているすべての裁判」の被告人として

    追われる羽目になる。近代自我の果てを「ぼく」に見て取ることは

    たやすい。むしろ主題としてはドストエフスキーに遡るのだろうが、

    一連の展開にカフカ『審判』を想起せずにいる方が難しい。

    「君自身の気分よりもぼくの言葉のほうが君そのものなんだ」。恐らく

    安部や時代の文脈に即せば、史的唯物論や疎外といった用語法から

    理解されるべきことばなのだろうが、現代の視座からはAIやアバターを

    先取ったものと読めないことはない。見る主体としての眼球のみを

    残して、見られる客体としての身体を透明にする、というモチーフは、

    「時間彫刻器」よろしく、後の『箱男』において反復される。

    あるいは恋愛、フェティシズム文学としての『壁』。

     

     と、作品中に仮託されたモザイクを列挙すればきりがない、ただし、

    労働者革命をめぐるあまりに理に落ち過ぎた寓意としての「洪水」を

    例外として、本書は間もなくその密度ゆえ空中分解を余儀なくされる。

     挿入歌が見事に帰結を叙述する。「一つの口でいちどきに二つの音を

    出すことはさすが出来ないらしく、全然関係のない歌を少しずつ交代に

    歌うので、何がなんだか分らなくなるのでした」。

     

      悲しい海辺の、ようこそ、わ……

      好きな誤解も、たし、たま、いい日

      気楽に他所見、悲しいの、る

      ため、駄々をこ、泣いているの、ねた

      朝の散歩、り、愛した、消えて、り

      ゆく、踊ろうよ、不幸な私

      ハイ、踊ろ、不幸なあ、うよ、なた。

     

     この詩を超える要約を本書がどうして持つことができようか。

     偽装されたシュール・レアリズムの狭間で、あからさまに着地点を失うことで

    『壁』は逆説的に成功を収める。いみじくも「ぼくは空想しプランを立て」、

    そして程なく破綻する、その一連の経過を自己言及的に例証する。

    「世界をつくりかえるのは、チョークではない」。かくして命題は証明された。

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    • 2020.05.10 Sunday
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