「山路を登りながら、こう考えた」

  • 2017.02.11 Saturday
  • 22:23

『草枕』の一節。

 

  濃く甘く、湯加減に出た、重い露を、舌の先へ一しずく宛落して味って見るのは閑人

  適意の韻事である。普通の人は茶を飲むものと心得て居るが、あれは間違だ。

  舌頭へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉へ下るべき液は殆んどない。

  只馥郁たる匂が食道から胃の中へ沁み渡るのみである。

 

 ただの食レポ? 断じて否、この「煎茶」にははるか重要な意図が託されていた。

 

「近年、『煎茶』の精神・思想と政治の絡みが気になりだしてから、ふと漱石の世界で、

なぜ『草枕』に突如として『煎茶』が登場し、茶の湯が手厳しく批判されているのか、

その真意について強い疑問が湧き上がってきた。……『草枕』は、まさに煎茶の視座から

読みなおしたとき、煎茶精神の深奥を見事に捉え、各所にさりげなく触れている作品で

ある。……この『草枕』に隠された技巧の数々を読み解く中で、漱石の理想、思想が

より明瞭に浮かび上がってくるように思う」。

 

 数多の例に漏れず中国より渡来した日本の「煎茶」の歴史をたどれば、平安の世、

嵯峨天皇に遡る。いつしか袂を分かち、秀吉をはじめ武家からの寵愛を受けた茶の湯に

相対するように、煎茶は公家を代理し、やがては「幕政批判の先に控えるもの、理想の

対象としての聖天子による善政の存在」をも象徴し、尊王攘夷へと姿を変える。

 本書の試みはまさにそうした「煎茶」の歴史から漱石の換骨奪胎を図るもの。

 

 正直さしたる期待もなく手に取ったテキストだったが、驚くほどに背骨の通った一冊。

煎茶の道を志した筆者による我田引水にすぎない、との批判の余地はなく、漱石が深く

嗜んでいたことを、ひいては彼の作品体系との連絡を見事に本書は実証している。 

『行人』然り、『こころ』然り、「煎茶」のいちいちが愚直に漱石の記憶へと誘わずにいない。

 

 煎法の創案者、小川可進のことばから。

「茶は渇を止むるに非ず。飲むに非ず。喫するなり」。

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  • 2019.09.15 Sunday
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