突然のことで失礼いたします。
この度以下の住所に転居いたしましたのでお知らせします。
今後とも変わらぬお付き合いをよろしくお願い申し上げます。
敬具
たとえばにはまだ続きがあって
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1600年、その一枚がすべてを変えた。
「暗い部屋のような空間に、画面右からキリストが弟子とともに入ってきて、レビに
呼びかけています。キリストとともに強い光が差し込んで、壁に斜めの影を作って
います。テーブルには五人の男がいて、そのうちの三人はキリストを見つめています。
この絵の主人公であるレビ、後のマタイはどこにいるのでしょうか。真ん中の髭の男?
その隣のうつむく若者? どちらが正解でしょうか。この二人のどちらがマタイかと
いう点で、見る人や研究者によっていまだに意見が分かれているのです。つまり
この絵は、美術史の教科書に必ず載っている世紀の名画でありながら、主人公が
はっきりしない珍しい絵なのです」。
このいわゆる「マタイ問題」に筆者が言及するのは、これがはじめてではない。
というか、私自身そうした議論の存在を知ったのが筆者の過去作を通じてだった。
400年以上前に死没した人物について、ましてやそれが美術史の花形ともなれば、
情報が更新される余地もそう残されてはおらず、然らば焼き直しも止むを得まい。
と、思いきや。
「カラヴァッジョの画面では、誰しもがマタイでありうるのです。と同時にこの絵を
見上げる観者もいつでもマタイになりうる」。
この回答が、カラヴァッジョ研究としての正統性をどこまで担保しているのかを
私は知らない。たぶん逸脱、でも、美しい。絵を語ることはつまり、「観者」としての
己を語ることに他ならない、本書を通じてそのことを痛々しいほどさらけ出す。
professionの語意、告白の中に変じて職業的使命を読む。
それはあるいは描かれているものそれ自体の問題から、「観者」あるいは
「観る」という行為そのものへと振り切った暴挙でしかないのかもしれない。
しかし、このコペルニクス的転回の引き受けと召命は限りなく似ている。
「カラヴァッジョの画面にも、奇蹟や神は存在していないと見ることもできます。
見ようによっては、それらは単なる埋葬や処刑や落馬の情景に過ぎないのです。
神の存在や奇蹟に気づくか気づかぬかは、観者に委ねられているといえましょう」。
溢れ返る死の匂いが、時に遍在の希望へと転じる。
こうして束の間、美術史が美術私と交差する。
死者も、生者も、誰しもが《聖マタイの召命》の中にいる。
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「本書は、実のところ、喫茶店の本ではない。まず、これは喫茶店案内ではないし、
経営の指南書でもない。それならば、喫茶店文化史ではないのか、と問われれば、
結果的にそういう性格になったことを否定するつもりはないが、文化史を編むことが
目的ではなかった。そもそも、著者自身、ほとんど喫茶店というものに入らないし、
本書のためにとりたてて喫茶店を訪問調査するということもしなかった。要するに、
現実の喫茶店という存在あるいは現象には関わっていないのである。
本書はひとつのコレクションである。子どもたちが牛乳瓶の蓋やきれいな小石を
集めるのとまったく異ならない。喫茶店という文字を見つけると嬉しくなって
メモしていく。喫茶店の写真や絵もできるだけ手許にためこんでいく。そういった
遊びの延長にできあがったのがこの本なのである」。
良くも悪くも、この前書きにはいかなる嘘偽りもない。
原著は2002年、今ならばアーカイヴスのスキャンとシークではかどりそうだが、
当時のITにそこまでの水準はたぶん期待できないだろう。つまり、注に付された
引用元を本書のための参考文献とも思わずひたすらに読んではメモしていき、
かくして完成に至ったというのは本当なのだろう。他人からお題として喫茶店と
振られて、やみくもに渉猟するとなれば苦行、ただし筆者にとっては「遊び」。
まさに「遊びの延長」、そしてそれこそが喫茶店の機能に他ならないことを
知らされる。喫茶店に集うことで作家たりえた者たちが、その場所そのものを
作品へと変えていく。文壇などという高尚さはそこにない。テキストという仕方で
後世に何かを残す資格を得た者たちが、結果として、集いそのものを自己目的化
するように語り継ぐ。「遊び」でしかないようなものごとが、何かの偶然で、
それこそ筆者の「遊び」を通じて掘り出されてしまう。
なぜかしばしば、眼差しは現在をすり抜けて過去を目指す。
時間なるものがそうさせる。
「カフェーの女給」と永井荷風先生あたりが仰ればうっかり風流の香気も漂うが、
つまるところ今で言うキャバ嬢かコスプレメイド。そこで何をしていたと言って
山田耕筰は「金もないのに特別室へ這入」り、菊池寛は「たまに来て女給を張る」。
現代ならば炎上用の燃料を別として誰も見向きもしない。
所詮、この程度の連中だ。彼らの底が浅いのではない、人間の底が浅いのだ。
でも、時間という魔力がそこにあたかも何かがあるかのように錯覚させてしまう。
喫茶店はつまり、時間を商っていた。
アンディ・ウォーホルに言わせれば、誰しもが15分だけなら有名人になれる。
そして現実に訪れた賞味期限は3分間がいいところだった。
かくして喫茶店、いやトポス、いや「遊び」の使命は終わった。
消費者にできるのは消費だけ、「遊び」を決して知り得ない。
喫茶店を襲うだろうコロナ禍はおそらく加速主義の具現に過ぎない。
「あのとき こんな店があった」。
はるか昔に、売るべき時間をなくしたときに、既に過去形で語られるべき存在で
ある運命は約束されていた。
言い換える。時間なる概念そのものが既に追憶の昔へと消えた。
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「安全のためならばと自由を差し出すことを望む者は、そのいずれをも
得ることはないし、またそれらにも値しない」。
ベンジャミン・フランクリンの箴言を今一度確かめる。
ただしその自由は、気ままに出歩く放縦を意味しない、自らの理性において
ディシプリンの順守を志向する、その選択倫理を含意する。
「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」。
なるほど、テレスクリーンを通じて、「自分の立てる物音はすべて盗聴され、
暗闇のなかにいるのでもない限り、一挙手一投足にいたるまで精査されていると
想定して暮らさねばならなかった」。
しかし幸運にも、その男ウィンストン・スミスは自らの住居に死角を見つける。
抽斗から一冊の本をそっと取り出す。
「格別美しい本だった。滑らかなクリーム色の紙は歳月を経て少し黄ばんでいたが、
少なくとも過去四十年のあいだに造られた類の品ではない。それどころかもっとずっと
古いものであることくらい、彼にも察しがついた。……彼のやろうとしていること、
それは日記を始めることだった。違法行為ではなかったが(もはや法律が一切
なくなっているので、何事も違法ではなかった)、しかしもしその行為が発覚すれば、
死刑か最低二十五年の強制労働収容所送りになることはまず間違いない」。
行為にはきっかけがある。勤務する真理省における、ラジオ体操のごとき日課、
〈二分間憎悪〉の最中、不意に上官と目が合う。「二人の心が扉を開き、双方の
考えが目を通して互いのなかに流れ込んでいるみたいだった。『君と一緒だ』
オブライエンがそう語りかけているように思われた。……恩恵と言えば、
そのおかげで、彼の心のなかで自分以外にも党の敵がいると言う信念もしくは
希望が死なずにすむことくらい」、しかし彼に日記を決意させるには十分だった。
人間は「全体として意志薄弱で臆病な生物であって、自由に耐えることも真実と
向かい合うこともできないから、自分よりも強い他者によって支配され、組織的に
瞞着されなければならない」。
今日の世界情勢を寸分違わず言い当てた1949年のこの洞察、とはいえ、
少なくとも身近から人が次々と消えていることはない。秘密警察的な何かによる
非人道的な拷問もそう遍いているわけでもなさそうだ。日記を綴る自由とてある。
しかしそれでもなお、現代の置かれた社会状況はある面では、G.オーウェルの
ディストピアよりもよほど劣悪な方向へと進化の舵を切ってしまった。
2020年は、真理省などという無用の長物を必要とはしなかった。何もかもが
単純化されたリアル・ニュースピークの普及にあたって、政府や官僚機構の誰が
強要したわけでもない。140字のtwitterをその頂に、どう見ても長文を想定しない
FacebookにせよLINEにせよ、SNSプラットフォームのいずれもが、他ならぬ
市場によって選好された。テレスクリーンのインフラコストの壁は、スマホによって
訳もなく乗り越えられた。各人の趣味嗜好など検索や閲覧の履歴をセグメントで
紐づけすれば事足りる。それ以前に、電子マネーやクレジットで捕捉可能な
消費データを超えて収集すべき個人情報などはじめから市場にありやしない。
センセーショナルであればあるほどにアクセス数を、つまりは広告料収入を稼げる
フェイクニュースの流布とて同じく市場の選好だ。「過去をコントロールするものは
未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」、
オーウェルの読みとは裏腹に、歴史修正主義はいかなる権力の介在をも要さない。
公文書改竄などもとより徒労でしかない、なぜなら市場はそんなことに関心を
示さないのだから。市場は常に見たいものだけを見る、見たくないものは見ない。
誰がコントロールしているわけでもない、市場の選好に最適化したただ乗り屋が
ファシスト的な振る舞いをもって祝福される。痛々しいほどに〈二分間憎悪〉を
体現する抵抗勢力は、怒りや不安を煽るだけの補完勢力でしかあれない。
市場にコントロールされる存在でしかない入替可能な顔と名前を指さすことに
果たしていかなる意義があるだろう。
そして皮肉にも、本書は終盤に至ってその極限のユートピア性を獲得する。
ウィンストンはとある者と対峙し、延々と議論を交わす。言い換えれば、彼らには
共通の言語がある。ただしポスト・トゥルースの断絶にそんなものはない。
翻って、そこに辛うじての希望を見る。なぜ本書が読まれなければならないのか、
いや、テキストなるものが読まれなければならないのか。単純化された言語は
単純化された人間を作り出す。そのために、140字ではまとめ切れるはずもない
複雑な言語を身につけなければならない。奇しくもウィンストンが日記を志すように、
自らの記憶を守るために、複雑な言語を通じて記録する。誰とつながるかではなく、
その前に、つながるに値する正気を保持するために本を読む、文字を書く。
本書においても提示されるだろう、ソーニャ的、車寅次郎的、無知ゆえに無垢、
そうした幻想はいい加減捨て去らねばならない。自らを疑うことを知らぬバカなど
クズの同義語をいかなる仕方においても決して出ることがない。
すべて成功は合理性に、失敗は人間性に由来する。人間性の定義は唯一、
繰り返され続ける失敗の説明関数としてのみ規定される。
歴史を参照すれば、コミュニケーションの具としての言語などとうに用を終えた。
すべてのコミュニケーションはボットで書ける。ソーシャルであることの一切に
コンピュータの計算可能性を超えるものなどもはやないのだから。
ニュースピークな人間にならない、「自由とは二足す二が四であると言える自由」、
その自由を己に向けて語りかけるために言語はある。
そしてその先にはもしかしたら続きがある、オーウェルの言うことには。
「もし万人が等しく余暇と安定を享受できるなら、普通であれば貧困のせいで
麻痺状態に置かれている人口の大多数を占める大衆が、読み書きを習得し、自分で
考えることを学ぶようになるだろう。そうなってしまえば、彼らは遅かれ早かれ、
少数の特権階級が何の機能も果たしていないことを悟り、そうした階級を速やかに
廃止してしまうだろう。結局のところ、階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、
成立しえないのだ」。
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「私は、裁判をするに当たって、小手先や要領だけで簡単にすまそうとした
ことはない。裁判結果と自分の処遇とを結びつけて考えたこともない。当然の
ことではあるが、決断するまでには、『本当にこの結論でよいのか』ととことん
真剣に考え悩み苦しんできた。その点だけは自信を持って言える。私が
30件以上の無罪判決をしてそのすべてを確定することができたのは、
裁判に対するそのような『愚直』『鈍重』で『馬鹿正直』ともいえる姿勢・
手法の結果ではないかと考えている。当然のことながら、そのような決断を
するには、周囲との摩擦や軋轢も経験してきた。
私のような平凡な一人の人間が、刑事裁判という重要かつ困難な仕事の
上でなにがしかの実績を残すことができたのは、そのような愚直・鈍重な
やり方故ではなかったかと思う。そして、そうであれば、私が裁判をする上で
経験した悩みや苦しみ、さらにはその思考の過程を文字に残しておくことは、
後に続く後輩諸君のために意味のないことではないのかもしれない。また、
それは、今後裁判員として刑事司法に関与する可能性のある多くの国民に
とっても参考になるかもしれない。このように考えると、山田さん[本書の聞き手・
編修の山田隆司]のお申し出は、一つのチャンスであるように思わないではない。
しかし、私がこの申し出をお受けするまでには、まだ、乗り越えなければならない
大きな壁があった。なぜなら、そのような考えによってこの申し出をお受けした場合、
当然、自分のしてきた裁判内容について語ることを求められるだろう。そして、
そうなると、勢いの赴くところ、裁判官にとってタブーとされる『合議(評議)の
秘密』に触れることになりはしないか、という危惧があったからである」。
筆者は、判事退官とともに自らの立場を転向したような、そのような類型の
人物には当たらない。そうした側面を証するには、最高裁調査官として携わった
『月刊ペン』事件をめぐる、以下の証言を引けば足りるだろう。
「池田大作さんの女性問題が『公共の利害』の関心外だと言われたら、みんな
びっくりしますよ。それはもう、常識的に考えておかしい、と私は思うんです」。
ちなみにこの聞き手、いずれも創価大の教員である。
本書が描き出すのは例えば、判決文に表れることのない刑事裁判の裏側。
「判決宣告期日の直前になって、検察官が判事室に来ました。そして、『うちの
検事正が4月10日付で高松高検の検事長に内定している』『今の検事正に、
黒星をつけたくない』『だから宣告期日を延ばしてもらいたい』というのです。
これには驚きました。私たちは、この請求ももちろん認めずに、粛々と予定通り
判決を言い渡しました」。
「検事に対し『警察に留置人出入簿を出させるように』と指示したのですが、
そうしたら、『なぜ、そんなものを出す必要があるのですか』と警察が飛んで
きます。裁判官室に面会を求めてくるのです。……それは表面的には、
裁判官に対する強談ではありませんよ。一応、表面的には丁寧な態度です
けれどね。しかし、魂胆は見え見えです」。
こうした軋轢の果てにか、筆者は裁判官にも三つの類型がある、と説く。
「一つは『迷信型』です。つまり、捜査官はウソをつかない、被告人はウソを
つく、と。頭からそういう考えに凝り固まっていて、そう思いこんでいる人です」。
「二つめはその対極で『熟慮断行型』です。被告人のためによくよく考えて、
そして最後は『疑わしきは』の原則に忠実に自分の考えでやる、という人です」。
「その中間の六割強は『優柔不断・右顧左眄型』です。……『こんな事件でこういう
判決をしたら物笑いになるのではないか』『警察・検察官から、ひどいことを
言われるのではないか』『上級審の評判が悪くなるのではないか』などと気にして、
右顧左眄しているうちに、優柔不断だから決断できなくなって検事のいう通りに
してしまう」。
しかし、本書は少し別の仕方で「絶望の裁判所」の実相をもあぶり出す。
やはり最高裁の調査官として「四畳半襖の下張」事件に携わる。検討も
交わさぬうちに、小法廷のドンから「棄却以外ない」とねじ込まれ、憲法判断の
場である大法廷へと持ち込むこともできず、結果、「あんなもの、誰が考えても、
わいせつとして処罰しなければならない事件ではない、と思うのですけど、
色んなことでがんじがらめになっていて、どうにもなりませんでした」。
名古屋高裁での事件を回顧しての言。
「違法は違法だけれども証拠能力はある」。
読んだ瞬間、凍りつく。そして未だその意味を解せずにいる。
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駆け落ちた姉が身ごもって十余年、その赤子が大きな腹を抱えて郷里に戻る。
「秋幸には、そっくりそのままかつてあったことを芝居のように演じなおしている
気がした。いや、自分が、かつて十六年前の兄と同じ役を振り当てられている
気がした」。
幻聴とアルコールに苦しむその兄は「おれたちを棄てた、殺してやる」と
包丁を手に母と秋幸を脅し、そして間もなく、桃の節句に首を吊った。
秋幸は五人兄弟の末子にして、ただひとりの種違い。
「人が様々な噂をしていたのだった。その噂のひとつひとつに自分がかかずらって
いるのが不思議だった。おれはここ在る、今、在る、秋幸はそう思った。だが、
人夫たち、近隣の人間ども、いや母や義父、姉たちの関係の、あの、人の疎まれ
憎まれ、そして別の者には畏れられうやまわれた男がつくった二十六歳になる
子供である気がしたのだった。『あの男はどこぞの王様みたいにふんぞりかえっとる
わだ』いつぞや、姉の美恵はそう言ってからかった。『蠅の糞みたいな王様かい』
秋幸は言った。その蠅の王たる男にことごとくは原因したのだった」。
「片眼片脚」、父殺し、近親相姦……『オイディプス』に通うのは、単にプロット面に
留まらない。それは預言か、はたまた虚言か、女の持ち込む噂がさらなる噂を生む、
リフレインが叫んでる、そんな増幅装置としての路地、すなわちコロス。
実際、『枯木灘』にも『オイディプス』にも英雄などいない。そこにあるのはただ
噂に、コロスに、翻弄される「がらんどう」の姿。これは断じて秋幸の物語ではない、
すべて物語はコロスの中にしかないのだから。
話すは離す。血に基づく親和の出来事は時に痴を交え噂として話されることで
原形を離れ、地に憑依する神話へと変わる。騙りを語り、語りを騙りと書き換える。
火によって路地は焼かれようとも、碑をもって噂はうたかたを逃れ、日の下でかくして
性器は石碑となってその不滅を獲得する。熊野の麓、聖は性より生成する。
情緒を増長させる、その方法としてのあえての冗長。
あまりにしばしば、ぎこちない仕方で回想が挟み込まれる。それはすなわち、
秋幸が噂の階層の中に辛うじて生を見出す、その存在のありさまを反映する。
同じエピソードを幾度となく聞き、果たして既視感は既成事実へと変わる。
過去の真相を求むべき深層などどこにもなくて、ただ噂のみが繰り返される。
コロスのロゴス、コロスが殺す、路地のロジック。やがて気づくだろう。
「竹原でもない、西村でもない、まして浜村秋幸ではない、路地の秋幸だった」。
秋幸を築くのは血ではなく、地。もとより、土から作られたアダムは、吐息を
吹き込まれることで生を得た。神の使者たるコロスの噂で「がらんどう」が埋まる、
埋まるを通じて人は生まる。地で知を洗う。噂に聞こゆ昔はかくして具体を遣わす。
「働き出して日がやっと自分の体を染めるのを秋幸は感じた。汗が皮膚の代わりに
一枚膜を張り、それがかすかな風を感じるのだった。自分の影が土の上に伸び、
その土をつるはしで掘る。シャベルですくう。呼吸の音が、ただ腕と腹の筋肉だけの
がらんどうの体腔から、日にあぶられた土の匂いのする空気、めくれあがる土に
共鳴した。土が呼吸しているのだった。空気が呼吸しているのだった。いや山の
風景が呼吸していた。秋幸は、その働いている体の中がただ穴のようにあいた
自分が、昔を持ち今を持ってしまうのが不思議に思えた。昔のことなど切って
捨ててしまいたい。いや、土方をやっている秋幸には、昔のことなど何もなかった。
今、働く。今、つるはしで土を掘る。シャベルですくう。つるはしが秋幸だった。
シャベルが秋幸だった。めくれあがった土、地中に埋もれたために濡れたように
黒い石、葉を風に震わせる草、その山に何年、何百年生えているのか判別つかない
ほど空にのびて枝を張った杉の大木、それらすべてが秋幸だった。秋幸は土方を
しながら、その風景に染め上げられるのが好きだった。セミが鳴いていた。幾つもの
鳴き声が重なり、うねり、ある時、不意に鳴き止む。そしてまた一匹がおずおずと
鳴きはじめ、声が重なりはじめる。汗が額からまぶたに流れ落ち真珠のように
ぶらさがる。体が焼け焦げている気がした」。
文体が、死すべき肉の「がらんどう」でしかあれない運命を説き伏せる。
蠅の王、風を追う。太陽の下、すべては空しい。
肉らしい、すなわち、憎らしい。
オイディプス、エディプス・コンプレックス、ポルノを芸術と強弁すべく誤読された
デウス・エクス・マキナとしてのS.フロイトの話ではなく。「がらんどう」、いみじくも。
我思う、ゆえに我なし。
ほとんど偶然的な、そしてまさしく無意識的な、暗黙裡のこの喚起をもって、
オーストリアン・ジャンキーは近代の桎梏を、漆黒を解き放つ。
すべての神は紙より出ずる。
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「日本の建築の長い流れの中に短い安土桃山時代を置くと、まず信長により
国籍不明の天守閣が突発的に出現したこと、次に秀吉の聚楽第で書院造が
ピークに達したこと、そして利休の茶室が生まれたこと、この三つをもたらした
時代といっていいだろう。頭の中に三つを同時に思い描くなら、あまりのちがいに
困惑し、統一性に欠けるメチャクチャな時代と評するしかあるまい。
もちろん困惑の理由は利休の茶室で、どうして、和漢洋混在の天衝く建物と
豪華絢爛の大建物と並んで、広さ畳二枚の小屋のような建物が登場するのか。
利休は、社会的には信長と秀吉の茶頭として和漢洋混在と豪華絢爛の中心に
いながら、なぜあのような美学を生み出したのか」。
禁欲とはすなわち、欲を知り尽くしそれに一度溺れたもののみに許される業、
ものより持たざる者においてはそれを禁ずる必要すらない。
「材料にはじまり構造、技術、平面に至るまで、書院造の到達点を一つずつ
数えるようにして取り去り、汚し、切り捨てた。そして、代わりに、極端に狭い
平面の上に、ありあわせの材と構造を素人じみた技術で組み立て、仕上げた」。
かくして天下人を招く茶室、広さ二畳の待庵は利休の手により完成する。
本書では、「豪華絢爛」なる時代の徒花として、極小空間は説明されない。
わび茶の系譜の中で、待庵の成立要件は、いみじくも「豪華絢爛」にこそある。
「反転は、利休一人では外が真空状態と同じで意味を持たず、秀吉という
物と力と富の所有者が小さな穴を通して入ってきてくれないと反転の秘儀は
成立しない。入ってくれば、世俗の物と力と富が茶室という茅屋の内に
封じ込められ、極小が極大を含み、極小の中に極大もまたあることになる」。
「待庵には、水、火、シェルターの三つがあり、三つしかない」。この「極小が
極大を揺るがし、極大は変質して新しいスタイル[数寄屋造]が生まれた。
この日本はむろん世界の建築史上でも極めて珍し」い。
本書を読むにつれて、逆説的に疑問が芽生える。建築史としての興味深い
議論が展開されるほどに、そもそもの「茶室」の定義を見失う。待庵からして
住まいとの差別化、茶に固有の特徴を見出しがたい。ある面でそれを何より
如実に示すように、「茶道の世界では、作法や茶道具や床の飾りに比べ、
それらを容れる器としての茶室への関心は薄い。……千家が茶室で使う
道具を作るため……『千家十職』の制が整っているが、その中に大工職はない」。
利休の流れを引いているはずの総本山からしてこの始末。極論に走れば、
公園のベンチに腰かけペットボトルの茶を流し込む、それはもはや緑茶である
必要すらもなく、ただし、そこに「茶室」の成立を見ていかなる妨げがあろうか。
巻末、磯崎新との対談の中で語る。
「茶室の本質はやはり仮設。ブリコラージュなんですよ。……そのブリコラージュの
対極としてあるのが、ヨーロッパでいえば教会、日本で言えば社寺」。
そもそもの『野生の思考』の議論はある面、藤森の語りを裏切るように
展開していく。つまり、「教会」や「社寺」の堅牢にも見える論理体系とて、
その皮をめくってみれば、原住民と同様の、その場その場の帳尻合わせ、
まさしくブリコラージュなのだ、と。すべて形を持つとは、ブリコラージュの軛に
服すること、所与の拙い切り貼りでしかあれぬことを「反転」して祝福する。
「人は一人、天地の間にあり、表現はそこからはじまりそこに帰る」。
なんたることか、正反合をなぞるように、利休、C.レヴィ=ストロース、藤森は
奇妙な仕方で「茶室」を超えて、ブリコラージュの「悟り」に交わる。
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「“売春島”――。三重県志摩市東部の入り組んだ的矢湾に浮かぶ、人口わずか
200人ほどの離島、周囲約7キロの小さな渡鹿野島を、人はそう呼ぶ。島内の
あちこちにパブやスナックを隠れ蓑にした“置屋”と呼ばれる売春斡旋所が立ち並び、
島民全ての生活が売春で成り立っているとされる、現代ニッポンの桃源郷だ。……
島内には、実際に女と対面して選んで遊べる置屋が立ち並ぶ。そして、それ以外の
民宿、ホテル、喫茶店、居酒屋などでも女を紹介してくれるのである。
だが、それらは客目線の域を出ず、あくまでこの島の表層部分を見聞きしたに
過ぎない。『“売春島”というヤバい島がある』と。
そして、その“ヤバさ”は、こんな噂から来ているのである。
・警察や取材者を遠ざけるため、客はみな監視されている
・写真や動画を撮ることは許されない
・島から泳いで逃げた売春婦がいる
・内偵調査に訪れた警察官が、懐柔されて置屋のマスターになった
・売春の実態を調べていた女性ライターが失踪した
これらの話は、インターネットや口コミでまことしやかに囁かれているものだ。
いずれもが完全な検証はされていない。
だが、誰かが創作した小説の中の話でもない。事実、このうちいくつかは実際に
起きた事件が元ネタだ。“売春島”は実在する。しかも、古くからこの島では公然と
売春が行われ、それは今も続いている……本書では、“売春島”が凋落した全貌と、
いまだ知られざる噂の真相を検証していく。それは、この島に魅せられた僕が、
歴史の生き証人たちを訪ね歩きそして、本音で語り合う旅でもあった」
聖のモチーフはすべからく、穢の極致たる性へと収斂する。
江戸の昔、あるいは以前から、この船着場には「菜売り」という風習があった。
「菜売りはね、小さな天馬船(甲板がない木製の船)に乗って、畑で採れた菜っ葉や
大根などの野菜を船に売りに行くんだよ」。女は水夫を相手に、洗濯などの雑務も
引き受け、そして当然、春をもひさいだ。
そうして、民俗学にかこつけた大叙事詩を展開することもできたかもしれない。
あるいは、山師たちの大言壮語を真に受けて、面白おかしく脚色の限りを重ねて、
新たなる都市伝説の舞台に仕立てることもできたかもしれない。
どうとでも転がせたはずなのに、それにしても跳ねない。本書全体をひたすらに
重苦しさが覆う。束の間の栄華が通り過ぎた後の構造不況に蝕まれた街の空気を
何にも増してこの文体が物語る。
はっきり言えば、つまらない。何がここまでテキストをつまらなくしているのか、
その一端を元女衒の証言に垣間見る。
「でもな、ほんとに良い島やったよ。良いというのはな、『男のために』と
みんなが同じ目的で来ているやんか。せやから荒んだ気持ちが無いんよ。
私にしても『何で私だけが売春して稼がなアカンの』なんて気持ちは無かった。
みんな和気藹々で、『どんだけ男に貢ごか!』てなもんや」。
男に夢を見た女たちに男たちが夢を見た、そんな「良い」時代があった。
本書の中心をなす、やがて経営破綻をもって島を追われる元女将は、
いみじくもコンサルを騙る男に吸い尽くされて、そしてすべてを失った。
そんな夢をなくした島を歩いて回れば、むき出しの現実を拾う羽目になる。
斜陽ですらない。買うべきものも、売るべきものも、もはやない。
そうして島に残るものといえば例えば、競売落札額500万円の物件に
不動産評価額1億数千万円に基づく固定資産課税を催促しても涼しい顔の、
現実を直視する能力すら持たない行政、既得権益の壁。
筆者が真摯に向き合えばこそ、どうあがいても、つまらない。
浄化を志向した末に、経済が死滅し、何もかもを失う。
「売春島」のその姿、現在進行形の世界に限りなく似る。
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「目 を覚ましました。
朝、目を覚ますということは、いつもあることで、別に変ったことでは
ありません。しかし、何が変なのでしょう? 何かしら変なのです。……
空腹のせいかもしれないと思って、食堂に行き、……ところがそうしている
間にも、その変なことはいよいよ変になり、胸はますますからっぽになって
行くのでぼくはそれ以上食べるのをやめました。……カウンターの前に
立って、係の少女からつけの帳面を受取りました。サインをしようとして、
ぼくはふと何かをためらいました。……ふと、ぼくはペンを握ったまま、
サインができずに困っていることに気づきました。僕は自分の名前が
どうしても想出せないでいるのでした」。
「名前」を失った「ぼく」、何者でもあれない「ぼく」は翻って、
何者にも代入可能な「ぼく」として、「歴史に記載されたすべての
事件犯罪、ならびに現在行われているすべての裁判」の被告人として
追われる羽目になる。近代自我の果てを「ぼく」に見て取ることは
たやすい。むしろ主題としてはドストエフスキーに遡るのだろうが、
一連の展開にカフカ『審判』を想起せずにいる方が難しい。
「君自身の気分よりもぼくの言葉のほうが君そのものなんだ」。恐らく
安部や時代の文脈に即せば、史的唯物論や疎外といった用語法から
理解されるべきことばなのだろうが、現代の視座からはAIやアバターを
先取ったものと読めないことはない。見る主体としての眼球のみを
残して、見られる客体としての身体を透明にする、というモチーフは、
「時間彫刻器」よろしく、後の『箱男』において反復される。
あるいは恋愛、フェティシズム文学としての『壁』。
と、作品中に仮託されたモザイクを列挙すればきりがない、ただし、
労働者革命をめぐるあまりに理に落ち過ぎた寓意としての「洪水」を
例外として、本書は間もなくその密度ゆえ空中分解を余儀なくされる。
挿入歌が見事に帰結を叙述する。「一つの口でいちどきに二つの音を
出すことはさすが出来ないらしく、全然関係のない歌を少しずつ交代に
歌うので、何がなんだか分らなくなるのでした」。
悲しい海辺の、ようこそ、わ……
好きな誤解も、たし、たま、いい日
気楽に他所見、悲しいの、る
ため、駄々をこ、泣いているの、ねた
朝の散歩、り、愛した、消えて、り
ゆく、踊ろうよ、不幸な私
ハイ、踊ろ、不幸なあ、うよ、なた。
この詩を超える要約を本書がどうして持つことができようか。
偽装されたシュール・レアリズムの狭間で、あからさまに着地点を失うことで
『壁』は逆説的に成功を収める。いみじくも「ぼくは空想しプランを立て」、
そして程なく破綻する、その一連の経過を自己言及的に例証する。
「世界をつくりかえるのは、チョークではない」。かくして命題は証明された。
]]>「ここじゃない、どこか遠くへ行きたい。だけど、それがどこにもないこと。……
俺も昔、それを知ってた。だけど、大丈夫なんだ。今、どれだけおかしくても、
そのうちちゃんとうまくいく。気づいた頃には、知らないうちに望んでいた
“遠く”を自分が手にできたことを知る、そんな時が来る」。
多少の叙述トリックによる目先の違いこそあれ、本書の作品群のテーマは、
「道の先」において提示されるこのテーゼを限りなく通底する。そしてこの主題に
敷衍して、ほぼ共通の問題を露呈する点においても同工異曲の相を持つ。
「実際の姿より、語る実態のない“東京”の方が、より“東京”っぽいんじゃないかな。
漢字で書く“東京”じゃなくて、カタカナで“トーキョー”。軽くて、ちょっとニセモノ
っぽい響き」。
どの作品をめくっても、描き出される「ここ」といえばそのことごとくが「語る実態の
ない」「ここ」、あるいは筆者に倣って「ココ」と表記すべきか。より正確には、そして
より罪深くは、その風景を描き出す気概すら持とうとはしないために、「語る実態」を
持ち得ない「ココ」へと堕落せしめられてしまった。
「気持ちがギスギズしていて、見るもの、聞くもの全てが、怒りに結びついてしまう」。
こんなあからさまな文字列を並べて横着する前になすべきは、「見るもの、聞くもの
全て」を切り出すことで、「ギスギス」や「怒り」を読み手の側に喚起することでは
なかろうか。それを例えば「F県」や「U市」と呼ぼうがそんなことはどうでもいい、
ただし、仮にも『ロードムービー』なる表題を掲げておきながら、「ロード」をまるで
記述しようとしない、その態度はもはや論外としか言えない。
「ここ」が「ココ」でしかないがために孕んでしまう構造的な障害は、たぶん筆者が
その風土に重ねて描き出そうとしているだろう、スクールカーストにおける内と外の
問題をも平板化して、定型的、「カタカナ」的記号へと変えてしまう。
不機嫌な人間が世界を不機嫌に捉えるのか、不機嫌な世界が人間を不機嫌に
させるのか、鶏が先か、卵が先か、ではない、同一の表象だ。
「ここ」が「ココ」なら、「わたし」は「ワタシ」。
おそらく筆者の意図するところではないだろうが、ある面、真を衝いてはいる。
「軽くて、ちょっとニセモノっぽい」。
ちょっとどころでないにせよ、本書の要約としてこれ以上の表現があるだろうか。
]]>この度の散歩を立ち上げるにあたって、始点はまずこの一枚から。
見ての通り工事中のため立ち入れず、表紙の画角に寄せることあたわず。
早くも出端は挫かれた。
上流へしばらく遡ると、小さな分岐に出くわす。
「市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の
麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでいるのを見た。それ以来、この流の
いずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。
これは子供の時から覚え始めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いて
不図小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委がたずねて見たくなるのだ。
来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去れず、事に会えば忽ち再発するらしい。
雀百まで躍るとかいう諺も思合されて笑うべきかぎりである」。
「真間の町は東に行くに従って人家は少く松林が多くなり、地勢は次第に
卑湿となるにつれて田と畠とがつづきはじめる。丘阜に接するあたりの村は
諏訪田とよばれ、町に近いあたりは菅野と呼ばれている。真間川の水は
菅野から諏訪田につづく水田の間を流れるようになると、ここに初て夏は河骨、
秋には蘆の花を見る全くの野川になっている。堤の上を歩むものも鍬か草籠を
かついだ人ばかり。朽ちた丸木橋の下では手拭いを冠った女達がその時々の
野菜を洗って車に積んでいる。たまには人が釣をしている。稲の播かれるころには
殊に多く白鷺が群れをなして、耕された田の中を歩いている」。
「真間川の水は絶えず東へ東へと流れ、八幡から宮久保という村へとつづく
稍広い道路を貫くと、やがて中山の方から流れてくる水と合して、この辺では
珍しいほど堅固に見える石づくりの堰に遮られて、雨の降って来るような水音を
立てている」。
「猶いくことしばらくにして川の流れは京成電車の線路を横切るに際して、
橋と松林と小商いする人家との配置によって水彩画様の風景をつくっている」。
「わたくしは突然セメントで築き上げた、しかも欄干さえついているものに
行き会ったので、驚いて見れば『やなぎばし』としてあった。真直に中山の町の
方から来る道路があって、轍の跡が深く掘り込まれている。子供の手を引いて
歩いてくる女連の着物の色と、子供の持っている赤い風船の色とが、冬枯れした
荒涼たる水田の中に著しく目立って綺麗に見える。小春の日和をよろこび
法華経寺にお参りした人達が柳橋を目あてに、右手に近く見える村の方へと
帰って行くのであろう」
「わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵をかえした」。
確かにそこには水田も松林もない。遠くを望む視線は訳もなく低層住宅によって
遮られる。川沿いのベッドタウンでさえあれば、同様の写真はいくらでも集まろう。
かくして昭和二十二年の荷風を訪ねた令和二年うるう日の旅はめでたく不首尾に
終わった、かに見える。
違う。まさにこの現象こそが、散歩者と荷風を束の間同期化させる。
「市川の町を歩いている時、わたくしは折々四五十年前、電車も自動車も走って
いなかったころの東京の町を思出すことがある」。
「葛飾土産」において荷風がひもとく場面は、そのすべてが彼の愛した東京の
田園の残滓に他ならない。過日の記憶にしばし揺蕩う。彼がここに記したものは
決して眼下の情景でも声でもない。不意に時間が現前する。
だからこそ、この随筆は読むに足る。本書巻末に付された石川淳の追悼文、
まるでいしかわじゅんの手によるような酷評にあって、「葛飾土産」のみを
「風雅なお亡びず、高興もっともよろこぶべし」と戦後ただ一点の例外的な
称賛へと導いたものは、まさにこのマドレーヌ性、朽ち果てた老境にあって
失われた時が不意に見出されたからに他ならない。それは決して陳腐な比喩、
燃えさしのロウソクには似ない。
Camera don't lie、ダニエル・パウターの言うことには
カメラが空振るほどに、歩みは荷風へ近づいていく。
]]>「和歌とは、人の心を起源として、さまざまな言葉になったもの――貫之は歌の
成り立ちを『こころ』と『ことば』という二つのタームによって説明しようと
しました。本書でも、貫之の言う『こころ』と『ことば』を、『古今集』の歌に
ついて考えるための一対のキーワードとして、この二つを関連させながら、
『古今集』の魅力を解き明かしていきたいと思います。
〈型〉は、私が選んだキーワードです。『古今集』を読むときに、現代の私たちが
当惑を感じることの一つに、同じような表現、発想に基づいた歌が延々とつづいて
いることが挙げられるでしょう。たとえば、『梅』の枝に止まっているのは
必ず『鶯』ですし、暦の上で夏が訪れると人々はこぞって『時鳥』を待つ気持ちに
なってしまう。そうしたことが、実に似通った言いまわしによって歌われています。
つまり『古今集』の歌には――これは古典和歌と言い換えてもよいのですが――
『こころ』においても『ことば』においても、個人の創作の前提となる共通の
〈型〉が厳然として存在しているのです」。
桜といえばとりあえずはかない。晩春が訪れれば、藤の花の散りゆくさまと
松の常盤の対照を見立てる。七夕が来れば逢瀬について一通り嘆く。
宮廷の歌会ともなれば、やんごとなき人には無条件にやんごとなき人として
長寿と繁栄の祈りを捧げる。「あしひきの」や「むば玉の」をはじめとした
枕詞の形容表現としての妥当性など片時たりとも疑われようはずがない。
嫌がらせをサービスと言い換えるがごとき婉曲表現の技法に従って、
人は一連の定型文を指して普遍性などと軽々しくも呼称してはばからない。
そして真相はおそらく違う。「こころ」は〈型〉に先行しない、否それどころか、
「こころ」を措定すべき論拠すらない。クリシェを想起することでしか、
およそ感受性などというものは作動しようがない。桜がはかないわけではない、
はかないものとしてインストールされたテンプレ処理でしか桜を知覚できない。
散る花は決して雪に似ない。ただ〈型〉に踏襲すべきコードがあるだけ。
誰も桜など見ていない。
『万葉集』に詠まれた百首強の梅の歌のうち、香りについて言及したのは
わずか一首。対して『古今集』においては十七のうちの実に十三首もが
香りを主題として取り上げる。
まさかこの間に、動物的な進化が嗅覚を研ぎ澄ましたはずはない。
筆者は「薫香の文化が貴族社会に広がったこと」をその要因に挙げる。
誰かが〈型〉を作ったわけではない。コンテクストが〈型〉を作る。
あとはその発見を待つだけだ。
サンチョ・パンサを従えたドン・キホーテは決して遍歴の騎士ではあれない。
農夫の手による注釈は、英雄を瞬時に道化へと上書きする。
本書の成功は、キュレーターとしての紀貫之を強調することで、図らずも
『古今和歌集』の〈型〉を浮上させた点にある。よみ人の三十一文字が
いかなる美を湛えようともそれが何を指し示し得ようか。受け手を持つことで
唯一、〈型〉は〈型〉として実在を得ることができる。さもなくば、知られざる
傑作は知られざる傑作のまま、後世に継がれる資格を喪失する。
そして〈型〉によって見出されるだろう、「ことば」をめぐる相互作用の
現実はまこと残酷、すなわち、人間が交わし得る情報交換に、哀れなほどに
陳腐で退屈なクリシェを超えるものなど決して含まれることがない。
そのファクトを知ることにこそ、現代にあえて古典と交わるべき理由がある。
仮に国民文学なるものが可能だとすれば、凡庸をもってその唯一の要件とする。
]]>「人生で三十番目の年を迎えても、人々は彼を若者と見なし続けるだろう。
しかし彼自身は、何か自分に変化を見いだすわけではないにせよ、確信が
持てなくなってくる。自分には、もう若いと主張する資格はないような気が
するのだ。(中略)それまでの彼は、日々単純に生きていた。毎日何かしら
違うことを試み、悪意を持たずにいた。自分にたくさんの可能性を見いだし、
たとえば、自分は何にでもなれると思っていた。(中略)いまのように、
三十歳を前にして幕が上がる瞬間が来ることを、彼はこれまで一瞬たりとも
恐れなかった。『アクション』の声がかかり、自分がほんとうに何を考え、
何ができるのかを示さなければならないこと。そして、自分にとってほんとうに
大切なものは何か、告白しなければならないこと。千と一つあった可能性のうち、
ひょっとしたら千の可能性をすでに浪費してしまったこと、あるいは、
自分に残るのはどっちみち一つだけなので、千の可能性を無駄にせざるを
得なかったことなど、彼はこれまで考えもしなかった。
彼は考えもしなかった……」。
果たしてこの作品群を詩と呼ぶべきか、小説と呼ぶべきか、当惑を抱かずには
いられない散文体。あえて挑発的な物言いをすれば、書き散らかされた何か、
とりわけ表題作「三十歳」については。時間経過らしきものは刻まれてはいる、
放浪の地も転々と移りはする、けれども実のところ、何が変わっているでもない。
たとえば、「彼」の若き日々を振り返ってのパートタイマーが羅列される。
「食事と引き替えに生徒たちに補習授業をし、新聞を売り、一時間五シリングで
雪かきをし、合間にソクラテス以前の哲学を勉強した。(中略)新聞社では
歯科用のドリルについて、双子の研究について、シュテファン大聖堂の
修復作業についてルポを書かされた」。
あるいは原著でならば、韻律なりの文法的な必然があるのかもしれない、
だがあったとしてその程度、「彼」の人生にそれ以上の何があるでもない。
全編を通じて展開されるものといえば「可能性」のサンプルに過ぎない。
果たしてランダムピックのどこに物語を認めることができるだろう。
ただし、奇しくもその点が、「三十歳」にただひとつの物語を宿す。
「新しい言葉がなければ、新しい世界もない」。
本作はただこの宣言を引き出すべく綴られる。既存の「言葉」の規定する
「千と一つあった可能性」、つまりは既存の「世界」、彼があてどなくさまよう
「世界」ではなく、「新しい言葉」、「新しい世界」を欲する。
そしてその期待は裏切られる。
「自分は何にでもなれる」、つまり、「何か」にしかなれないのだから。
ある意味で、本作は「彼」と「ぼく」を、そしてあるいは友人モルの存在さえ、
不規則な仕方で入れ替えることで、その点を鮮やかに証明してみせる。
「ぼく」だろうか、「彼」だろうが、つまり「何か」でしかないのだから。
何をどこに代入しようとも、それは文法のはしためを決して超えない。
人間の性質が否応なく「言葉」を規定する、今改めてN.チョムスキーの
「生成文法」論を引き出いに出してみる。E.カントのカテゴリー論とも
プラトンのイデア論とも異なって、彼の学術的な急進性の一つは、
「言葉」を通じて規定される人間の側ではなくむしろ、「言葉」の側にこそ
自律性を認めたことにある。
三十歳の「彼」の呻吟は、「可能性」をいかなる仕方においても変えない。
ただひとつ、「言葉」が変われば「世界」も変わる。
]]>主人公ザン(アレギザンダー)は小説家、とはいっても最後の発表からは
既に10年以上が経過している。リビングのテレビが映し出すのは、合衆国
史上初の有色大統領の誕生。膝の上に座るのは人類のルーツ、エチオピアから
引き受けた養女シバ、ご贔屓の白人対立候補が敗北したことにどこか不機嫌。
ザンは記憶を呼び起こす。それは彼がまだ学生だったころのこと、
democracyがdemocrazyに変わった刹那、候補者に熱狂する人ごみに
押しつぶされかけた彼の手を黒い腕がさっと掴み、そして救い出す。
褐色の若い女の眼差し、瞳のグレーを彼は瞬間焼きつける。
政権交代を引き起こす契機となった金融崩壊は、ザンの家計にも重篤な
影響を及ぼす。月額2800ドルの住宅ローン返済は6500ドルにまで膨らみ、
どころか糊口をしのぐ大学非常勤講師の職すらも失うことになりそうだ。
そんな危機を知ってか知らずか、妻ヴィヴの元恋人からイギリスの大学での
集中講義の依頼が届く。主題は「衰退に直面する文学形式としての小説」。
報酬3500ポンド、焼け石に水、でも彼は息子と娘を連れて英国へと向かう。
妻はといえば、エチオピアへと旅立った。目的はシバの母の足跡を追うこと。
合流の約束も虚しく、彼女は間もなく消息を絶つ。
彼のもとにシッターとしてモリー、『ユリシーズ』のヒロインと同じ名前、
シバと同じルーツ、が現れ、そして間もなくシバを連れて姿をくらます。
「エチオピアが独自の時間帯を発明したというのではなく、エチオピアの
時間帯がオリジナルな時間、つまり、他の時間帯がそれを参照して時間を
決めるような時間なのだ。シバは、ロサンジェルスにやってきて数週間の
うちに英語をマスターしたが、一年以上たっても、時間の概念は彼女の
頭に入らなかった。時間に関する用語を理解しないのだ。『明日、みんなで
公園に行くよ』と、ザンが言う。
『オーケー』と、シバが言い、数分後には、『パピー、行こう』と言うのだ」。
本作はすべてこのルールに従って書き進められる。
あるいはそれは村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を想起させる。
時の流れや因果さえもがしばしば脱臼を来したまま、例の未来学とやらが
言うように、無数の選択肢の枝分かれが編み込まれ、綾をなし、あまりに
ご都合主義的な結びつけを経つつも、やがてとある「名前」へと収束する。
一見、無時間的な仕方で撚られる糸は、それでもなお歴史に縛られることを、
あるいは歴史を縛ることを片時もやめない。
「一人じゃ、何も変えられない。少なくとも、私には無理だ。私は偶然に
生まれた子にすぎない。だが、偉大でない人間でも、偉大なことをしようと
試みなければならないときもある。……私は自分が怖いと思うことをします。
なぜなら誰かが何かの一部を変えることはできるし、そうした何かの一部が
別の一部を変え、やがて湖のさざなみが水辺まで届くのだと思うからです」。
「変える」ことを放棄して、このうんざりするような世界を「変え」てくれる
誰かを求めれば、その「さざなみ」からファシストは生まれる。
ファシストが世界を壊すわけではない。
壊れた世界だからこそ、ファシストが現れる。
この小説が幕を下ろし、それに代わり読みはじめたテキストの冒頭から
安部公房『第四間氷期』を重引する。
「残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だという
ことで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にある
のではなく、むしろ断絶を肯んじようとしない現在の側にあるのだろう」。
『きみを夢みて』の要約として、たぶんそう遠からぬところにある。
この符合、果たして偶然か。
]]>「本書のタイトルにある〈モータウン〉は、一般的には、20世紀に自動車を
製造する都市を表す言葉であるが、ここでは、自動車の存在とその交通
システムによって創り出された環境もまた、このように呼ぶことにしたい。
すなわち本書は、20世紀後半の環境を『クルマの、クルマによる、クルマの
ためのマチ』、言い換えれば『クルマとともにあるマチ』として捉え直し、
そのデザインを通覧することによって、家具・建築・都市・造園・土木からなる
諸分野を横断し、現代社会における持続可能な発展を目指すための
環境デザインの可能性を問い直そうとするものである」。
その賛否はどうあれ、巨人ジェイン・ジェイコブズをめぐるサブテキストと
決め込んで手に取ったものの、早々に様子が違う。
群馬は富士重工のお膝元、太田の自動車工場群はそもそもが戦時下の
軍需産業からの転用、日産の座間や村山は「防空空地」のコンバート、
追浜の場合は海軍からの払い下げ、とことごとくが戦後社会の構造転換、
「平和的再利用」を示唆してやまない。この掴みで気づかされる、
本書は一介のモータリゼーションではない、戦後日本の風土史なのだ、と。
建築、といっても本書は定番の郊外化を主題とはしない。車体づくりの
各種ノウハウがスピンオフしてプレハブ工法へと持ち込まれた、そんな建築。
そもそもが「個」なる空間概念の導入を促したのが、巷間語られるソニーの
ウォークマン以前にマイカーだったとしたならば――いかにもざわめく。
頻出する名前を挙げれば、丹下健三、黒川紀章、坂倉準三といった、
近現代都市史ではごくごくおなじみの面々が並ぶ。たぶん従前の議論と
比べても、そこまで手薄なニッチばかりを掘っているわけでもないだろう。
でも、本書のバイアスがその見え方を少しだけ変える。
そして何より本書を特徴づけるのは、フェティシズムにも似て、
どこか無機質ですらあるカタログ性。ガソリンスタンドやディーラー、
「消費環境」といった〈モータウン〉のサンプルが、とにかくひたすら
書き連ねられていく。カラーグラフもなく、解像度に秀でるでもない、
回顧でもなく、懐古でもなく、あからさまな意図が見えてこないことが、
かえって対象をあからさまに現前化させる。
ポスト・モダニズム、ポスト・フォーディズムの一回答を垣間見る。
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