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    スウィート17モンスター

    • 2017.12.31 Sunday
    • 18:08

     カッコウという鳥には、ある特殊な生殖行動が確認される、という。

     托卵といって、他の種の鳥に卵を委ね、本能にただ乗りしてヒナを育てさせてしまう。

    そのプロセスにおいて、宿主のヒナや卵を駆逐する例もしばしば観察される。

     

    「何年か前のことだが、大学3年生の春学期に僕は、一人の女の子を捨てるか、

    それとも彼女と結婚するかという選択をするかわりに、彼女とのあいだの自殺協定に

    署名することになった。……女の子の名前はプーキー・アダムズ。僕は大学に入る

    前の夏に彼女とバスで出会った。彼女は僕を一目見て身も世もなく恋に落ちた。

    そして僕は? 僕は『そんなものどこ吹く風』とかまえていた。それが意味するのは、

    当時の僕がとてもシャイであったばかりか、それに劣らずごまかし屋でもあったと

    いうことだ」。

     

    「我々はおしゃべりをした。というのはつまり、彼女が一人でしゃべりまくったと

    いうことだ」。

    「僕」が何気なく言った「君が科学的なものごとに興味を持っていないってことは

    分かるよ」に激高して、「じゃあ、私が常緑樹の隣に植えたクサフジウツギ……の

    ことはどうなるわけ? 私がうちにコレクションしている17匹のオオカバマダラと、

    6匹の黄色オオトラフアゲハと、9匹の黒アゲハと、4匹のモーニング・グローリーと、

    2匹のスズメガと、1匹のアメリカオオミズアオと、970億匹のモンシロチョウはどうなる

    わけ。トンボやらオオツノカブトムシやキリギリスやコフキコガネや、……ビネガロン

    さそりは言うに及ばず。そういうのってどうなのよ? 君はビネガロンを持っているの?」

    とまくしたてる、とても村上春樹的なヒロイン。それに対してさらっとビネガロンの学名

    マルティゴプロクトゥス・ギガンテウスを諳んじてみせることで束の間彼女を沈黙させる、

    とても村上春樹的な「僕」。

    「僕は年若い頃からずっと、一人でやっていく人間だった(それは『ひとりぼっち』と

    いうのとは違う)。なぜなら僕はひとりでいるときがいちばん幸福だったからだ」。

     そんな「僕」に彼女は言った。「もし君が孤独であるのなら、誰か愛せる人を持つと

    いうのはきっと役に立つよ」。

     そして「僕」は少しだけ変わったのかもしれない。大学に進んだ「僕」はフラタニティに

    入会し、『嗚呼!!花の応援団』のごときシゴキに身を置く中でいつしか、「汚らしくて

    おぞましいケモノと化して、腐ったキャベツみたいな色に塗られたひどいポンコツ車を

    乗り回したりするようになった」。

     

     プーキーが枝で地面にお絵描きをする。二種類の〈長くちばしスニート〉。

    「小型スニートは小さな川に住んでいて、夜になるとゴルフコースにあがってくるの。

    そしてくちばしを地面に突っ込んで、その尻尾をティーがわりにしてボールを打つ人が

    やってくるのを待って……スニートたちは一晩中ずっと待っているの。ふわふわした

    草の中のぴかぴかの金貨みたいに。ひょっとしたらゴルファーがたまたま通りかかるん

    じゃないかみたいな虚しい希望を抱いて。でも誰もやってこない。……でもほんの

    ときたまだけど……とても小さな冷えた星が漂い落ちてきて、彼らの尻尾の上にしばらく

    留まっていくの。そうすると彼らはとっても幸福な気分になることができる」。

     対して大型スニートは「とっても愛情に溢れていて、キスをするのが大好きなの。

    でもそれをするのにものすごい時間がかかるわけ。なにしろその長いくちばしの先が

    触れあうために、ものすごくゆっくりとお互いに接近しなくちゃならないわけだから。

    でもそれはおおむね不可能なことなの。というのは、ちょっとした流れの動きで彼らは

    上下に振れたり、左右に振れたりしちゃうから。そして彼らには自分の身体を安定させる

    ためのひれとか水かきとかそういうものがまったく具わっていないの。そんな悪戦苦闘の

    末にもしくちばしの先っぽで、ちゅっと完璧なキスができたとしても、その頃にはもう

    くたくたになっていて、それを心から楽しむこともできないわけ」。

     そんな〈スニート〉による、〈スニート〉のためのビルドゥングスロマン。

     フィクションにおける至上の幸福のひとつは、生身の誰よりもリアルな誰かを束の間

    降臨させてくれること。仕方がない、エキセントリックでエキサイティングなプーキーが

    街を歩いているはずなんてないのだから。そこらのかまってちゃんなど、粗悪を極めた

    レプリカントですらあれない。

     現実は手段であって、目的ではない。

     恋は唯一、塔の上の幽閉状態において成り立つ。すべての道はパルムに通ず。

    酒は百薬の長

    • 2017.12.31 Sunday
    • 18:04
    評価:
    ベッキー・スー エプスタイン
    原書房
    ¥ 2,376
    (2017-11-20)

    「熟成期間の長いブランデーは、伝統的にイギリスとアメリカで主に消費されてきた。

    しかし近年の中国はヨーロッパの国々を追い抜く勢いであり、ブランデーの消費は

    過去10年間に急増し、いっこうに衰える気配がない。また、世界にはごく安価な

    ブランデーに対する大きな市場が広がっている。ベトナム、フィリピン、インドなどの

    アジア諸国はどれも重要なブランデー消費国だ。この蒸溜酒がこのように多様な層の

    人気を獲得するまでに、どのような歴史があったのだろうか? そしてブランデーは

    どの程度愛されているのだろうか。

     生産地に加えて、熟成過程はブランデーの価格と品質に大きな違いをもたらす。

    しかし、どんなブランデーも最初の工程は同じように蒸溜から始まる。蒸溜が古代文明の

    中心地からヨーロッパへ、そして新世界へ伝わるには、数世紀を要する長い旅の歴史が

    あった。本書ではその旅路をたどってみたいと思う」。

     

     酒は百薬の長。このことが、ブランデーの伝播の歴史を何よりも特徴づける。

     というのも、ブランデーの場合、その多くが「薬として常備しておくべき家庭の必需品」と

    みなされて地産地消されてきたために、グローバルな市場圧力に基づく均質化どころか、

    極めてローカル性の高いコンテンツとして独自の発展を遂げた。

     

     例えば「スペインはブランデー・デ・ヘレスを生んだ国だ。これは由緒ある旧世界の

    ブランデーで、本来ならばもっと世に知られていてもおかしくない名酒である」。この品を

    他と隔てるのは「ソレラ・システム」なる仕込み方。この技術の誕生自体は19世紀の偶然の

    産物らしいが、この地における蒸溜酒のルーツははるかイスラーム支配の時代まで遡る。

     そして本国の影響を受けて、ラテン・アメリカやフィリピンでもブランデーは愛飲される。

    例えばペルーでピスコなるブランデーの生産がはじまったのは17世紀のこと、当初は

    ワインのためにブドウが植樹されるも、農業保護のためにスペインへの輸出が禁じられ、

    ブランデーへの鞍替えを余儀なくされた、そんな妥協の産物だった。

     このピスコ、ゴールドラッシュ以後のアメリカ西海岸で爆発的な人気を博すも、禁酒法の

    煽りを受けて壊滅。解禁後には、粗製乱造の安酒へと自ら身を落とし、ただし21世紀、

    復活の足がかりを掴む。

     

     ところ変われば酒変わる。コーカサスもブランデーの名産地。ヤルタ会談の一コマ、

    J.スターリンが差し出したアルメニア産の味がいたくW.チャーチルのお気に召したらしく、

    以後、最高指導者は英国にこのブランデーの付け届けを続けた。もっとも、当の宰相が

    その際に最高の賛辞を送っていたのは実はジョージア(グルジア)産のものだった、

    そんなアネクドートも今なお語り継がれる。

     

     酒絡みの蘊蓄本止まりかと思いきや、ことのほか、世界史を反映せずにはいない。

     紛れもなく歴史のテキストとして成立している意外な逸品。

    #Me Too

    • 2017.12.26 Tuesday
    • 22:13
    評価:
    伊藤 詩織
    文藝春秋
    ¥ 1,512
    (2017-10-18)

     国連薬物犯罪事務所のまとめたデータによれば、人口10万人当たりのレイプ件数で

    最も多いのはスウェーデンで58.5件、イギリスで36.4件、アメリカで35.9件。

     対して日本といえばわずかに1.1件。

     一方、内閣府による「男女間における暴力」に関する調査によれば、15人に1人の女性が

    「異性から無理やり性交された」経験を持つ。

     警察の担当者は、筆者に向けてこう言った。

    「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」。

     

    「性暴力は、誰にも経験して欲しくない恐怖と痛みを人にもたらす。そしてそれは長い間、

    その人を苦しめる。/なぜ、私がレイプされたのか? そこに明確な答えはない。私は何度も

    自分を責めた。……しかし、その経験は無駄ではなかったと思いたい。私も、自分の身に

    起きて初めて、この苦しみを知ったのだ。この想像もしていなかった出来事に対し、どう対処

    すればいいのか、最初はまったくわからなかった。/しかし、今なら何が必要なのかわかる。

    そしてこれを実現するには、性暴力に関する社会的、法的システムを、同時に変えなければ

    いけない。そのためにまず第一に、被害についてオープンに話せる社会にしたい。私自身の

    ため、そして大好きな妹や友人、将来の子ども、そのほか顔も名前も知らない大勢の人たちの

    ために。/私自身が恥や怒りを持っていたら、何も変えることはできないだろう。だから、

    この本には率直に、何を考え、何を変えなければならないかを、書き記したいと思う」。

     

     強姦の立件で争点となるのは主に二点だという。すなわち、行為の有無、合意の有無。

    論点となるのは、殺人や窃盗におけるように、構成要件をなす外形的な要素よりもむしろ、

    合意のあるやなしや、この主観性が性犯罪を特徴づけ、そして困難なものにする。

     筆者自身も、本書内で幾度となく、客観性を担保し切れぬ当事者が世に明かすことの

    正当性への煩悶を語る。その扱いの難しさは、筆者が会見を申請し、そして拒絶された

    外国人記者クラブによるコメントに集約される。

    Too personal, too sensitive”

     

     しかし、彼女はあえて「『被害者のAさん』ではなく、実際に名前と顔がある人間として」

    公表することを選んだ。選ばざるを得なかった。

     本来において、刑事システムの運用にあたって、被害者も加害者も「名前と顔」を持つ

    必要がない、と私は考えている。罪を憎んで人を憎まず、とは抽象的な格率でも何でもなく、

    刑事訴訟の基本理念を体現する。つまり、罪刑法的主義に従って、構成要件を満たした

    行為を犯したがゆえに罪を問われ、罰を科される。このスクリプトは例外を持つ必要がない。

    法のアウトノミーに人格はいらない。

     ところが、この法体系が「ブラックボックス」を持つ。個別的な事例における忖度の有無が

    重要なのではない、忖度の余地を持つ杜撰な体系しか組めていないこと、法の支配が

    貫徹されていないこと、その事態こそが問題視されねばならない。社会が「名前と顔」で

    営まれている以上、対峙する者もまた、「名前と顔」を持たずにはあれない。

     当事者が声を挙げずとも、可視性を担保された刑事司法が適用される、そんな時代の

    到来は遠い。筆者が訴えるのは加害者の前に、この社会の露わなファクトだった。

     

     #Me Too

     きっかけはハリウッドにおけるセクハラ案件、今日もSNS上で「名前と顔がある人間として」

    女性たちが告発する、 “too personal, too sensitive”であることの痛みを背負いながら。

     meからusへ、本書が願うのはたぶん、publicであれる未来だ。

    中心と周縁

    • 2017.12.26 Tuesday
    • 22:00

    「デモは平和的だった。そして平和のうちに終るはずだった」。

     1848313日月曜日のウィーン、その日は年に一度の領邦議会招集日だった。

    「かつては恣意的な帝国権力に対抗してそれに制限を加える役割も果していたが、

    19世紀中頃のこの時点になると、年に一度だけ招集されて、政府の提出する課税案を

    唯々諾々と認め、委員会を設置して決められた租税額を納税者に割当てるだけのこと

    だった。……この議会の構成メンバーは、貴族、聖職者、都市の代表で、農民の代表は

    いない。……ウィーン代表は通例市長で、市長は政治任命だったから、市民代表は

    実質的にはゼロと同じだった」。

     代表なくして課税なし、その事態の改善を嘆願するためのデモだった。

     学生や市民を中心としたこの運動には、ただし、通常とは異なる点がひとつだけあった。

    彼らは街を囲う壁の外側(リーニエ)の労働者たちに協力を依頼していたのだ。数は力なり、

    狙いは概ねそんなところだったに違いない。

    「労働者は午前中生じた市内の騒ぎを耳にして、やっと得物をとって市内に向かった。一体

    市内に何が起こったのか、誰が何のために何をしたというのか、詳しいことは労働者には

    何一つわかっていない。何一つわからなくとも、ただ何かが起こったという知らせだけで

    十分だった。ふだん爪はじきにされて、市内やグラシに出入りすることもできなかった

    労働者がこの日はとにかく市内へ入って、日頃いばっている連中と戦うというのだから、

    それだけで激発的な衝動が彼らを駆ったのである」。

     間もなく出動した軍はかえって緊張を加速させた。威嚇射撃は彼らの暴徒化を促した。

    金属製の得物といっても、労働者が手にしているのはスコップやつるはしに過ぎなかった。

    そんな彼らに軍は刀剣を抜き、5人の最下層民が命を落とした。

     これが後に三月革命と呼ばれる事態のはじまりだった。

     

     革命という語がしばしば想起させる指導者は本書に描き出されることはない。結果として

    世にそう称される出来事を担った無名の人々の蠢きを鮮烈な筆致で叙述する。

     この本の何がすばらしいというに、講談を思わせるような切れ味豊かな語り口である。

    史学書としては異例なことに、本書には参考文献や引用の注釈が付されることはなく、

    さりとて史料を軽視して、いたずらに想像力を走らせたわけではない。そうでなければ、

    300ページに満たないこのテキストが、かくなる密度を持ち得るはずがない。

     

     未来は誰にも分からない。

     デモの当事者が、果たして請願以上の何を期していたというのか。この革命を受けて

    立ち上がったはずの国民軍が、どれほどまでに「民衆的」であれたのかを発足時に誰が

    知ることができただろうか。革命はなるほど周縁の民を誘った。ただし、その旧態依然たる

    男性原理を翳す彼らに、同じくマイノリティたる女性の台頭が想像できただろうか。

     歴史的英雄をもってしても、その手で殺めることのできる者の数など、たかが知れている。

    しかし、一度狂乱に取り込まれた群衆は、無数の人間を亡き者に葬ることができてしまう。

    誰しもがひとつの方向へと突き進む社会、多様性を承認しない国家がなぜに危ういのか。

    そんな無名、無数の民のうねりを、無名、無数のままに映し出した、稀有な社会史。

    ただ一点、惜しむらくは、今なお瑞々しいこの境地が筆者の絶筆となったことだろうか。

    憂きながら あればすぎゆく 世の中を

    • 2017.12.22 Friday
    • 22:19

    「文学作品は読者のものであり、作者の意図は必ずしも重要ではなく、まして生涯・境遇

    などは顧慮しなくてよいとする立場もある。しかし時代を超える普遍的価値があっても、

    作品は一義的にはやはりその時代の所産である。一次史料や時代状況に照らせば

    容易に確定する疑問をそのままにして、読者の手に委ねてよいとは思えない。しかも

    伝記はもちろん、各章段の解釈の前提となる知識もしばしば根拠を欠くもので、訂正

    されないまま作品論や伝記研究にはねかえり、さらに作者像を歪めるという悪循環に

    陥っている。どう考えても不合理である。まずは作者がどのように考えて執筆し、当時の

    人々はどのように解釈していたかを定めるべきで、そのためにも作品の外部に眼をやり

    伝記を探求する努力を放棄すべきではない。

     本書では、同時代史料からできるかぎり多くの情報を抽き出すことで、生涯の軌跡を

    明らかにし、とくに公・武・僧の庇護者との関係や活動の場を正確に再現した。大きく

    6章に分け、最後に徒然草の成立について言及した。徒然草の引用は確実な事績として

    利用できるところに限定した。中世文学の珠玉の作品に対していかにも冷淡であるかも

    知れないが、まずは長年の偏りから来た歪みを少しでも修正したいと願うからである」。

     

    「同時代史料からできるかぎり多くの情報を抽き出す」。

     このテキストは、当時の文献のささいな記述を手がかりに、とにかくひたすら掘りまくる。

     渉猟の途中、筆者は金沢文庫へと話を向ける。「紙が貴重品であった時代、書状が

    使用目的を達して廃棄されると、典籍の書写に使われた」。現代ならばさながら、文書の

    試し刷りのために、読み終えたペーパーの印字されていない裏面を再利用するようなものか、

    聖教の書写にさえリサイクル品は用いられ、このことが望外のご利益を後世にもたらす。

    時は流れて表に記された御大層な仏典よりもむしろ、「紙背文書」こそが今に「中世人の

    肉声をよく伝え」るお宝へと変わる。

     そんな数奇な文書の一枚に、「うらへのかねよし」なる名前が立ち現れる。亡き父の七回忌を

    めぐる、家族間でのやり取りと思しき手紙。かくなる私文書を糸口に、数百年の時をまたぎ、

    彼の素性が露になる。

     

     このアーカイヴ作業は例えば「吉田兼好」なる名前の出所にまで及ぶ。

     有名人の宿命として、有象無象の親族を騙るものが次から次へと顔を出す。

     嘘から出た実。帳尻の合わないハッタリがいつしか新たな歴史を開き、既成事実として

    定着し、フェイクはやがて『徒然草』をも侵食する。

     

     私は兼好法師の研究に何ら通じてはおらず、ゆえに、クリティックを繰り出す素養を何ら

    持ち合わせるものではない。

     それでも、本書において提示される推理の妙は楽しめる。文書を残す重要性、翻って、

    残ってしまう恐ろしさ、そんな史学研究の醍醐味に満ちた一冊。