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- 2020.05.10 Sunday
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評価:
マリオ リヴィオ 早川書房 ¥ 1,123 (2017-02-09) |
「私が生命、地球、宇宙の進化をテーマに選んだのには、主にふたつの理由がある。
ひとつめに、偉人と聞いてほとんどの人が真っ先に思い浮かべるような学者たちの犯した
過ちを、批評的に考察してみたかった。こうした偉人たちの過ちは、過去一世紀のもの
だけを取ってみても、今日の科学者(そしてすべての人間)が抱える疑問ときわめて
密接に関連している。そうした過ちを分析することで、面白いだけにとどまらず、科学的な
活動から倫理的な行動まで幅広い分野の行動指針として使える生きた知識体系を築ける
ことを証明したいと思っている。ふたつめの理由は単純だ。生命、地球、宇宙の進化という
話題は、文明の幕開け以降、科学者だけでなく全人類の興味を掻き立て、人類の起源や
過去を明らかにするための飽くなき探究活動を刺激してきたからだ。こうした話題に対する
人間の知的好奇心は、少なくとも部分的に、宗教的な信条、創造に関する神話、哲学的な
探究の根源になってきた。と同時に、この好奇心のより実証的な側面、証拠に基づく側面
こそが、やがて科学を生みだした。人類はこれまで、生命、地球、宇宙の進化にかかわる
複雑なプロセスの解明に向けて、前進を遂げてきた」。
進化論のC.ダーウィン、温度の単位に名を残すケルヴィン卿W.トムソン、ノーベル賞を
複数回手にした化学研究者L.ポーリング、天体物理学者として名を成し、SF作家としても
A for Andromedaなどで知られるF.ホイル、言わずと知れたA.アインシュタイン。
科学界を覆っていた常識にブレイクスルーを持ち込んだ巨人とて時に過ちを犯す。
本書の構成はある面でとてもシンプル、まずそれぞれがどれほどまでに革新的な論を
唱えた存在だったのか、という科学史を辿り、その上で彼らが何につまずいたのか、を
明かしていく。当時の技術的限界に由来するものもあるだろう。通説の破壊者をもってして
超えられなかった常識の壁もある。しかし本書が指摘するのは、彼らのごく人間的な側面。
メンデルによる遺伝の法則をダーウィンが自らの説に取り込むことができなかったのは、
筆者に言わせれば、「自信の幻想」に憑かれていたせいだ。自説の穴を突かれようとも
己の信念に固執し続けたケルヴィンは、筆者に言わせれば、「認知的不協和」の典型を
示している。宇宙定数の導入をアインシュタインは「人生最大の過ち」と悔やみ続けた、
今なお語り継がれるこのエピソードにもすぐれて人間的な要素が関わっていた。
「名案を思いついたと思ったら、とにかく発表しなさい! 間違いを恐れちゃいかん。
科学では、間違いは何の害も及ぼさない。科学界には、すぐに間違いを見つけて訂正して
くれるような優秀な人間がたくさんいるのだ。……しかし、もし名案なのに発表しなければ、
科学が損失をこうむるかもしれんのだ」。
本書の営みはつまり、ポーリングによるこの至言に説得力を与える試みに他ならない。
後出しじゃんけんで先人をくじくだけ、そんな不快な作業に没頭するだけの代物ならば
参照に値するものなどない。本書がほぼ一貫して「失敗」に対して「偉大brilliant」という
敬意の態度をとり続けるのは、科学が「AからBへと一直線に進化していくわけではなく、
批評的な再評価や誤りを見つける相互的な交流を通じて、ジグザグの道をたどりながら
進化していく」ことを知るからに他ならない。
そしてその教訓は科学研究の門外漢にすら及ぶ。恐れるべきは失敗ではなく、失敗から
何の学びも得ないこと、このことが該当するのは、何も先端理論の探究者に限らない。
そして幸いにも、人間は失敗の種には事欠かない。というのも、「人間は、感情を完全に
オフにできる純粋に理性的な生き物ではないのだ」から。失敗を成功の母とできるか、
それこそが「偉大」か、否か、の分水嶺となる。
「人間は、ありとあらゆる高貴な品性を持ち、もっとも下劣な者に対しても同情心を抱き、
ほかの人間のみならずもっとも下劣な生物に対しても慈愛を示し、太陽系の運動や
構成をも見通す神のような知性を持っている。しかし、こうした崇高な能力にもかかわらず、
それでもやはり、人間の肉体的な造形の中には、消すことのできない卑しい起源の刻印が
刻まれていることを、認めぬわけにはいかないと私は思うのである」。
本書を読み終えた後ならば、ダーウィンによるこのフレーズもなおいっそう奥行きを増す。
泡坂妻夫。名前だけは知っていた。没後今なお、実験的な手法をもってカルト的な
人気を誇る推理作家、どうせ旧帝大のミス研出身だろう、と考えていた。そんな人が
なぜ家紋? と思いきや、家業は東京神田に代々続く上絵師だという。
「紋の研究書や一般教養書は数多く刊行されましたが、……内容は紋の分類やその紋を
使っている家の家系や由緒の説明に費やされているだけです。紋を歴史的な遺産として
とらえ、紋を作り出した職人の技術的な重要さにはあまり目が向いていない。……その
理由ははっきりしていて、毎日紋を描き続け、紋の難しさや面白さを一番よく知っている
はずの、上絵師が書いた本が一冊もこの世にない、ということです」。
口を動かす前にまず手を動かす。
そんな職人の粋が無類の説得力をもって迫る瞬間が訪れる。
ポピュラーな紋の一つに巴がある。レパートリーの中でも、三つの巴が「時計と同じ廻り方、
つまり左巻に渦を巻いている」ものを指して「右三つ巴」、逆に渦が右廻りのものを指して
「左三つ巴」という。いかにもややこしい、結果、研究者には取り違えるものが後を絶たず、
とある出版社に至ってはその区別を統一してしまった、と嘆く。
しかし職人ならばそんな錯誤を起こすはずがない、と筆者は断言する。というのも、
「巴の左右は、その渦の巻き方による名称ではないのです。
このことは、巴と兄弟分の卍と巴とを並べて見れば一目瞭然。
卍は十の形の各先端に、鉤が出た紋です。その鉤が出た方向が左なら左卍。右なら
右卍という名が付けられました。
卍から少し遅れて弟分の巴が現れました。巴の左右は卍の名称を踏襲しているのです。
卍の丸を見ればそれが一層はっきり判るでしょう。卍の細い部分が巴の尾に対応している。
つまり、左卍と左巴は同類形なのです。
つまり、卍の左右は渦の巻き方ではなく、作図上から作られた合理的な名称なのでした」。
職人にしてみれば、ただ伝統を踏襲するに留まらない、日々の技術的進化の過程が
紋には込められている、という。そんな試行錯誤の洗練や遊び心が本書にも反映される。
例えば紋と紋をフュージョンさせて新しい紋を作り出す。桐や牡丹といった典型的な紋を
あえて「乱」れさせたり、「踊」らせてみる。丸の内部に収まっていて然るべき紋があえて
その境界を侵犯することだってある。丸のフレームを樹木の枝に見立ててデザインする。
モノトーンの白黒をあえて反転させてみたり、抜いてみたりも当たり前。
そもそも紋とは量産可能なデフォルメに他ならず、手法はどこかマンガを連想させる。
というか、歴史の順序を辿れば当然、逆の言い方をしなければならない。
紋がマンガに似ているのではなく、マンガが紋に似ているのだ。
「1901年に、海底に沈む難破船から発見されたこの破片は、古代文明の遺物としては
まさに驚異的である。私たちがこれまで理解してきた古代ギリシアのいかなる技術に
照らしても、存在するはずがない物なのだ。その精密さに匹敵する品は、千年以上あとの
ルネサンス期ヨーロッパの天文時計まで待たないと出ていない。……この機械はなにを
するためのものなのか。いったい誰がこれを作り上げたのか。そしてこれほど高度な技術が
生まれながら、なぜこれほど長いあいだ歴史の中で埋もれていたのか。1901年以後、
何人もの人びとがこの機械の仕組みを解明し、これらの疑問に答えを出すことに人生を
かけた。いったん謎にとり憑かれると、誰もが目をそらせられなくなった。彼らの多くは
解明しきれないまま世を去った。同時に誰もが謎の一部をつきとめた。この本は、
その人びとの物語である」。
20世紀の幕開けを告げるように、「アンティキテラの機械」の発見を可能にしたのは
技術だった。素潜りで到達できて、かつ何かを収穫できる限界といえば水深30メートル、
ところがヘルメット式潜水服の発明によって限界は70メートルにまで押し広げられた。
最終的にはギリシア政府を巻き込んだプロジェクトに発展するも、そもそものきっかけは
技術開発と海賊的野心の融合だった。
研究の進展は技術の発達に同期するようにもたらされた。「機械」の解明をリードした
科学史家D.プライスは、自らの名を配したひとつの仮説を立てた。曰く、「科学者の成果を
記録するページ数は、時代とともに同じ増加率で指数曲線を描」く。
なるほどX線の撮影手法など、まるで「プライスの法則」を実証しにかかるかのように、
技術は「機械」をめぐる謎の究明に力を添えた。
ただし皮肉にも、そうして露わになった真相は彼の法則を裏切った。技術においても、
知識においても、「機械」は時代からはあまりにも傑出していた。
「月の満ち欠け、惑星の出と入り、そしてとりわけ食はいずれも王とその国家の幸不幸に
かかわる啓示をふくんでい」る、そう考えられていた時代に天体運動を計算してみせた
「古代ギリシアのコンピュータ」は、ただし神を機械仕掛けへ置換するには至らなかった。
プライスの願望とは裏腹に、世界は情報の蓄積による線形的な発展を辿らなかった。
「アンティキテラの機械を見ると、私たちも訊ねたくなる。なぜ時計を作らなかったの
だろう。何世紀ものちに、ヨーロッパではこうしたテクノロジーが産業革命を呼び起こし、
オートメーションの現代社会へ道を開いた。ギリシアで同じことが起きなかったのは、
なぜだろう」。
知識のインプットだけでは足りない何か、あるいはそれは未来の人工知能をなおも
人間が凌駕していくほんのわずかな可能性に通じているのかもしれない。
博覧会の展示物に値札をつけることで、世界最古の百貨店ボン・マルシェは生まれた。
と、展覧会と百貨店をめぐる私の知識はそこから一気に、堤清二率いるパルコ・セゾン
文化まで飛躍する。その間のことなんて、考えたことすらなかった。
「百貨店の展覧会実績をつぶさに見ていけば、歴史、文学、芸能、科学、学術ほか様々な
文化・芸術の分野が取り上げられていて、さらに時事的な話題や社会的な問題をテーマと
したもの、子どもたちを対象とした教育や娯楽的なもの、人々が趣味や教養として研鑽を
積んだ成果の発表、企業や行政によるプロモーションが“○○展”の名で開催されていた。
(中略)本書は、東京都心の百貨店が、展覧会という事業によって戦後昭和の都市生活者に
どのような文化や娯楽を提供してきたかを紹介するとともに、百貨店がなぜそうした事業に
力を入れて取り組んだのか、またどのような影響を社会に及ぼしてきたのかを考察し、
あわせて昭和の世相の一端を垣間みようというものである」。
朝鮮特需ととも百貨店が上向きに転じた50年代、一際好評を博した企画があった。
主要寺院の国宝、重要文化財の展覧会だ。文化財保護法の制定で、保存とともに「活用・
公開」へと舵を切った国家の下、集客が見込める百貨店と経済的に困窮する所有者の
利害が見事に噛み合った結果だった。
「日本が貿易・為替の自由化に踏み切ったのは、東京オリンピックの年であった」。
かくして展覧会も画期を迎える。各店がこぞって英国を中心に海外フェアを実施した。
とはいえ、それ以前にも抜け穴がなかったわけではない。「わが国百貨店が欧州諸国の
百貨店と提携して、双方のデザイン研究に資する商品を等額に交換し、これを当事者の
店舗に展示した後販売すること」は通産省のお墨付きだった。
そんな具合に、本書は単に年代別に目録を羅列するに満足せず、各々の時代背景を
たどっていく中で展覧会の向こうに消費社会の脈動を捉えていく。
1970年11月12日から17日、池袋東武にてある作家の展覧会が開かれた。
企画を立てた百貨店にとっては、駄目でもともと、という思いで持ち込んだ話だった。
そんな予想に反して快諾した作家は、どころか能動的に案を提示した。「展示物の背景を
白黒で統一すること」も作家の主張だった。かくして急ピッチでこぎ着けた展覧会は、
「『書物』『舞台』『肉体』『行動』の四つの河にわけて構成され、黒一面の壁面を背負って
これまでの創作、活動を、小学校時代の作文から自身の裸体写真までを含めて全人格的に
示す」ものとなり、好評のうちに幕を閉じた。
後に思えば、何もかもが生前葬を暗示していた。
同月25日、作家は市ヶ谷で自裁した。
今日、百貨店の一階を占めるのはもっぱらマーケティング商品の花形としての化粧品。
匂いを逃がすといった事情もあるようだが、百貨店が華やぎをそこに認めなければ、そして
儲けが得られなければ、かくも広大な面積を自らの顔となるフロアに配置しようはずがない。
昭和のテレビCM隆盛期、資生堂を舞台に、今日に至るメイク・アップ・ブランディングを
確立した巨人があった。その名を杉山登志という。死から四年、新宿伊勢丹で開催された
回顧展には、上映される作品集を目当てに、若者たちが列をなして殺到した。
時代の寵児は絶頂の最中、訣別の辞とともに自ら命を絶った。
「リッチでないのに/リッチな世界はわかりません。/ハッピーでないのに/ハッピーな
世界などえがけません。/『夢』がないのに/『夢』をうることなどは……とても/
嘘をついてもばれるものです」。
評価:
スティーヴン ウィット 早川書房 ¥ 1,015 (2018-03-06) |
「数年前のある日、ものすごい数の曲をブラウジングしていた時、急に根本的な疑問が
浮かんだ。ってか、この音楽ってみんなどこから来てるんだ? 僕は答えを知らなかった。
答えを探すうち、だれもそれを知らないことに気づいた。もちろん、mp3やアップルや
ナップスターやパイレートベイについては詳しく報道されていたけれど、その発明者に
ついてはほとんど語られていないし、実際に海賊行為をしている人たちについては
まったくなにも明らかにされていなかった」。
「今世紀に入ってからは、自分のお金でアルバムを買っていない」。
この告白に何ら悪びれたところはない。筆者は典型的な「海賊版の世代」の一人だ。
さりとて、「音楽を盗んでファイルをシェアするのは違法」であることを認識していない
わけでもない。
ただし本書を限りなく面白いものに仕立てるのは、パブリック・ドメインやコモンズをめぐる
ロブ・ロイどうこうなんて自己正当化ではなく、物語が描き出すイノヴェーションにこそある。
今となってはデジタル音楽配信のスタンダードとなったmp3だが、その地位にまで
この技術を押し上げたのは、彼ら「海賊」たちだった。
強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ。優れた新技術の開発は、その領野の
征服権を何ら担保しない。そもそもmp3は「ドイツ版のベル研究所」の片隅で、わずか
6人のメンバーによってはじまった。やがて彼らは、音質においても、処理能力においても、
次世代に相応しい傑作を生み出した。ただし決定的に欠けるものがあった。政治的奸智。
天下のフィリップス擁するmp2と対峙するに彼らはナイーヴに過ぎた。
かくして負け犬に成り果てたmp3を救い出したのが「海賊」だった。ウェブ黎明期の
ファイル共有システムに最適の道具を突き止めた。ドイツの秀才の英知をもってしても
こんな用途があろうとは想像だにしなかった。
そして歴史はさらなる展開を用意する。ナップスターでmp3の利便性を知った大衆に
マーケットは遂に絶好のデバイスを提供することに成功した。iPodだ。これを契機に
Macintoshの栄光も遠い昔の斜陽企業が上昇気流を掴み取り、今や時価総額世界一。
K.ブランデンブルクがつき、「海賊」がこねし天下餅、座りしままに食うはアップル。
1995年に誰がこんな未来を予想できた?
歌詞に込められるメッセージなんてとうの昔に出尽くした。オーディオから流れる音とて、
人間の聴覚が感知できて、脳で処理できる範疇のものでしかない。つまり、あり合わせを
つなぐだけのブリコラージュにクリエイティヴィティなんて代物が横たわろうはずがない。
しかし、技術の選好をめぐる市場の気まぐれはあまりにランダム。ITバブル期に
ミュージック・レーベルがこぞって投資に走り、そして焦げつかせた履歴が何よりも
あからさまにその予測不可能性を教えてくれる。
経済によるイノヴェーションへの適応要請が音楽産業に及ばないはずはない。
「アーティストとレーベルは新しい収入源を探し続け、そのうちにバイラルビデオ、版権、
ストリーミングサービス、音楽フェスへの出演はますます重要になってきた。2011年には、
蓄音機の発明以来初めて、アメリカ人は録音された音楽よりもライブにおカネを落として
いた。2012年、北米のデジタル音楽売上はCDの売上を上回った。2013年、会員制と
広告制のストリーミング収入が初めて10億ドルを超えた」。
退屈の同義語としての楽曲はただし、この上なくスリリングなシーンを展開してくれる。
音楽は聴くためではなく、消費するためだけにある。
もとより人間に創造力などない、できるのは技術が提示する時代に応答することだけだ。