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  • 2020.05.10 Sunday

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    点滴岩を穿つ

    • 2019.01.25 Friday
    • 23:35
    評価:
    ボブ ウッドワード,カール バーンスタイン
    早川書房
    ¥ 1,296
    (2018-09-05)

     野党候補者の集金パーティーでの出来事。

    「注文しない酒、花束、ピッツァ、ケーキが代金引換えで届けられ、さらに

    呼ばなかった芸人もやってきたのだ」。

     ただのネトウヨあるあるか、とため息を誘われることだろう。

     ところが、作戦と称するのも馬鹿らしいこの嫌がらせの指揮を執ったのが

    ホワイトハウスと大統領再選委員会の側近というから、穏やかではない。

    しかも、愛国心とやらでは動くはずもない実行部隊を雇い入れる資金は

    すべて政治献金のロンダリングから拠出された。

     

     はじまりは1972617日朝、ワシントン・ポストのルーキーが受けた

    一本の電話。「カメラと盗聴装置を持った5人の男が民主党本部不法侵入の

    現行犯で逮捕された、すぐに出社できるか、というのだった。

     ポスト紙に入社してまだ9か月のウッドワードはかねがねやりがいのある

    土曜日の仕事を希望していたが、これはどうもそれらしくない。地元の民主党

    支部の不法侵入では、非衛生な飲食店や小さな警官汚職の取材記事といった、

    いままでにやってきたことと変りばえがしない」。法廷で被告のひとりが

    CIAとの履歴を明かすのを聞いたところで、その印象に大差はなかった。

    「事実、不法侵入は共和党側の工作かもしれないという考え方は成立しない

    ように思われる。……大統領は、出馬を表明していた民主党の大統領候補

    全員を合わせたより世論調査で19パーセントもリードしていた」のだから。

    「金がこの事件の鍵だ」。

     転機はある弁護士の一言、「こそ泥」など氷山の一角でしかなかった。

     

     ウォーターゲートなど良くも悪くも端緒に過ぎない、大統領の弾劾へと至った

    このケースをその名で呼ぶこと自体が、既に問題を矮小化している。

    「記録盗難、怪文書、集会中止、……にせ電話、運動予定の妨害」、何もかもが

    大統領陣営によって仕組まれていて、「どれ一つとして独立したものではない」。

     その数カ月前、自らに不都合なペンタゴン・ペーパーの公表を妨げるために

    報道の自由をねじ曲げることすら厭わなかったニクソンを相手に、細かな糸を

    手繰り寄せて、事実のタペストリーを紡いで挑む。

     本書が一際息を飲ませるのは、石橋を叩いて渡る調査報道の緊張にある。

    一介の書物やWikipediaが事件を取り上げるに数行で済ませてしまうような

    何気ない記述にさえも、裏取りのリソースが果てなく費やされる。

    「『きみには協力したい。ほんとうにそう思っている』と〔司法省の〕法律専門家は

    言った。『でも、わたしからは何も言えない』」。

     そんな電話越しの取材対象に記者は提案する。

    「記事をおさえる理由があれば、10までかぞえないうちに、法律専門家は電話を

    切ってしまうのだ。もし10かぞえたあとも、電話を切らなかったら、記事掲載は

    心配ないという意味になる」。

     果たしてカウントは10へと至り、沈黙は時に金となる。

     遂にキーマンを明るみに引きずり出した、と記者に訪れる安堵の瞬間、

    ところがこのやりとりが思わぬ大誤報を招き寄せる。

     

     ゴーサインの出た特ダネが印刷機へと回り、郵便受けや売店に送られる、

    その数時間のロスでさえ、記事の賞味期限を奪い去るには十分に過ぎる、

    そんな現代を生きる者にとって本書の記述はいかにも地味に映るだろう、

    しかしだからこそ手に汗握る、ページを繰るほどに引きずり込まれる。

     やがて訪れる水門の決壊、このカタルシスがどこのSNSに転がっていようか。

     誰のために報じるか、奉じるか。

     それはまさか、ネットの祭りに付和雷同するイナゴのためであろうはずがない。

    民主主義の舵取りを可能にする報道の自由をはじめとした憲法理念の下に集う、

    党派やルーツを超えたすべて国民のためにファクトを伝える。

     国民が国民であることをやめた世界に報じる道などもはやない。

    にわにはにわにわとりがいる

    • 2018.12.31 Monday
    • 18:55
    評価:
    アンドリュー・ロウラー
    インターシフト
    ¥ 2,592
    (2016-11-17)

    「ニワトリは、静かに、だが容赦なく、不可欠なものとなった。ほとんど飛べない

    けれども、国際間の輸出入を通じて世界一の渡り鳥になったのだ。……ニワトリは

    昔もいまも、いわば羽の生えたスイス・アーミー・ナイフで、与えられた時間と

    場所に応じて必要なものを提供してくれる万能動物なのだ。この可塑性のおかげで

    ニワトリは最も有益な家畜となったわけだが、その点は私たち自身の歴史をたどる

    上でも役に立っている。ニワトリは鳥の『カメレオンマン』のようなもので、

    私たちの変わりゆく欲望や目標や意図――立派な品物、真実の語り手、奇跡を起こす

    万能薬、悪魔の道具、悪魔祓いの祈祷師、途方もない富を生む財源――を映し出す

    不気味な鏡であり、人類の探検、発展、娯楽、信仰を示す標識なのだ」。

     

     奇しくも英単語で占いをあらわすauguryは古代ローマの故事、鳥auisの針路に

    未来をたずねたことに由来する。風見鶏よろしく、本書が教えるニワトリをめぐる

    トピックから人間の歩みを占う。

     古代ギリシアで医神アスクレピオスへの供え物といえばニワトリが定番だった。

    生命と医学のアトリビュートとしてのニワトリ、その図式は現代に引き継がれる。

    例えばインフルエンザの予防接種に用いられるワクチンは鶏卵内で培養される。

    そもそもL. パストゥールにワクチンの有効性を気づかせたのもニワトリだった。

    ただし皮肉にも、この偉大なる発見は当のニワトリを鶏コレラから救わなかった。

    というのも、「予防接種をするよりも、感染した鳥を隔離して殺処分するほうが

    安上がりで効率的」だったのだから。

     ニワトリがもたらす救いは医学だけではなかった。20世紀初頭のアメリカ、

    とある雑誌のすすめで女性がニワトリを飼いはじめた。馬鹿にする男どもを

    尻目に、金を生む卵は女たちに「誰かに依存しているという感覚」から

    飛び立つ契機を与えた。

     マリの農村で異変が起きた。昔からの習わしで「住人は予言が欲しいとき、

    死ぬニワトリが右へ倒れるか左へ倒れるかを見守る」。ところが、この占いを

    無効化するニワトリがもたらされた。「胸が重たくて、前へ倒れてしまう」。

    アメリカから持ち込まれた「産業用ニワトリ」だった。女性たちが結集して

    養鶏に励んだのも遠い昔、フォーディズムを体現する集約型巨大産業の育む

    「明日のニワトリ」は、「できるだけ少ない飼料で、できるだけばらつきの

    ないように、速やかに成熟する鳥」、その血が遠くアフリカに持ち込まれた。

    効率性の代償を払わされるのはニワトリだ。肉の発達に内臓や骨格の発育が

    追いつかない結果、慢性的な痛みを宿命づけられる。狭い鶏舎で他を

    傷つけることがないように、くちばしは予め焼き切られる。時を告げる鳥が

    文字通り日の目を見ぬままその生涯を閉じる。その終わり際も壮絶だ。

    「屠畜場では、かなりの割合の鳥がナイフで喉を切られても死にきれずに

    熱湯槽のやけどによって死ぬ羽目になる」。業者を非難するのはたやすいが、

    そうでもしなければ、世界的な鶏肉、鶏卵の需要を埋めることなどできない。

     経済性、生産効率を突き詰めた先に待ち受けるのは「絶滅する運命では

    なくて、増殖する運命」、それも「絶滅よりも悪い運命」。

     ニワトリは今もなお、預言者として君臨している。

    You can't handle the truth!

    • 2018.10.31 Wednesday
    • 22:48

     グアンタナモの米軍基地内で死亡事案が発生した。上下関係の規律を乱すものには

    身を以て制裁を加える、そんな「コード・レッド」の起こした不幸なこの事件をめぐって

    開かれた軍法裁判は、ジャック・ニコルソン扮する大佐の関与をめぐって争われた。

     直接の命令を示す証拠は結局のところなかった。ところが男は自白する。前線を預かる

    者としての誇り、国防を担うものとしての誇りが、証言台での自白を促さずにはいなかった。

    自らの管轄下において行われたすべてのオペレーションを掌握していないということなど、

    たとえ裁きの報いを受けようとも、司令官には決して認められることではなかった。

     このいけすかない男もまた、「グッドマン」であったことを知らされる、苦い後味を残して

    映画『ア・フュー・グッドメン』は幕を引く。

     

    2017728日……稲田朋美防衛大臣は、安倍首相に辞表を提出したことを

    明らかにした。/この日、防衛省の不祥事を調査する防衛監査本部は、南スーダン国連

    平和維持活動(PKO)の日報隠蔽疑惑について、防衛省・自衛隊の幹部らが組織ぐるみで

    隠蔽に関与していたとする監査結果を公表した。監査本部は、陸上自衛隊幹部らが本来

    開示すべき南スーダンPKOの日報を意図的に開示対象から外したり、実際には存在するのに

    『廃棄した』と偽って開示しなかったとして、これらの行為を情報公開法の開示義務違反

    および自衛隊法の職務遂行義務違反と断罪した。……本書は私[布施]と三浦記者という

    同年代のジャーナリスト二人が、日本とアフリカそれぞれの地で、自衛隊が派遣されていた

    南スーダンで一体何が起きていたのか、そして、そこで起きた出来事がいかに日本政府に

    よって隠蔽され、ねじ曲げられて日本国民に伝えられていたのかを全力で解き明かそうとした

    『連帯』の記録である」。

     

     そもそも南スーダンへの派遣はPKOの要請によるもの、その国連が“armed conflict”との

    表現をもって現地の状況を伝えていたにもかかわらず、日本政府は一貫して「戦闘ではなく

    衝突」との見解を示した。それに従えば、「政府軍と戦っているマシャール派が系統だった

    組織性を有しているとはいえず、支配を確立するに至った領域があるともいえない」、

    マシャール派が「国に準ずる組織」でない以上、「戦闘」の定義を満たすことができず、

    然らば南スーダンへの派遣はPKO五原則にも憲法にも抵触しない。

    「アメリカや国連にとっては、南スーダン政府はもはや『国造り支援』の対象ではなく、

    その暴力を一刻も早く止めなければならない『紛争当事者』なのだ。そんな中、日本だけが

    『南スーダンでは武力紛争は発生していない』と言い、南スーダン政府に対する『国造り

    支援』を続けていた」。

     

     南スーダンを訪れた記者は、とある建物へと向かう。通称トルコ・ビル。20167月、

    この建物をマシャール派が占拠したことで、2日間にわたり激しい銃撃戦が交わされた。

    外壁や内部にはロケット砲や小銃の痕跡が生々しく残る。

     そのビルは、首都ジュバの国際空港を間近に監視できる戦略上の拠点だった。

     同行した政府の副報道官は記者に告げた。

    「国連部隊が我々に向かって対戦車誘導弾を撃ち込んできた」。

     この場所で南スーダン政府軍とPKO部隊が交戦し、中国人兵士が死亡した、という。

     ビルからは空港の他に、まるで「校舎の屋上から目の前の校庭を見下ろすよう」に、

    もうひとつあるものを一望することができた。

     自衛隊宿営地だった。

     

     本当に「戦闘ではなく衝突」だったのか。

     真相を示唆する内部文書が後に布施氏の請求に従って公開された。

    「事案後の面談において多くの隊員が口にした事項については、睡眠への不安が最も多く、

    入眠障害・中途覚醒の症状が多くあった。次に多かった事案が、音への恐怖心であ」った。

     またこの報告はPTSDへのケアについても併せて言及している。

    「隊員は平常心を装いながらも常に緊張状態が継続し、蓄積した心疲労の回復には

    時間が必要であり、また、事案時のフラッシュバックは何時起こるか分からず、(中略)

    帰国後の回復が順調に行なわれなければ、メンタル不調者(抑うつ傾向から自殺)の

    発生も予測される事から、原隊復帰後も継続した心情把握および心のケアが必要である」。

     

    『ア・フュー・グッドメン』などフィクションに過ぎない。

     真実は、悪い奴ほどよく眠る。

    前前前世

    • 2018.10.27 Saturday
    • 20:07

    「私は7年間、福島第一原子力発電所事故を追い続けている。

     この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、

    次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい『無関心』だ。話題を耳にすることが

    激減した。

     関心が薄れたところで、政府は支援を打ち切り、人々は苦しんでいる。(中略)

    生きる選択肢が限られた彼らに、いったいどうしろというのか?

     そもそも、彼らはどうなっているかということすら、もはや世間の関心を失い、

    忘れられそうになっている……。

     ネット社会の進展で、自分の好きな分野の話題や情報が大量かつ手軽に入手できる

    ようになった。その反面、それ以外は見ないという風潮が広がり、そうした流れを助長

    している。

     結果として、不都合な事実を『なかったこと』として揉み消そうとしている国家権力の

    思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北でも

    あると言われても仕方がない」。

     

     いつしか、何もかもが「なかったこと」にされた。

     除染作業員に分配されているはずの危険手当ても、中抜きを繰り返した末、いつしか

    「なかったこと」になった。回収しなければならないはずの汚染物は、川に捨てられた。

    「除染ならぬ移染」の事実も「現場のせい」と転嫁されいつしか「なかったこと」にされた。

     20138月、フクイチでの瓦礫撤去に際して放射性物質が飛散したことが原因と

    見られる高線量の汚染が確認された。そしてその秋、風下で収穫されたコメからは

    基準値を超えるセシウムが検出された。だが翌年、原子力規制委員会は、実測値を

    乖離した計算値に基づき、コメ汚染と瓦礫の関係性を「ほぼないということが確実」と

    断言し、一連の証拠を「なかったこと」へと葬った。

     避難先の都内中学に通う女子生徒は、たかりをはじめとした一連のいじめの事実を

    教育委員会等に「虚言癖」とまで罵られ、訴えは「なかったこと」と結論された。

     

     真実はいつも醜い、なぜなら人間が醜いから。

     300ページ足らずの本書を読み終えるまでに、幾度しおりを挟んだだろう。

     読めば読むほど気が滅入る。見たくない、聞きたくない。「なかったこと」にさえすれば、

    感情的なコストは安上がりで済む、そんなメカニズムを逆説的に教えられる。

     そして同時に知らされる、そんなマインドにただ乗りすることで得をするのが誰なのかも。

    「アンダー・コントロール」の正体がここにある。

    the Great Escape

    • 2018.10.19 Friday
    • 23:30

     トンブクトゥ。

     どこかリズミカルなこの地名を知ったのは高校生の頃、『村上龍料理小説集』の一節、

    「クスクス・トンブクトゥ」なるさらにメロディアスを強調した料理の存在を通じてのこと。

     

    「かねがねヨーロッパの歴史家や哲学者は、アフリカの黒人は『文盲』で『歴史をもたない』と

    主張してきた。ところが、トンブクトゥの古文書は正反対の事実を告げている。ヨーロッパの

    大半が中世のぬかるみを抜けられずにいる時代に、洗練された自由な思想の社会が

    サハラの南に花開いていたというのだ。その文化は、1591年にモロッコ(サアド朝)に

    征服されていったんは地下に潜ったが、18世紀になってふたたび隆盛をみた。しかしその後、

    ほぼ70年におよぶフランスの植民地支配でこの伝統はまたも消え失せる。古文書は秘密の

    戸棚や保管庫に隠され、あるいは地面に埋められた。

     ユネスコの専門家は、この失われた遺産を取り戻すための機関の創設を決める。

    トンブクトゥに往時の栄華を多少なりとも甦らせ、サハラ以南のアフリカがかつて非凡な

    著作を生み出していたことを世界に向けて証明するのが狙いだ」。

     そんな資料のひとつに、例えば『女性との性生活に関する男性への助言』なるものがある。

    「これは、催淫剤や不妊治療薬について手ほどきをし、一緒に眠らなくなった妻をベッドに

    戻す方法を教授するという内容である。……性的快楽は、イスラムでも是認されていると

    断言し、勃起を持続させてオルガスムを高めるために祈ることまで推奨している。……

    性的な刺激としてコーランの文句を利用するというのは、トンブクトゥの日々の暮らしにいかに

    宗教が根づいていたかを示していると同時に、この地で実践されていたイスラムが形式に

    とらわれない大胆なものであったことの証しでもある」。

     

     ところが、歴史は時にあまりに皮肉にできている。かつて多様性を湛えたこの地を

    イスラム原理主義の魔の手が襲う。

    “イスラム警官”に言わせれば、音楽は「神によって悪しきものとされている」。だから

    携帯電話の着信音はすべてコーランの詠唱に統一するよう命じられた。あるとき、

    カフェの店先でポータブルステレオの音楽を聞いてると、例の“警官”が現れた。

    「あいつらはステレオからメモリーカードを抜いたんだ。三日後に返ってきたときには、

    音楽が消えてコーランが吹きこまれていた」。

     アルカイダの使者にとっては、「新しく考え出されたことに注意しなさい。なぜなら、

    新しく考え出されたことはすべて逸脱であり、逸脱はすべて正道を誤らせるもの

    だからである」とのハディーズの一節がすべてだった。

     その基準に従えば、ようやく集めた377000冊ものトンブクトゥの古文書はいずれも

    「逸脱」に違いなく、一度彼らの手に落ちれば燃やされる運命にあることは明白だった。

     ならば安全地帯へと避難させるより道はない。かくして彼らの大脱走がはじまる。

     

     不謹慎、といえば、これほどまでにその批判が妥当な楽しみ方もそうはあるまい。

     そんなことは分かった上で、なお胸が高鳴るのを抑えきれない。

     脱走フィクションにおいてキモとなるのはやはりスリル、つまり、敵役がどれほどまでに

    血も涙もなく狂っているか、にかかっている。その点、本書の満たす要件は及第点どころの

    騒ぎではない。音楽を聴いてうっかりリズムを刻んでしまう、映画ならばありがちなそんな

    人間味演出すらも期待できないような、話の通じない連中が相手と来ている。

     こんな追っ手を振り切らねばならないのだから、どう転んでも面白くないはずがない。

     

     不謹慎、なるほどそうかもしれない。

     しかし、この楽しみ方こそが、少なくとも私に言わせれば、逆説的に本書に込められた

    最大のメッセージなのだ。テキストをテキストとして享受することすらできない社会、

    それはまさしくイスラムの聖典を大義名分に、他のテキストをすべて「逸脱」として排除する

    おぞましい社会の姿に他ならない。

     この心性、何かに似ている、そう、例えば「世間」や「常識」を楯に、自らの「正論」を

    振りかざし、他人の言行を狩ることに執心するネット上の不謹慎警察どもに。

     

     イスタンブールのサウジアラビア領事館で姿を消したジャーナリスト、ジャマル・カショギは

    最後の寄稿に以下のタイトルを付した。

    「アラブ世界が最も必要としているのは表現の自由」。

     

     狂気との間に交わすべき会話など存在しない。失われたものは戻らない。だから。

     逃げろ。