CAN YOU CELEBRATE?

  • 2019.02.23 Saturday
  • 19:59
評価:
アントワーヌ・リルティ
名古屋大学出版会
¥ 5,832
(2018-12-25)

 本書の原題はFigures publique: l'invention de la celebrite 1750-1850

「著名性は、公共文化あるいは公共圏の衰退、さらには近代が約束するとされた

解放が忘れ去られたことを証明するようなものとして現代に新しく生じたのではなく、

まさに近代社会の際立った特徴であり、ほとんど不可能なまでに巨大化し、つねに

その正当性を脅かされる危険をはらんだ近代社会に見合った偉大さの形式なのだ

……そのことを証明するために、私は著名性の最初の時代を描写することに専念

したい。……階級社会の危機、文化の商業化の始まり、印刷物ときに定期刊行物の

大規模な飛躍、少なくとも理論上ではあるが人民主権の確立などといった近代性の

主な特徴がここに登場しているのである。著名性の歴史にとってとりわけ重要な

意味を持つのは、現実そして原理としての世論と、個人の純粋性を要求する自我の

新しい理想とが連動して登場したことである」。

 

「著名性celebrite」なる語は18世紀の「発明」を待つまでもなく、ラテン語celebratus

由来を持つ。celebrationと語源は同じ、宗教や貴族の「荘厳な儀式」から、その場に

立ち会う人々へと意味は拡がりを含む。「ある場所に人々がたくさんいること」や

その絢爛を示した語はいつしか、「ある場所に」いない「人々」、生涯に一度として

まみえることのない「公衆」の視線のその先を指す語へと用法を変えた。

 

 フランス語にfemme publiqueなる成句がある。

 一般的な用法に素知らぬふりを決め込んで直訳すれば、公的な女性、典型的には

王妃マリー・アントワネット。「国王はつねに表象であり、絶えず主権を具現していると

いう意味において、国王の生活は完全に公的なものであった。ラ・ブリュイエールは

そうしたイデオロギーを表すものとして次のような言葉を残している。『国王に欠けて

いるのは、甘美な私生活だけだ』」。絶対王政の時代、なるほど彼らはすべてを見せた、

自らを公にさらした。「臣民は、物事の本質を見抜くことができないので、一般的に

外見に見えるものに基づいて判断を決定する」。国王たる者、「他の人と混同されたり

比較されたりするようなことがないほど、他の人より抜きん出て」いなければならない。

 ところが、マリー・アントワネットはこの伝統に背を向けた。お忍びで――とはいえ

家来を引き連れて――彼女はオペラ座を訪れた、自身を王妃と眼差されぬことを求めて。

クラシカルなドレスではなく時のモードをまとって舞踏会に現れた彼女は、不可触の

玉座を降りて、社交界の華として毀誉褒貶に自らを投げ入れた。

 例のfemme publiqueに話を戻す。辞書にあたれば、娼婦なる語彙が知られよう。

最新の「著名性」を身につけたやんごとなき方は、スキャンダルにまみれることで、

みんなの女、想像の上で夜な夜な誰とでも寝る女と化した。

 

『新エロイーズ』の成功は、ジャン=ジャック・ルソーをたちまち著名人へと押し上げた。

スイスの彼の日常がロンドンで記事になる。パリを訪れれば、立ち寄ったカフェに黒山の

人だかりができる。彼のテキストを開いたこともない人々が、名前の放つスペクタクルに

魅せられて狂喜乱舞する。

「彼のすることなすことが、他の人とはまったく異なる」。「著名性」を意のままに操り

体現していたこの論壇の炎上王が、ところがあからさまに「著名性」を投げ捨てる。

 かつて彼が夢見た「著名性」とはすなわち、「公衆や善意を持った読者たち」と

つながるチャンネルだった。「公衆は理性によって判断する」、1761年の幸福な宣言は

翌年の『社会契約論』における「一般意志」と「著名性」の連関を必ずや示唆する。

 しかし最晩年、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』に至って、公衆像は完全に覆る。

「公衆は目くらましされて、何でも信じ込んでしまうような存在であり、信じやすい人間で

あることに幸せを感じてもいる。そして、彼らは虚偽のイメージが流布することに対して

奇妙で歪んだ満足を覚える。……このようなテーマのうちに、著名性のメカニズムの描写を

見ないわけにはいかない」。

 ここに至って、ハーバーマスの「公共圏」論とルソーが見事な共鳴反応を示す。

世界が啓蒙時代に唯一見た「理性の批判的使用」としての「公共性publicite」は、

革命の収束に伴い「メディア的・商業的操作」としての「広告publicite」に座を譲る。

ドイツ人政治学者のこのロマン主義は世界史にいかなる論拠をも持たず、ただし

この「ジュネーヴ市民」の「著名性」をめぐる精神遍歴叙述としては正鵠を得る。

「そこに社会があった」

  • 2019.02.20 Wednesday
  • 22:02

「本書は硫黄列島という小さな島々の島民の社会史的経験を描いている。一方で、

硫黄列島のたどった、一見するとミクロな歴史経験からは、日本本土側にとって

一方的に都合のよい歴史像、たとえば『立派に耐えた玉砕の島』といった地上戦

イメージや、『焦土から復興へ』というお馴染みの戦後イメージを揺るがす、新たな

20世紀史像が浮かび上がってくる。

 したがって本書は、二つの目的をもって書かれている。一つは、硫黄列島の歴史を

従来の『地上戦』一辺倒の言説から解放し、島民とその社会を軸とする近現代史として

描き直すことである。もう一つは、日本帝国の典型的な『南洋』植民地として発達し、

日米の総力戦の最前線として利用され、冷戦下で米国の軍事利用に差し出された

硫黄列島の経験を、現在の日本の国境内部にとどまらないアジア太平洋の近現代史に、

きちんと位置づけることである」。

 

 映画『硫黄島からの手紙』のワンシーン。

 クリント・イーストウッドは、「米軍の硫黄島空襲開始を受けて島民を強制疎開

させる決断をおこなう場面で、栗林〔忠道中将〕にこう語らせてしまう。『島民は

速やかに本土に戻すことにしましょう』と」。

 本書の議論を知らなければ、さしたる引っかかりを覚えることは恐らくないだろう。

むしろ焦土作戦からせめて島民だけでも逃がさんとする「人道的」存在としての栗林に

胸を鷲掴みにされる、そんな忘れがたき瞬間でさえあるのかもしれない。

 しかし、「戻す」という表現は、「1944年の硫黄島がすでに半世紀以上の歴史をもつ

社会であった事実をかき消してしまう」。彼らは本土に「戻」るのではない、あくまで

生活拠点から一時的に疎開するに過ぎない。あるいはその理解すら真を衝いたものとは

言い難い。「南方離島からの疎開は、島々を軍事利用するために当局によって組織的に

おこなわれた、事実上の故郷追放だった」のだから。そして疎開による「難民」状態は、

太平洋戦争終結後、施政権返還後の現在もなお続く。

 そしてこの延長線上でかの名匠は、もうひとつの隠蔽に加担してしまうことになる。

プランテーション商社を経由しての「偽徴用」によって「最後まで島に残された16人の

うち、地上戦の間に11人が死に追い込まれた」、その事実の隠蔽に。

 11。この数字は後の統計上でも大きな意味を持つ。「現在でも多くの資料には、

硫黄島民の地上戦での死者数は、『82名』と記載されている」。他方、都のまとめた

とある資料は「地上戦における硫黄島民の死者数を『93名』としている」。

「偽徴用」された人々は、一方では「硫黄島民」として数え上げられぬまま、つまり

自らのアイデンティティを知られぬまま、死んでいったのだとすれば平仄が合う。

 

 本書の中に、ある者は満州やブラジルなどに通じる入植の悲哀を見るだろう。

戦略拠点との美辞麗句がいかなる暴虐非道をも正当化する、そんな光景を沖縄に

投影する者も恐らくはあるだろう。愛国者どもによる311被災者バッシングを

オーバーラップさせることを想像の飛躍と咎められる筋合いもあるまい。

 硫黄島の歴史に、「国策に翻弄され」るマイノリティの運命を予見する。

人の不幸は蜜の味

  • 2019.02.07 Thursday
  • 23:32

「本書に描かれているのは、1860年に英国のカントリーハウスで起きた殺人事件

――おそらくは当時もっとも騒がれた事件――の物語である。その殺人犯の捜査は、

初期の刑事たちの中でも最も能力のある人物のキャリアを脅かし、英国中に

“探偵熱”をもたらし、探偵小説誕生の指針を与えることとなった。被害者一家に

とっては、屋敷にいたほとんど全員に疑いの目が向けられるという、異常なまでに

恐ろしい殺人事件であった。だが国全体にとって、このロード・ヒル・ハウス

殺人事件は一種の寓話となった――ヴィクトリア朝時代の家庭と、探偵行為の

危険性についての、暗い寓話である」。

 

 チャールズ・ディケンズも、ヘンリー・ジェイムズも、誰もが事件に魅せられた。

コリンズ『月長石』にインスピレーションを与えたのもこの事件だった。

 鍵とかんぬきで閉ざされた屋敷の内部で3歳の少年が姿を消し、やがて便器から

首を深く裂かれた遺体として発見された。そして間もなく邸宅にいたすべての者に

懐疑の目が注がれた。同じ育児室で寝ていたシッターの場合、その動機は密通を

幼児に目撃された口封じとされた。前妻の子どもたちによる嫉妬というのも確かに

説得力があった。失踪を知った父親は近くの署ではなく、少し離れた知己の警視の

もとへと自ら馬車で出向いた、この選択も言われてみればいささか不可解。

 隠されれば隠されるほど見たくて見たくて仕方ない、プライバシーなる新概念が

強調された時代だからこそ、ケント家の何もかもが好奇の視線にさらされた。

「殺人事件は、鎧戸を閉じた中流階級の屋敷の内部に展開していたものを暴いて

しまいかねない。ヴィクトリア朝社会で尊敬されている深窓の家族に、不健全で

有毒な、性的で感情的な瘴気がひそんでいることもあるかのように見えた。

ひょっとしたら、プライバシーが罪の源泉、楽しい家族の光景を芯から腐らせて

しまう病なのかもしれない」。

 

 時の経過が横溝正史の禍々しさをいや増すように、ヴィクトリア朝という舞台が

本書のスリルを限りなく引き出す。今日の刑事裁判の基準に照らせば、証拠能力も

それをあぶり出す科学的手法もあまりに乏しい。しかし当時の報道競争(狂騒)は、

今日改めて書籍をまとめてなお、溢れんほどの情報を供さずにいない。それでいて、

どうにも書き切れぬ、埋まり切らぬ間隙がある、ゆえに想像をそそられる。

 そして筆者も、同時代人が各々の推理をスコットランド・ヤードへと書き送らずに

いられなかったように、新たな見立てを提示する。事件から150年が経過している、

いかに現代的な知見を補強に用いてみたところで、そうかもね、以上のものとは

なり得ない。そもそも論として、どれほど理が通っていようとも、調査報道たりえぬ

状況で時効を逆に楯に取ったようなプライバシーの侵害を認めるべきとは思えない。

 とはいえ、筆者にそうさせしめるだけの誘惑が事件から滲むことは否めない。

 鼻白む歴史の事実は、華麗を極めた陰謀論の真実を前に屈従を余儀なくされる。

 仕方ない。なぜならば、事実は常に退屈だから。

存在の耐えられない軽さ

  • 2019.02.07 Thursday
  • 23:25
評価:
ロミ
国書刊行会
¥ 4,536
(2018-04-27)

『自殺の歴史』なる表題は、一般にいかなる内容を想像させるのだろうか。

 それは例えば、それぞれの時代や手段に共通する精神性を実例から読み解く

ような、主題に基づく正統派のアプローチだろうか。

 繊細な読者ならば、あるいは自らのメンタルを同期化させかねないような、

そんな危険なメソッドが本書において選択されることはない。

 代わって本書がしていることといえば、フランス語のテキストや新聞記事の

アーカイヴスから自殺をめぐる項目をひたすらに抜粋、羅列していくこと。

その書き口はいかにも軽やかで、安いゴシップ紙よろしく、この沈鬱なテーマを

さらりと読ませる手腕は、微かな違和感とともに、感嘆を誘わずにいない。

 なるほど文献のIT化が可能にしたコピペ本かとテキストを閉じかけて、訳者の

あとがきに驚愕する。著者ロミの生まれは1905年、原著の出版は1964年、

検索ツールなど動員できるはずもない。周知のネタばかりを拾うでもない。

 テキストにこれほどに重量をもたらす仕事であるにもかかわらず、その語りは

果てしなく軽い。無論、筆者の技量もあるだろうし、読み進むうちにいつしか

感覚が麻痺している部分もあるのかもしれない。しかしその最大の理由はやはり、

過去の文献を渉猟する、という作法そのものから来ているのではなかろうか。

 そもそも世間が自殺を消費してきたから本書は成り立つ。

 グーグルで「ソクラテス」と入力すれば、示される検索候補のトップは「死」、

フィンセント・ファン・ゴッホが例の最期を持たずして名声を獲得できたとは

到底考えられない。ノーマ・ジーンは死に際してすら、マリリン・モンローなる

メディア・アイコンとしてあらゆる仕方で食い尽くされた。

 そして現代もそれは変わらない。人身事故による電車の遅延と聞かされても、

利用者に喚起される感情は苛立ちや怒り、焦りでしかない。統計が細工を尽くし

過少に数え上げてようやく年間3万弱という自殺者に慣れ切った世間はただし、

1件の児童虐待死にヒステリーを抱かずにはいない。

 ミラン・クンデラはかつて問うた。

「そこでわれわれは何を選ぶべきであろうか? 重さか、あるいは、軽さか?」

ロマンスの神様

  • 2019.02.02 Saturday
  • 22:36

「初めてアメリカ領空でハイジャックが起きた1961年から、701便がシアトルへの

飛行中に乗っ取られた1972年までの間に、アメリカでは159便の民間航空機が

ハイジャックされた。しかも、そのほとんどすべてが、その尋常ならざる時代の最後の

五年間に、しばしば毎週もしくは週に数回といったペースで立て続けに起きた。

……この狂乱状態の意味をなんとか理解しようとした評論家や政治家たちは、よく

伝染病の流行(エピデミック)という言葉を用いた。……すなわち常にいくつかが

固まって起きるのだが、それらは必ず感染源となる一件のハイジャックに引き続いて

起きた……この『ウイルス』はメディアを、それも特にテレビのニュース番組を通して

広まった。……視聴者の中には、被害者たちに同情するよりむしろ、国中をとりこに

する壮大なドラマを生み出した犯人の才能にワクワクする者たちもいた。

 そういった人々はハイジャックウイルスに感染しやすい。なぜなら、彼らはアメリカが

約束する将来に対し、完全に信頼を失ってしまっていたからだ。ハイジャックの隆盛が、

1960年代の理想主義の最後の残滓が消えつつあった時期と一致しているのも、

けっして偶然ではない。……このような迷える魂にとって、飛行機はまさに理想的な

ターゲットだった」。

 

 散り散りのはずの個人と個人が、一人のインフルエンサーに刺激を受けて同様の

行動や傾向を示すことで、やがて「社会」なる一塊のモンスターが生成する。

 フランスの社会学者ガブリエル・タルドならば、ハイジャック「エピデミック」に

『模倣の法則』の例証を得た、と草葉の陰から必ずや歓喜を表明したに違いない。

 ある時代の模倣犯にとって、目的地はキューバの他にあり得なかった。自国に

失望した彼らを英雄として迎え入れてくれる約束の場所、それがハバナだった。

あるハイジャック犯は供述する。「キューバは真の民主主義を実現していた。そこでは

誰もが平等で、黒人に対する暴力や不公平や人種差別は過去のものになっていた」。

 しかしそのシンデレラ・ストーリーは幻影に過ぎなかった。カストロにとって彼らは、

「好ましくない不平分子として侮蔑の対象でしかなかった」。

 次なる「ウィルス」の変質は、ベトナム帰りのイタリア系士官によってもたらされた。

国に裏切られたと怒りに打ち震える19歳が目指したのはローマだった。やがて彼が

逮捕されると、「イタリアの一般大衆は罰せられるいわれはないという彼の考えに

同調した。それどころか、その強引な外交政策ゆえに西欧世界でしだいに嫌われつつ

あったアメリカに立ち向かった勇気ある若者として、国民的英雄よろしく称賛された」。

 ただし熱狂ははしかのようなものでしかなかった。「魅力の真髄は、常にその犯罪の

劇場性にあった。……だが、多くの劇場型ブームと同じく、ハイジャックも時の試練を

うまくくぐり抜けることはできなかった。……というわけで、自暴自棄になった

アメリカ人の多くが、自身を自らのゆがんだ贖いの物語のヒーローに仕立てる新たな

方法を模索した。ウォーターゲート事件とサイゴン陥落に続く年月は、誘拐、車両爆破、

政治家や有名人の暗殺など、途方に暮れた男女の引き起こす数々の話題性のある事件で

埋め尽くされることになった。だか、その時代の狂気のどれ一つとして、アメリカの

空では起きなかった」。

 

 ハイジャックの頻発にもかかわらず、なんとも驚くべきことに、航空会社は傍観を

決め込んでいた。慌てふためく政府に対し、彼らはひたすら黙殺を貫いた。

「航空業界はアメリカの全空港に保安対策を導入するよりは、周期的に起きる

キューバへのハイジャックに耐えるほうがコスト的にはましだと信じていたからだ。

 事業全体の数字から言えば、自社の航空機の一機がハバナに寄り道させられても

会社の収益にはほとんど影響はない。乗っ取られた機体と乗客をアメリカに取り戻す

のにかかる費用は、……電子機器による検査が義務付けられた場合にかかると

予想される巨費に比べれば、はした金だった。

 それに、乗客たちも、もし制服姿の警備官にポケットの中身を出せと言われたり、

スーツケースの中を強制的に調べられたりしたら、二度と飛行機には乗らないと

誓いはしないだろうか?」

 

 PTSD持ちのベトナム帰還兵とメンズエステ嬢の破れかぶれの恋、言うなれば

『ボニーとクライド』のハイジャック版、ただし劇的クライマックスを持たない。

 ハノイへと向かう当初のプランが、星占いに導かれるままアルジェに至る。

男もまた夢に見ていた、アメリカを捨てた英雄として祝福されるその光景を。

なるほど、アルジェリアは拍手した、彼らがせしめた身代金に、超大国を超大国

たらしめているそのドルの束に。

 戦争によって分断された世相にあって、確かに彼らへの支持を示す者もいた。

だが、時流になまじ乗れてしまったトレンド・キャッチャーの末路はしばしば悲惨、

過去の栄光に溺れることしかできぬまま、時代の波に取り残される。

 もはや人間にできることといえば時代に消費されることだけ。そんな喧騒とは

無縁のまま、金のみが変わらぬ輝きを放ち続ける。