Let's Groove

  • 2019.03.14 Thursday
  • 22:23

 ジャジャジャジャーン。

 そう聞けば、もしくは、読めば、少なからぬ人々がひとつの連想へと誘われよう、

すなわち、「運命が扉を叩く」という『交響曲第5番』作曲家自身の解題へと。

 このエピソードの初出は『ベートーヴェン伝』、筆者は晩年の「楽聖」に仕えた

アントン・フェリックス・シンドラー。聴覚を失った主人の意志疎通を手助けした

現存138冊のノートを預かっていた人物としても知られる。

 ところが、この男が「音楽史上最悪のペテン師」だったとしたら――

 

「シンドラーにとって、嘘とは、ベートーヴェンに関するあらゆる『現実』を『理想』に

変えるための魔法だった。……彼はベートーヴェンの本性を衆目から隠そうとした。

見るに耐えないものを見るのは自分ただひとりでいい。そう思っていたのかも

しれない。傲慢な考えではある。ベートーヴェンが遺したものを捨てたり加工したり

する権利がおまえにあるものか、と責めたくもなるだろう。しかし、シンドラーは

現代的な意味での音楽研究者、あるいは歴史研究者ではなかった。……

シンドラーがベートーヴェンに対して抱いていた使命感は、『正確に実像を伝える』と

いう学問的なポリシーとは根本的に別のものだった。

 もしシンドラーが覆い隠した真のベートーヴェンを知りたいと望むなら、私たちが

すべきなのは彼の存在を葬り去ることではない。シンドラーに限りなく接近し、彼の

まなざしに憑依して、ロング・コートの裏側の『現実』に視線を遣ってみることだ」。

 

「別れた恋人の消息をSNSで見かけたときのような気まずさと好奇心で、

ついつい耳をそばだててしまう」。

 1795年生誕、1864年死没の人物に「憑依」した末、紡ぎ出された表現である。

幾重にもねじれたツッコミどころを探すことさえ忘れて、とりあえず笑う。

 

「黒歴史リベンジ・マッチ」、「虫けらはフロイデを歌えるか」、「イケメンリア充、

現る」、「嘘から出たマジ切れ」――以上、チャプターに割り振られたリード・

コピーの一例。

 

 デジタル世代の評伝を書くとしても相当に挑戦的なスラングまみれのスタイルを

よりにもよってベートーヴェン周辺の描写に用いて試みるというのだから、事態は

いよいよ混沌を極める。

 このヘッド・バンギングな文体を是とするか、非とするか、主役たるシンドラーを

差し置いて、もはやこの問題こそが本書の帰趨を決する。

 品の有無を言う前に、一定数の人々の頭にはそもそも入っていかないだろうし、

刺激の強さは裏返しとしてのインフレ破綻を前提せずにはいない以上、未来の

長文ライティングにおいてこれがスタンダードになるとも思えない。

 と、ネガティヴを羅列すればキリはないけど、「神の火花でみんなフロイデ!」

いいじゃない、だって笑えるから。

 ベートーヴェンがシンドラーにつけたあだ名が「パパゲーノ」、由来はもちろん

モーツァルト『魔笛』、「てめえは無駄口を叩くな」の隠語、ただし当の本人は

ついぞその意を理解しなかったらしい。そしてこの歴史的バカ歌は果てなき

神話化を経ていつしか聴衆の笑いを失った。

 これ以上の悲運が果たしてどこにあるだろう。

 本書の仕方は文体のための文体ではない、クラシックと敬して遠ざけられた世界に

同時代性の息を吹き込むその試みなのだ。成否を云々する前に、何よりもまずは

その敢闘精神に称賛を送らねばならない。

 少しだけ真面目な話をすれば、捏造、改竄を主題とする作品において

ヴェールの剥ぎ取られゆく過程が明かされないというのでは、そもそもの

片手落ち感が否めない。

 でも、何それおいしいの、それでいい。

 少なくとも、教養のための教養と化するよりはずっと。

一人酒盛

  • 2019.02.20 Wednesday
  • 21:56

 過日、iTunesのシャッフルモードで唐突に枝雀の「一人酒盛」に出くわす、

あの熱量に向き合う気構えなどまさかなかった。

 うまい。

 瞬時に人格が入れ替わる。「演じ手」としての巧みに手が止まる。

「人形だけが見えて人形遣いは見えない」。

 

「いつの頃からか持ちネタを六十にしぼったのでございます。『六十』という数字には、

宗教的な意味も、ましてや哲学的な意味もございません。自分の好きなネタを集めて

みますとたまたま六十になっただけのことでございます。

 どの噺も何百とある大阪落語の中から選んだ私の仲間なのです。……どの仲間も

好きで好きでたまらないネタばかりでございます。私の愛する仲間たちのノロケ話で

ございます。ネタのはなし、楽屋裏ばなし、想い出ばなし、むかしばなしにムダばなし、

いずれも話にひっかけましての六十プラス一席。おしまいまでごゆっくりとおつきあい

お願いいたします」。

 

「いらちの愛宕詣り」から。

「突然ではございますが、『いらち』[「イライラ、せかせかして落ち着きのない

人のこと」]でなければはなし家はやっていけないと思うのでございます。

『いらつく』ということは、いわば他人さんよりも先にダレるということであります。

ダレりゃこそいらつくわけです。フツーのテンポではしんぼうできない、とりあえず

次のことをせずにはおられないんですね。こういう神経は、ことにわれわれ芸人には

大切なんやないでしょうか? 一般のお人と同じようにダレてたんでは、おもしろいと

思うていただけるようなことができるはずがありません。他人さんのダレる一歩手前に

ダレが予測できて先に何かおもしろいことをしなければいけないわけですね。

それ故、芸人はすべからく『いらち』の方が良い――とこう思うのでございます。

 別の言い方をいたしますと、はなし家は『こわがり』でなければいけないので

あります。『こわがり』というのはなにかがあった時に反応が早いんです。ことに

それがマイナスの要素であれば敏感に反応しますから、聞き手の皆さんがどう

思っておられるか常に神経をいき届かせていることになります。

 そして、もうひとつ、はなし家は性格が暗い方がよろしい。昨今で申します

『ネクラ』というやつですな。性格が根っから明るい人は、別に無理におもしろい

ことを探さんでもええわけですから、かえって『どんなことがおもしろいのか?』と

いうことがわからないのです。『常識を弁えているからこそ、非常識なギャグが

創れる』というのは本当なんです。『ネクラの常識人』であるからこそ、おもしろい

ことが言えるんでございます。

 以上を総合いたしますと、『はなし家は、いらちでこわがりでネクラでなければ

ならない』――よう考えたらロクな人間やございませんね」。

酢豆腐

  • 2019.01.14 Monday
  • 21:35

 2001101日、筆者は妻との会話で古今亭志ん朝の死を知る。

 かつてない錯乱と喪失感の中で論じる。

「これは〈一人の名人の死〉といった〈点〉の問題ではない」。

 その葬儀は、筆者に言わせれば、「江戸から伝わってきた大衆文化の一つ、

江戸弁による江戸落語、その美学の葬儀でもあった」。

 ここまで言わしめる根拠について。「なんと言おうと、江戸言葉を自在に

喋れるのが最強の武器だった。これは生れつきのもので、家の中に江戸言葉の

名残がなければ始まらない」。

 このミームの最後の正統後継者が途絶えてしまった以上、江戸落語は必然的に

死滅の時を迎えたことになる。

 

 こうして要所だけを切り出せば、一つの論として頷ける点がないことはない。

 だがここに嫌悪感を誘われずにいないのは、つまるところ、落語という素材が、

両国に生まれ、江戸弁にさらされて育った筆者のナルシシズムの反映以上に

さしたる意味を持たない点にある。志ん生、志ん朝はついぞ本書においては

主題化されぬまま終わる。どうしようもないほどに、「ぼく」「ぼく」「ぼく」

たまに「私」――よかったでちゅね、ぼくちゃん、筆者は自慰以外の所作を

何一つ知ることがない。

 生前の志ん朝との座談に際して、ネイティヴであれぬことの悲哀、外国人の

ジョークに触れても肝心のところを掴めない点を嘆くが、本書の文脈においては

このペーソスさえも皮肉を帯びてしか響かない。つまり、「家の中に江戸言葉の

名残がな」い輩には、要は自分以外の観客には、江戸落語の面白みや奥深さなど

分かりようもないのだ、と。

 

 志ん朝の目指した「粋」の意を知りたければ本書を読めばいい、その対義的な

態度のことごとくが盛り込まれているのだから。

 卑しい、醜い、頭が悪い……あらん限りの罵倒を超えて、ただ痛々しい。

おもひでぽろぽろ

  • 2018.12.31 Monday
  • 18:51

「今回の旅は、表向きはひとつの曲[ショスタコーヴィチ作『交響曲第7番』、

通称『レニングラード』]の誕生から初演までの軌跡を追う取材旅行だ。

しかし同時に、それは私が長年抱いてきた疑問への答えを探す旅でもあった。

 巨大なソビエト連邦が、なぜ音を立てるように崩壊したのか。ソビエト連邦とは

なんだったのか。私は25年間、そのことを考え続けてきた。

 長い低迷期を経て奇跡の復活を果たし、再び大きな転換期を迎えたロシア。

 現在のロシアは経済的にも安定し、一見自由主義を謳歌しているように思われる。

しかし、私はそのなかに、確かにソ連の幻影を見ることができた。

 崩壊直前のソ連を見た10歳の私、学生運動の夢破れた両親、戦後捕虜となった

祖父――。ソ連と私の家族の世代を超えた繋がりは、私の内面にも深く関わっている。

 この本は、そんな私の中のゴースト、『ソビエト連邦』への旅の、全記録である」。

 

 ひとつの都市を滅ぼすのに、銃弾も歩兵もいらない。すべての経路を断ち切って、

兵糧攻めにさえしてしまえばいい。

 電気も、水道も、食糧も途絶えた極寒のレニングラード、ナチスの奸智は見事に

はまったかに見えた。陸の孤島に取り残された住人はカラスも食べた、ネコも食べた、

そしてついにはヒトも食べた。

「大砲が鳴るとき、ミューズは沈黙する」、はずだった。

 ところが、人間性の極北、レニングラードにおいてさえ、市民は希望を求めた。

劇場を、音楽を、欲さずにはいられなかった。

 作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィチには、その声に応える責務があった。

「私の生活と仕事は、レニングラードと完全に結びついている。レニングラードは、

私の祖国です」。

 街の記憶の足跡に、筆者の歩みが交差する。1991年、崩壊前夜の夏のソ連を

テレビ番組公募企画の子ども特派員として訪ねた10歳の「私」。そして両親は、

全共闘のただ中で恋に落ちた。

 

「人に歴史あり。誰にでも、自分だけの物語がある」。

 他で既に読んだことのあるような、何の目新しさもない、ごくごくありふれた表現、

しかしこのフレーズが配された文脈を参照すれば、本書の主題そのものを傷つける

おぞましいほどの醜悪さに気づかざるを得ない。

 いかなることばを受けて、この無神経を極めた記述が繰り出されるのか。その直前、

訪問した博物館の館長は言う。

「それ以降、自分の人生は自分のものではなく、誰かの命を背負っているのだと

父は考えるようになったそうです」。

 もはや「自分だけの物語」への揺蕩いを許されぬことに目覚めた人物を評して、

筆者はそれを「自分だけの物語」と語っているのだ。たとえ言わんとするところに

知られざる秘話という以上の意味がなくとも、これを鈍感と咎めずにいられようか。

 そして本書を読んだ者ならば誰しもが、この「父」の覚醒にショスタコーヴィチを

オーバーラップさせることになる。「自分の人生は自分のものではなく、誰かの命を

背負っている」、そうして彼は『レニングラード』を書き上げたのだから。

 あるいはそれを受け止めたソ連の聴衆にだって、同じことはあてはまるだろう。

 彼らの軌跡を「自分だけの物語」と筆者は片づけてしまったことになる。

 

 とはいえ、こうした読み替えさえも現代的な文脈を告発する、すぐれて見事な

巧まざる技巧と称賛せねばならないのかもしれない。

 筆者がこの取材に旅立ったのは2016119日(日本時間)、空港ロビーの

テレビが伝えるニュースはアメリカ大統領選挙、ドナルド・トランプ優勢の報。

国民がもはや国民であれなくなった時代の画期に、「ソ連人」の幻影を追う。

 もはや誰しもが「自分だけの物語」を唱えるしかない、それは筆者が典型的に

そうしたように。

麦秋

  • 2018.12.14 Friday
  • 23:20

「おなじ雑誌をしばらくだしつづければ、ふつう、ひとはあきて、なにか別の

ことがやりたくなる。でも花森安治はちがう。おなじ雑誌をあきることなく

30年間、基本的にはおなじスタイルでだしつづけ、ほとんど独裁者といって

いいほどの権威と権力をもって自分の砦に君臨しつづけた。

 しかも、たんに独裁的なマネージャーというのではなく、かれは群をぬいて

有能なプレイング・マネージャーだった。

 毎号、おおくの記事やキャッチコピーを書くのはもちろん、イラスト、描き文字、

レイアウト、写真撮影、新聞広告や電車の車内吊り広告、そして企画から

現場での編集作業まで、そうしたすべてを花森は自分ひとりで、しかも、ひとには

決してまねできないようなクセのつよいしかたでやってのけた。

 いってみれば、雑誌編集のダ・ヴィンチ型万能人である」。

 

 その才覚を示すには、花森が手がけたこのコピーを引くだけで足りる。

 ぜいたくは敵だ!

 そんな男が戦後の焼け跡で、『暮しの手帖』を立ち上げた。とはいえ、企画は

ひょんなことから彼のもとへと持ち込まれたものだった。仕事を受けるにあたって

「執行猶予された戦争犯罪人」は言った。

「今度の戦争に、女の人は責任がない。それなのに、ひどい目にあった。

ぼくには責任がある。女の人がしあわせで、みんなにあったかい家庭があれば、

戦争は起こらなかったと思う。だから、君の仕事にぼくは協力しよう」。

 とはいえ、伏線は戦前の、それも大学の卒業論文にたどることができる。

 このなかで彼は「衣粧」なることばをつくり出し、それを規定する要素として

風土、階級、性別をならべ、それぞれに検討をすすめる。

「若しも女性が優位を占め男性がそれに依存する社会を考へるなら、

恐らく女性の衣粧は簡素な実用的な形式をとり、これに反して男性の

衣粧は、しなやかな、線の柔い、優雅な形式を持つに至るであらうことは

考へ得られないであらうか」。

 花森と「暮し」の出会いは、敗戦のもたらした必然だった。

 

「暮し」の開拓者である花森は、ただし消費社会の礼賛者ではなかった。

工業化と引きかえに公害が影を落とした時代、彼は謳った。

「民主々義の〈民〉は 庶民の民だ

 ぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだ

 ぼくらの暮しと 企業の利益とがぶつかったら 企業を倒す ということだ

 ぼくらの暮しと 政府の考え方がぶつかったら 政府を倒す ということだ」。

 

 その歩みを知るほどに、どうにもあるひとが重ならずにいない。

 小津安二郎。

 佐分利信の囲むお座敷がさながら戦争へと導いた男性原理とするならば、

その清算は原節子によって表される女性原理を通じて果たされる。いずれにも

つけぬまま、パチンコや麻雀で暇を持てあます一般人が笠智衆というところか。

 時にマンネリと批判されつつも、同じようなシナリオで小津が撮り続けたのも

「暮し」だった。直接にその記憶が描かれることはなくとも、「暮し」をカメラに

とらえる営みのひとつひとつが、体験世代にとっては、戦争を透かさずにいない。

 晩年の花森のことばから。

「戦争を起こそうというものが出てきたときに、それはいやだ、反対すると

いうには反対する側に守るに足るものがなくちゃいかんのじゃないか。……それで

ぼくは考えた。天皇上御一人とか、神国だとか、大和民族だとか、そういうことに

すがって生きる以外になにかないか。ぼくら一人一人の暮らし、これはどうか。

暮らしというものをもっとみんなが大事にしたら、その暮らしを破壊するものに

対しては戦うんじゃないか。つまり反対するんじゃないかと」。