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  • 2020.05.10 Sunday

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    ヒューリスティック

    • 2018.04.27 Friday
    • 22:10

    「私が生命、地球、宇宙の進化をテーマに選んだのには、主にふたつの理由がある。

    ひとつめに、偉人と聞いてほとんどの人が真っ先に思い浮かべるような学者たちの犯した

    過ちを、批評的に考察してみたかった。こうした偉人たちの過ちは、過去一世紀のもの

    だけを取ってみても、今日の科学者(そしてすべての人間)が抱える疑問ときわめて

    密接に関連している。そうした過ちを分析することで、面白いだけにとどまらず、科学的な

    活動から倫理的な行動まで幅広い分野の行動指針として使える生きた知識体系を築ける

    ことを証明したいと思っている。ふたつめの理由は単純だ。生命、地球、宇宙の進化という

    話題は、文明の幕開け以降、科学者だけでなく全人類の興味を掻き立て、人類の起源や

    過去を明らかにするための飽くなき探究活動を刺激してきたからだ。こうした話題に対する

    人間の知的好奇心は、少なくとも部分的に、宗教的な信条、創造に関する神話、哲学的な

    探究の根源になってきた。と同時に、この好奇心のより実証的な側面、証拠に基づく側面

    こそが、やがて科学を生みだした。人類はこれまで、生命、地球、宇宙の進化にかかわる

    複雑なプロセスの解明に向けて、前進を遂げてきた」。

     

     進化論のC.ダーウィン、温度の単位に名を残すケルヴィン卿W.トムソン、ノーベル賞を

    複数回手にした化学研究者L.ポーリング、天体物理学者として名を成し、SF作家としても

    A for Andromedaなどで知られるF.ホイル、言わずと知れたA.アインシュタイン。

     科学界を覆っていた常識にブレイクスルーを持ち込んだ巨人とて時に過ちを犯す。

    本書の構成はある面でとてもシンプル、まずそれぞれがどれほどまでに革新的な論を

    唱えた存在だったのか、という科学史を辿り、その上で彼らが何につまずいたのか、を

    明かしていく。当時の技術的限界に由来するものもあるだろう。通説の破壊者をもってして

    超えられなかった常識の壁もある。しかし本書が指摘するのは、彼らのごく人間的な側面。

    メンデルによる遺伝の法則をダーウィンが自らの説に取り込むことができなかったのは、

    筆者に言わせれば、「自信の幻想」に憑かれていたせいだ。自説の穴を突かれようとも

    己の信念に固執し続けたケルヴィンは、筆者に言わせれば、「認知的不協和」の典型を

    示している。宇宙定数の導入をアインシュタインは「人生最大の過ち」と悔やみ続けた、

    今なお語り継がれるこのエピソードにもすぐれて人間的な要素が関わっていた。

     

    「名案を思いついたと思ったら、とにかく発表しなさい! 間違いを恐れちゃいかん。

    科学では、間違いは何の害も及ぼさない。科学界には、すぐに間違いを見つけて訂正して

    くれるような優秀な人間がたくさんいるのだ。……しかし、もし名案なのに発表しなければ、

    科学が損失をこうむるかもしれんのだ」。

     本書の営みはつまり、ポーリングによるこの至言に説得力を与える試みに他ならない。

    後出しじゃんけんで先人をくじくだけ、そんな不快な作業に没頭するだけの代物ならば

    参照に値するものなどない。本書がほぼ一貫して「失敗」に対して「偉大brilliant」という

    敬意の態度をとり続けるのは、科学が「AからBへと一直線に進化していくわけではなく、

    批評的な再評価や誤りを見つける相互的な交流を通じて、ジグザグの道をたどりながら

    進化していく」ことを知るからに他ならない。

     そしてその教訓は科学研究の門外漢にすら及ぶ。恐れるべきは失敗ではなく、失敗から

    何の学びも得ないこと、このことが該当するのは、何も先端理論の探究者に限らない。

    そして幸いにも、人間は失敗の種には事欠かない。というのも、「人間は、感情を完全に

    オフにできる純粋に理性的な生き物ではないのだ」から。失敗を成功の母とできるか、

    それこそが「偉大」か、否か、の分水嶺となる。

    「人間は、ありとあらゆる高貴な品性を持ち、もっとも下劣な者に対しても同情心を抱き、

    ほかの人間のみならずもっとも下劣な生物に対しても慈愛を示し、太陽系の運動や

    構成をも見通す神のような知性を持っている。しかし、こうした崇高な能力にもかかわらず、

    それでもやはり、人間の肉体的な造形の中には、消すことのできない卑しい起源の刻印が

    刻まれていることを、認めぬわけにはいかないと私は思うのである」。

     本書を読み終えた後ならば、ダーウィンによるこのフレーズもなおいっそう奥行きを増す。

    「もっと歯車を!」

    • 2018.04.24 Tuesday
    • 23:07

    1901年に、海底に沈む難破船から発見されたこの破片は、古代文明の遺物としては

    まさに驚異的である。私たちがこれまで理解してきた古代ギリシアのいかなる技術に

    照らしても、存在するはずがない物なのだ。その精密さに匹敵する品は、千年以上あとの

    ルネサンス期ヨーロッパの天文時計まで待たないと出ていない。……この機械はなにを

    するためのものなのか。いったい誰がこれを作り上げたのか。そしてこれほど高度な技術が

    生まれながら、なぜこれほど長いあいだ歴史の中で埋もれていたのか。1901年以後、

    何人もの人びとがこの機械の仕組みを解明し、これらの疑問に答えを出すことに人生を

    かけた。いったん謎にとり憑かれると、誰もが目をそらせられなくなった。彼らの多くは

    解明しきれないまま世を去った。同時に誰もが謎の一部をつきとめた。この本は、

    その人びとの物語である」。

     

     20世紀の幕開けを告げるように、「アンティキテラの機械」の発見を可能にしたのは

    技術だった。素潜りで到達できて、かつ何かを収穫できる限界といえば水深30メートル、

    ところがヘルメット式潜水服の発明によって限界は70メートルにまで押し広げられた。

    最終的にはギリシア政府を巻き込んだプロジェクトに発展するも、そもそものきっかけは

    技術開発と海賊的野心の融合だった。

     研究の進展は技術の発達に同期するようにもたらされた。「機械」の解明をリードした

    科学史家D.プライスは、自らの名を配したひとつの仮説を立てた。曰く、「科学者の成果を

    記録するページ数は、時代とともに同じ増加率で指数曲線を描」く。

     なるほどX線の撮影手法など、まるで「プライスの法則」を実証しにかかるかのように、

    技術は「機械」をめぐる謎の究明に力を添えた。

     

     ただし皮肉にも、そうして露わになった真相は彼の法則を裏切った。技術においても、

    知識においても、「機械」は時代からはあまりにも傑出していた。

    「月の満ち欠け、惑星の出と入り、そしてとりわけ食はいずれも王とその国家の幸不幸に

    かかわる啓示をふくんでい」る、そう考えられていた時代に天体運動を計算してみせた

    「古代ギリシアのコンピュータ」は、ただし神を機械仕掛けへ置換するには至らなかった。

     プライスの願望とは裏腹に、世界は情報の蓄積による線形的な発展を辿らなかった。

    「アンティキテラの機械を見ると、私たちも訊ねたくなる。なぜ時計を作らなかったの

    だろう。何世紀ものちに、ヨーロッパではこうしたテクノロジーが産業革命を呼び起こし、

    オートメーションの現代社会へ道を開いた。ギリシアで同じことが起きなかったのは、

    なぜだろう」。

     知識のインプットだけでは足りない何か、あるいはそれは未来の人工知能をなおも

    人間が凌駕していくほんのわずかな可能性に通じているのかもしれない。

    ブレイキング・バッド

    • 2018.04.20 Friday
    • 23:01

    「私たちは薬効範囲の広い抗生物質なしに、いかにして病気を治すことが出来るだろうか?

    あるいは、出来るだけ農薬を使わずに作物をいかに守ったら良いのだろうか? この本は、

    私がこうした質問に答えようとするものである。……幸いなことに、独創的な戦術が生まれ

    つつある。遺伝子操作のような21世紀の科学はもちろん、便の移植のような古代の習慣が、

    必要性と技術の進歩によって新たに導入されている。多くの戦略は、古い時代の敵に

    対する私たちの最良の味方として自然から借りてくることが出来る。細菌に感染して、これらを

    殺すウィルスがある。ある作物は植物病原体を防ぐ健康な微生物群を作り出す。私たちが

    持っている自然の防御システムを、より良く刺激するように遺伝子組み換えされたワクチンが

    あり、近縁の植物から借りてきた遺伝子で病気に抵抗性のあるように遺伝子組み換えされた

    作物がある。昆虫フェロモン――自然にある極めて特異な化学物質――を放出することに

    よって、幼虫が果実や木の実を害する蛾の、、成虫の性的行動を誤らせることが出来る。

    そして、ある細菌は新しい種類の選択性の高い抗微生物剤――病原体を殺すが私たちの

    腸内の微生物群は損なわない――を提供する。数千ではないにしても、数百の楽観的な

    戦略がある。私は、そのうちから一握りを選んでここに紹介したい」。

     

     本書の原題はNatural Defense

     農薬批判、抗生物質糾弾、と聞けば、少なからぬ者は辟易とするのかもしれない。また例の

    度の過ぎた自然礼賛、民間療法布教の反科学オカルトものか、と。

     本書はそれらとは完全に一線を画す。叩かれるべき科学があるとすれば、テロリストを

    掃討すべく無差別爆撃を繰り返すがごとき火力の過剰を制御できない手法に過ぎない。

    本書のスタンスは、排除や駆逐ではなく、共存を目指す。それもあくまで科学を通じて。

    副作用の甚大な投薬治療ではなく、ワクチンとDNAのコネクトで自身に眠るポテンシャルを

    引き出す。抗生物質の投与を全否定するわけではない、ただし診察の精度を上げることで

    その濫用を防ぐことはできる。

     それらを可能にしてくれるのが自然科学だ。

     

     ただし、肝となるべきその科学アプローチにさしたる目新しさを覚えない、というのは

    少しばかり疑問を呈さざるを得ない。腸内の微生物環境を整えるために、健全な大便を

    植えつける。遺伝子組み換え作物を導入する。農業の現場にITを組み込む――細部は

    ともかくも、紹介される技術それ自体は多くの人々がいずれかの媒体で既に目にしたことの

    あるだろうような話ばかり。斬新さに飛びつけばTheranosのような詐欺に引っかかりかねず、

    慎重を期してエビデンスを求めればこうなるのもやむを得ないのかもしれないが。

     

     反知性に抗いうるのは知性だけ。

     この一点において、世界は何らの例外をも持たない。

    羅生門

    • 2018.02.19 Monday
    • 22:07

    「宇宙のどこかで、二つのブラックホールが衝突する。どちらも恒星並みの質量を

    もちながら、サイズは一つの都市ほどしかない。まさに黒い(光がまったく存在しない)

    穴(空洞)である。重力で互いにつなぎ留められた二つのブラックホールは、最期を

    迎えるまでの数秒間、両者が接近することになる点のまわりを何千回も周回して

    時空をかき回し、やがて衝突して合体し、一つのブラックホールとなる。……合体により

    生じる膨大なエネルギーは。純然たる重力現象という形で、時空の形状の波動として、

    すなわち重力波として発散される。……十分そばにいれば、聴覚機構が反応して

    振動するかもしれない。その場合、重力波を聞くことができる。暗黒の虚空の中で、

    時空が鳴り響くのが聞こえるのだ(ブラックホールに命を奪われない限り)。重力波とは、

    物質媒介なしで伝わる音のようなものである。ブラックホールどうしの衝突によって、

    音が発生するのだ」。

     とはいえ、「太陽10億個分の1兆倍を上回るエネルギー」によって発せられるこの「音」、

    別にジェット機のごとき轟音を伴って彼方へと到達するわけではない。この重力波が

    もたらすのは「地球3個分ほどの幅が原子核1個分だけ伸縮するに等しい」、他のスケールで

    言い換えれば「地球1000億周分の距離を髪の毛1本の太さにも満たない幅だけ伸縮させる

    変化」をもたらすに過ぎない。このプレイヤーに投じられた総額は10億ドルを超える。

     本書では、そんなプロジェクトの裏側の人間活劇をあぶり出す。

     

    「アイデアを出すことと実際に手を付けることは大違いですから。……称えられるべきは、

    そして発表すべきは、そのアイデアを実現させた人たちですよ」。

     宇宙物理学の最前線として部外者が往々にして想像しがちなのは、選りすぐりの俊英が

    複雑怪奇な数学や理論を操って、途方もない「アイデア」を表していくその風景。

     ただし、本書の中心をなすのはもっぱら「実際に手を付け」た人々、そのさまは、

    典型的なものづくりのパイオニアたちのそれに限りなく似る。

     

     ざっと2億ドルの予算獲得を目指して連邦議会に申請し、公聴会が開かれる。

    「この極微の事象が起きるのは来月か、それとも来年か、あるいは30年後なのか、

    私たちには分からないのです」。

     見解を求められた権威によるこの証言は、計画の先行きに暗雲をもたらした。

     起死回生を図るべく、民主党の有力議員を味方につける。彼にとって、巨額プロジェクトの

    地元への誘致はいかにも魅力的だった。ところが用地選定が進むにつれ、別の州に白羽の

    矢が立つ。時の政権を握る共和党の差し金だった。まさか議員が憤怒に震えぬはずがない。

    こうして彼らは後ろ盾を失う。

     

     当事者間の軋轢を孕まないビッグ・プランなどこの世にはない。

     彼を前にしては他の学者はサリエリの座に甘んじる、そんな稀代のアマデウスはただし、

    調整能力を欠いていた。彼は「自分の直感に頼り、客観的な分析には頼らないのです。

    理路整然としたやり方をしようとしませんでしたし、できませんでした。……これらの短所は、

    多数のメンバーが関与する組織的な研究プロジェクトを率いるのは著しい障害となります」。

     そして事態はこじれにこじれて、彼は「プロジェクトの中核から追放された」。

     

     本書を彩るのは、オタクの園を舞台とした、むしろ古典的な政治劇。ドン・キホーテの

    哀愁さえも時に滲む。

     とはいえもちろん、天文学、物理学の面白みを外すことはない。

     何もかもがミステリー、胸高鳴らぬはずがない。

    余は如何にしてミツバチ研究者となりし乎

    • 2018.01.27 Saturday
    • 21:48

    「もし、あなただけが、誰も知らないミツバチの秘密に気づくことができたとしたら、と

    想像してみてください。それは、ミツバチが何十万年もの間、人知れずおこなってきた

    ことで、今も世界中のミツバチがそれをしているのに、誰もそれを知らないのです。

    こんな興奮することはないでしょう。/本当のところ、その興奮はそれを見つけた

    本人しか味わうことがきません(原文ママ)。しかし、できるだけそれを共有できるように、

    この本では努力をしてみたいと思います。……この本のタイトルは、研究を旅に

    なぞらえたものです。私たちは、ミツバチの生きる世界のことをよく理解していません。

    しかし、研究を進めることで、少しずつそこに近づいていくことはできるでしょう。そして、

    私がこのタイトルをつけたのは、それとはまたちがった意味からも、私がおこなってきた

    研究が、まさに旅のように思ったからでもあります。……私も研究を始めた頃は、自分が

    何をしたいのか、どこを、めざそうとしているのかが、よくわかっていませんでした、

    しかし、その時々でできることを試してみるうちに、だんだんと目的地が定まり、今は

    それに向かっているような気がしています。そのあたりが旅のイメージと重なったために、

    このようなタイトルにしました」。

     

     ・仲間を識別するための認証システムを導入している。

     ・共同住居に死者が出ればその亡骸を埋葬する。

     ・王位継承をめぐって他の候補の謀殺を図る。

     ・ボディ・ランゲージを用いて意思疎通する、そしてしばしば行き違いが生じる。

     これらはいずれもミツバチの世界の話。

     ・移動に際しては燃費に細心の注意を払う。

     この点をめぐる精密さに至っては、あるいはヒトをも凌駕する。

     

     そしてこのテキストは同時に、筆者個人の「旅」を綴ったものでもある。

     往々にして、「ある意味では何の役にも立たない」基礎研究系、動物学者といえば、

    幼少期の原体験そのままに育った純粋培養オタクの幸運な着地点を想像させる。

     しかしこと筆者の場合、そうした像とはかなり毛色を異にする。

     強力な志望動機があって大学に進んだわけでもない。ミツバチに辿り着いた経緯も

    漠然としたもの。「良いバイト」と薦められて青年海外協力隊でフィリピンにも出向いた。

    ミツバチにポストの空きがなくて、バッタや甲虫の研究に従事したこともある。.

     その履歴は、“It's all about the journey, not the destination”、そんな英語のことわざを

    想起させずにはいない。目的地を効率よく結ぶ(travel)、名跡をつまんで回る(tour)、

    それだけが旅ではない。あてどなくさまよった末、なぜか辿り着いている場所がある、

    現代教育論の徒花として、そんな「旅」があっていい。